治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

死生観 続き

2022-12-17 10:09:14 | 日記
さて、先日アップした死生観について、続きです。

あのあと祖父が亡くなったときのエピソードを思い出しました。

病室に母のきょうだいたちと祖母が立ち会っていて、最後の心臓マッサージが始まりました。
ドクターの腕の動きにのみ反応して動く心電図。

母がきいたそうです。
「先生、先生の腕が止まったら父の心臓も止まるのですか?」
「そうです」とドクター。

「だったらもう結構です」と母。
そして臨終の時を迎えました。

母は「誰も言い出さないんだもの」とか言っていましたが
他の人は言い出せなかっただけ。
今、日本だけコロナが終わっていないのもこれですよねきっと。
言い出せないだけなんです。
(コロナの場合には、それに利権側が乗じている)。

祖父は90年の立派な生涯を送ったのだから
その人の心臓を最後に無理やり動かすのは医療資源の無駄遣いです。
その間に6歳の子とかが担ぎ込まれたら
そっちに医療資源(ドクターの時間と体力)を使うのは当たり前のことでしょう。

それにさあ
命がお医者さんの体力次第とか、依存的すぎる。
もう生き物としては終わっている人に医療資源を割くから
社会保険料負担でこの国の人民は貧しくなったのです。

先日もこの話になり、
なぜきょうだいの中で母だけがそれを言い出せたかな、と考えたとき

実は(母は自覚があるかどうか知りませんが)祖父に一番近かったかなあ、と思いました。
近い人はわかるのです。
本人の望みが。

もちろん延命治療やなんかは夫婦間で話し合うことも多いでしょうが

本当に心の通じている夫婦なら
「この人なら何を望むか」がわかるのではないでしょうか。
そして臨終の際、もっとも尊重されるべきは、家族ではなく本人の意向だというのは当たり前ですよね。

ただ子どもの場合には話が違うと思います。
あきらめられないのがわかるし
当たり前の親心だと思います。

でも大人同士なら
本人の希望が最優先だし
本当に親しい間柄なら
本人の希望は言葉にしなくても伝わっていると思うのですけどね。
だって生き方そのものを見ればわかるから。

死生観

2022-12-15 06:08:58 | 日記
12月15日は亡き父の誕生日です。
生きていれば91歳。
享年84歳でした。

ずっとこのブログを読んでいる人は父が亡くなったときのことも覚えていらっしゃるかもしれませんが
私は亡くなる前日に会いに行っていました。
別れ際の父の目。ああいう眼は見たことがなかった。
生涯忘れないまなざしです。
あのときすでに、身体のどこかで分かっていたと思います。
これが最期なのだと。
当時のブログはこちらです。



あれから色々なことがあり、コロナ禍の世の中になり
死生観が問われる時代となりました。
今の日本の混乱の原因の一つ、それは
国民の死生観がはっきりしていないことだと思います。
もっと言えば
生に執着しすぎることでこの国は破滅に向かっていると思います。

私とて、こういう世の中になるまで、はっきりと考えたことはありません。
ただこの三年弱、色々見聞きし、考えるうちに
父は本当に立派な死に方をしたなあ、と実感するようになりました。
いつかそれを書こうと思っていたのだけれど
父の誕生日がふさわしいだろうと思いました。

死の前日、私が会った父は、もう機械に頼って呼吸していました。
母はそういう事態に慣れず、心配で買い物も行けなくて、それで私が買い物をして持って行きました。
このままでは母が倒れてしまうし生活が不便すぎる。
両親はずっと丈夫だったから、介護保険のこともよく知らない。
とにかく自費でも、週に何回かでも誰かに来てもらわなければ。
制度についてわかるまでは、全額自費でも仕方ない。
とりあえずまた週末に来よう。
そういう気持ちで私は、実家を後にしました。

そして次の日の昼間、母から取り乱した電話がかかってきました。
父、心肺停止。これから救急車で運ばれる。
近くの病院か、あるいは主治医のいる病院かはわからない。
私は駅に急ぎ、タクシー乗り場の前で待っていました。

母から電話があり、亡くなったことを知らされました。
そして病院を教えてもらいました。
私は夫に電話し、父の死を告げると、タクシーに乗り、病院に向かいました。
タクシーの中で神田橋先生と愛甲さんにメールを送りました。

