治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

新サイト「治そう! 発達障害 どっとこむ」ロゴ発表です

2019-05-31 18:13:57 | 日記
なんとか五月中に発表したかったのです。
だから今日は駆け足で旅報告しました。

五月はツイッターアカウントを削除し、復活させ、鍵かけ、そして色々考えて愛読者コミュニティ「治そう! 発達障害 どっとこむ」の土台を作った日々でした。
その間に次の本と次の次の本を作り、しかも

おうち→湯河原→おうち→函館→おうち→奄美大島→おうち→富士山五合目→おうち→西表島→おうち

と移動しました。
やはり人間、体力が基本です。

さて、では貼りますね。

治そう! 発達障害 どっとこむ
ロゴマークです!




このロゴのとおり、楽しい、明るい場所にしましょう!
皆さんご協力お願いいたします!

水の島へ その5 完

2019-05-31 17:43:39 | 日記



帰る日。
ホテルの車で港まで送ってもらいます。
ところどころ稲刈りのあとが。
いいですか? 田植えではないです。稲刈りです。
西表島ではすでに稲刈りなのです。もっともこれからまた田植えするみたいですが。

船から山を見上げ、私は西表島に別れを告げました。
ありがとう。
またくるね。



それにしても今度の船はこないだのと違うな。
結構老朽化している・・・。
でも快晴だから、オープンデッキに乗りたいな。
そう思ってデッキのベンチに。
「走行中立たないでくださいね」と係員に念を押されます。
その意味があとでわかりました。

背後で西表島がどんどん小さくなっていきます。

というか
海と私を隔てるものはこのロープ一本。



やばい。
私はスーツケースが転がって海に落ちないよう、っていうか自分も海に落ちないよう、必死にベンチにすがりついて石垣までの船旅をしました。

でもきれいな青い海と空は堪能して、なんとか写真も撮りましたよ。

きれいだな。
きれいな空と海だな。




なんかに似てるな。

そうだ。
画伯が描いてくれた
「治そう! 発達障害 どっとこむ」のロゴにそっくりだ。
そもそもあのモチーフを思いついたのは、奄美から帰る空の上。
そっくりなのも当たり前かもしれない。

きっとうまくいくよ。
きっと「治そう! 発達障害 どっとこむ」は素晴らしい場になるよ。
八重山の海と空にそう励まされている気がしました。

なんとか海に落っこちず、荷物も自分も無事に石垣に着きました。
都会だ~。
びっくり。
コンビニとかあるし、ビルとかある。



港のそばの市場で買い物。
もうこの辺になると現実的。とりあえず今日の夕飯です。
おいしくて、しかも作るのがカンタンなもの。
疲れて帰るんだもの。
まず石垣牛のステーキ。これは焼けばいい。
それと海ぶどう。
を買ったらそこのおばあが「これおとくだよ」と勧めてくれたマグロのステーキが美味しそうだったので買いました。これも焼くだけでよいし「凍ってるから横浜に着く頃食べ頃さあ」と言われてちょうどいいと思って。

バスで空港へ。
時間があります。
また電子書籍書きながらなんだかおいしそうなアイスクリーム。島バナナとココナツをチョイス。
大正解でした。

そして機内へ。
ぐっすり。
羽田に着きました。
涼しい。乾いてる。

西表島には一軒もなかったコンビニが駅から自宅までは何軒もあります。
スーパーもある。
サラダ用の野菜を買いました。
サラダを作り、海ぶどうを並べ、石垣牛とマグロを焼きます。
いっちょまえのごちそうになりました。





そして郵便物をチェック~。
記名のない封筒。Y情報。
素晴らしい。ありがとう名無しさん。活用させていただきます。
まずアドバルーンを上げてみましょうかね。
本物の広南病院、片岡由夏氏から「私じゃありません」って言ってくるかもしれないしね。
とりあえず今晒しているのは個人情報ではない。いただいたお手紙を貼っただけ。
あれが個人情報だと騒ぐ人がいるのは、お手紙の主の予測は当たっているからかしら。

本物の片岡由夏氏。
誤解でしたら削除しますので、ご連絡お待ちします。
いや、削除じゃ済まないですね。
特製シウマイもって、宮城まで謝りにいきます。
だから誤解でしたらご連絡くださいね。

とにかく、とにかく楽しかったよ!
また行きたい。
いつか一緒に行こう。

今回の炎上が起きたとき、夫が言ったのはただ一言。
「おまえがきちんと仕事してるからだろ」
運動神経がいい人はとっさにそういう言葉がでるんだなあ、と感心しました。

出発前忙しくて、一日分しか作り置きできなかったけど、なんか食べて夫は数日過ごしたんだなあ。
そして今、また一緒に美味しいものが食べられる幸せ。

旅は面白い。
でもおうちが一番。
また西表島に行きたいな。
もちろん奄美大島にも行きたい。
行きたいところがたくさん。
そしてどこに行っても、ここに帰ってこられる。
私には、帰ってこられる場所がある。

