治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

おまけのクリアファイル公開&改題の理由

2021-08-21 07:53:53 | 日記
さて、「医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!」
続々ご注文ありがとうございます。
まだAmazonさん等では解禁にしていません。今のところ自社サイトでのみお申込み可能です。
そして自社サイトお申し込みの方にはミニクリアファイルをプレゼントします。
冊数分おつけいたしますので、花風社の他の本でほしいものがあった方、どうぞこの機会にお買い求めください。

クリアファイルのイラストはこれです。これが表。
これをきれいな青で刷ってもらいます。画伯に色を選んでいただいています。



「脳みそラクラクセラピー」をお読みになった方はわかるでしょうが、これはあの本にも出てきたイラスト「資質を探す」の続きです。
お子さんたちには(そして親御さんにも)どういう資質があるのか。何を強みとして社会を生きていくのか。
それを「海に行ったら」何をするかで見抜こうという提言が愛甲さんからありました。
画伯、愛甲さん、栗本さん、大久保さん、浅見それぞれが海で子どものころどう遊んでいたかを思い出すと
それが今それぞれの仕事につながっていることに気づきました。
今回はその拡大バージョンを載せています。
ですので裏面では、それぞれ海で子どものときに遊んでいた遊び方が今の仕事にどう結び付いているか、答えが描いてあります。
それを丸ごとクリアファイルにします。
どうぞお楽しみに。

さて、このシリーズは花風社創立記念25周年事業ですが、シリーズ名を一字変えた経緯をひみつのお部屋で説明しました。
けれどもひみつのお部屋の住民でない方には説明していないと思います。
経緯は以下のとおりです。



=====

7月30日

浅見→大久保さんのメール

大久保様

お世話になります。
直感で答えてください。
どちらがぴんときますか?

医者が教えてくれない発達障害の治り方

医者が教えてくれない発達障害の治し方

=====


7月30日 大久保さん→浅見のメール

「医者が教えてくれない発達障害の治"り"方」です!

治っているプロセス(定型発達&ヒトの発達)を知っているからこそ、発達の後押しができますので。
あくまで治す主体は本人ですし。
どうぞよろしくお願い致します。

=====

7月30日 ひみつのお部屋

緊急連絡です。
ここに書くのが各位に一番効率よく伝わると思いますので。

「医者が教えてくれない発達障害の治し方」というシリーズタイトル、変更しようと思います。

新タイトルは

「医者が教えてくれない発達障害の治り方」です。







になります。
廣木さんにはお手数おかけいたします。



に変えていただけますと幸いです。

この本はまだ営業を全然始めていません。
なんか理由があるんだろうと思っていました。

そして津田さんの講演に行き、ういういしい質問を数々ききました。

そしておけいママさんのやりとりから、私が痛感したこと。

それはやっと花風社にたどり着いた方でもまだ花風社が伝えたいことがわかっていないということです。

何か人為的な力を加えるのが発達援助だと思っている。

でもそうではないのです。

治すのは医者ではない。1番力になれるのは親だけど、廣木さんが脱支援道でもおっしゃった通り、治すのは親ですらない。

治すのは自分なのです。
それが今ひとつ伝わっていないと思いました。

ので

治り方

の方がいいのではないかと思い
大久保さんとも話して

治り方

でいくことにします。

~~~~~

こういう経緯です。
そして実際に治している人の多いひみつのお部屋では改題に大賛成の方が多かったのです。

皆さんが見てきた通り、医者も支援者もあてになりません。
「治りたいのなら特別支援の世界に入るのは間違い」と大久保さんも割ときっぱりと本の中でおっしゃっています。

診断が必要なのは支援を得るため。
でも発達援助を得るために、診断は要らない。
できれば診断前に治ってしまうのが一番。
ただしうっかり診断されてもそのようなものにとらわれることはありません。
発達障害は家庭で治せるからです。
治すのは親しかいないのです。

などというと今度は皆さんこういう誤解をする。
「親が何かの手を施して子どもを治すのだ」。
そういう誤解が行き渡っているのだなあ、と気づいたのは大阪の講演でした。
質問の数々が「HOW TO」を求めるものだったからです。

でも、治している方ほどおわかりのとおり、治すとはHOW TOではありません。
そして「医者も支援者も治さない」という意味で、治すのは親しかいないけど、究極のところ誰が治すかというとご本人です。
親にできるのは治る土台を作ること。
その土台作りを花風社は、機序を説明して提言しています。
(だから花風社読者の方は、コロナにおいても、機序から考える習慣がついています。むやみに恐れないのは、それがあると思います。)

我々花風社の知見を追ってきた人間と、それを参考にして治ってきたおうちの人たちは実感しているこのことを、新しい方たちは今一つわかっていなくて
なんか入れたら出てくるような、自動販売機のようなイメージを発達援助に持っているらしい。
それに気づかされたのが大阪の講演でした。
どっとこむにも書きましたが、本当に現地に出かけてよかったです。
あのときあの講演をリアルタイムできいたからこそ、私は改題を思いつきました。
その結果、より「治る」の実態をおわかりいただける題になったと思います。

第二弾、第三弾もすでにラフが出来上がっています。

~~~~~

花風社創立25周年記念事業

〇医者が教えてくれない発達障害の治り方 2

ヒトの発達という旅路を知ろう


栗本啓司

〇医者が教えてくれない発達障害の治り方 3
子ども自身の力を発見しよう!

