治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

今年も大変お世話になりました 親の幸せ、子の幸せ

2018-12-31 09:31:42 | 日記
さて、一年の最後です。
今年も大変お世話になりました。
ちらっと書きましたが、今年は私にとってもいい年で、とくに「災い転じて福をなす」年となりました、と書こうと思いましたが
考えてみれば「災い転じて福」というのが人生のデフォルトなのだと思います。
これは今年に限らないし、私に限らない。

だけど多くの人が災いを一切避けたがったり
災いが我が子に一つも降りかかってこないようなおせっかいな選択をしたあげくの果て子どものために愚かな選択をして子どもが病み続けたり
災いが来たときにこの世の終わりに思ってしまうことによって次の展開が望みにくくなっているのだと思います。

『藤家寛子の沖縄記』の最後の部分を引用します。

=====

 苦しみの只中にいる時、それは苦しみでしかない。
 すべてが嫌になり、投げ出す人もいるだろう。
 あきらめずに前に進み続ける人もいるだろう。
 どちらも、自分の選択だ。
 決めるのは、自分自身なのだ。

 私は、歩き続ける道を選んだ。
 幾度も壁にぶち当たった。
 道が見えなくなることもあった。
 でも、進んできたから今の自分がある。
 
 障害者として、障害者らしく生きていくか。
 障害を抱えていても、それを感じさせずに生きていくか。
 それを決めるのも、その人自身だ。
 ただ、私はこれまでの経験から、強い意志を持って生きていけば、障害を感じさせずに生きることは可能だと思っている。
 そして、私の姿は、その証明になると思う。
 
 発達障害を抱えて生まれてきても、それを治すことが可能な時代になった。
 私は十数年前の自分より、今の自分がうんと好きだ。
 未来は真っ白な状態でその人を待っていると思う。

=====

私はこれを読んだとき「治ったなあ」と思いました。
赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』の頃には巨人がいたんですからね(話の見えない人は是非読んでね。必読書ですから)。
巨人がいたということは、自分は動かされるだけの存在であり自分の運命を自分で切り開く力などはなからあると思っていなかったということです。
もしかしたら今もそういう無力感に知らず知らずのうちに侵されている人もいるのかもしれない。これだけ治っている人がいるのでまだギョーカイが治らないと言うとそれにしがみつく親たちもそうなのかもしれない。ギョーカイが巨人なのかもしれませんね。巨人のフリしたただの利権団体なんですけど。

いずれにせよ藤家さんは今、未来が真っ白だと思っている。
つまり、自分で色づけていくものだと思っている。
この主体性。
この主体性の獲得が一つ「治った」ということかもしれません。

留守中にみるさんのお母様からお手紙をいただいていました。
親って素晴らしいな、とも思いましたし、親子って難しいな、とも思いました。
みるさんはご両親がギョーカイに染まっていると思っている。花風社の方針には反対だと思っている。たしかにこれまでギョーカイと仲良くしギョーカイのいいなりに育ててきて、みるさんの変貌ぶりが怖いかもしれないし花風社の言うことに納得はしていないかもしれない。
でも、子どもの幸せを望まない親なんていないんです。
いや、いるかもしれないですね。最近、花風社クラスタにも毒親育ちの人が入ってきて(それだけ花風社クラスタの範囲が広がったということだと思います)信じられない話を聞くと、子どもの幸せを望まない親はいるかもしれない、くらいは思います。
でもうちの親はそうではなく、夫の親もそうではなく、みるさんの親もそうじゃなかった。
お手紙をいただいて、それがはっきりわかりました。
自分たちの方針を離れて、なぜかいつのまにか盛岡講演でニキさんの隣にいた浅見さんという人と知り合いになり、その影響を受けてどんどん変わっていく娘の姿に戸惑っているかもしれない。でもとても喜んでいる。
しっかりと、私に対する感謝の言葉を綴っていただいていました。

親というのは、子どもが自分たちの思惑を離れて育っても、結果幸せなら祝福してくれます。
そして違う時代を生きるのだから、思惑を離れて育つくらいが健全なのです。
つまり、親の期待を裏切って、しかも幸せになる、というのが最高の親孝行なのです。
親は子どもの幸せを喜べると同時に、親の世界観を広げることができるからです。

私はつねに、私の作った本が提供する発達援助を経て社会に出る人たちは、私と違う時代を生きることを意識しています。
そのための読書もしています。
専門書以外に読まずに自分たちこそ専門家だとどや顔している凡百のギョーカイ人と視点が違うのはだからかもしれません。
身体アプローチもするし、これまではお酒もかなり時間を食ってたし、そうやって日々を過ごしていると一番疎くなるのは芸能情報。とくに朝の連ドラと大河以外の民放のドラマを見られる人はどうやって時間を捻出しているのか見当もつきません。だから米津なんとかさんも今日初めて見ることになりそうです(偶然見られたら)。
それでいいのです。
私の時間は真っ白な状態で私を待っていて、それをどう色づけていくかは私の選択なのですから。

皆さん本年もありがとうございました。
それぞれの真っ白な新年を、それぞれの色で染めていきましょう。


『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』
こちらからどうぞ!