楽しい島の思い出を胸に
安心して、安心して眠りにつきました。


水の島へ その4

2019-05-31 16:30:56 | 日記



朝ご飯食べて武装します。
一番下は水着。の上にラッシュガード。下半身はスパッツ型の水着の上にナイロンの長ズボン。
レインコートフード付き。
虫除けに長袖長ズボン。できれば速乾性のあるもの。
一応ガイドさんのアドバイスに沿った格好です。
そして着替え一式。
タオル。
レジ袋。
最後まで迷ったスマホは置いていきました。そしてそれは正解だった。おかげで写真はないけど。同じパーティで水没した人がいました。
おまけに私は人一倍泳いだし。
スマホなんかなかったからあれだけ泳げたと思います。

まず、カヌーで川のぼり。
生まれて初めてで最初はとまどいましたが、いつもの運動神経のよさですぐに習得して「上達早い」と他の人にびっくりされました。自分の身体の癖がとても出る乗り物です。それがわかったらあとは快適に乗れました。他の人の面倒見ているガイドさんをも追い抜いてすいすい進みます。
私以外の人はみんなカップルだったので、夫も一緒だとよかったのにな~と思いましたが、もしかしたら私よりさらに運動神経のいい夫が一緒だったらまかせっきりでカヌーを覚えなかったかもしれません。実際奥様たちは旦那様に漕いでもらっていました。
私は今度夫と一緒にきたら、どや顔で指導してあげようと思いました。

途中でカヌーをつないでトレッキング。
ところどころ自然に四つ足になってよじ登る自分の中に、進化のプロセスを見ました。
イノシシの足跡も見つけました。
怖いですね、といったら内地のイノシシと違って人を襲わないで逃げるということでした。
よかった。

生き物なんて興味ないと自分では思ってたけど、ガイドさんが小さいは虫類や蟹をつかまえてみせてくれると歓声をあげてしまいました。
スマホもってきた人たちは写真に撮っていました。
そして最後にたどりついた池で地球金魚。
他に泳いだのはアメリカ人男性とガイドさんだけ。奥様たちがあっけに取られたように見守る中足の着かない滝壺みたいな池で思い切り泳ぎを堪能しました。

またトレッキングでカヌーに戻り、今度は川を下ります。
行きは難しかった狭いところの通り抜けもこなせました。漕いでいるうちにボディイメージが広がったと思われます。
やはり身体アプローチはすごい。
こうやってさっきできなかったことができるようになること、自分の身体を使ってやりたいことをやる以上に自己肯定感が高まる方法を私は知りません。つまんないことほめて一粒の卵ボーロ上げるよりカヌーの方が絶対発達する。
そう思いながら川から海に抜けたあの爽快感。
川で、そして海で泳いだこと。レインコートで。
一生忘れないと思います。

ベースに戻りびしょ濡れの服を上から下まで着替えます。
濡れた物をレジ袋に入れ、ホテルまで送ってもらいます。
その足でコインランドリーに行き、洗濯ものをイン。
部屋に帰ってシャワーを浴びてビールを飲みました。

そのあとのうとうとした数時間。
なんと幸福な時間だったでしょう。
小学生の、夏休みプールに行ったあとのお昼寝みたいな時間。
あの気持ちよさは忘れられません。

夕方になり、また島で一本だけの道を散歩しました。
川から海。
あの流れを自力で漕いだんだなあ。
いい島だなあ。
また来よう。
遊びの回数券を使った気がしました。
そして夕食。

イノシシチャンプルー
ミミガー
海ぶどう







島酒は今日は二杯。
最後の夜だから。

また早く寝ました。

続く

水の島へ その3

2019-05-31 12:45:22 | 日記



早く寝たので早く起きました。
まだ大雨。
私は明るくなるまで電子書籍の執筆をしていました。

そして朝ご飯へ。
旅行先ではどうしてもランチが糖質になりますからバイキングで糖質オフを心がけます。
野菜とタンパク質だけの朝ご飯です。
あ、でも西表名産のピーチパインは食べました。
美味しかった~。他のパインと全然違います。

この頃には雨が上がって薄日が差し始めました。
というので探検に出かけます。

森林浴。







そして島でたった一本の道をずんずん歩く。



あまりに道がいいので着替えてきてジョギングにしようかと思ったのですが、歩いているだけで滝のように汗が出てくるのでウォーキングにしました。
すごい湿度です。

川から海へ。
マングローブ。
大好きな景色。



なんだかんだ五キロも歩いてしまいました。

そして帰ってきてランチ。
八重山そば。
こういうおそば類食べるの久しぶりです。
前ならあっさり食べられた量。



ところが高タンパクやっているとこの量の麺が食べきれないのですね。
本当に食生活って変わりますよ、皆さん。

午後はプールサイドへ。
他に誰も泳いでいない私専用。
ここでも電子書籍を書き続けます。

部屋に戻って少し休憩したら、また散歩に行こうかなあという気になりました。

ここはヤマネコ原理主義。ヤマネコを絶対にひき殺さないように制限速度は40キロ。
それでも去年は9件も事故があったそうです。



カラスが挑発してくるから注意、と言われたのですが本当に挑発されたのですが
帰り道は挑発されませんでした。
私はスルー力ないと思っている人多いだろうけど、本当はあるんですよ。
ただ、スルーは失礼だと思っていただけなんです。これまではね。
でももう「置き去り」を決めました。