父は死の前日、私が持って行った食材で母が作った料理をおいしいおいしいと完食したそうです。
そして、次の朝の朝食も、普段通り食べたそうです。
ただ、珍しく「今日はしんどい」と言ったそうです。
そこで母は「寝てれば」と言ったそうです。
父が起きてパジャマから着替えなかったのは、その最後の一日だけだったそうです。

昼時になり、「お昼は何がいい? おうどんかおにぎり?」と母がきくと父は「わかめおにぎりがいい」と言ったそうです。
それで母はわかめおにぎりを握っていたのですが
ささいな用事で父は母を呼んだそうです。

この用事は、付け足しだったと思います。
どうでもいい用事で呼んだのはなぜか。
最後の最後の瞬間、母にそばにいてもらいたかったのだと思います。
こうやって
母の腕の中で父は亡くなりました。
幸せな最期でした。
拷問のように身動きできないほど装置をつけられ生かされた寝たきり老人になることもなく、胃ろうもなく、最期まで母の心づくしのおいしい食事を経口でとり、そして母の腕の中で旅立ちました。

私は娘だからわかる気がするのですが
鼻に管が通ったということは、父はもう自発呼吸が無理だったということです。
そういう状態で生きていたくないと思います。
本当は終わっている命なのに生かされているだけです。
私もそうだと思います。
呼吸さえ自力でできない状態はもう生きていると言えない。
生きていたってつまらない。
きっとそう考えると思います。
それで父は死んじゃったと思います。


呼吸ができなくなったら、普通生き物は終わりです。
それを長引かせようと色々医療が発達したわけですが
そうやって生かされても医療の養分になるだけで、楽しいことなどないです。
第一次世代への重荷になります。
吸う酸素さえ、医療費を使うのです。
父はそこまで深く考えなかったでしょうが。
発達障害者の中には、寝るという生き物として基本的な活動にさえ薬を必要として、一生服薬するつもりの人がいますが
ある意味自分の生存を他人にたかっているのです。
それはそれで仕方ないかもしれませんが
あっさりと眠れるようになる方法は黄色本等読めばいくらでもあるのに
「トンデモ」とそれを退け社会保険にたかり続けるのはいかがなものかな、と思っています。

自宅死の場合には検死が入ります。
東京23区内は保険がカバーするそうですが、神奈川県は自腹です。
ですからお金は余分にかかったのですが、病院で死ぬよりずっとよかった。
母の腕の中で死ねたのだから、安いもんだと思いました。

その日は連れ帰れなかったので
警察と一緒に帰ってきました。
母はパトカーに乗せてもらい、私は歩いて追いかけました。

そして私は実家でおにぎりを発見しました。
父が食べるはずだったおにぎり。
その日、急をきいて駆けつけたので、当然私も昼食は取っていません。
ですので父が食べるはずだったおにぎりを食べました。

最近になって気づいたのですが
立派な最後だったなあと思いました。
前日に私と今生の別れ。夕食は完食。
当日の朝も完食。
パジャマから着替えなかったのは最後の一日だけ。
そして昼食のおにぎりを母に頼んでから亡くなり、娘のために遺してくれたのです。
おうどんだったら延びてだめでした。おにぎりだったから、病院から帰ってきた私のおなかに収まったわけです。
最後の最後まで本能の賢い人でした。

自分が生き物としてまっとうに生きている時間が過ぎたら旅立つ。
家族にも社会にも迷惑をかけずに。
医療の養分にもならずに。
つまり次世代の人の納めた保険料も無駄にすることなく。

よく「そんなに悪口言うのなら医療を使うな」とか国民皆保険制度に無知な医療従事者と彼らに洗脳された人たちに言われますが
医療を使わないと生きていけない状態になったら
もう生き続けなくていいのではないかと私は考えています。

京大の宮沢先生がつぶやかれていたとおり
生物は種の保存のために順番に死んでいくのです。
無理やり生き残っても誰の益にもなりません。

本当に父は立派な旅立ちをしたと思うし
私もたぶん、父と同様本能が賢い人なので、あまり医療に頼ることなく旅立てる気がしています。

コロナの世の中になって、基礎疾患があるとか言う人たちが威張って自分たちのために自粛や注射を他人に強いたり

高齢者が自分たちの長生きのためによそ様のお子の口と鼻を塞いだり

自分の命が助かりたいからと、他人にマスクや注射を強制する醜い人たちをたくさん見ました。

命に執着する人はあさましい。
心底そう感じます。
だから自分も長生きしないことに決めました。
ただ59歳現在、どこも悪いところがありません。
この年になるまで入院歴も手術歴も服薬歴もありません。
色々父の体質は受け継ぎましたが
父と違って野菜や青魚が嫌いではなく煙草も吸わないので、余計に病気しにくいかもしれません。

