講演が終わりそうだというとき、私は撤収を始めました。iPhoneをバッテリーから外し、ノートとペンをしまいます。
そして拍手。お世辞ではない心からの拍手。
いい会でした。ほんとに。
終わったら三秒で去ろうと思いました。
もこもこのオーバーを着ていったので、実際には十五秒くらいかかってしまいましたが、それでもおそらく会場を出たのは一番だったと思います。受付の人に軽く会釈をして部屋を出ました。
建物を出るところで、こうままさんが追いかけてきました。
「浅見さん、今日はありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
ルーティンがきちんと踏める人。だからカリスマママさんなんだな(ほめてます)。
駅に着いて、味噌おでんを見学。
う~ん、やっぱり八丁味噌のおでんは今回はやめよう。餃子もあるし。それにまた、愛知県来るかもしれないから次回でもいい。愛知県自閉症協会つぼみの会、なかなかやるじゃん。いい企画でした、ほんとに。
気がつくともうすぐこだまが出る。30分に一本なので逃すとめんどくさい。
私はさっさと帰ることにしました。座席選んでいる時間もないので自由席。最悪二時間立ってもかまわないほど元気でしたが、乗ってみるとがらがら。
私は座ってお抹茶を飲み、草餅を(二個)食べながら考えました。
鬼のような人だと思っていた吉川は、気のちっさそうなおじさんだった。バランス感覚の優れた人だった。
なんであんな気がちっさそうでバランス感覚の優れた人が私に喧嘩売ってきたんだろう。
ネットだから?
匿名だったから?
これを考えているうちに私の中にセルフ突っ込み杖が生えてきました。
気がちっさそうでバランス感覚がいい。
それがまさに、吉川が喧嘩売ってきた理由じゃん。
だって私は、気が小さくてバランス感覚がいい人にはもれなく嫌われる人だもん。
そういう考えに至って、自分で笑ってしまいました。
私は吉川が気がちっさくてバランス感覚の人だって知らなかったし
吉川は私が専守防衛で、でも主戦論者なことを知らなかった。
そしてあのときには、(たぶん今も)激しい怒りに駆られていたこともよくわかってなかったでしょう。
療育の世界がセグメント化していくことにはっきりと気づいていたから、誰とでも仲良くするつもりはなかったし。っていうかあの時の私は、あまりにギョーカイに怒っていて、誰とも仲良くしたくなかった。
そこに現れたのが神田橋先生だったんですよ。
思うにネット上のトラブルの多くが、相手の実情に自分の実情を知らず知らずのうちに投影してしまうから起こるのではないでしょうか。
吉川は私をもっとバランス感覚があって気が小さいと思っていたのでちょっと脅せば黙ると思い
私は吉川もまた主戦論者だと考えたから徹底的に戦うつもりだった。心臓にとんかちではなくドリルで穴を空けてやるつもりだった。
だから検索して、吉川の実名を見つけ
匿名の仮面をはぎ取った。
吉川センセは当時、何に怒っていたんだっけ。
私は思い出そうとしました。
そうそう。
この記事に怒ってたなあ。
そらパパが攻撃し、猿烏賊が悪乗りしてきたとき読者からきたメールを貼った。
その中のこのフレーズに、吉川は怒っていた。
このメールを書いた人に怒ったのではない。
それを貼った私に怒っていた。
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正直、息子の事では何をしていったらいいのか途方に暮れていました。療育センターでも学校でも大きな成果はなく、先生には「こんなに重い子はみた事がない。」と言われました。病院もいろいろかかりました。しかし、どの病院でも具体的な治療はされません。ネットでも調べました。同じような重度の障害を持つそらパパさんのホームページを読んで目の前が暗くなりました。ホームページでいろんな方の相談を受け、たくさんの本を読み、本を出し、講演している一生懸命なお父さんのお子さんでも奥様のブログを読むと決して良い療育の成果が出ているようには思えませんでした。私たち夫婦もいろんな療育方法を勧められましたが、そのページでは良い評価がされていませんでした。
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本を書き、人の相談に乗っていても成果が出ていない。
それを指摘するメールを書いた人ではなく公表した私に怒ったのはなぜか。
それは、ギョーカイ鉄の掟
「妄想に寄り添った接待」を私が守らなかったからですね。
かつてちゅん平に「あんた頭おかしいよ」と言ったように、そらパパに「えらそうだけど療育の成果上がってないじゃん」という事実を突きつけた。それに吉川は怒ったんだろう。掟を守らなかったから。だから吉川は、仲間だと思ってたんだろうね、私のこと。そうじゃないとわかったから(そして実名もばらされたから)黙り込んだんだろう。
もう一つ吉川が怒ったこと。
それは私が「保護者を分断する」と言って怒っていた。
へ?
なんで分断しちゃいけないの?
っていうのが私のリアクションでしたね。
だって「妄想に寄り添った接待」をされて慰められている人たちと「社会の中で生きる子に育てる」と前向きな人たちと、なんで仲良くしなくちゃいけないの?
つまり吉川は、私が小学生のときに見限った「三つの嘘」を説教したかったんだ。
ここで思い出してみましょう。
三つの嘘。それは
1 金儲けは汚い
2 多数決は正しい
3 誰とでも仲良く
前のシリーズでも書いたように、私に説教してくる人たちはだいたいこの三つの嘘を押し付けてくるんだけど、今回よく考えたら吉川もその一バリエーションだったに過ぎないのでした。
鬼でもなく
小心でカタログ系のお勉強家。
そしてギョーカイ人。
ただそれだけ。
こだまの自由席で、吉川の非なまはげ化はすっかり済んでしまいました。
こだまは小田原に着きました。ここまで来るとおうちに帰った感じ。ただいま私のふるさと。帰ってきたよ、東南アジアから。
あ、栗本さんに来週のミーティングのとき横浜チャーハン買ってきてって言わないと。栗本さん、画伯、私、そしていかがわしいおっさん(New!)の四人分。
吉川に攻撃されていたころの私は「誰とでも仲良く」どころか「誰とも仲良くしたくない」状態だった。
愛甲さんにさえつっけんどんに応対した。私はもうやめるんだからめんどくさい話もってくんな、という気持ちだった。
でも今、仲間がたくさんいる。
著者も読者も。
芋づる式に出てくる。
吉川も仲間がたくさんいる。
愛知の中で慕われている。
そしてそらまめ式はもうすぐ更新を終えるらしい。
十年続いた、とか言ってるけどぼくアス攻撃したのが約五年前。その後セカンドハウスとかなんとかゾンビ状態だったじゃん。成果をあげてない親がウエメセになれたのも各種ギョーカイ人が「妄想に寄り添った接待」を続けたからでしょうね、今思うと。
でももうネタ切れなんだね。成果出せないもんね。そして次のターゲットはよりによって婚活かあ。なんか、書く場がほしい人なんだろうね。
吉川は「影響力のあるブログ主なんだから仲良くしろ」と説教臭かったけど、あれも今ならわかる。小心だから、そういう発想になるんだ。
私は「えらそうに人の批判しているけど、成果をあげていない人の構築している砂のお城ですよ」と指摘し続ける方を選んだんだけどね。
その後の流れを見ると
やっぱり私の方が○○が賢いみたいね。
続く