その日の夕食はオーソドックスに沖縄料理。

・もずく
・ぐるくんの天ぷら
・ゴーヤチャンプル

でした。







お酒は石垣の島酒。

そしてまた、ぐっすりと眠りました。

早く寝たので早く目が覚めて仕事しようと思い、ふとコーヒーが飲みたくなりました。
部屋にはさんぴん茶しか備え付けていません。

自動販売機に缶コーヒーがあったなあ

と思い外に出ると、怖いほど何かが大合唱しています。

ここはジャングルなんだなあ、と思いました。
そして電子書籍を書き続けました。

続く

水の島へ その2

2019-05-31 10:17:03 | 日記


ところで私は事前に心配していたことがありました。
私は船を遊覧ではなく交通手段として使ったことがほとんどありません。豪華客船には一晩だけ泊まったことがありますが、あれは動いているかどうかもわからない。今度初めて交通手段として船に乗るわけですが船酔いするだろうか。酔い止めとか持っていったほうがいいのかな。

ちなみに車酔いは一度もしたことがありません。つまり、杞憂でした。
不要な心配で脳みそを消費するのは自閉っ子だけじゃないですね。

梅雨空だけど雨が降り出さない中、石垣港を出港。外の席と中の席がありましたが、いつ雨が降ってもおかしくない空模様なので中に座りました。そうしたら私の前列に妊婦さんがいたのですが、船のスタッフが妊婦さんは真ん中に座ってくれと言いに来ました。やはり前方は揺れるようです。

そこそこ揺れましたが、地球金魚みたいに楽しみました。つまり、船ごとの地球金魚です。
思っていたよりキレイで新式の船でした。快適な旅でした。
港に着くと「アサミジュンコさま」と書いた女性ドライバーが待っていてくれましたのでかわいい黄色のタクシーに乗ります。
「なんとか降りませんね。この時間帯大雨の予報だったんですけど」ということ。
でも上空には黒い雲がもくもくしていました。
「大雨も見てみたいですよ。せっかくジャングルの島にきたのだから」
と言いながらあちこち見せてもらいました。
途中島の歴史とかも教えてもらい、やはり一日目はドライバーさんをお願いしてよかったなと思いました。

水牛車に引かれて海を渡り、小島へ。



そこで美しい花をたくさん見ました。









私が「花風社」という名前をつけたとき想像したのは桜じゃないんですよね。
こういう花たちなんです。

そして「じゃあそろそろ」と宿に引き上げようとタクシーに戻ったとたん、ざーざーぶりの大雨。
ドライバーさんにチップを加えた料金を払い、チェックイン。

ジャングルの中にしては、驚くほど快適な空間でした。
明日はゆっくり仕事するとして、あさってはツアーに参加しよう。
申し込みをし、部屋へ。
大きな部屋でした。窓の外はジャングル。
そして沖縄県民の熱いもてなしと寒すぎる冷房はここでも健在。
私は網戸にして外の空気を入れました。
熱帯雨林の上に注ぐ雨の匂い。
これを求めてこんな遠くまで私はきたのです。

どんどんどんどん自分がラクになっていくのがわかりました。

シャワーだけじゃなくお風呂を張りました。
こういう島は絶対に、水がいいはず。
思ったとおり、肌に心地よい水でした。

そして夕食へ。

アラカルトで
・島豆腐のカプレーゼ 海ぶどう添え
・もずく天ぷら
・イノシシバーグ







を食べました。お酒はワイン。赤白一杯ずつ。

90パーセントがジャングルのこの島では、イノシシがたくさんいるそうです。
イノシシ肉はパワーが出ます。

そしてぐっすりと、本当にぐっすりと眠りました。

続く


水の島へ その1

2019-05-31 08:38:54 | 日記


西表島に行こう、と決めたのはGW中です。たしか一回ツイッターを削除したあと。
きっと自分なりに気分変えたかったんでしょうね。
それと、実はこの5月25日に、花風社が「ある達成」をしましたので、そのご褒美を自分にしようと思ったのです。
テレビで八重山諸島の特集をやっていて、西表島が水の豊富な「水の島」だときいて、そうだ、ここに行こう、と思いました。
水が大好きな私。水と木を見に行こう。梅雨のせいか、料金も意外と安い。
ネットで申し込み、「5月7日三時までに全額払ってください」と通知がきたので、母と函館旅行に行くその朝に振り込みしました。
西表島。いったいどんなところなんだろう。

島は道が一本しかなくて、コンビニはなくて、タクシーの台数も限られているらしい。
そもそも西表島ってどこにあるのだろう。
地図で見ると尖閣諸島の近くだ(大雑把)。
石垣島まで羽田から直行便があり、そこから港までバスもしくはタクシーで移動し、そこから船移動。
そのあとはホテルのお迎えもあるけど、私はせっかくだから最初の一日は観光タクシーをお願いすることにしました。

天気予報は雨。
梅雨だから仕方ない。
そもそもそんな遠くまで行って帰ってくるだけで今回はいいんじゃないだろうか。
そんなに遊ばなくてもいい。

GWから事態が急展開し、夏頃オープンかな、と思っていた『治そう! 発達障害 どっとこむ』が意外と早く開けそう。
それと合わせたコラボ電子書籍を早く書かないといけない。
ジャングルの緑に注ぐ雨の醸し出すかぐわしい匂いをかぎながら電子書籍書き上げて帰ってこよう、と私は思いました。

