<妻木晩田遺跡>
日本列島への「三段階渡来モデル」
(参考書籍:日本人の源流~斎藤成也)
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《第三段階前半》 約3,000年前~約1,700年前
弥生時代に入ると、朝鮮半島を
中心としたユーラシア大陸から、
第二波渡来民(※※※)と遺伝的に近いが、
少し異なる第三波の渡来民(弥生人)が、
主に西ルートを通って日本列島に到来し、
水田稲作などの技術を導入。
彼らとその子孫は、日本列島中央部の
中心軸に沿って東に居住域を拡大しながら、
急速に人口を増やして行った。
しかし、日本列島中央部中心軸以外では、
第三波の渡来民(弥生人)と
その子孫との混血の程度が少なく、
第二波の渡来民(※※※)のDNAがより濃く残る。
日本列島の南部(南西諸島)と北部(北海道以北)、
および中央部の北部(東北地方)では、
第三波渡来民(弥生人)の影響はほとんどなかった。
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約3,000年前~約1,700年前といいますと、
およそ弥生時代から古墳時代に
かけての期間に相当します。
この時期に渡来してきた人々は、
「第三波の渡来民」に分類され、
第二波渡来民と遺伝的に
より近かったと考えられることから、
恐らくこれらの集団の中には、
「O系遺伝子」のDNA型を所有する
人々も含まれていたのでしょう。
第二波・第三波の渡来民はともに、
一度ではなく何度も繰り返し
やってきたと思われますが、
比較的小規模な集団(50人~100人程度?)
を形成していた第二波渡来民に比べ、
「第三波の渡来民」に関しては
大集団が主であったと想像されます。