地球金魚はうつる

2018-12-30 11:12:11 | 日記
さて、誰も興味ないかもしれないけど一応けじめとして、地球金魚合宿のご報告です。
今回行ったのはタイのクラビ。奇岩がにょきにょき生えてて有名な景勝地です。
そこの海辺のホテルに五泊してきました。

奇岩って、小さいと岩なんですけど、大きいと山ですね。
そして海の中に生えていると島です。
私はホテルの大きなプールから見える岩山を「げんこつ山」、ホテルから見える島の一番大きいのを「鬼ヶ島」と名付けました。

離島に向かう船着き場がすぐそばだったのですが
基本的にはいつものとおり、ツアーとかには参加せず、毎日毎日近場で遊ぶパターンです。
泳いで食べて寝てジム行っての繰り返し。
でもこれが楽しいのです。
私がアンチの攻撃にやり返せるのは、年に二回(以上)こうやって遊びまくる日々があるからかもしれません。

今回は今後の発達援助の人体実験として「高タンパク食、からの糖質制限」及び「筋トレ」及び自分にとってはラスボスだった「禁酒」もやっていますので、旅先でそれをどうするかなあと思いながら出かけました。

タイは物価が安いし、鶏肉を多用するので自炊しない環境でも高タンパク質からの糖質制限はそんなに難しくないことがわかりました。
以前からタイに滞在するとやせる傾向があり(当社比)、何でかな~と思っていたのですが、インディカ米を食べたとき「あれ、日本の米ほどインスリンドカンがこないぞ?」と思ってぐぐったら、低GIなんだそうです。だからカロリーよりGIに注目という昨今私たちがやっている人体実験はあたっている感じですね。

アルコールは「休暇中はまあ仕方ないな」と思いました。
ただし夜だけにしようと思いました(←志低い)。
24日から28日は飲む。29日は移動日なので飲まない。30日は飲まない。大晦日と元旦は飲む。2日からまた適宜禁酒、ということにしました。
そして昼間はビールの代わりにココナツの実を割ってもらって中身を飲んでいました。
スプーンもついてきて、果肉もすくって食べられます。
これもいかにも身体にいい感じで検索してみたら、中鎖脂肪酸とかなんとか色々書いてありましたね。健康によい食品みたいです。

筋トレはほぼ浅見家専用となっているホテルのぼろいジムで行いました。
小さなヨガルームがあったのですが、何しろ誰も使っていないので、そこで日課の90回スクワット。十キロのウエイト持ってスクワット30回。片足ランジそれぞれ30回ずつ60回。計90回です。
でも日本ではこのあと60キロのレッグプレス等をやるので、でもそういうしゃれた機械はないのでスクワットを150回にしたらさすがにきつくて次の日からやめました。

腹筋は足上げるのを50回、おなかみるのを50回、そしてアブローラーを50回です。
どうせアブローラーなどというしゃれたもんはないと思い、myアブローラーを日本から持っていきました。

栗本さんがいざ筋肉に向いたら筋トレできる体力があることとか、いざ高タンパク食が推奨されたら丈夫な消化器官があることとか、ありがたいと思いました。

毎回毎回南国の風景をアップしているので、「いつか行ってみたい」という人が出てきました。
いいと思います。ぜひ南の海で地球金魚をしてみてください。
みるさんもいつかお金を貯めて行ってみたいそうです。
みるさんは初めての本物の仕事を短期雇用で得て、その後長期のお仕事も決まったそうです。
当たり前です。実社会はギョーカイと違って頑張る人を応援するところだからです。
だから私はみるさんの仕事に関しては心配していませんでした。
短期の仕事が終わっても、きっと見つかるだろうと思っていました。みるさんはそれだけのものを持っているからです。
青春時代病気で養護学校行ったけど、今は元気。高卒資格を取るためお勉強しつつバイトしたい。こういう話を聴いて応援する大人の方が普通です。眉をひそめ足を引っ張るのはギョーカイだけ。だから頑張る人は福祉の枠など飛び出して実社会で活躍すればいいのです。
もうお一方そういうお知らせをいただきました。
作業所から一般枠の正社員へ。
花風社のおかげとのお言葉。
いやいや、今度こういう状況になれたのは完全にご本人の力なのですが、花風社のスタンスがなんらかの気づきを与えられていたらうれしいと思います。