ところが私は晴れ女。
結局傘は一度もささずに帰ってきましたよ。
つまり電子書籍はまだ途中。遊びまくった。
島の天気予報はほんと、あてにならないのです。

まず一日目。
四時二十分に羽田への定額タクシーに迎えにきてもらいました。
何しろ石垣便は朝六時十分羽田発です。
いつも羽田行きの定額タクシーとは「出発何時ですか? だったらもっと時間を早めた方が」みたいな攻防があります。横浜羽田間なんて渋滞がすごい。だからドライバーはなるべく早く来たがる。でも今回はあっさりとこちらが言ったとおりの時間に。走ってみてわかりました。四時台の高速は驚くほど空いています。

鶴見つばさ橋に上がる美しい朝日を見て、横浜も捨てたもんじゃないな、もう旅は始まっているんだなあ、と思いました。

羽田についたのは四時四十九分。
はやっ。
チェックインしようと思っても、五時十五分からしか搭乗手続きできないのです。
私はiPhoneを取り出しぽちぽちと電子書籍を書き始めました。

時間が来て搭乗手続きをします。今回は格安航空券だけど、ちゃんと50パーセントマイルが着く。石垣便の50パーセントだからばかになりません。ありがたやありがたや。格安航空券なのに、ちゃんとラウンジが使えるし荷物にはプライオリティタッグをつけてくれます。ありがたやありがたや。

ラウンジでコーヒーを飲み、水を二本買って機内へ。不便な島らしいけど、飲み水だけは確保しておきたかったのです。ところがね、奄美もそうだけど、南の島に行くと水の経口摂取量って減るんですよ。NEUROが手元にある人はP105を見てね。そういうこと。



朝六時台の飛行機はさすがに空いていました。外が見たくて窓側を指定していたのだけれど誰も隣にこなくて三席独占。ラッキー。機内では杉山先生の本を読んでいました。杉山先生は睡眠栄養運動を重視。それに加えて重視しているのが情報制限。これはやはり、子どもに過度なメディアは与えない方がいいという方向性を杉山先生もとっているのではないあろうか。大人もそう。読者の皆様がツイッターでアンチから絡まれなくなり「治そう! 発達障害 どっとこむ」で治る情報に接するようになればまたどんどん治るようになるだろう。
そんなことを思いました。

あっさり石垣空港へ。予定より20分早い。
どんよりと梅雨空。


遠くまできたなあ~と思いましたが、考えてみれば沖縄本島に行くのと私の方の作業は変わりませんよね。切符買って座ってるだけ。そして石垣に着いたのです。

荷物をピックアップして外に出ると、あっさりと港行きのバスがありました。
五百円払って乗ります。

八重山の光景はやはり沖縄本島と違いました。
車窓を楽しみながら港へ。

本当にするすると港まで来てしまった。
この先に西表島があるのか。
まだ10時。

ここで大分時間があります。
ていうかおなかがすいている。何しろ朝ご飯が3時だったから。
なんか軽く食べたいな~と思っても並ぶ八重山そばやさんたちはランチには早く、まだ開いていません。

そうしたら
思い出のA&Wを見つけてしまいました。

どう思い出か?
藤家さんの「藤家寛子の沖縄記 治ってよかったの旅」をお読みになった方はわかりますね。



あれだけ偏食の強かった藤家さんが「サロンパスの味がする飲み物を飲みたい」とリクエスト出してみんなで出かけたお店。
もうそれ自体が発達の証拠なのです。何しろ昔は「未知の味」は怖いだけだった。それが不思議な味がする飲み物を飲みたいと自分から言い出したのですから。
そのチェーンの一つが港のそばにありました。
モーニングセットの時間です。
「お飲み物は?」ときかれて思わず「ルートビア」と答えてしまった私。



そのままそこで、yasuさんがツイッターに上げてくださる論文のPDF、そして愛甲さんの原稿を読み、出航の時間を待ちました。

続く

置き去りにしていい人たち

2019-05-30 06:41:10 | 日記
さて、今日の予定投稿は『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』からーの

昨今の騒動についてです。
楽天さんからレビューをいただいてきました。

昨今の騒動から、新サイト「治そう! 発達障害 どっとこむ」が生まれることになったわけですが、「彼ら」の騒ぎ方は「あの事件」と構図が同じです。ですので今、あえて持ってきました。

=====



自閉症の理解と誤解

浅見淳子さんの立ち位置が今までよくわからず、この人は福祉関係にいないのに
なぜこのギョーカイに詳しいのか?と思っていたのですが
このような(本の内容)経験があったんだなと謎が解けました。
私も支援者として、気になることもあるし
自閉症ではないけれど障がい者の家族でもあるため
「人様に迷惑をかけないように・・・」とこれまで
それだけを考えていましたが
それを壊しているのが自分が所属している福祉ギョーカイの人間だったり
保護の意味を間違えている家族たちの作り上げた世界が
自閉症スペクトラムの人へ誤解を招いていることもあるのだな・・・と
ゾッとする内容ではありました。
自閉症とそうでない人のボーダーラインも難しい日本ですから
知的障害だろうがなんだろうが人権を考えるべきであれば
犯罪を犯したら法を守らせるのが義務ではないかと私も考えております。
障がい者だから、精神薄弱だからなんでもアリ!の世の中は
もうおしまいにしたいです。
佐世保中学女子の事件に関しても通じるところがあるので
是非、ギョーカイでない人にも読んでもらうべきであります。