大久保悠

~~~~~

こういう予定です。
このシリーズは、コロナ禍がなかったら生まれなかったと思います。
というか、コロナ禍がなかったら、私はもう実質引退していたかもしれません。

コロナ禍が私たちに教えてくれたのは、自助努力の大切さです。
医療も行政もあてにならないことがはっきりした。
日本の医療も行政も、よその国よりダメだった。
だったら身体は丈夫な方がいいし、病気や障害はさっさと治った方がいいです。
そのための三冊になります。
よろしくお願いいたします。

詳細・ご注文はこちらをごらんください。



どうぞよろしくお願いいたします。

はちきん 花風社高知初上陸のご報告 その4

2021-08-14 07:32:50 | 日記
帰る日の朝、栗本夫妻と一緒に空港に送っていただき、主催者様に別れを告げました。
売店で芋けんぴを見つけたので買いました。薩摩と違って高知は塩けんぴだそうです。早速食べてみます。美味しい。

機内から見る高知の海は美しかったです。
人生初高知の旅は終わりました。
人生初香川の旅のあと、プライベートで訪れたように、ここもきっとまた来るでしょう。

高知では青い空と海が広がっていましたが、関東は台風の影響を受けているらしい。
途中も結構揺れましたが、運航に影響はなく、予定より早く羽田に着きました。
コロナで旅客が減り、地元へのバスも減便。けれどもちょうどいい時間のバスがあります。
私は急いで荷物を拾い、バスに乗り込みました。

帰宅後、まずしたこと。
洗濯物を洗濯機へ。そしてシャワー。
そのあとiPadを取り出し、西原理恵子さんの「パーマネント野ばら」をダウンロードしました。

高知が見知らぬ土地だったころ、私にとって高知とは龍馬であり、そして宮尾登美子であり西原理恵子でした。
だからふと読みたくなったのです。
ページをめくって驚きました。
さっき別れを告げたばかりの高知の海がそこにありました。
クリエイターの目は正確に故郷の海の色を再現するのだなあ、と感動しました。

漫画に出てくる庶民の人たちは、みんなちょっと悪くて、そしてたくましい。
このたくましい庶民は、どこに行ったのかな、と私は考えました。
夫たちが1年半遠洋漁業に出かけたあと、ときには酒盛りしながら留守を守ったたくましい女たちはどこに行ったのか。
これは高知に限らないことですが
今の日本の地方の民は公金依存が過ぎて、牙を抜かれたようです。

講演の中で触れましたが、今の看護師不足は、待遇とかそういう問題より先に、もう人口動態的に限界だそうです。前日ツイッターで拾った情報です。なんでも21歳女子の12分の1が看護師だとか。高齢化により需要は高まり、一方で地方には仕事がない。どうしてもそういう仕事に流れるということでしょう。

看護師が悪い仕事だとは思いません(自分は絶対いやですが)。
需要も給与も高く安定している仕事でしょう。
でも職場が病院で、お局様みたいな人がいて、上司がシャンパーニュ中川みたいな野郎。
確実に病みます。
もっともっといい仕事はたくさんあるはずです。
でも地方は公金依存。安定志向。
そして安定を求めると病みがち。
だったら安定を求めた人が生きやすくなるにはどうすれば、というお話を講演ではさせていただきました。

自由と安定、ということを軸にお話ししましたが
安定を眼目に仕事を選ぶと、どうしても自由が得にくくなります。コロナ禍ではっきりしました。
今自由に旅をし、人と語らっている私たちは自分で事業を起こした人間たち。一方で公的な資金から給与を得ている人は(国民皆保険のもと、当然医療従事者もここに含まれます)自由を制限されています。
私は幸い、自由にプライオリティを置き、たくさんの自由とそこそこの安定を手に入れることができました。
その要因は体力と運の良さ。それを手にする人が増えてほしいと思って身体アプローチを勧めているわけです。

でも自由も安定もなかった庶民はかつて、たくましかったはずです。
進取の気性に富んでいたはずです。
高知は坂本龍馬を、そして三菱財閥を生んだはずです。

今回の開催にあたり、「来なかった人たち」がいます。
その理由は、お金を出したくない(なんとかセンターの行う啓発講演は無料なので)。
津田さんご夫婦は最初純粋にお客としていらっしゃったのですが「栗本浅見こみで3000円は安い!」という認識でした。でも「情報は無料で与えられるもの」と思っている人がとくに地方にはたくさんいます。
他人と違うアプローチは怖い。
等々。

福祉や医療の発達は多くの人を救ったでしょう。
でもかつての庶民は、もっともっと自分の足で立つ覚悟ができていたかもしれません。
私はだから、そういう強い人たちを求めて、宮尾登美子や西原理恵子という高知の作家たちの本を読み続けてきたのだと思います。

発達支援のギョーカイは、治すすべを知らない。
でも何かやっている感じを出さなくてはいけない。
ということでどうでもいい啓発講演を繰り返してきました。
かつては各自治体で繰り返されていたそうした啓発講演は、コロナ禍の中でほぼほぼなくなりました。
不要不急だったからです。
そして啓発講演で謳われる「努力しなくていい。社会が合わせればいい」はなんのことはない医療モデルでした。
「俺は女と寿司でシャンパーニュ。庶民はステイホームしてろ」という医療モデルでした。
医療は命なるものをかたにとってそれをやってきた。
それに多くの人が騙されてきた。
けれどもこの騒ぎで騙される人は減ったし、もともと社会に通じるわけがない勝手な理屈だったのです。

講演の最初に私ははっきりと言っていますね。
どういう発達障害者が今後生き残るか。
私の考えを知りたい方は配信をごらんください。

不要不急の啓発講演がほぼほぼすたれる中

花風社周辺は、集まり、ソーシャルディスタンスを取りつつも現地で集合し、マンボウや緊急事態宣言の中でも酒を酌み交わし、オンラインで全国とつながり、「治したい」仲間を増やしました。
コロナ禍の始まりには、治っておいてよかったことがはっきりしたし
今後の世界の中でたくましく生きるには、治っておいた方が絶対にいいことが明らかだからです。

