土曜日、仕事しながらお相撲見ながら
時々ネット見ながら
積極奇異っぽい人から来るいちゃもんメールの相手をしていました。
なんで相手をするかっていうと、理由は二つあります。
私はギョーカイの「死んだふり」に異議を唱えているからです。
ごねられると無料で講演会参加させてしまったり
そういうことが、誤学習を育んでいると思いますので
積極奇異のどこがどうつきあいにくくて、そしてそれは治すことができるのか探ってみたかったのです。
だからとことんつきあいます。
あっちがギブアップするまでつきあいます。実際そうなりました。
接してみて
基本的に積極奇異はやはり、愛着の問題を抱えていると思いました。
人に関わりたいのに、もしかしたらバカにされるんじゃないかという気持ちを持っている。
だから「俺を嫌うのかおまえは」みたいな空気がうるさくて
この空気さえなければ、相当ウザさが消えると思います。
そういう意味で「開き直り力」は有効だなあと思いました。
積極奇異の人に必要なのは
きちんと嫌ってくれて、
嫌いな理由を教えてくれて
それでもこの世の終わりではないということを教えてくれる大人。
おまえはつきあいにくいけど見捨てないよ、と言ってくれる大人じゃないかと思います。
けれども実際には、言語体力がない人が多く
めんどくさがって逃げるか
そうじゃないと保身のためにちやほやします。
そうやって誤学習を育んでいますね。
先日スポーツ塾に伺ったときに
身体の使い方を覚えることによって、俺ルールが解消していくという話を聞きましたけど
積極奇異の人こそ、身体アプローチをしてしっかり自分の身体の使い方を覚えるのは有効かもしれないと思いました。
積極奇異のいいところは人が好きなところ。
それは「自閉っ子のための道徳入門」に書いた通りです。
それと、人を断罪する力があります(神田橋先生風に)。
それがとんちんかんだから、つまはじきにされるのですけど。
案外積極奇異の人は
自分のためより他人のために生きる生き方を選ぶといいのかもなと思いました。
暴論です。
思考の途中。
でも私は、「死んだふり」をしたくないので
考えてみました。
皆さんも考えてみてください。
自分たちがつきあいづらいと感じる人たちを
世間に売り込むなんていうおかしなことをする前に。
これはね、卑怯だと思いますよ。
時々ネット見ながら
積極奇異っぽい人から来るいちゃもんメールの相手をしていました。
なんで相手をするかっていうと、理由は二つあります。
私はギョーカイの「死んだふり」に異議を唱えているからです。
ごねられると無料で講演会参加させてしまったり
そういうことが、誤学習を育んでいると思いますので
積極奇異のどこがどうつきあいにくくて、そしてそれは治すことができるのか探ってみたかったのです。
だからとことんつきあいます。
あっちがギブアップするまでつきあいます。実際そうなりました。
接してみて
基本的に積極奇異はやはり、愛着の問題を抱えていると思いました。
人に関わりたいのに、もしかしたらバカにされるんじゃないかという気持ちを持っている。
だから「俺を嫌うのかおまえは」みたいな空気がうるさくて
この空気さえなければ、相当ウザさが消えると思います。
そういう意味で「開き直り力」は有効だなあと思いました。
積極奇異の人に必要なのは
きちんと嫌ってくれて、
嫌いな理由を教えてくれて
それでもこの世の終わりではないということを教えてくれる大人。
おまえはつきあいにくいけど見捨てないよ、と言ってくれる大人じゃないかと思います。
けれども実際には、言語体力がない人が多く
めんどくさがって逃げるか
そうじゃないと保身のためにちやほやします。
そうやって誤学習を育んでいますね。
先日スポーツ塾に伺ったときに
身体の使い方を覚えることによって、俺ルールが解消していくという話を聞きましたけど