=====

障害がある、障害のある家族がいる、障害のある人を支援する仕事をしている。

これは、障害者ととりあえず関わりのない社会の人すべてが自分たちのゴリ押しを認めてくれる理由にはなりません、それは当たり前のこと。

花風社クラスタの皆さんはそんなこと、保護者も支援者も、そして成人当事者も、重々ご承知でしょう。

だからこそ、少しでも自分も周りも楽になるよう「治そう」としている。
ところがそれを被害的に受け取る不思議な人がたくさんいるのは、皆さんも目撃しているとおりです。

花風社の読者層は前向きな親御さんとあまりこじらせてない成人当事者。
そして対局の人たちがなぜか、花風社のことを嫌いなくせにじっと見つづけてる。不思議ですね。

もちろん、発達障害の家族がいて、自分たちが社会的弱者だという自己認識があるのなら、行政に対しては、支援制度を求めていけばいいでしょう。

行政に対してはね。



でも匿名で集団で考えの違う民間人の口封じまでするのは行きすぎ。
「病んでるなあ」という声も高かったですね。

愛読者の中には彼らが振りまくデマによって私に対する誤解が行き交うことに悔しさを感じた人も多かったようですが
それは気にしてもらう必要はありません。
彼らは本当のことを言われると「暴言」と思う不思議な人たち。
それだけ心がささくれているのでしょう。

そして私自身に反省する点があるとすれば

私は今、藤家さんの本を作りながら涙が出るくらい頑張りやの彼女に感動する反面

頑張らない人、レベルの低いところで満足している人、最初から自分が努力するより社会にたかる方を選ぶ人は虫唾が走るほど嫌いです。


そして、障害がありながらなんとか自立性を高めようと頑張ってる子を集団でつついた十年前の事件には未だに鬼畜の仕業だと思っています。
障害児の親が鬼畜になりうるとわかった事件でした。

そして
食事や排泄、睡眠、運動と言った人を育てる上で大事に決まっている当たり前のことに気を使う親御さんたちを支援者ぐるみでトンデモ扱いする行為は

彼らが今後1ミリの「人としてごく当たり前の努力」をする気もなく社会にたかるつもりであることを示しているとみなしています。

本当に社会のためを思うのなら
たとえ自分たちがエビデンスにこだわろうと

違う道を選び支援を抜けるほど発達していく人の存在を貶さず寿ぐでしょうから。

もう婉曲表現は捨てましょう。
彼らは鬼畜です。

婉曲表現を作り出してしまったように、幸か不幸か私には言語体力が備わっています。
これは、両刃の剣となります。


だからこそ今後「なるべく」強い言葉を吐かないためにも
そういう嫌いなタイプの人間を完全に視界の外、圏外に置くことにしました。

私は卑屈な人たちが大嫌いな反面
たとえ今時点で努力が実っていないとしても前向きな人にはとても優しいし、頑張る人は精一杯応援する人間であるのも
支持者の皆さんが分かっていることの一つです。

花風社が発達障害の世界になかったらどうなっていただろう。
そう考えて「あってくれてよかった」と思う人が全国にたくさんいるのもまた事実です。



そしてね

そういうことを理解せず、自分たちの感覚こそが絶対だと思い、
その花風社と愛読者に対してああいうやり方をしているのを見ると
社会は今後もずっと自閉症者・発達障害者とその家族、そして狂信的な支援者を疎んじ続けるだろうなあ、と今回思いました。

何より皆さんは、
同じ当事者、保護者、支援者として、自分の弱い心が壊れるのが怖くてヒステリックに他人の口封じをするような人たちと仲間でいたいですか?


私は自閉症者とその家族の啓発運動が身勝手さが、今回の「鍵アカにしろ」に象徴されていると思います。

フォローしているわけでもない。なのに気になって気になって勝手に見に来る。
治そうと試行錯誤している人、そのために自分たちには勇気その他がなくて手が出せない方法に乗り出して結果を喜んでいる人が気にくわない。
だから鍵アカにしろ。

「本当は治りたい」ことの現れですね。
なのに素直に認められない。
そして怖くて手が出せない。
だからそれで治ったと喜んでいる人がいると悔しくてたまらない。

そして、生まれてから論文の一本も読んだことのない人たちが論文をだせ~とか言う。
だったら信用してやるとかいう。
あなたたちに信用してもらう必要はありません。
あなたたちは手を出さなければいいし、治らなければいい。

えらい人のお墨付きがないと判断できない自信のない人たちなんですね。
だから標準()なるものから離れるのが怖くて仕方ない。
けれども花風社クラスタの人たちは判断できる。
我が子の体調を細かく細かく観察して日々判断する試行錯誤の能力がある。
だからやってみる。治っていく。

それが目障り。
だから黙れ。鍵アカにしろ。
そういう無体な要求が聞き届けられると思っている。
なぜなら自分たちは障害があるから。その家族だから。その支援者だから。
だから他人は自分に従うべき。


多くのギョーカイ啓発がこの発想で、身内だけでありもしない正当性をたしかめあい、社会に無理難題を押し付け、
その結果発達障害者とその支援者がまるごと社会に嫌われています。

(左派)メディアが弱者様の機嫌を取ろうとも、社会の実感はメディアとは相当違うはずです。
国営?放送で発達障害の特集を組むたびに「この人たちとかかわりになりたくない」と思う人は増えているとは思いませんか?