そして、医療や福祉に頼っていては自立できないことをコロナ禍ではっきりと知ったからです。

パンデミックが進み、政府や医療の棄民が進めば進むほど、最後に頼りになるのは自分の力だとはっきりしたからです。

このような状況の中でお越しくださった皆様
主催者の「からだこころ研究会」の皆様
駆けつけて録画&配信代行の労をとってくださった津田さんご夫妻
そして栗本さんと奥様

ありがとうございました。

高知でも「治そう」が根づいていきますように。

配信のお申し込みはこちらにお願いいたします。



はちきん 花風社高知初上陸のご報告 その3

2021-08-12 07:07:26 | 日記
さて、饗宴のお店。
これがもう、特筆ものでした。
ずらっと並んだ皿鉢料理の数々に圧倒されたというのもありますが、宴もたけなわのころ、私たちの個室を訪れた女将から聴いた高知に関する数々の逸話が印象深かったのです。
津田さんは「まさかの三講座目」と形容していましたが
私の講座が一講座目、栗本さんの講座が二講座目だとすると
三講座目がこの饗宴の場でした。

興味深い話が多かったのですが
中でも「そうだったのか~」と思ったのは黒潮文化圏です。
四国の中央には高い山があり、それがゆえに瀬戸内側とは隔てられている。
けれども意外と宮崎や鹿児島と昔からつながりがあったというのです。

和歌山と房総が意外とつながっていますよね。醤油が共通していますし、勝浦という地名はどちらにもある。あれも黒潮文化圏ですが
土佐と薩摩ももともと海で交流していたのです。
ちなみに世田谷と川崎も同じ地名が多い(等々力等)。もとは一つの村だったのが川の流れで都県に分けられただけ。
「県境を越えるな」という凡知事ズの要請がいかに無駄なもんか、行政の都合にすぎないか、わかるというもんです。
「おたくは支援学校」もそうなんですよ。

ドライブの途中に「芋けんぴ」の工場が目につき、「鹿児島みたい~」と言っていたところでした。
そして鰹節文化。
土佐と薩摩との共通点は多いのです。お醤油も九州っぽい。
黒潮でつながっていたと知って納得です。
土佐と薩摩。いきなり手を結んだように見えますが、明治維新の素地もこうやって作られていたのだなあと思いました。

そして酒豪文化。
与論島で回し飲みからクラスターが発生したようですが、鹿児島本土にも穴が開いている酒杯(つまり、一気飲みせざるを得ない)はあるそうです。
似たような「置けない酒器」がずらりと並べられました。もともとお酒で盛り上がり一気飲みや回し飲みをする文化は高知にもあったようです。
そのお座敷遊びの感染予防バージョンみたいなの(回し飲みはなし)をやって、二杯ほど一気飲みさせていただきました。
これも女将から指摘されて気づいたことですが、たくさん飲む高知のお酒は辛口です。そして瀬戸内のお酒はどちらかというと甘くどろっとしている。大量に飲むには辛口の方が向いていますね。

男たちが遠洋漁業に出かけ、一年半も帰ってこないこともある高知では女たちが大黒柱。
留守の間子どもだけではなく義父母の食い扶持まで女性たちが稼がなければいけないこともあった。
「はちきん」です。
となると息抜きとして、女性だけの飲み会は大っぴらに行われていた。
女性の飲酒に対して寛容だったそうです。

それはいいな
生まれるところ間違えたかな
と一瞬思ったけど、私はそういえばその点で抑圧された経験がなかったのでした。
「抑圧された経験がない」っていうのは私の特性の一つかもしれません。
それがこの国で今このときも自由を享受している素地の一つでもあります。

女将は、指定感染症とか、2類とか5類とかの言葉は使いませんでしたが
店の常連さんである大学教授の言葉などを引いて
早くどこのお医者さんでもコロナを見られるようになって、自分たちの業界のみにかけてくる圧をとっぱらってもらいたいと市井の言葉で語られていました。
店を出るときに見てみると、個室のみの営業を継続中のようでした。
ご丁寧に名刺をいただきました。きっと高知に再訪することがあればこの店にまた来るでしょう。
高知はこちらほど飲食店に規制がかかっていないのだろうし、感染も少ないのだろうけれど
やはり人々は怖がって夜の街へは遠ざかり気味だそうです。
奇しくも女将も私と同じく、お店を開いて25年だそうです。それで、この騒ぎ。他人事ではありません。

と思って出た夜の街は、それはそれなりににぎわっていました。
地方の繁華街あるあるの飲み屋から風俗店から何もかもぎゅっとコンパクトに集まっている街。
マスクなどしていない人たちがわいわいしている実に健全な光景の中、徒歩で送っていただいて私はホテルに戻りました。

続く





はちきん 花風社高知初上陸のご報告 その2

2021-08-10 16:25:40 | 日記
さて、三つの台風が来ていたその週末、講演当日
予報では高知はなんとかお天気持ちそうだけど雨は降りそう

だったのですが当日は青空が広がっていました。
お迎えに来ていただき会場へ。
すてきな和室です。

午前中は私の講演
「ポストコロナ時代を発達障害の子どもたちが生き抜くためのヒント」。
これは、今伝えたい内容だったので、配信がないのはさみしかったのですが、大阪の津田さんが来て録画を撮ってくださいました。最後の質疑応答、いい質問をいただいたのですが配信からは外してくださいという方がいて、そこを外した動画を早速昨日の深夜津田さんが送ってくれました。じきに配信できる予定ですので、ご興味のある方はどうぞお待ちください。
自分で見て我ながら面白いなあと思いましたよ。

ポストコロナ時代というものがいつ来るのか、っていうかいつかは来るのか、わかりません。
新しい生活様式は根付かないにしても、色々変わってしまったのは事実です。
リモート化は進み、集団生活は控えめになるかもしれません。
これからの人たちはその世界を生きていくわけです。

ポストコロナ時代が来ても来なくても、そしてどういう時代であれ、そこをたくましく生きていかなければならないのがこれからの若い人たちです。
そこで求めるのは自由でしょうか? 安定でしょうか?

