財政引き締めのために一学級の人数を増やすという財務省案にはぽかんとしますが
じゃあ40人を35人にしていじめや不登校が減ったかというと
教育現場が「結果を出していない」のは確かなのです。
そして東大話法というものがあるらしいように(本は読んでいません。書評を読んだだけです)
公務員話法というのもあるようで
なぜか一番現場に近いはずの先生たちが、国や社会のせいにしてるんですよね。いじめや不登校が減らないのを。
いじめも不登校も複合的な問題で
原因が学校だけにあるとは思いませんが
一番の当事者である先生たちが自分たちの責任ではなく国や社会を罵れるのはなぜなのか不思議だったんですけど
先日教えてくださった方がいました。
政治家を罵るのはカンタンだ。同僚を批判するのは胆力がいる、と。
そうかあれは茶飲み話だったんだ。
自分たちの当事者性を棚にあげてそこにいない権力者のせいにしてその場を保つ。
これが「公務員話法」なんでしょう。それを私は外から見てるから不思議だったんであり、その一員だったらきっと不思議でもなんでもないんでしょうね。
と与太話はここまでにして
以前から「特別支援教育」と「ユニバーサルデザイン」の関係がわからなかったわけです。
たとえばTEACCHなんて、皆さんはどうか知りませんけど、私は最初、本買ってやってみましたよ。
籠用意して。ついたて立てて。
その結果わかったのは
自分にはこれでは非効率だということですが
逆に自閉脳の人は安定させるだろうなあ、ということでした。
世の中の、ありものの進め方でOKな人はいると思うんですよ。
自閉っ子関係を見ていると、給食とか運動会をはじめとする学校の行事とかが大問題だけど
私自身は学校給食にも行事にも苦労しなかったんだと思う。だって覚えていないし。そういう行事が「いやだった」記憶も「楽しかった」記憶もありません。小学生のつとめとして淡々とこなしていたんだと思う。
そういう子には特別な支援なんていらないんですよ。
100人学級だっていいと思います。
っていうか、本当はダメなんだろうけど、そうだったらうれしかっただろうと思います。
だって先生とその分つきあわなくてすむじゃん。
定型児は学校において、先生なぞはどうでもよく、友だちが大事なので
友だちが多くて先生が少ないとうれしいのは当たり前でしょ?
特別支援教育を推進する立場の人たちが、なぜ「障害のある子にいい教育はみんなにもいい」というのか不思議だったんですけど
もしかして罪滅ぼしなのかな?
自分たちだけずるいと思われないか? とか。
そこまでせこくないと思いますよ。
100人学級でいい子は100人学級で。
数人の支援級は支援級で
加配が必要な子はつけてもらって
が公平なんじゃないの?
というわけで私は特別な支援を否定する者ではありません。ただ
特別な支援が入っているはずなのに他害する子が「ありのまま」にされていて他の子が傷ついていても親も教師も「仕方ないんです」として被害児に我慢させるとか
そもそも能力より低い課題しか与えず消化試合コースを歩ませるとか
そんな特別支援なら血税の無駄遣い、とは思います。
intensiveな教育が必要な子には、公教育でもそれを提供すればいい。
ただしだったら、伸ばしてほしいですね。
じゃあ40人を35人にしていじめや不登校が減ったかというと
教育現場が「結果を出していない」のは確かなのです。
そして東大話法というものがあるらしいように(本は読んでいません。書評を読んだだけです)
公務員話法というのもあるようで
なぜか一番現場に近いはずの先生たちが、国や社会のせいにしてるんですよね。いじめや不登校が減らないのを。
いじめも不登校も複合的な問題で
原因が学校だけにあるとは思いませんが
一番の当事者である先生たちが自分たちの責任ではなく国や社会を罵れるのはなぜなのか不思議だったんですけど
先日教えてくださった方がいました。
政治家を罵るのはカンタンだ。同僚を批判するのは胆力がいる、と。
そうかあれは茶飲み話だったんだ。
自分たちの当事者性を棚にあげてそこにいない権力者のせいにしてその場を保つ。
これが「公務員話法」なんでしょう。それを私は外から見てるから不思議だったんであり、その一員だったらきっと不思議でもなんでもないんでしょうね。
と与太話はここまでにして
以前から「特別支援教育」と「ユニバーサルデザイン」の関係がわからなかったわけです。
たとえばTEACCHなんて、皆さんはどうか知りませんけど、私は最初、本買ってやってみましたよ。
籠用意して。ついたて立てて。
その結果わかったのは
自分にはこれでは非効率だということですが
逆に自閉脳の人は安定させるだろうなあ、ということでした。
世の中の、ありものの進め方でOKな人はいると思うんですよ。
自閉っ子関係を見ていると、給食とか運動会をはじめとする学校の行事とかが大問題だけど
私自身は学校給食にも行事にも苦労しなかったんだと思う。だって覚えていないし。そういう行事が「いやだった」記憶も「楽しかった」記憶もありません。小学生のつとめとして淡々とこなしていたんだと思う。
そういう子には特別な支援なんていらないんですよ。
100人学級だっていいと思います。
っていうか、本当はダメなんだろうけど、そうだったらうれしかっただろうと思います。
だって先生とその分つきあわなくてすむじゃん。
定型児は学校において、先生なぞはどうでもよく、友だちが大事なので
友だちが多くて先生が少ないとうれしいのは当たり前でしょ?
特別支援教育を推進する立場の人たちが、なぜ「障害のある子にいい教育はみんなにもいい」というのか不思議だったんですけど
もしかして罪滅ぼしなのかな?
自分たちだけずるいと思われないか? とか。
そこまでせこくないと思いますよ。
100人学級でいい子は100人学級で。
数人の支援級は支援級で
加配が必要な子はつけてもらって
が公平なんじゃないの?
というわけで私は特別な支援を否定する者ではありません。ただ
特別な支援が入っているはずなのに他害する子が「ありのまま」にされていて他の子が傷ついていても親も教師も「仕方ないんです」として被害児に我慢させるとか
そもそも能力より低い課題しか与えず消化試合コースを歩ませるとか
そんな特別支援なら血税の無駄遣い、とは思います。
intensiveな教育が必要な子には、公教育でもそれを提供すればいい。
ただしだったら、伸ばしてほしいですね。