治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
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はちきん 花風社高知初上陸のご報告 その3

2021-08-12 07:07:26 | 日記
さて、饗宴のお店。
これがもう、特筆ものでした。
ずらっと並んだ皿鉢料理の数々に圧倒されたというのもありますが、宴もたけなわのころ、私たちの個室を訪れた女将から聴いた高知に関する数々の逸話が印象深かったのです。
津田さんは「まさかの三講座目」と形容していましたが
私の講座が一講座目、栗本さんの講座が二講座目だとすると
三講座目がこの饗宴の場でした。

興味深い話が多かったのですが
中でも「そうだったのか~」と思ったのは黒潮文化圏です。
四国の中央には高い山があり、それがゆえに瀬戸内側とは隔てられている。
けれども意外と宮崎や鹿児島と昔からつながりがあったというのです。

和歌山と房総が意外とつながっていますよね。醤油が共通していますし、勝浦という地名はどちらにもある。あれも黒潮文化圏ですが
土佐と薩摩ももともと海で交流していたのです。
ちなみに世田谷と川崎も同じ地名が多い(等々力等)。もとは一つの村だったのが川の流れで都県に分けられただけ。
「県境を越えるな」という凡知事ズの要請がいかに無駄なもんか、行政の都合にすぎないか、わかるというもんです。
「おたくは支援学校」もそうなんですよ。

ドライブの途中に「芋けんぴ」の工場が目につき、「鹿児島みたい~」と言っていたところでした。
そして鰹節文化。
土佐と薩摩との共通点は多いのです。お醤油も九州っぽい。
黒潮でつながっていたと知って納得です。
土佐と薩摩。いきなり手を結んだように見えますが、明治維新の素地もこうやって作られていたのだなあと思いました。

そして酒豪文化。
与論島で回し飲みからクラスターが発生したようですが、鹿児島本土にも穴が開いている酒杯(つまり、一気飲みせざるを得ない)はあるそうです。
似たような「置けない酒器」がずらりと並べられました。もともとお酒で盛り上がり一気飲みや回し飲みをする文化は高知にもあったようです。
そのお座敷遊びの感染予防バージョンみたいなの(回し飲みはなし)をやって、二杯ほど一気飲みさせていただきました。
これも女将から指摘されて気づいたことですが、たくさん飲む高知のお酒は辛口です。そして瀬戸内のお酒はどちらかというと甘くどろっとしている。大量に飲むには辛口の方が向いていますね。

男たちが遠洋漁業に出かけ、一年半も帰ってこないこともある高知では女たちが大黒柱。
留守の間子どもだけではなく義父母の食い扶持まで女性たちが稼がなければいけないこともあった。
「はちきん」です。
となると息抜きとして、女性だけの飲み会は大っぴらに行われていた。
女性の飲酒に対して寛容だったそうです。

それはいいな
生まれるところ間違えたかな
と一瞬思ったけど、私はそういえばその点で抑圧された経験がなかったのでした。
「抑圧された経験がない」っていうのは私の特性の一つかもしれません。
それがこの国で今このときも自由を享受している素地の一つでもあります。

女将は、指定感染症とか、2類とか5類とかの言葉は使いませんでしたが
店の常連さんである大学教授の言葉などを引いて
早くどこのお医者さんでもコロナを見られるようになって、自分たちの業界のみにかけてくる圧をとっぱらってもらいたいと市井の言葉で語られていました。
店を出るときに見てみると、個室のみの営業を継続中のようでした。
ご丁寧に名刺をいただきました。きっと高知に再訪することがあればこの店にまた来るでしょう。
高知はこちらほど飲食店に規制がかかっていないのだろうし、感染も少ないのだろうけれど
やはり人々は怖がって夜の街へは遠ざかり気味だそうです。
奇しくも女将も私と同じく、お店を開いて25年だそうです。それで、この騒ぎ。他人事ではありません。

と思って出た夜の街は、それはそれなりににぎわっていました。
地方の繁華街あるあるの飲み屋から風俗店から何もかもぎゅっとコンパクトに集まっている街。
マスクなどしていない人たちがわいわいしている実に健全な光景の中、徒歩で送っていただいて私はホテルに戻りました。

続く




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