自由と安定。
これは永遠のテーマだと思います。成人生活にどちらを求めるか。
どちらも手に入ればそれに越したことはないけど、どちらも手に入れられる人は多くありません。
では自由しか手に入らなかったとき
安定しか手に入らなかったとき
どう生きていけばいいのか。
そんな提言をさせていただきました。

動画を見返して、意外と自分が医療や行政の悪口を控えめにしていたのをみて安心しました。
まああくまで、当社比ではありますが。

午前の部が終わり、昼休み。

ランチはお弁当を頼んでいました。
みんなで会場でわいわい食べるのかと思ったら、次の間みたいなものが用意され、そこにソーシャルディスタンスな昼食会場がしつらえてありました。
普段、会合がいっぱいあるときにはこういう配慮は得られないと思います。
さすがに今は会を開く人も多くなく、会場側にも余裕があったのでしょう。


午後の栗本さんパートも、最初の講演部分は配信可能です。
すでにこちらも私は見ました。
ずっと栗本さんと一緒にやってきた私にとってさえ新しい情報が多かったです。
こちらは文字あるいは声だけで参加者からの質問も含まれていますので
参加者の質も高い講演会だったことがおわかりいただけると思います。

そうなのです。
こういう時にわざわざお勉強にいらっしゃる皆様はそれだけ志が高かった。
教育関係。
行政関係。
医療関係。
プロの集まりでした。
保護者とお子さんが多いいつものコンディショニング講座とは雰囲気が違いました。
逆に言うと、これから高知でも親子の実践が広がるとよいです。
そのためのストラテジーをすでに私たちは練り始めています。

じゅうぶんな距離をとれる会場の中で、栗本さんの実技指導も皆さん楽しんでいらっしゃっていました。
花風社アプローチは初めての方ばかりで、
色々、目からうろこだったと思います。

というわけで、浅見の講演と栗本さんの講演は配信がありますので
もしよろしかったら続報をお待ちください。
ただし実技の部分は、お客様の顔が見えるので配信はできません。
実技を受けたい方は各地の講座に出てくださいね。
今度は9月18日に鹿児島です。

花風社周辺は、この騒動の間にも毎月どこかで何かをやっている感じです。

私としては、休憩時間にお客様としたお話もとても楽しいものでした。
女傑、という表現にふさわしい方がお越しになっていました。
発達障害はあまり、知らないそうです。
なんだか面白そう、と思って顔を出したということでした。
お話を聞いていて、高知の女の人は強いなあ、と思い
そういえば、「はちきん」という言葉があったなあと思い出しました。

本当に素晴らしい会でした。

私たちは会場をあとにして
それぞれのホテルに送っていただきます。
あとでまた、饗宴で再会します。こちらも楽しみです。

続く


はちきん 花風社高知初上陸のご報告 その1

2021-08-09 09:07:57 | 日記
高知講演の構想が持ち上がったのは、去年の高松講演のあとです。
以前からの読者であった高知の「からだこころ研究会」の方が高松講演に来てくださって、どこでも治そうの制度を利用して高知にも栗本さんと浅見さんを呼べないか、と声をかけていただいたわけです。
ここで改めて、「どこでも治そう発達障害」の成り立ちについて書いておきましょう。もはやご存じのない方も多いと思うので。

コロナ禍など夢にも起きると思っていなかった時期、花風社クラスタは精力的に全国に出かけていました。

かつて発達障害バブルの時代は啓発等の講座がたくさん公費で行われ、それにうちの著者や私などは呼ばれていました。会場は公的な箱、講師に関する費用は公費から、そして参加費は無料でいやいや動員されてくる人も多い、みたいな講演会です。
ニキさんなどは秋の講演シーズンは毎週どこかに行っていました。
けれども啓発の時代が終わるとそういう講座は減りました。

それは花風社には痛くもかゆくもありませんでした。
その頃花風社はギョーカイと袂を分かち、独自の治そう路線に入っていったから。
公費のサポートはないので全額を市場原理で賄います。
利益を出さなければ講演会自体が続かないけれども、どこも自分でお金を払って聴きに来てくださる方で満員御礼でした。

けれどももっと細かい会も必要だ。
そういうことで「どこでも治そう発達障害」を任意団体として設立し、純粋に寄付金のみで運営することにしました。
最初に私たちが資金を出し、読者の方々も寄付をくださいました。
ちょうどお勉強期に入っていたみるさんから「こねこプロジェクト」の残りも寄せられ、数十万規模の預金が集まることになりました。
そして私たちは創立記念講座を去年の三月福岡で開くことに。

そこに全国の一斉休校です。
まだ未知のウイルスに人々がおびえていた時代。私たちは急遽zoomを取り入れ、現地に来る方の人数を減らし、成功裏に終わらせることができました。

それからコロナ禍に入り、どこでも治そうの講座はzoomもしくは現地とオンラインのハイブリッドで開かれることに。
災い転じてこれは、普段講演会にアクセスしにくい地域の方々、子育て中の方々に学びの機会を広げることになり、「治そう」が加速しました。
どこも黒字です。
というわけで数十万円のお金は眠ったままでした。

今度の高知の講座が企画されたとき、当日をどのような状況で迎えるかはわかりませんでしたが
実際には感染者(実態は陽性者数)が最多を更新し続け
GoToは見る影もなく
会場からはSDをお願いされ人数も絞らざるを得ず
そして知事会からの県境跨ぐな発言で出席をキャンセルする人もいる、という状況の中で開かれることになりました。
収益的にはきつい。
でもこういうときのための「どこでも治そう」でしょう。

そして台風が三つ。
なんとか行けるようだし、当日は免れそうだけど、帰れるのか? という状況の中、それでも当日になると、これは良い旅になりそうだとすとんと落ちてきました。
そもそもこの状況で会場に来てくださる方々がすごいです。
そしてその通りだったのでした。

高知龍馬空港に着くと、南国の湿った空気が。嫌いな空気ではありません。