地球金魚がうつるのは私がSNSにアップしている写真を見ている人たちだけではありません。
地球金魚はよほど気持ちよく見えるのか、現地でもすぐにはやるのです。
私が地球金魚をして、げんこつ山の麓まで泳いで行って帰ってくると、多国籍地球金魚軍団が生まれているのです。たくさんの人が私のまねをするのですね。
私が帰国した今日も、げんこつ山の麓の海で誰かが地球金魚していたらいいなと思います。

というわけで2018年の泳ぎ納めをしてきました。
2019年の泳ぎ初めは奄美大島がいいなあ。
そしてみんな、遊ぶ金ほしさに働いてほしいです(@ニキさん)。

そして単価の低い仕事についている人でも遊べる国になってほしい。
そんなこと不可能だって?
いえいえ、可能ですよ。
そのためには一つ、国力を上げることが大事。だって実際、私たちの若い頃は日本の経済が強くて若者たちは給料安くてもどんどん海外に出かけられたんだから。国力はやはり、相当関係あるのです。
そしてベーシックインカムみたいな仕組みが実現すればいいと思います。
何度も言いますがそのささやかな財源の一つは「ギョーカイを潰す」だと私は思っています。
発達障害者の就労支援なんてだいたいは超無駄な公共事業と堕していますから。
誰かの人生を消化試合にすることによって成り立つ産業があるのはモラルハザード。誰のためにもならない。国力を削いでます。
だから就労支援にはどんどん見切りをつけ、実社会に出る人を来年も増やしたいですね。

治る人を増やすこと。
支援に見切りをつける人を増やすこと。
実社会で活躍できる人を増やすこと。
それがささやかなこの時代における自分の役割だと思っております。
これは、もう心の底から大真面目に考えているしそのために身命を賭すくらいのつもりなのですよ。
こうした休暇はそのための鋭気を養う場です。

というわけで楽しかった旅をコラージュしました。
南国の人が一生懸命クリスマスシーズンを演出した土だるまが大受けでしたよ。


『藤家寛子の減薬記』に対して神田橋先生のコメント

2018-12-30 09:14:46 | 日記
今朝、30度の温度差をものともせず羽田に降り立ちました。
恒例の冬の臨海学校は楽しく実りある日々でした。
それはまたくわしく記事にするつもりですが
まずは今朝届いたニュース。

愛甲さんは先日、鹿児島まで行っていらしたのですが
神田橋先生が『藤家寛子の減薬記』にこう感想を述べられたそうです。

=====


「今度の藤家さんの本、いいねぇ。医者はどうしてあのような本が書けないのかねぇ」とおっしゃっていました。

=====

医者には書けないと思います。
だって一人称の「薬に何を求め、何を得られ、何を失ったのか。なぜ今順調な仕事を休職してまで減薬に踏み切ったのか」なんですものね。
これは本人にしか書けない。
そして私、今更気づいたんですけど
減薬を決心すること自体が、もうすごく力のあることなんですよね。

薬に関してあれこれ考えている人全員に読んでいただきたいです。
神田橋先生もきっと宣伝してくださるでしょう。

引き続き
『藤家寛子の減薬記』
よろしくお願いいたします!!

ご購入はこちらからです!


年末から新年にかけてのお知らせ

2018-12-24 05:32:00 | 日記
さて、今年はいい年でした。
なんとなく「災い転じて福」の年でした。私生活の面でも。
これについてはまた記事にする予定です。

仕事の面では今年、読者が増えましたね。しかも新旧の読者が、だんだん治る、どんどん治る。新幹線事件の炎上から読者になってくださった皆さんが半年でどんどんめざましく治ったのもうれしいことでした。

そして☆☆トレーニングと栄養療法は自分にもよかったです。
いざ取り組もうとしたとき、それまで体力と消化力を培っていてよかったと思いました。
健やかに年の暮れを迎えています。

本日から臨海学校です。
年内に戻りますが、更新頻度は落ちると思われますので今時点でのお知らせを貼っておきますね。

まずは

『藤家寛子の減薬記』






『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』






をよろしくお願いいたします!

それとおっさん3人の『自傷・他害・パニックは防げますか?』について





神田橋先生からコメントいただいています。

=====

「現場で生身で接している人々の経験から新しい世界が開けるのですね。戦う浅見さんを応援しています」

=====

とのありがたいお言葉。
戦う姿勢を応援してくれる人とは、うまくやれると思います私。
それをバカにする人、「喧嘩しないようにうまくやれ」とかつまんないこと言う人とはきっぱり離れます。
とにかくもう離れます。付き合っていてもムダだから。
というわけで今年も幾つかの別れがありました。

