さて、一年の最後です。
今年も大変お世話になりました。
ちらっと書きましたが、今年は私にとってもいい年で、とくに「災い転じて福をなす」年となりました、と書こうと思いましたが
考えてみれば「災い転じて福」というのが人生のデフォルトなのだと思います。
これは今年に限らないし、私に限らない。
だけど多くの人が災いを一切避けたがったり
災いが我が子に一つも降りかかってこないようなおせっかいな選択をしたあげくの果て子どものために愚かな選択をして子どもが病み続けたり
災いが来たときにこの世の終わりに思ってしまうことによって次の展開が望みにくくなっているのだと思います。
『藤家寛子の沖縄記』の最後の部分を引用します。
=====
苦しみの只中にいる時、それは苦しみでしかない。
すべてが嫌になり、投げ出す人もいるだろう。
あきらめずに前に進み続ける人もいるだろう。
どちらも、自分の選択だ。
決めるのは、自分自身なのだ。
私は、歩き続ける道を選んだ。
幾度も壁にぶち当たった。
道が見えなくなることもあった。
でも、進んできたから今の自分がある。
障害者として、障害者らしく生きていくか。
障害を抱えていても、それを感じさせずに生きていくか。
それを決めるのも、その人自身だ。
ただ、私はこれまでの経験から、強い意志を持って生きていけば、障害を感じさせずに生きることは可能だと思っている。
そして、私の姿は、その証明になると思う。
発達障害を抱えて生まれてきても、それを治すことが可能な時代になった。
私は十数年前の自分より、今の自分がうんと好きだ。
未来は真っ白な状態でその人を待っていると思う。
=====
私はこれを読んだとき「治ったなあ」と思いました。
赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』の頃には巨人がいたんですからね(話の見えない人は是非読んでね。必読書ですから)。
巨人がいたということは、自分は動かされるだけの存在であり自分の運命を自分で切り開く力などはなからあると思っていなかったということです。
もしかしたら今もそういう無力感に知らず知らずのうちに侵されている人もいるのかもしれない。これだけ治っている人がいるのでまだギョーカイが治らないと言うとそれにしがみつく親たちもそうなのかもしれない。ギョーカイが巨人なのかもしれませんね。巨人のフリしたただの利権団体なんですけど。
いずれにせよ藤家さんは今、未来が真っ白だと思っている。
つまり、自分で色づけていくものだと思っている。
この主体性。
この主体性の獲得が一つ「治った」ということかもしれません。
留守中にみるさんのお母様からお手紙をいただいていました。
親って素晴らしいな、とも思いましたし、親子って難しいな、とも思いました。
みるさんはご両親がギョーカイに染まっていると思っている。花風社の方針には反対だと思っている。たしかにこれまでギョーカイと仲良くしギョーカイのいいなりに育ててきて、みるさんの変貌ぶりが怖いかもしれないし花風社の言うことに納得はしていないかもしれない。
でも、子どもの幸せを望まない親なんていないんです。
いや、いるかもしれないですね。最近、花風社クラスタにも毒親育ちの人が入ってきて(それだけ花風社クラスタの範囲が広がったということだと思います)信じられない話を聞くと、子どもの幸せを望まない親はいるかもしれない、くらいは思います。
でもうちの親はそうではなく、夫の親もそうではなく、みるさんの親もそうじゃなかった。
お手紙をいただいて、それがはっきりわかりました。
自分たちの方針を離れて、なぜかいつのまにか盛岡講演でニキさんの隣にいた浅見さんという人と知り合いになり、その影響を受けてどんどん変わっていく娘の姿に戸惑っているかもしれない。でもとても喜んでいる。
しっかりと、私に対する感謝の言葉を綴っていただいていました。
親というのは、子どもが自分たちの思惑を離れて育っても、結果幸せなら祝福してくれます。
そして違う時代を生きるのだから、思惑を離れて育つくらいが健全なのです。
つまり、親の期待を裏切って、しかも幸せになる、というのが最高の親孝行なのです。
親は子どもの幸せを喜べると同時に、親の世界観を広げることができるからです。
私はつねに、私の作った本が提供する発達援助を経て社会に出る人たちは、私と違う時代を生きることを意識しています。
そのための読書もしています。
専門書以外に読まずに自分たちこそ専門家だとどや顔している凡百のギョーカイ人と視点が違うのはだからかもしれません。
身体アプローチもするし、これまではお酒もかなり時間を食ってたし、そうやって日々を過ごしていると一番疎くなるのは芸能情報。とくに朝の連ドラと大河以外の民放のドラマを見られる人はどうやって時間を捻出しているのか見当もつきません。だから米津なんとかさんも今日初めて見ることになりそうです(偶然見られたら)。
それでいいのです。
私の時間は真っ白な状態で私を待っていて、それをどう色づけていくかは私の選択なのですから。
皆さん本年もありがとうございました。
それぞれの真っ白な新年を、それぞれの色で染めていきましょう。
『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』
こちらからどうぞ!