東日本の出身だけど、どっかで南国を拾ってきているのだと思いますが、私は南国の湿気が大好きです。

主催者さんにお迎えいただき、同じ便に乗っていた栗本ご夫妻とも出会えました。
奥様になる方がどなたか教えてもらったとき、すぐにお祝いのメールをしましたし、神奈川にいらしたときには歓迎のメールをしました。
それから小田原あたりでささやかにお祝いをしようと思っていたのですが、マンボウとか。
ですからご夫妻を二人そろって会ったのは実はこれが初めてです。
本当にこの二人が一緒になったんだなあ、と具体的に確かめられてうれしかったです。

自然が見たい、ということで、まず桂浜に連れて行っていただきました。
栗本さんも私も、太平洋は地元とつながっている、という意識がありました。
でも桂浜を見て、びっくりしてしまいました。
いつも私たちの前にある海は、太平洋っていうより東京湾だったり相模湾だったりするのですね。
神奈川県は海に面している、というよりそのほとんどが湾に面しているのです。
だからこそどこが開いたどこが閉鎖したと話題になるくらい、海水浴場がいっぱいあるのです。
勇壮な外海を見ると、それがよくわかりました。

「遊泳禁止」とか書いてありますが、命が惜しければ、この海で泳ぐ気になる人はいないはずです。
潮のしぶきがあがり、松が生えています。
清涼な空間でした。
私たちはそこをぞろぞろと散策しました。



それから川の方も行き、アイスクリームを食べ、子どもの夏休みのような半日を過ごし、まず栗本ご夫妻をホテルへ。
二人で高知の夜を楽しむでしょう。栗本さんにもこういう日が来てよかったなと思いました。
私のホテルへは主催者さんが送ってくださいます。
主催者さんはもともと生きづらさを抱え、身体も虚弱だったそうです。
でも花風社アプローチで週五日働けるようになり、安定した職場で生活の糧をえて、以前なら体力的にも考えられなかった北海道や沖縄への旅行にも出かけたそうです。
だからこそ花風社にすごく感謝してくださって、今日ここに呼んでくださったのです。
そしてきかれました。「浅見さんは信念を貫く間にくじけたことはなかったのですか?」と。

思いもかけない質問でした。
「信念を貫く」という意識より、とにかく自分が正しいと思ったことをやり続けてきた感じです。がーがー文句言ってきた人はたくさんいますが。
もちろんその方もネット上の妨害行為とかもご存じなのですが、そういう妨害の数々にくじけなかったのはなぜかということなんだと思います。

私にとってみたら、意外な質問なので(なぜならいつも私は自然体で対応してきただけだから)とっさにこたえられなかったのですが、
一つは、黄色本『自閉っ子の心身をラクにしよう!』の最後に出てくるとおり、「丈夫な身体」だったからだと思います。丈夫な身体とは疲れない身体ではなく、疲れても寝るとそれがとれる身体。私の心身はどんなにひどいことがあっても眠れるようにできていて、そこでいったんリセットできます。
もう一つは、なんだかいつも出会いに恵まれたこと。栗本さんとの出会いもそうですが、やはり今ここにあるのは裁判でギョーカイに愛想をつかしこの世界を去ろうとしていたときに神田橋先生と出会ってしまったことでしょう。
そしてそれで言えばコロナ禍でさえ、今後も仕事を続けていくきっかけになったかもしれません。
「治るって正しいことだ」とより確信させてくれたのがコロナ禍でしたから。

いつでも出会いに恵まれる。
これが身体アプローチの成果だと私は思っていますし、これだけの出会いに恵まれているということは、自分の仕事は自分のものだけじゃないんだと思っています。何か仕事をしなければいけないからこそ、天はどんどん出会いを連れてきてくれる。そしてその天に感謝するためにも、やはり治そう路線を歩まなければいけないわけです。



ホテルで少し落ち着いて、私は街に出ました。
日本中どこにでもあるシャッター商店街がそこにありました。
やっている店の中で一人で入れそうなところに入ります。
お店の人がマスクではなくマウスシールド。こういう店はゆるくていいですね。
カツオの藁焼き定食とビール。
帰りにコンビニでビールを買って、オリンピックを見ながらまったりと高知初の夜を過ごしました。

続く

自分の医療不信の根っこを分析してみる その3

2021-08-05 18:59:58 | 日記
週五日働ける身体、季節に翻弄されない身体を得るという社会生活のもととなるための知見。
それを医療は提供できませんでした。

そして実際に起きている問題に発達医療はなすすべを持ちませんでした。
それどころか「おまえらステイホーム、俺たちはシャンパンで寿司」みたいな態度を世間に対してとり続けたのが発達医療でした。

週五日働ける身体づくりの知見を医療に求め、かすったあたりでは私も医療に憎しみはいだくには至りませんでしたが(軽く失望しただけ)
裁判(に象徴される発達障害者による世間への迷惑行為)に死んだふりしつづける態度を見て憎しみの気持ちがわいてきました。

そしてネット上で底意地の悪い(しばしば匿名の)医療従事者からいやがらせを受け
そして「なんとか治ってほしい」という赤心で活動してきた私を陰湿に攻撃する医療従事者たちをみて
はっきりと彼らをバカ呼ばわりする権利を得たと認識しています。

だから、なんの遠慮もなく
「医者が教えてくれない」シリーズを出します。

医療従事者という人種と、虚弱であるがゆえに医療に洗脳されている一般人は、ガイドラインの奴隷であるがゆえに、気に食わない人々も規制でなんとかしようとするのですが、規制というものの成り立ちの機序までわかっていません。
おそらくまた超絶的外れな攻撃をしてくるでしょうけど皆さん相手にしなくていいですよ。
海に山に川に滝に、思い切り遊んでください。

医療が現時点で発達障害を治せないのはわかる。
でもなぜ、治そうとするこちらの営みまで愚弄するのか。
実際に助かっている人たちがいることを、医療はなぜ喜ばずその人たちを愚民扱いするのか。
ふつうに人として、治って喜んでいる人がいればよかったなと思うのが人間ではないでしょうか。

