麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

如月灸

2018年02月02日 | 身辺雑記
チャーハンを作る時、まず飯を炒め、
それから卵を、さらに具を投入。
そう教わって長い間作ってきた。

が、ある時から火力の弱い家庭では
ご飯と卵を同時に入れるのがいいと。
恐らく今はそちらが常識だろう。

お米も、母から「よく研いだ?」
と厳しく言われたものだが、
今はこれも宜しくないそうだ。

まぁこちらは間違えていた、
というより精米技術の向上と
我々の習慣の齟齬があった例。
この手のパターンは他にもある。

芸人は親の死に目に会えないと
長らく言われてきて。また、
その当人も畳の上では死ねない、
舞台で死ねたら本望なんぞとも。

往時は、大病が判明した時、
もう治る見込みはなかった。
そこに立ち止まる選択肢はなく、
恐らくそこから「生きざま」の
一つの形も確立されたのだろう。

けれども医学の発達により、
治癒する段階で見つかる。
・・・そりゃ治します。
だから降板もするし、回りも
「早く治って」と応援するのだ。

※※※

降板といえば。
自分理由で役を降りた場合、
劇団ではそれから暫く干される
というのが割と最近まであった。

様々な理由がある。
ひとつには「示し」の問題。
座員が個々好き勝手を言い出せば、
確かに劇団活動は成り行かない。

「自分理由」も様々。
経済理由(例えるなら、親が倒れ、
家計を支えるため)の場合には
情状酌量の可能性が残される。
けれども。
外から客演のオファーが来て、
その役を全うして演技力が高まり、
人脈も広がる等、将来的には
劇団に還元できます・・・
的なパターンには容赦がない。

ただ。
劇団の状況にも変化があり、
昔に比べ所帯が随分小さくなった。
干す余力がなくなっている所も。

いいのか悪いのか解らないけれど。

劇団の成長期は終わりを迎え、
歯を食い縛り、存続に力を注ぐ。

※※※

高度成長期には電力が必要で、
必要悪と知りつつ「核」に依存。
しかし今。
有用な自然エネルギーがある。
先に飯を炒めるチャーハンを
いつまで作り続けるのだろう。

二月二日、雪の東京。
二日灸または如月灸。
今日、灸をすえると効能が倍に。
一年を無病息災で過ごせる日。

横暴に振る舞い続ければ、
自然界から熱い灸をすえられます。
コメント
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