人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー元寇以前、中世ヨーロッパの情勢ーー

2016-05-28 16:56:57 | 日記

昨年イタリア旅行に行った時、モンゴル帝国の西征のことが話題となりました。「モンゴル帝国に攻められ屈服しなかった国は日本とベトナムだけです。日本人はそのことを知っていますか」と。その時は何を言っているのか良く理解できませんでした。

ヨーロッパの中世史を調べてみますとモンゴル帝国は1241年に「ワールシュタットの戦い」でドイツ・ポーランド連合軍を撃破し、「モヒの戦い」では10万人のハンガリー軍を殲滅、その後ハンガリー王国は滅亡。1242年にはウイーンが陥落。フランスも惨敗し、1245年には北ドイツ平原への本格的侵攻が開始され、神聖ローマ帝国は壊滅しました。抵抗していたフランス王国も1247年に滅亡し、北イタリアの諸都市も経済的従属下に入りました。農地は牧草地に変わり、馬が走れるところであれば徹底的に攻め込まれました。西征の結果、残ったヨーロッパ由来の国家はスカンディナビア半島、イベリア半島、イタリア半島、ブリテン諸国、ビザンツ帝国位になったようです。このモンゴル帝国のヨーロッパ侵攻により、独自の文化を築いていた中世ヨーロッパは一度壊滅したと言われるほど、歴史に傷跡を残しました。

インターネットで見た資料によると、モンゴル軍の戦い方はかなり組織だったもので、当時のヨーロッパ騎士団の前近代的は戦い方では歯が立ちませんでした。兵站が伸びても食料は略奪や衰えた馬を食べて調達し、また征服民を兵士として利用。戦闘に際しては情報戦略を重視して、一度撤退しても二度目に攻める時には相手の弱点を徹底的に調べ上げ戦ったようです。 

では何故モンゴル帝国は日本に興味を持ったのか?ある資料に「黄金の国。ジパング」の黄金が狙いであったと書かれていました。マルコポーロが東方への旅をはじめたのが1271年。北イタリアの諸都市の商人たちから黄金の国の話を聞いていたのではないかと思われます。

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