「治るという言葉は医者しか使ってはいけない」
どこからそういう妄想を拾ってくるのか。
いや、大真面目なのかもしれません。社会の仕組みがとことんわかっていないから。

不思議で仕方なかったのですが

彼らの愚行が恐怖からくる「モビング」という営みであることを、私は読者から教えていただき、なるほどと腑に落ちました。
それ以来、私は医療とはかかわりなくただひたすら自分の信じてきた道を歩めばいいのだとわかりました。

そしてコロナ禍が起きました。

それまで私は、匿名の医療従事者たちが卑怯な攻撃をしてくることを厚労省等への訴えによって解決しようとしてきましたが、その必要がなくなりました。
コロナ禍における医療従事者たちのふるまいを見て、一般の人々にもその卑怯さ・傲慢さがはっきりわかったからです。
人々は医療従事者を信用しなくなりました。
ワクチンに関する医療従事者たちの傲慢な物言いとそれに対する反発がその一例です。

コロナでわかったことは他にもたくさんあります。

42万人死ぬ、と脅して不況を招いた医師が謝罪も撤回もしないのを見て
これはその日診察室で初めて出会ったお子さんに「生まれつきで一生治らない」とインチキを言う医師と同じ系列だと思いました。

あれほどこっちのやっていることにはエビデンスがないと(数々の治ったエピソードがあるにもかかわらず)こちらを責め立てていた医療従事者たちが、エビデンスも何もない感染予防策に飛びついては失敗するのを見てきました。
まだ実績のない人類初のmRNAワクチンに一般人を押しのけて飛びつくのも目撃しました。

いざとなったらエビデンスなどかなぐり捨てて右往左往する彼らを見て
彼らの振り回すエビデンスなるものは、たんなる同調圧力にすぎなかったことを知りました。
彼らは(とくに底辺医療従事者は)ガイドラインの奴隷。ヒエラルキーの囚人。
自分で創意工夫など発揮することのできない人たちなのです。
治せるわけがないのです。

でも治す必要はないのです、彼らは。
皆さんもみたでしょう。この一年半、発熱患者を拒否していたのに、より手っ取り早くもうかる検査や注射にははせ参じる医者たちを。
医者の儲けの手段は治すだけではない。治さなくてもいい、という分野を発達において確立したのですから、診断と啓発と投薬だけで仕事が回るのですから、発達医療には今後も治すことを期待できるはずがないです。

海外ではすでに「治す」はトンデモ()ではないです。
彼らが言下に否定する様々な療法の論文があまた出ています。
でもそのようなもの、彼らは読もうとはしません。なぜなら「治す以外の仕事でもうける」のが医療のビジネスモデルだからです。コロナでわかったことです。
治らない、と言い張り最新の知見を読まずに否定する専門家()はこれからも現れるでしょうが
そうしたら発熱患者を拒否してワクチン接種に励む駅前のちんけなクリニックを思い出せばいいです。
面倒くさい発熱患者は拒否するけど注射は打ちたい。
治すのは面倒くさいけど診断はしたいし薬は出したい。
同じことです。

でも私は一方で、彼らは哀れな人たちだと思います。
いざこういうことが起きると、人権をはぎとられる人たち。おそらくその自覚もないでしょうが。
でも私が七回南の島に行っている間、口枷つけられて会食というささいな行動まで制限されている彼らをみていると
いざとなるとこれほど自由が奪われる人たちだからこそ、底意地が悪いのだとわかりました。

そしてだからこそ、治った方がいいと一層思うようになりました。
発達障害は治った方がいい。
なぜなら、治ったらこういう人たちと無縁で暮らせるからです。

私はこの一年半、医療に一切世話になっていません。
払うものは毎月払っていて、それがシャンパーニュや無駄な検査やこっそりと自分たちだけ公費で賄っている口枷代になっているようですが、一応国の決まり事なので払うことは払っています。
そして今後は、この国民皆保険ってやつが潰れるといいなと思っています。
この国民皆保険っていうやつが、治さない医療の根源にあると思うからです。

医療従事者の生きづらさは、感染します。
実行再生産数100くらいだと思います。
病院に行ってどんよりして帰ってきた人は多いと思います。
腹を立てて帰ってきた人も多いと思います。
それはガイドラインの奴隷で、自由がない医療従事者の生きづらさに感染したのです。
でも病院に行かなければならないのは、弱みがあるからです。
だったらその弱みはなるべく少ない方がいいです。

だから病気はしない方がいいし
けがもしない方がいいし、
障害は治した方がいいです。

この一年、コロナに罹患することは一瞬たりとも心配しませんでした。
コロナはただの風邪、だとは思っていません。ただの風邪なら少しくらいかすったはずです。

逆に怖がれる人が不思議です。
怖い人にしてみれば、怖くないなんて根拠のない自信だと思うのでしょうが
根拠はあるのです。
それが怖がりの人にはわからないだけです。

コロナが終わるのか、何をもって終わりとするのか知りませんが
このまま私が罹患しなければ、自粛しなかったことが正解なわけです。
「自粛しなければ大変なことになる」と言った人たちの意見は私と私の周囲には当てはまらないことになります。

根拠のない自信。
それに根拠を与えるのが自分の仕事だ、と大久保さんは言いました。
なるほど、と思いました。

支援者がお子さんをどうけなそうと、親御さんにはわかっている。
この子はきっと伸びる。
この子はそのうち言葉が出る。
そしてしばしば親御さんの方が当たっています。

なぜか。
我々は発達の筋道を読んでいるから。
そして親御さんの方がしばしば正しいから。医者より。





自分の医療不信の根っこを分析してみる その2

2021-08-05 08:21:06 | 日記

さて、週五日働けるための身体も、それから(これも悲願だった)季節に翻弄されない身体も、医療は作ることができないとわかりました。
そのときも別に医療を恨んではいなかった。「意外と守備範囲が狭いんだな」と思ったくらいです。何しろ大病も大けがもしたことがなかったので、医療の守備範囲の相場観がわからなかったので、「そうか、医療はこういうところは無力なんだ」と思っただけでした。