今現在
いったいどうやって死ぬかわからないのですが
摂食や呼吸に機械を必要とするのなら生き続ける気はありません。

きっとあっさり死ねる。
私は父の子だから。
そういう自信があるのです。

住環境と原始反射統合と児童虐待

2022-12-05 08:00:55 | 日記
ここのところ縁あって、アメリカで原始反射の統合をしているセラピストの動画を見ました(社外秘)。
原始反射統合の動画、というより「動きの発達」を追った動画とも言えます。
身体の発達と情緒・学習面の発達の関連について今まで知っていたことを組み直したような体験でした。
赤ちゃんの動きの中にすでにヒトとして発達の芽吹きが見えます。
自閉症の子が立つのが早いとか、はいはいが足りないなどと言われますが、それがなぜ発達に、運動機能だけではなく情緒や認知面での発達に影響するのかもよくわかります。

そして動画であちらのセラピーの様子を見て気づいたことがあります。
日本の方が住環境的に子どもの体を育てるなあ、と。
単純な話で、家屋内で靴を脱ぐから、子どもが思う存分這いまわれます。
あちらでも子どもが這いまわる部屋は靴を脱いでいたりします。
またセラピストたちは靴を脱いでいます。
でもセッションに子どもを連れてきた親たちは靴を履いたままの人も多いです。

西洋の人たちの靴を脱がないことへのこだわりは、今マスクを外せなくなった一部の日本人のように「脱ぐこと自体が恥ずかしい」みたいなニュアンスがあるような気がしています。
セッションでは靴を履いた親達を迎える部屋にヨガマットを何枚も敷いて子ども達を這いまわらせていましたが、靴を脱ぐことを強制はしていませんでしたし子どもがそこで這いまわっていても靴を脱がない人もたくさんいました。

これに比べると最初から家の中では靴をはかない日本の家屋は、別に和室ではなくても子どもが育つのによい環境だと言えます。
それを目的に日本人が靴を脱ぐことを選んできたのではないでしょうが。
雨の多い国でもありますし。
ただ日本の方が子育てに適した住環境ではあるというのが再発見でした。

ふと、杉山登志郎先生のことを久しぶりに思い出しました。
虐待についての著作も多い先生がどこかに「子育ては最優先しないとあっという間に最もないがしろにされる」と書いてらしたのを思い出したのです。
だから親の生活苦や恋愛が親にとって優先的な課題になると、あっという間にネグレクトが始まる、ということでこれを読んだ当時私は「たしかにそうだ」と思ったものです。

そして今日本は国を挙げて、葛根湯で治る風邪の予防に夢中になり、施設の高齢者から人権を奪うだけではなく、子育てを最もないがしろにしていますね。
そしてかつてこういう説明をしてアンチである私でさえうならせた杉山先生は、それに対して一切発言されていませんね。
家庭ごとの虐待に対応しても、国ぐるみの虐待には死んだふり。
でもこれは予測できたことです。

コロナ禍は医療ギョーカイにとって儲けの一大チャンスです。
できるだけそれを長引かせたい。
そういう身内の論理の前におそらく発達の医師たちは口をつぐんでいるんでしょうね。
医療従事者がいかに身内に甘いか
よくわかったコロナ禍でしたので驚きません。

医療従事者の思考回路はもう一つあります。
それは「我慢してしまう人に我慢させる」ということです。
発達障害者に明らかな迷惑行為があって、それで一般人が傷ついても「社会の理解が大事」という美名のもとに自分たちは治す努力をせず迷惑行為を迷惑行為と呼ぶ一般人の正当な主張さえ耳を傾けませんでした。
効果があるかどうかわからない、というかほとんど効果がなかったとわかった数々の感染予防対策を一般人にまだやれというのは、それを命じることによって自分たちが「何かやった気になる」というだけのことです。
かつての「社会の理解ガー」とそっくりですね。
治療する気はない。発熱患者もみるきはない。でも注射と啓発(という名の一般人締め付け)だけはやりたいのです。そのためにエビデンスと言う言葉を都合よく使う。

ともかく葛根湯で治る風邪対策の名目の国家ぐるみの児童虐待に、かつての大家たちはなんにも言いません。
このことはよく覚えておきましょう。
私はそれを自分の裁判で知ったのです。
それでギョーカイを見限ったのですよ。