それはともかく、『自傷・他害・パニックは防げますか?』ですが

メイン著者の廣木さんは神田橋先生のおっしゃるとおりたしかに、とにかく生身で向き合ってきた方です。
ご自分のお子さんとも、その他の自閉っ子たちとも。


来年は護道のお稽古をたくさんしたいですね。

ギョーカイとの勝負では引き分けは目指しませんが笑笑

そして

この本を一緒に作ったおっさん3人と沖縄に行きます。
こちらも申し込み受付中です。




また、1月14日に午後には港北公会堂で無料の読書会をやります。
まだ数名入れますのでご希望の方はmail@kafusha.comにお名前と参加人数をお知らせください。
赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』と『10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!』を読んできてくださいね。
13時開場で13時15分くらいからゆるゆるとやります。
ゆるーい会です。

南雲明彦さんとの共同ブログもよろしくお願いいたします。
画伯が背景を描いてくれました。





一つ皆さんにお知らせ。
・自閉っ子のための道徳入門

在庫薄ですので、今ご注文いただいてもお届けは年明けになります。
また『人間脳を育てる』は年末年始期間中は直販よりAmazonさんへのご注文が早いと思います。

それと

花風社のHPに電子書籍コーナー作りました。
来年はこのコーナーもどんどん点数増やしたいですね。





しばらくこの告知はトップにあげておきます。
よろしくお願いいたします。

『藤家寛子の減薬記』活用法

2018-12-23 08:32:23 | 日記
20年ほどのんでいた薬を減薬した本人が書いた『藤家寛子の減薬記』
反響が続々と寄せられています。

今はちょっと教師が生徒を持て余すと「病院に行って薬もらってきてください」とか言うらしいですが、それってどれくらいの負担を飲んだ人の身体が受けることになるのか無知だから言えることですね。一歩間違えれば「薬のめば」は虐待だと自覚してほしい。
そういうことを言う教師にも、薬を検討する親御さんにも、ぜひ事前に『藤家寛子の減薬記』を読んでいただきたいです。ので、皆さんそういう人を見かけたらぜひ「こういう電子書籍があるよ」と情報を回してくださいね。

それと、南雲明彦さんにせよ森口奈緒美さんにせよ思春期に崩れると親は心配して医者のくれた薬をのむように言うんだけど本人たちにとっては心地よくないのでのまない。でも親がのんでもらいたがって・・・という体験談を本に書かれていますが

本人達は薬を拒否するほど賢いわけです。
森口さんははっきりと、薬で感覚過敏がひどくなったとおっしゃっていました。

ところが親がのんでもらいたがるのは親がラクになりたいという面もあるだろうし

一方で医療を盲目的に信じているからだと思います。

でも医療には限界があるんです。
精神科医療はとくにそう。
発達障害に関してはとくにそう。

一方で支援がなくても医療が当てにならなくても大丈夫なんです。
なぜなら発達障害を治すのは家庭だから。
それが花風社クラスタの皆さんが今年実感したことではないでしょうか。

『藤家寛子の減薬記』
お買い求めはこちらからどうぞ。



『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』もよろしくお願いいたします!




メイキングオブ『藤家寛子の減薬記』

2018-12-22 05:10:57 | 日記
お待たせいたしました。
『藤家寛子の減薬記』出ました!




昨日は早朝にこの本をアップロードしました。何かテクニカルチェックをしてそれがショップに並べられるまでは数時間から数十時間かかるようです。というわけでお昼過ぎに見てみたらすでに売り出されていました。急ぎ自分でもダウンロードしてささっと読んだあとツイッターに情報を上げました。

それから四時近くまでスマホを見ない時間帯でした。そして四時に見たらすでに大久保さん@役に立つ方@函館てらっこ塾の書評がアップされていました。



はやっ!
これが電子書籍のひとつの醍醐味です。
と同時に一読して大久保さんの書評は本当に貴重だと思いました。
というのは大久保さんは薬が多用されていた自閉症支援の専門施設で当事者の方々と寝食を共にしてケアした経験の持ち主だからです。時間通りに薬をのむよう取り計らうのも当時の大久保さんの仕事のひとつだったのです。薬の名前ははっきり覚えていて当然でしょう。そしてその同じ薬を藤家さんは本の中に明記しています。
大久保さんは、入居者の人たちに見た薬の効果と逆効果をはっきり書いてくださっています。
そして当時大久保さんがケアしていた「強度行動障害」と呼ばれる人たち、知的障害の重い人たちと藤家さんが同じような薬を処方されてきたことに驚いています。
それだけ藤家さんも問題を抱えていた、あるいはそう当時の主治医(十代の頃の)に判断されてきたということであり、今の藤家さんに会ったことのある人にとってはそれ事態が信じられないし、「治った」という証拠だと思います。

私が今回藤家さんに減薬記を書いて、と言ったのは藤家さんが減薬のために一ヶ月休職したのにびっくりしたからです。
減薬がそんなに負担がかかるものだとは知りませんでした。
そしてどうしてそんな思いまでして減薬に踏み切ったのか知りたいと思いました。
でも考えてみるとそもそもなぜ薬をのみはじめたのかも実はよくわかっていません。
わかっているのは藤家さんは長い間薬をのんできて、それを減らすために休職までして、一ヶ月後にはずいぶん健康そうになったということです。