ただしそれを「一生治らない」と決めつけるのは間違いだったと思います。
だって実際、藤家さんは週五日働ける人になったし。
その助けになったのが標準医療ではなかった、というだけの話です。
芋本の登場で、季節に翻弄されない身体づくりもわかったし。
そのおかげで読者の皆様は、季節の変わり目もうまく乗り切り、休み明け後の登校渋りも激減。

いよいよ医療に不信感を抱くようになったのは、やはり裁判だったと思います。
私はそのころネットに割く時間は長くなかったのですが、虚偽の情報を振りまいて暴れまわっている自閉症者がいるというのは多くの人々が忠告してくれました。でも安心していました。この自閉症者はこの世界の第一人者である医者の患者らしい。だったらそのうち治るんだろう、その妄想は。

ところが攻撃がやまないとき、地元の支援者に相談したら教えてくれたのです。
「あそこは高いお金は取るけれど、行ってよくなった人はいない。家庭内暴力も不登校も、あそこに行って治ることはない」

そうだったのか。
でも名医なんでしょ?
自費で高いのに、全国で初診を数年待っている人がいるほどの人気クリニックなのでしょ?

そして私は知るのです。
このギョーカイでの有名医とは、治すこと、人々の症状をよくする人ではないことを。

医療の相場観がない私としては、「なぜ治さない人が名医なのか」さっぱりわかりませんでした。
そして、医療が解決しないのなら、と裁判を起こすことにし、相手にきちんと前科を負ってもらいました。
自閉症者の迷惑問題を、医療は解決しない。そして世間に我慢せよという。
それが今、自分たちは発熱患者もみず、病床を増やしもせず、他産業に負担を押し付けて恥じない身勝手な医療従事者たちの姿に重なるのです。

そう
「社会の理解が~」は、「俺は津軽海峡越えてシャンパンと寿司楽しむけどおまえら庶民は県境跨がずにステイホームな」と同じなんですね。
「発達医療は努力しないよ。自閉症者が何しようとそのまんまだよ。被害は世間で引き受けて。よろしく!」っていうことですから。
ギョーカイにもプチシャンパーニュ中川がいて、世間に我慢を強いてきたわけです。
こういう医療の身勝手さは発達医療だけではない、と教えてくれたのがコロナ禍なわけですね。

ちなみに「自閉症者の迷惑行為」について言及することは「偏見を振りまく」ではありません。
私が迷惑行為をかけられたのは事実で、司法がそれを認めました。
だから私があの事件に言及することによってお伝えしているのは、偏見ではなく事実ですから。
それを黙っておけというほうが言論統制ですね。
ただ言論統制は医療も行政も大好きなようですけどね。

続く



自分の医療不信の根っこを分析してみる その1

2021-08-04 08:53:32 | 日記
さて、自粛もマスクもせず、ワクチンも当分予約せず、医療の悪口を言って「医者が教えてくれない発達障害の治り方」みたいなシリーズを創立25周年記念事業として出してしまう私。

今回高知講演にあたり、ではなぜ医療にこれほど不信を抱くようになったのか、分析してみることにしました。

今回の高知講演の主催者さんが花風社を支持してくださるようになったのは、ご自分が花風社の伝えてきた知見で丈夫になったことがきっかけだそうです。

花風社の知見があったからこそ、もともとの虚弱体質を克服し、週に五日働いて安定した給与を得ることができるようになったそうです。

そうなのです。週に五日働ければかなり生活は安定に向かいます。
もちろん今は賃金が高くない仕事が多いですから、それでも自立は難しいかもしれない。
でも家族のサポートや障害者年金もあります。そういう意味で私は障害者年金というものをとても大切に考えています。
本来は年金ではなくベーシックインカムが理想的ですが、それには時間がかかりそうなので、その代替手段として障害者年金という制度は大事だと思っています。私の本(『発達障害、治るが勝ち!』)を読んでいる方はそれをご存じのはずです。私があたかも年金否定論者のように言っているアンチがいたらそいつらは根拠なく妄想をまき散らしているだけですね。

さて、ニキさん藤家さんに会ったとき彼女たちはとうてい週五日働ける身体機能はありませんでした。
一方で私は一日十四時間週七日働いていた時代です。それでなきゃ会社が回らなかった時代。
それでも病気一つしないし疲れは翌日に残らないわけです。
彼女たちと自分を対比して違っているところといえば体力がまず思いついたのは当然です。
自分は体力があるから大学も中退せず出られて、就職もできて、独立もできたのだと思っていました。
だったら彼女たちも体力ついたらいいと思うのは自然ではないでしょうか。

私は医者と無縁だったので、こういう問題はまず医者が解決してくれるのだと思っていました。
ところが医者たちは解決できないというのです。
そして体質は治らないというのです。
そこで芽生えたのは医療不信、というより、「へ? なんで?」という疑問でした。

私自身、変人枠の人生を歩んできたと思います。とくにコンプレックスも気負いもなく。
親から見ると突飛なことして心配だったかもしれませんが、自分が自分で選んだ場所では心地よく過ごしていました。
そういう私にとっては「社会性の障害」なんて生きる上で別にあってもいいだろうと思っていました。
別に誰かのいうことを聴かなくても社会でつまはじきにされることはない。「社会性の障害」を「適応」だと誤解していたころです。
それよりも脳の機能障害(当時)だとしたら当然身体も脳の指令を受けている以上虚弱になるのは機序的に考えて当たり前だと思っていました。
そしてその身体さえどうにかできれば、週五日働けて、その結果安定するとそう考えたわけです。
そしてそのために医療があると思っていました。
ところが違ってびっくりしたわけです。
それくらい医療と縁遠かった人生を送ってきたとも言えますが。

のちになってこういう体質の問題を解決する知見を持っている人たちに出会いました。
そのお一人が高知に一緒に行く栗本さんですが