私の周りの一般の人たちは、ああいう番組をみるとかえって発達障害に偏見を持つようになってますよ。
出てくる人たちの要求が、あまりに自分勝手だから。
「まともな人もいる」と私はむしろ擁護してますよ。


繰り返します。
この本の加害者も全く同じ「弱者である俺にひれ伏せ」という思考回路でした。
そして有罪となったのです。
論文出せーの代わりに彼は
源泉徴収みせろーパスポートみせろーと言ったのです。理由? 自分がみたくてたまらないから。

そして一向に開示を認めない裁判所の決定が不思議でたまらなかったようです。
そもそも自閉症である自分が訴えられたことさえ不当だと最後まで主張していました。

ね、そっくりでしょ?



おそらく当事者保護者支援者が必死になってやってるつもりの多くの啓発運動が社会全般からは「非常識な要求」と見られています。


そしてなんだかうとまれていることを自分たちでも薄々知っているからこそちょっとした差別発言(と自分たちが感じて仲間内で合意が取れたもの)に対してヒステリック騒ぎ立てる。

その姿を見て「治りたい。そしてあの人たちの仲間でいたくない」と思う人が出てきてもそれは当たり前。

ならば、治ることを目指せばいいのです。
たとえ今の時点でエビデンスがなくても、安全性を確認しながら試行錯誤してみたい。
そう思って子育てするのなら、それは個々の家庭の自由なのです。

猿をはじめとする獣だって我が子に餌の取り方を教える。
ましてや人間である以上、子どもをできるだけ自立性の高い人生に導くのは親の務め。
だったらなんとか治ってもらいたい、自力で食べられる子になってほしい、というのは当然の親心です。

そして最大のリソースである親心、廣木さんのようにスパコンもさえしのぐ親心を、あえて諦めさせようとする支援者、ないがしろにする支援者が多い。
親心を抑え込み、専門性の名の下に飼い殺しの支援を押しつける。
そうやって血税に胡座をかき、可能性のある子どもたちの未来を消化試合にする。

それに私はずっと怒っているのです。


おまけに身体アプローチのエビデンスも、そして発達障害の一部の人がたしかに治っていくというエビデンスも出てきているのです。
新サイトではそのご紹介できるかもしれません。


けれどもたとえエビデンスを目の前に出されたとしても、なんだかんだ文句を言って、それを学ぼうともしない支援者が多いのもまた発達障害のギョーカイです。
学ばない方が利権が守れますからね。

それは金銭的な利権だけではありません。
治す力もなく、それを培う意欲もなく、卑屈な親に媚びた発言をしているだけで専門家としてどや顔できるのはこのギョーカイだけですから。


ギョーカイに渦巻く
「社会の理解があれば生きやすくなる」は集団妄想です。

理解されるより、治った方が生きやすくなるに決まっているじゃないですか。

治ったらもう理解なんかいらない。
理解理解言うこと自体、支援として「レベルが低い」証拠です。

だから私は啓発とは一線を画しました。
「治そう」と呼びかけることにしました。

そのためにたとえ地図にない島でも発見したら「発見した」と報告することにしました。

そうしたら地図しか見る気のない自称専門家が湧いてきました。
ギョーカイの大御所である杉山先生の本すら読んでいないらしき不勉強な自称専門家たち。
有資格者を名乗っていますが、匿名なんですから「本物の医療従事者というエビデンス」は全くありません。



「なりすましではない」という証明もできない匿名支援者たち。
発達障害に関する知識も実に不確かだし不勉強。
けれどもこじらせた保護者と当事者はなぜかその支援者の実在性を信じる。おめでたいですね。
彼らが本当はエビデンスなど重視していないのは匿名の支援者を頭からホンモノだと信じていることからも明らかです。

知識をつける努力もしないその自称支援者たちが唯一気を配っているのは何か。

発達障害の親の中でも「もっとも卑屈な層」に受けがいいような、媚びるような言動を保つこと。
治したことのない人は、治っていく層と卑屈な層の違いすらわかってないのです。

そして前向きな人たちを叩く。
弱者のヒーロー、ヒロインでいるために。
なぜなら弱者の中でもとびきり向上心のない弱者しかそういうダメな支援者を支持しませんからね。
本当に実効性のある前に進める情報を求めている人が、不勉強丸出しの匿名自称資格保持者を支持するわけがないでしょう?