最近は、自閉症を以前から見ている病院では薬をあまり出さず、ブーム(?)に乗っかって新しく手がけるようになった病院や医者はバンバン薬を出すそうですね。
それは杉山先生とかの啓発の成果かもしれません。
でも藤家さんが最初に呈したのは精神症状で、当時は発達障害だということもわかっていなかったし(というかあまり発達障害が知られていない頃だったし)、どんどん強い薬を出されていたのですね。

原稿をもらって最初にショックを受けたのは睡眠剤のところでした。
最初に藤家さんが睡眠剤をのんだときの衝撃は、私が睡眠剤に抱いていたイメージと全く違いました。
たとえば酒を飲んだ帰り道の武勇伝は首都圏の人、色々ありますよね。そういえば関西の人からはあまり聴かないのですがそれは土地勘が違うからでしょうか。首都圏ほど電車乗り入れが多くないからでしょうか。関東の人間が交換する武勇伝の一例として、たとえばこの前榎本さんは横浜の帰りに東京を通り越し川越まで行ったそうです。
その他「気づけば中央林間」「高尾」「箱根湯本」等の話はよく語られますし、私はまだ乗り入れしていなかった頃の東横線桜木町渋谷間を純粋に二往復したことがあります。今なら起きたら東武動物公園だったかもしれません。酒っていうのはそれだけ気持ちよく眠ってしまうもので、睡眠剤もそういうものかと思っていました。

全く違いました。
あるいはそれが発達障害の人の脳が薬に対して過敏だということかもしれませんが。
睡眠剤による眠りにつきかたは、ショッキングでした。
それでもそれを服用しなければいけないという現実。
そして今なら、身体アプローチがそれに取って代われます。

そして今回改めて知ったのは、藤家さんの長い服用歴の最初は胃薬だったということ。
たしかに消化器官の弱い人でした。
今知られてきた栄養療法も、消化力のない人は効果が出る前に消化力を上げなくてはなりません。
そしてその消化器官の未発達がタンパク質不足によるものだということが、今回私たちが手に入れた画期的な知見だと思います。

本の中に出てきますが、眠剤で眠っていた藤家さんは家族と同じ時間に起きることができませんでした。
お母様はそんな藤家さんのために仕事に出かける前おにぎりを作っておきました。
日本の母のやさしさですよねそれが。そこでおにぎりを作るのが自然。
でも栄養療法が判明した今ならおにぎりじゃないかもしれません。
ゆで卵かもしれませんし、花風社クラスタのお母様達が最近手作りしているプロテインを使ったチップスやバーなどかもしれません。
子どもというものはどうしてもお菓子を食べるから、ああいうものを手作りする花風社クラスタのお母様達すごいな~お子さんは幸せだなあと思うのです。
そして藤家さんのお母様はお嬢さんの養生に心を砕いてきた方なので、きっと当時この知識があったらすごく頑張ったと思ったのです。
ツイッターでレシピを交換できる今の時代は本当に幸せだと思います。


今は睡眠も消化器官の問題も、広義の身体アプローチ(含栄養療法)でなんとかなる時代になりました。
一方で藤家さんも中で書いていますが、向精神薬のバリアが下がってきています。
発達凸凹のお子を持つ親御さんたちにも、わりとあっさりと処方されたりしていますよね。
そして藤家さんは医薬品を販売する側になりました。資格も取りました。
勉強すればするほど、薬は減らした方がいい、と自覚して休職してまで減らしたのですね。
そして職場で十分な実績を積んでいたから、快く養生生活に送り出してもらえたし、復帰も歓迎されたのです。
職場において最大のサバイバルスキルは「仕事ができること」です。
仕事ができる人には職場は優しいですよ。
これも覚えておいてくださいね。
減薬のために休職して復帰を歓迎された。
これも藤家さんが一生懸命生きてきた一つの成果であろうと私は思っています。

ともかく、貴重な情報の詰まった本です。
薬を飲み続けてきた本人がまとめてくれたのですから。

薬をのんでいる人。お子さんにのませようとしている人。
医療関係者。支援者。
色々な立場の人が学べる本です。
問題行動の見られる児童生徒に安易に薬を勧める教師がいたら、ぜひこれを突きつけてやってください。そういう風にも使える本です。

『藤家寛子の減薬記』
お買い求めはこちらからどうぞ。



『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』もよろしくお願いいたします!





減薬記キャッチコピー

2018-12-20 16:10:44 | 日記
これからぷちっと忘年会なのですが、今日の仕事の成果のメモ代わりに更新します。
『藤家寛子の減薬記』キャッチコピーできた。
貼っておきますね。
どうぞ皆さんお楽しみに!