一方でそういう知見を持っている医者との出会いは神田橋先生との出会いしかなかったわけです。

続く


高知講演レジュメです

2021-08-04 07:21:02 | 日記
おはようございます。

高知講演、午前の部は私の講演ですが、後日配信の可能性も出てきましたので、レジュメ貼っておきます。
ご興味のある方は配信情報をお待ちくださいませ。

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どこでも治そう in 高知
ポストコロナ時代を発達障害の子たちが生き抜くためのヒント
浅見淳子



コロナ禍が始まったころ

・治っている方が強い
・第一回目の緊急事態宣言でむしろ伸びたお子さんが多かったのはなぜか

治るとはどういうことか

・子どもの場合 未発達なところが発達する・発達のヌケが埋まる
・大人の場合 不健康な適応方法から抜け出す トラウマ処理がとても大事

支援についてわかったこと

・啓発は不要不急だった
・集団生活の危うさ

医療についてわかったこと

・世界に冠たる? 意外とキャパが広げられなかった
・医療の意識→自分たちの努力はせずに国民に負担を強いる シャンパンと寿司、社会の理解
・委縮させ、脅かす手法 42万人を外しても謝罪も撤回もしない
・新しいことを勉強しないのはなぜか(海外では治すは「トンデモ」ではない)→ガイドラインの奴隷
・治療よりトリアージを大事にする局面がある→行政と結託
→医療のいう「一生治らない」はいったん放棄してかまわないと思われる。

行政についてわかったこと。
・実効性より「やっている感」が大事
・人々のQOLより自分たちの仕事の構造化が大事→濃厚接触者の定義と社畜マスク
・方向転換できず「盛る」しかできない→早期診断
・基本他人事が本業→彼らのいう支援は予算をつけること
・憎まれるほど仕事する覚悟はない→「お気持ち」を大事にする。
・省エネのために医療を利用する
→県境を越えるなと就学相談
→行政の美辞麗句に騙されない準備が必要 

社会についてわかったこと

・同調圧力とエビデンスのある療育 効果より他人が何をやっているかを気にする
・「非難されること」を異常に恐れる人たちが多い→主体性がない
・見張りあい→多分自分がいやなことをやらされているから
・発達障害の人ほど見張りあいを真に受ける
・PTSDがあると見張りあいがより一層怖くなる

仕事の場の変化

・リモートの可能性
・変わりゆく障害者雇用のかたち
・作業所は続くか?
・安定と自由の両立は可能か?
・安定と自由を両方得るには
・どちらかしか得られないときには
 自由しか得られない人のための方策
 安定しか得られない人のための方策

治った方がいい理由
・結局体力勝負
・医療や行政の保身に振り回されずに済む

日本は多様性を許す社会か?


私の知らないところで役に立っている花風社の本 大阪講演のご報告 その4・完

2021-08-03 08:51:14 | 日記
ひろあさんの講演、栗本さんの講演、お二方の対談、という長い講座は終わりました。
フロアからの質問を含めて、私には実り多いものでした。
最後に津田さんご夫妻の新たな展開の発表もありました。

すでにどっとこむの方で発表しているとおり、この会での質問の数々もきっかけになり
私は「医者が教えてくれない発達障害の治し方」というシリーズタイトルを一字変えることにしました。
花風社のやってきたことが、その方が伝わると思ったからです。

会が終わり饗宴会場に向かいながら
私はすごいことになったなあと思いました。
本を出して、著者がいて、うちの本を活用してお子さんをサポートしている塾講師の人がいて、そして読者である津田さんご夫妻がその人を講師にしてたくさんの人を集めて。

花風社周辺はクラスタ、っていうより山脈になってきたと思いました。
みんなそれぞれ価値観は微妙に違うはずです。
そしてそれを許容するくらい個人主義者、主体性の強い人たちが集まった集団は、クラスタというより山脈かもしれない。

これが全部、最初の最初のころ、「ニキさん、藤家さんが働ける人になったらいいな」という思いから始まったことを思うと、私は自分がやってきたことの大きさを感じました。
コロナ禍が始まってから、私がお金にも時間にも困らず自由な境遇で生きられることを強く自覚しましたが
それは自分が闘って得たものです。
そしてそれは私一人に対しての恩恵にとどまらず
栗本さんや津田さんご夫妻、そしてひろあさんを通じて私の知らないところの人たちにまで及んでいるのです。
これが世の中に動きを起こすということであり、私はそれをやってのけたのだと思いました。

饗宴会場へは少し歩くらしい。
私は大きなスーツケースを転がす津田さん(夫)とお話しながら大阪の街を歩きました。
会場についてみると、津田さん(妻)が中くらいのスーツケースを持っています。
まったく~。女性に手を貸さないとは栗本さん相変わらず気が利かない。
うちの自慢の夫ならこれは考えられません。
だからもてなかったんだよ。つい最近まで。

ひろあさんは「無名の自分と講演してくださった栗本先生」的なことをおっしゃっていましたが
7年前まで栗本さんは1万パーセント無名でした。
その人が本を出し、九州に呼ばれ、帰ってきたとき「九州の女の人っていいですね。僕結婚するなら九州の女の人がいいです」と言ったとき私は「誰か具体的にいるの?」とききました。そのときは影もかたちもなかったようです。
でも今栗本さんは初志を貫徹し、九州の女性と結ばれました。
これもやはり私が「治そう」にこだわりつづけたから起きたこと。

大阪の一角に、吉村知事ガン無視地帯がありました。津田さんの地道なフィールドワークがそこを探り当てた。
そのおかげで私たちは美味しい焼肉を食べ
私は新大阪に。
ワインの小瓶を買ってそれを飲みながら新横浜に帰ってきました。

講師のひろあさん、栗本さん
主催してくださった津田さんご夫妻
そしてオンラインで、現地で会をともにした皆さん
本当にありがとうございました。
行ってよかったです。