その自称支援者たちの不確かなパワハラから読者を守るためにも、新サイトを作ることにしました。

ツイッターにルールがあるように新サイトにもルールがあります。そして今回、そのルールを決めるのは私です。

保護者も当事者も「治りたい」「治った」と堂々と言ってもいい。

支援者として発言する人は、本名が原則。もしくはハンドルネームで発言するのなら管理人である私が身元をつかんでいることが発言の条件。

保護者は原則ハンドルネーム。

なぜならそれが子どもの将来の選択肢を広げるから。
将来障害者として生きていくかどうかを決めるのは親ではなく子どもだから。

それが絶対のルールです。
治りたい、治したい人たちが安心して情報交換できる場所にします。

支援者として反対意見を書きたい人は、まずお問い合わせフォームからどうぞ。
所属も書いてもらいます。
実在の支援者だと確かめられたら書き込みを許可します。



そしてギョーカイがこの先(営業のために?)過剰診断すればするほど
凡医たちが策も与えず「一生治りません」とウソをついて診断だけ下して無為無策でいるほど
療育が伸ばさず成人支援が飼い殺しに留まるほど

これではいけない
子どもの未来を諦めたくない、と
必死の親心で検索して検索して

「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着く人もいるでしょう。

あるいは成人で診断を「食らった」ひとでも
今の花風社支持の成人当事者たちのように、就労支援の飼い殺しに見切りをつけ「発達障害、治るっきゃない!」と心に決め

そして「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどりつく人もいるでしょう。

そのあとどういうアプローチを取り入れるかは個々で判断すればいいだけ。

これまでみなさんが必死に花風社にたどり着いたように
これからは「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着く人が出てくるでしょう。


そして「治そう! 発達障害 どっとこむ」は成功例を可視化する場にします。


治った人には存分に自慢してもらいます。
だから治った皆さん。
そろそろ治った自慢の下書きをお願いします。

誰のため?
後続世代のためです。

後続世代のため
治った皆さんは堂々と治った自慢をしてください。

治った自慢は卑屈な人たちを刺激するかもしれない。でも彼らはもう圏外。どうでもいい人たちです。

そして次世代の治りたい人たちは「治そう! 発達障害 どっとこむ」で治った皆さんが展開する治った話にこそ勇気づけられるはずです。

つまり

同世代で治りたくない人は置き去りにしていいのです。

私たちは彼らではなく、将来「治りたい」と願い、この場にたどり着く後続世代と手をつなぎましょう。


たとえ治った人が目の前にいても見たくない人は見なくてよい新サイト。
見たくない人は、目の前にある島に目を向けず、スマホの画面だけを食い入るように見て「島なんてないんだ!」と治らない教徒仲間で傷口舐めあい叫んでいればいいと思います。

そして治る人は治っていけばいい。

その人たちを置き去りにして。


花風社クラスタの多くが
彼らにもまた治ってもらいたいと思っていたのを私は知っています。
まだ検証されてないとしても、こんなに簡単にお金もかからず治っていく方法がある。
それを伝えたくて必死に反論していたのを見てきました。

それさえ彼らは悪意にとりました。
「カルト」とか「攻撃的」とか言いました。
「一生治らない脳機能障害」をエビデンスもなく盲信して攻撃しているのは彼ら自身であるにもかかわらず。
結局誰も「一生治らない」という論文を未だに持ってきていません。


それでも花風社クラスタの皆さんは
彼らにも治ってほしかった。

その中で一貫して「治りたくない人は治らなくていい」と言い続けたのが私です。

でも皆さんにもわかったでしょう?
彼らは治る必要なんかない。

あの人たちは、置き去りにしていいのです。

あの人たちを置き去りにすることに、なんにも躊躇う必要はありません。

治る人は治ればいいだけ。

社会は治った人を賞賛し、受け入れる場所です。
保険の加入でさえ、服薬の有無、雇用されている形態で変わってくるのです。
お母さんの子育て後のキャリアさえ、治るか治らないかで変わってくるのです。
つまり、一家の生活水準が変わってくるのです。

社会は発達障害者やその親を一律に遇しません。努力する人を評価します。結果を出す人を評価します。それが社会です。当たり前です。

ならば私たちは、結果も出せないまま足を引っ張ろうとする卑屈な集団など置き去りにして、広い社会の中で生き抜く道を選ぼうではありませんか。


今度の集団凍結騒動を見て、「人間ってこんなに屈折できるのか。まともな親ならあれを見てやはり発達障害は治さなくてはいけないと思うだろう」と言った方がいました。

当たり前の親心ですね。

「キ○ガイが集団で通報して有益なアカを凍結したり削除したり、ツイッター社も考えたほうがいい時期」といった方もいました。

常識的な感覚ですね。
でもよいのです。
ツイッターにツイッターのルールがあるように「治そう! 発達障害 どっとこむ」にもルールを作りますから。

そして、この極めて常識的な発言をしたおふたり

そのどちらもがアンチに絡まれていますが

その絡んできたアンチはいい大人なのに自傷がやめられないとか。

社会が理解したって自傷は止まりません。
脳と身体が楽にならないと自傷は止まりません。
その方法を私たちはたくさん知っています。
みんな、お金もかからない色々な方法を試し、それぞれ自分に一番合ったものにたどり着いています。

エビデンスがないというだけでその方法を試したくないなら頭が血だらけになるまでやればいいでしょう。

(もっとも、私が「頭が血だらけになるまでやればいい」と思うようになったのは最近ですけどね。ごく最近までそこまでは思わなかったですよ)