積極奇異の人こそ、身体アプローチをしてしっかり自分の身体の使い方を覚えるのは有効かもしれないと思いました。
積極奇異のいいところは人が好きなところ。
それは「自閉っ子のための道徳入門」に書いた通りです。
それと、人を断罪する力があります(神田橋先生風に)。
それがとんちんかんだから、つまはじきにされるのですけど。
案外積極奇異の人は
自分のためより他人のために生きる生き方を選ぶといいのかもなと思いました。
暴論です。
思考の途中。
でも私は、「死んだふり」をしたくないので
考えてみました。
皆さんも考えてみてください。
自分たちがつきあいづらいと感じる人たちを
世間に売り込むなんていうおかしなことをする前に。
これはね、卑怯だと思いますよ。
うちの息子が発達障害の診断を受けた頃には
「積極奇異」という分類がなかったのか
(あったけど知らずに過ぎてしまったのか)
最近まで知らずにいた言葉ですが、ここに来ていろいろ調べました。
当時「ADHDよりのアスペルガー」と言われ
大人になり「多動・多弁」がおさまってきた頃からは
双極性障害といわれ、現在そういう治療を受けていますが
幼少期、学童期の息子を思い返すと
この「積極奇異型」がすごくぴったりな感じがしています。
まぁ、診断名はどれでもいいのですが
対応として、浅見さんがおっしゃっている
「積極奇異の人に必要なのは
きちんと嫌ってくれて、
嫌いな理由を教えてくれて
それでもこの世の終わりではないということを教えてくれる大人。
おまえはつきあいにくいけど見捨てないよ、と言ってくれる大人じゃないかと思います。」
ここ。今現在はこの真っ最中です。
これができるのは周りでは親だけです。
友達でも、親戚でも「スルーして遠ざかる」これが定番ですから。
いちゃもんメールの相手も、いちゃもん電話の相手も疲れますし
親だけに情けなさもあり、涙したりもしますが
「とことん相手してやる」と決めたので、今はそうしています。
で、話せばたいていのことは解ります。
というか、解っているんだけど言わないでいられないということも多い。
何かを確認しようとしているんだろうという気はしますし
そこには愛着の問題もあると思います。
本当は愛着問題を考えると、もっと全てを受け入れる立場でいたいのが母親ですが
この役回りだけは誰も変わることが出来ないようなので続けてみるしかないです。
たまに、話がこじれたりしてネットで暴言吐かれたりします。
その度に「関わると攻撃されるんだ。死んだふり仲間に入りたい」と思いますが
それでは物事は収まらないし、あまりにも無責任。
「愛着の問題があるからこそのいちゃもん。
愛着の問題はきっと解決していくこと」
そんな風に信じているのが現状です。
あと「積極奇異のいいところは人が好きなところ」
そこも信じたい。人に喜んでもらうことが大好きです。
人が好きで、絶対に引きこもらないので揉め事も多いわけですが
なんとか資質を開花させたいと思ってやってます。
嫌いな理由を教えてくれて
それでもこの世の終わりではないということを教えてくれる大人。
おまえはつきあいにくいけど見捨てないよ、と言ってくれる大人じゃないかと思います。
けれども実際には、言語体力がない人が多く
めんどくさがって逃げるか
そうじゃないと保身のためにちやほやします。
そうやって誤学習を育んでいますね。
*******************
積極奇異ではないですが、ワガママし放題で
被害者意識の強い人が二人いましたが
(それを見て見ぬふり、ご機嫌とり、長い目で見て欲しいと言って周りに我慢させる)
そういうことをすると私はこういう風に感じるから
やめて欲しいと本人に言ったところなぜか私が怒られましたが、重い腰を上げた**がはっきりとそれはいけない
こういう風に振る舞いなさいと
言ったところ
二人ともバッチリ!!!改善しました!