=====

「 体が発している合図に耳を澄ませ、どうすれば体が安心するかを考えて出した答えが減薬だった。
そういう合図に気づけるようになったのは、体から無駄な緊張が抜けたからだろう。」

本文より


体調不良の多い子ども時代から、薬は手放せなかった。
最初は胃薬。そしてだんだん、向精神薬が手放せなくなっていった。
発達障害が判明し、身体アプローチに出会い、自ら減薬を決心する。
つらい減薬の期間。職場にも理解してもらえるだけのキャリアを積んでいた。

何を期待して薬をのんだのか?
薬は何をもたらしてくれたのか?
薬をのみ続けたことは何を奪ったのか?
そして今、アラフォーになって、なぜ減薬を決心したのか?

「薬とは一生付き合うしかない」と半ば諦めている人
我が子に薬をのませることをためらっている人
薬と体の関係を真剣に考えたい人すべてに送る
薬と半生つきあってきた著者による減薬の記録!

神経発達障害ってこういうこと

2018-12-19 09:20:10 | 日記
花風社クラスタがどかんどかん治っています。
猿烏賊方面には「知的障害のある子は治らないだろう」という俺ルールがあったようですがその予測も裏切って「重度の診断だった? ウソでしょ」と療育方面からも言われるような事態が起きています。新幹線事件炎上世代については6月から黄色本芋本の実践始めたり鹿児島行ったり小田原行ったり食事睡眠に気をつけただけなのに知的障害も過敏性もそのほか発達障害の特性も治っている。いよいよ支援級かな、、、と検討されていた不登校の人が登校し普通級で問題ないと言われている。そういうツイートを見つけるとリツイートすることにしていますから私のTLを読めばだいたいわかります。見落としがあるかもしれないけど。とにかく治っている情報欲しい人はツイッターやった方がいいですよ今は。

さて、ではなんで治るのでしょう。
それは神経発達障害だからですよ
つまり、神経の発達にヌケや遅れがある。だったら神経の発達を促せばいいだけです。そのためには睡眠、運動、栄養。この三つが効果的なことが逆に発達障害が神経発達障害だということを証明しているようなもんですね。そしてこの三つはお互いに影響しています。栗本さんはそれを今一生懸命調査中。

おっさんたちと沖縄に行った後私は奄美に寄るヒマもなく帰ってきますが、それは帰ってからわりとすぐに半ばクローズドな講演会with栗本さんがあるからです。「神経発達障害だということを説明する」というのがその趣旨です。そして神経発達障害だということは、運動方面でも、栄養方面でも、身体からアプローチすることが決定的に重要だということです。もっともっとみんな真剣に、神経発達障害だということを考えた方がいいですね。

というわけで花風社クラスタはどんどん成果を上げております。吉川徹大先生も成果を上げているようですね。先生の「家事のできる引きこもり」推奨が功を奏し、愛知県の自治体障害者枠正職員精神発達ゼロだとか。いやあ啓発の成果は素晴らしい。社会の理解ガーは着実に実を結んでいますね! 理解した結果、雇わないんでしょ?

そして南雲さんとのブログもますます盛り上がっています。


こんなにみんなが嫌う特別支援教育。
だったら小さいうちに治してしまって普通級に入れるとどんなにいいでしょう。

そして特筆すべきだと個人的に思うのは、こういううれしい知らせが入っても私が祝杯上げていないことです。以前は祝杯と験直しで日々が過ぎたのに、うれしいことを酒に結びつけない!

直販の皆さんに誰もほしくない個人通信を送ったときに小さい字で書いてあったパートを覚えていますか。まさかあの問題が栄養療法方面でここまであっさり片がつくとは思いませんでしたよ。

というわけで今は『藤家寛子の減薬記』やってます。

今は皆さん『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』を読んで待っててね。
こちらです。





おっさんそろい踏みの豪華沖縄講演お知らせも貼っておきますね。
夜は懇親会ですよ。







洗脳の強さ

2018-12-18 09:06:37 | 日記
南雲さんとの共同ブログ、昨日爆弾のような質問を投げました。
続々コメントいただいています。
本文にも書きましたが藤家さんにも答えをもらっています。
皆さんもどんどん書き込んでくださいね。

それにしても(ブ)ですが、コメントの中に、相談先をたくさんもつこと、医療教育福祉などが連携すること、というものがあり、今更ながらに洗脳の強さにあ~と思っています。
私などは「相談先を増やす」ときくと「どん詰まり」の未来が見えるし「連携」は「囲い込み」の同義語だと思ってしまうのですけどね。連携がほしい人は、不安の強い人だと思います。不安の薄い人にとって、連携は邪魔なだけです。
また、「依存先を増やす」のはどう見ても自立ではありません。もっとも熊谷氏のオリジナルの文脈では「親以外に頼る先を見つける」とどうしても私には読めるし、それは間違いなく自立なのですが、それ以外の文脈で福祉の人々が自分の解釈で語っている「依存先を増やす」はどう見ても自立と逆行しています。ただ、支援者の営業には都合がいいフレーズ。それを真に受ける人がいるんだなあ、と思っています。