今年も大変お世話になりました。
ちらっと書きましたが、今年は私にとってもいい年で、とくに「災い転じて福をなす」年となりました、と書こうと思いましたが
考えてみれば「災い転じて福」というのが人生のデフォルトなのだと思います。
これは今年に限らないし、私に限らない。
だけど多くの人が災いを一切避けたがったり
災いが我が子に一つも降りかかってこないようなおせっかいな選択をしたあげくの果て子どものために愚かな選択をして子どもが病み続けたり
災いが来たときにこの世の終わりに思ってしまうことによって次の展開が望みにくくなっているのだと思います。
『藤家寛子の沖縄記』の最後の部分を引用します。
=====
苦しみの只中にいる時、それは苦しみでしかない。
すべてが嫌になり、投げ出す人もいるだろう。
あきらめずに前に進み続ける人もいるだろう。
どちらも、自分の選択だ。
決めるのは、自分自身なのだ。
私は、歩き続ける道を選んだ。
幾度も壁にぶち当たった。
道が見えなくなることもあった。
でも、進んできたから今の自分がある。
障害者として、障害者らしく生きていくか。
障害を抱えていても、それを感じさせずに生きていくか。
それを決めるのも、その人自身だ。
ただ、私はこれまでの経験から、強い意志を持って生きていけば、障害を感じさせずに生きることは可能だと思っている。
そして、私の姿は、その証明になると思う。
発達障害を抱えて生まれてきても、それを治すことが可能な時代になった。
私は十数年前の自分より、今の自分がうんと好きだ。
未来は真っ白な状態でその人を待っていると思う。
=====
私はこれを読んだとき「治ったなあ」と思いました。
赤本こと『自閉っ子、こういう風にできてます!』の頃には巨人がいたんですからね(話の見えない人は是非読んでね。必読書ですから)。
巨人がいたということは、自分は動かされるだけの存在であり自分の運命を自分で切り開く力などはなからあると思っていなかったということです。
もしかしたら今もそういう無力感に知らず知らずのうちに侵されている人もいるのかもしれない。これだけ治っている人がいるのでまだギョーカイが治らないと言うとそれにしがみつく親たちもそうなのかもしれない。ギョーカイが巨人なのかもしれませんね。巨人のフリしたただの利権団体なんですけど。
いずれにせよ藤家さんは今、未来が真っ白だと思っている。
つまり、自分で色づけていくものだと思っている。
この主体性。
この主体性の獲得が一つ「治った」ということかもしれません。
留守中にみるさんのお母様からお手紙をいただいていました。
親って素晴らしいな、とも思いましたし、親子って難しいな、とも思いました。
みるさんはご両親がギョーカイに染まっていると思っている。花風社の方針には反対だと思っている。たしかにこれまでギョーカイと仲良くしギョーカイのいいなりに育ててきて、みるさんの変貌ぶりが怖いかもしれないし花風社の言うことに納得はしていないかもしれない。
でも、子どもの幸せを望まない親なんていないんです。
いや、いるかもしれないですね。最近、花風社クラスタにも毒親育ちの人が入ってきて(それだけ花風社クラスタの範囲が広がったということだと思います)信じられない話を聞くと、子どもの幸せを望まない親はいるかもしれない、くらいは思います。
でもうちの親はそうではなく、夫の親もそうではなく、みるさんの親もそうじゃなかった。
お手紙をいただいて、それがはっきりわかりました。
自分たちの方針を離れて、なぜかいつのまにか盛岡講演でニキさんの隣にいた浅見さんという人と知り合いになり、その影響を受けてどんどん変わっていく娘の姿に戸惑っているかもしれない。でもとても喜んでいる。
しっかりと、私に対する感謝の言葉を綴っていただいていました。
親というのは、子どもが自分たちの思惑を離れて育っても、結果幸せなら祝福してくれます。
そして違う時代を生きるのだから、思惑を離れて育つくらいが健全なのです。
つまり、親の期待を裏切って、しかも幸せになる、というのが最高の親孝行なのです。
親は子どもの幸せを喜べると同時に、親の世界観を広げることができるからです。
私はつねに、私の作った本が提供する発達援助を経て社会に出る人たちは、私と違う時代を生きることを意識しています。
そのための読書もしています。
専門書以外に読まずに自分たちこそ専門家だとどや顔している凡百のギョーカイ人と視点が違うのはだからかもしれません。
身体アプローチもするし、これまではお酒もかなり時間を食ってたし、そうやって日々を過ごしていると一番疎くなるのは芸能情報。とくに朝の連ドラと大河以外の民放のドラマを見られる人はどうやって時間を捻出しているのか見当もつきません。だから米津なんとかさんも今日初めて見ることになりそうです(偶然見られたら)。
それでいいのです。
私の時間は真っ白な状態で私を待っていて、それをどう色づけていくかは私の選択なのですから。
皆さん本年もありがとうございました。
それぞれの真っ白な新年を、それぞれの色で染めていきましょう。
『藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅』
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