教えたことについては別人のような変化です。
だからちゃんと「教えるべきところを教えれば」
理解できるのですよね。
泣こうが反抗しようが新卒だから大事に
したくても、めんどくさくても、すぐに
被害者面していじめられた。仲間はずれに
された。みんなが私を嫌っていると勘違い
しようとも。
悪いけど、時間なんかかからない。
すぐ理解できたじゃんと私は思いました。
・・・こんなに簡単に出来るなら最初からやれよ・・
(^_^;)ともちょっと思いました・・・。
私は保護者の方が、自分たちが開いた講演会に勝手に来たりそこで暴言吐いたりただで入れろとごねたりする当事者に対して死んだふりするのはある程度仕方ないと思います。ある程度ね。というのは保護者の多くは素人なんだしプロでさえ積極奇異の当事者には死んだふりするんだから。
でも自分の子どもだけはちゃんと向き合えよ、って思います。だからyakoさんには社会人の一人として感謝です。
私は「脳みそラクラクセラピー」を作って愛甲さんといっぱい話をして、自分が愛着の問題を抱えていない人だということに気付きました。うちの親はなんだかんだうまくやったんだと思います。
でも別にそれは喧嘩をしなかったとかそういうことではなく、親にしても子にしても完璧だったというわけではなく、ただ普通に本気で向き合った結果だと思います。
少なくともうちの親は私を怖がらないでいてくれた。相当難しいところももちろんあったと思うのですけど。
それに感謝しています。お子さんもyakoさんに感謝する日がきっと来るでしょう。
またお越し下さいませ。
言えばわかる人たちに言わないのは、結局自分たちが嫌われたくないとか、そういう気持ちからきてるんでしょうけど
とくに就労支援の人の仕事とかは、その人たちを社会の一員として受け入れてもらいやすく育てることが入っているはずで、自分の保身からそれを怠るのは職務怠慢なんですけどそういう意識がないようですね。
周囲が我慢しているときには、はっきり言った方がいいです。
それをやろうとしない態度を、私は「健常者に人権なし」と呼んでいるんです。
またお越し下さいませ。
この子達の言動をスルーせずに社会のルールを説明する大変さを知っていますから。
限度を超えたら警察や裁判に頼らざるを得なくなる事を
体を張って、自分の時間を使って教えてくれている・・・
そんな面倒なことをしてくれる他人はいないです。
当事者の人権、一般社会人の人権、
どちらも大切にしようと思ったら、それをするしかないと思っていますので。
後、全部直すが難しい場合仕事5割・趣味5割・ごろ寝1割のような多様な人生の時間のシェアの見せ方が有ったほうがいいでしょう。仕事に9割でないと努力足らないからといわれそうですが、ここは一つ4割くらいで、という考えです。どうしても、一般社員層レベルの適応性は発揮できないところもありますし。
社会理解は、自分がここまで出来ますよというアピールの場の整備と、当事者に上手く説明できない会話を介助してくれる支援者、またはコーチの充実でしょうか。
企業や作業所においては、生産性を一般層と同列に求めない、また柔軟な適職への配置転換込みを障害者雇用で実現する、というのがまずは2018年に広がればイイナと思っております。
現状は、一人での自己の修正と、支援施設への申し込み,今現在の職場との折衷がのしかかり、全てのテンポに併せるのが難しいというのが多いのではないでしょうか成人当事者は。
正直何をおっしゃっているのかわかりませんが、仕事が9割だから一人前、っていうことはないと思いますよ。そういう人の方が珍しいでしょう。正社員でも。ごろ寝もするでしょうし。
あと自分で治す、を誤解しているかもしれません。藤家さんの本でも読んでください。藤家さんだって途中までは支援があったから立ち直れたのです。でもある時点を越えると支援は逆に邪魔なんです。
最近の中途半端に治す、というエントリを見てください。
上の息子はある部署で定型の方をしのぐ能力を見せ、先輩のポストをひきついでいい仕事をし評価されています。下の子は知的障害もありますが、一般の方と同じ能率で作業をし、重宝されて休日出勤を頼まれることもしばしばです。
私も仕事をしていましたが 特に困ったこともなくそれなりの評価を受けていました。
私も子どもも特性強いですが療育機関に通うこともなく親だけに育てられてここまできました。発達障害児・者に特別な支援がどうして必要なのか、私にはよくわからないというのが実感です。
発達障害や 知的障害が 普通の人と同じ仕事をするのに大変な障害だという実感がないので。
支援機関に助けられるところと、支援機関にかかわるからだめになってしまうところがあって、こよりさんのおうちは支援につながらなかったからこそうまくいった例だと思います。おうちでの努力があってこそですが。
またお越しくださいませ。