さて、西郷どんが終わりました。
一年かけて西郷どんに感情移入してきた人にとって城山での最期は悲しいものでしたが、日本の国にとっては西南戦争の終了をもって武士の世が終わったのはいいことでした。
西南戦争が侍の世の終わりなら、侍の世が始まったのは北面の武士とかあのあたり。皇族貴族が自分たちの身を自分たちの手で守らず身辺警護という汚れ仕事をやらせた相手が武士。そしてそのあげく飼い犬に手を噛まれるように政権取られて武士の世が700年続きました。
武士が支配する世はどういう世かというと要するに軍事政権です。途中群雄割拠しながら基本的には地方分権の軍事政権が700年続いたのです。
貴族に汚れ仕事を押しつけられた武士たちは金が汚れているという思想のもと、米本位制になりました。しかも自分たちは一粒も作らない。その汚れ仕事を農民に押しつけました。未だに自治体主催の講演会では本を売ってはいけないとか、税金で食ってるわりに商業活動を蔑視するのが役所ですが、それはほぼ生理的な感覚。理屈ではありません。米本位制の名残ですね。
江戸時代の武士はただの世襲の穀潰し、というか家の格によって決まっている年金額をもらってちょろっと役目を果たすだけの有識者階級で、基本的に役立たずでした。西郷どんたち下層の武士は食うや食わずだったようですが、そもそも剣の稽古とか、平時にはなんら生産性のないもので日々を潰していたのですから当たり前といえば当たり前です。年金もらって日々河原でトレーニングしているニートみたいなもんですから、貧乏で当たり前。鰻が食べたければ川に入って自分で取るしかないですね。
けれども黒船が来て、日本の危機と後進性を感じた一どんたちは自分たちもその一部であったこの米本位制と穀潰し階級をガラガラポンしないと国の存続が危ぶまれることに気づきます。そして世襲の年金システムを廃した。所得の再配分システムを作り直そうとしたのです。それに対して反乱が起きたんですな。
そして最後は鹿児島の市街地にも磯御殿にも弾が飛んでこないように城山にこもってドンパチして、「百姓と町人の部隊」が勝つ。これは西郷大久保の仲良し二人が仕組んだ今後の国防のための大規模演習ではなかったかという説を唱える人もいるほどですが、武士のいなくなった世の中では百姓や町人が自分で自分の身を守らなくてはならないのです。それが四民平等です。そして日清日露と連勝したのですからね。

まあそんなわけで、私は戦国時代の「お家大事」は利権の共有している人たちが社会正義より自分の食い扶持の源=お家 を大事にしただけの保身道徳にすぎないし、江戸時代の武士は世襲の年金生活者だし、なんで怖がられていたかっていうと二本差ししてたからだし、武士ってたいしたもんじゃなく武士道にまつわるいいイメージは新渡戸稲造が外に向かって日本を弁明するために発明したもんだと思っております。
だから平成の最後になって「私は武士の娘です」がコメディになるのは正しいのですよ。
武士の娘であることは誇りでもなんでもないのです。それがまっとうな感覚です。そして「連携が大事」とか「相談が大事」とか言う人は、私にとっては「武士の娘です」と言う人と同じくらい洗脳が解けていない人に見えるのです(ブ)。

私が言う「ギョーカイを潰す」は、「誰かの人生を人為的に不完全燃焼させることによって自分たちが食い扶持を稼ぐ一群を無力化する」ことですが、軍事方面でもなく政治方面でもなく私はそれを言論からやります。
まずは「医療福祉教育とかに主導権を渡すな」という方面からやります。
今は飼い殺しの就労支援がたとえば一月200万円売り上げていて(税金からね)、スタッフ四人利用者十人いたとすると、そんな事業所ぶつしてその200万円を事業所の売り上げにするのではなく14で割って一人14万円のベーシックインカムをもらえばいいんじゃないですか? そうしたら職員による虐待も利用者によるセクハラも15000円の月給で働き続けるむなしい人生もなくなります。
今福祉に回っている分みんなベーシックインカムでもらってあとは働くなりボランティアするなり好きなように暮らす、とにかく誰かの人生を食い物にして生計を立てる人がいない社会、というのが私の理想です。
『発達障害、治るが勝ち!』に書いたように私はベーシックインカムを支持する立場ではありますがその財源は「ギョーカイを潰す」です。
だから侍の世の終わりを私は嘉するものであります。

でも西南戦争では大きな犠牲が出ましたね。
あのくらいドンパチしないとギョーカイは潰れないかなあ、と一瞬心配になりましたが、その心配はいらないや、とすぐに気づきました。
なぜか?
ギョーカイには西郷どんがいないからです。
背負って立つ大人物がいない。
だからきっと、潰すのはカンタンでしょう。700年続いた武士の世の中より。

だんだん治る。どんどん治る。
藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅
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そしておっさんたちとの沖縄ツアーです。
ここには書いてありませんが夜は会費制の懇親会の予定です!
参加者はどなたでも参加できます!








目標を持たない生活

2018-12-16 09:26:40 | 日記
ちゅん平さんが新刊『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』について書いてくれています。




そうなんですよね~。
かつてはお母様に介護されていたちゅん平さんがここのところのお母様の体調不良で逆に仕事と家事の両立をするように。
お子さんが小さかったりするうちには皆さんまだぴんと来ないかもしれませんが
親の老後を考えても治っておくことはリスクを一つ減らすことになりますね。

それとちゅん平さんが39歳の目標がなかなか降りてこない、っていうのも面白い変化だなあと思います。

神田橋先生とか愛甲さんは、「症状は自己治療」とおっしゃいます。
どう病むかに、どう治っていくかのヒントがあるのだと。
たとえばちゅん平さんは解離性障害になった。違う人格を生み出して困難に対応したのです。
つまり「あるべき」論が強い人で、だからこそ病んだし、立ち直っていくときにも目標立てて立ち直ってきたのですね。
そしてそれは功を奏してきました。

一方で私は全然目標って立てないんですよ。
立てる意味がわからないんです。
自己啓発好きな人たちはなりたい自分とか夢に日付とか言いますが、それってあんまり意味がわからない。
目標なんて日々変わるもんだし、社会情勢によっても変わる。

この辺のことを自著『自閉っ子と未来への希望』の最後のところから引用してみますね。



=====

障害があったってなくたって、無駄な命は一つもない。
何か役目を持って生まれてくる。
自分がこの時代にどういう役割を果たすのか。
それは一人の人間が小ざかしく決めることではないでしょう。
天職とはそういうものです。
だからcallingと呼ばれるのでしょう。

=====

私の基本姿勢はこんな感じで割と受け身です。
「なりたい自分」とかまなじりけっしてセミナーに出る人たち見ると、我欲の塊に見えます。何になりたいかより前に、自分が共同体のために何ができるかを考えるのが社会性だと思う。
全く関係なかった発達障害とか福祉とか特別支援教育に砂かぶり席で立ち会うことになったのもまあ巡り合わせなんだろうし、そこで自分の力を活かすことがたぶん求められていることだろう、と。
割と受け身だしいい加減だしそして無私なんですよね。
だから必死に自己啓発とか生き方講座みたいなの開いたりそういうのに参加したりしている人見ると「みんな自分の幸せに興味あるんだなあ」と思います。

だから39歳になったちゅん平さんが「目標が降りてこない」っていうのは、一つの成熟ではないかと思いますね。
そしてまたふらふらしているうちに(いいことです)「これやりたい」が降ってきますよ。
今の私にはれっきとした目標がありますし。
それは「ギョーカイを潰す」です。
今の私は「ギョーカイを潰すために生まれてきた」くらいの意気込みがありますよ。

この「ゆるさ」に出会うには沖縄の空気はよかったかもしれません。
そういえばおっさんたちと沖縄に行きます。






おっさん三人+浅見という豪華版です。
県外の人は行きにくい地ではありますが、これだけ揃うことはめったにないので、よろしかったらお出かけください。何しろ行くだけで楽しい土地ですから。

「沖縄は遠い。でもこれだけ自傷他害パニック絶滅オールスターズが揃うなんて沖縄が羨まし~うちの地域でも」って思う皆さん。

なぜ皆さんの地域ではこういうイベントが行われないかわかりますか?

考えてみてください。

シンキングタイム








答え。

それはね、皆さんの地域にはこういうイベントを開こうという度胸のある人がいないからです。
それだけです。
どうにかして地域の子どもたちができるだけ一般社会で生きていけるようにしたい。
それだけの郷土愛とか強い思いとか持っている人がいない。
それだけの話です。
地域とは人なのです。
制度だけではないのです。
だから「うちの地域ではこういうイベントがない」ときお上を責めないでください。
怠けているのはお上ではなくアリバイ支援に満足している地域の支援者、すなわちギョーカイ、私が潰すことを目標にしている死んだふり軍団です。自分たちに仕事があれば子どもの未来など消化試合でかまわないと思っている死んだふり軍団です。

だから今のところこの豪華メンバーが実現するのは沖縄だけです。
悔しかったら自分の地域でも開く手段を見つけてください(と挑発する)。
みるさんは動き始めています。
あまちゃん県の中にも治りたい仲間はいっぱいいるから、そのために動き始めていますよ。

色々話が発展しましたが

『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』

どうぞよろしくお願いいたします!