この本の加害者も同じでした。
大嫌いな私から目が背けられない。自分で自分の不安をコントロールできない。
苦しみを消化できず、そして八つ当たり。
そして有罪判決。

自分の不安がコントロールできないがゆえに、他人には他人の考えがあり喜びがあることを理解できない不自由な脳みそ。

それが自閉症なら、治った方がいいです。
なぜならその特性は、自分を苦しめ社会にとっても迷惑だからです。
苦しみが覆い被さった能力が発揮できず、結局は一生損してしまうからです。


もっともこれが自閉症由来かどうかは厳密にはわかりません。
ニキさんや藤家さんをはじめとする花風社周辺の成人当事者の方々にはない要素だからです。

でもそれを治さないと「他者の権利」は守れません。

他者の権利を守れない人は社会でつまはじきにされて不思議ではありません。

嫌われて当たり前です。自閉症だから嫌われるのではなく他者の権利、他者の自由を守れない人だから嫌われるのです。

他者の権利が守れない人が社会に受容されるはずがないではないですか。



花風社の新サイトは「治った! 治った!」の声にあふれることでしょう。

「治せというのか!」「治すなんて差別!」「エビデンスガー」「あんなの治ったとは言えない!」「個人の体験談なんてあてにならない!」

と思う人たちは指をくわえて、ツイッターに戻ってそこで吠えていればいいのです。

そして治らない教徒の蛸壺と化したツイッター発達障害界隈でえんえんと傷口の舐め合いをやっていればいいのです。
実在するというエビデンスもない匿名支援者に花風社の悪口を吹き込まれ慰められながら。

誰も治らず、治っていく人たちには置き去りにされたまま。

私は鍵アカですから、そして基本新規フォローは受けませんから、食ってかかられてもブロックして終わりです。

そもそも、今後「治そう! 発達障害 どっとこむ」が立ち上がったらもうツイッターにはせいぜい新着情報をリンクしに出かけるだけだと思います。

そして

私たちは、「治そう! 発達障害 どっとこむ」で「治そう!」を推進していき

地図にない島でも発見したら報告し合います。
そのうちルートができるかもしれません。

私は今日、地図にある島、誰かがルートを作っておいてくれたからこそ驚くほど簡単に出かけられた遠くの島から戻ります。

私はこの島で過ごした数日間で得難い体験をしました。ピカピカの顔で帰ります。

そう。

地図にない島でもあったら報告するのは、やがてその島を目指す後続世代の役に立つのです。後続世代が楽にたどり着けるようになるからです。

私が島で何をしていたか?

たくさん遊びました。
この歳になって初めてカヌー漕いだり。

そしてリラックスしながら

今回の経緯からなぜ「治そう! 発達障害 どっとこむ」が生まれたかを電子書籍にまとめていました。

将来「治そう! 発達障害 どっとこむ」にたどり着いた人が
もし興味があれば、読めるように。
なぜ私が「治そう」というか。
なぜこの場を作ったのか。



自閉症の脳みそを持って生まれても、他者の権利を大事にする人を一人でも増やすために明日からまた活動していきます。



そしておそらく明日、新サイトのロゴを発表できます。

これは会議室のイラストです。
トップ画面には別のメインロゴを置きます。
それをたぶんもうすぐ発表できる段階です。

お楽しみに。


元刑事が見た発達障害書評

2019-05-29 06:30:00 | 日記


今日はひみつのお部屋の住人のお一人が書いてくださった「元刑事が見た発達障害」感想文です。

どうぞ。

大事なのは「自由」なんですよね。
そのためにこそ、他者の自由を尊重しなければならないのです。

この記事は短いですが、明日の記事へとつながります。
明日は「治そう! 発達障害 どっとこむ」を立ち上げるにあたっての花風社愛読者向けマニフェストです。
10時過ぎに公開の予定です。
よろしくお願いいたします。

治した母のミッドライフ

2019-05-28 06:20:30 | 日記
今、凸凹っ子育てに没頭している(せざるをえない)お母さんたちは治したあとにどのような暮らしが待っているのかわからないかもしれないし、そもそも考える余裕がないかもしれません。
だから今日はそれをお伝えしようと思います。

私がそのお母様に出会ったのは『自閉っ子と未来への希望』が新刊だったころ。
講演会の主催者として私を講師に任命してくださったという出会いでした。

そして、FBFになっていたんですけど

この方をひみつのお部屋にご招待するのをすっかり忘れていた。

なんでかっていうと

もう障害児の母ではないからなんですね、普段の生活が。

こういう仕事をしている。
こういう出張をした。
こんな一人旅をしている。

そういう記事が多く、それに私は同じように自由な世代の働く女性として「いいね」とかをしていたわけです。いいお仕事だな~きれいな景色だな~美味しそうだな~とかそういうごくふつうの「いいね」。

ところがはっと気づき、ひみつのお部屋へのご招待を送ったところ、入ってきてくださいました。

なんでもう障害児の母じゃないかっていうと、お子さんは自立したからです。
「10年かけて知的な遅れを治しましたのでその経験が若いお母様方に活かせれば」と仲間になってくださった。
四歳のときに一歳半の知能だとされたお子さん。
地道に地道に親子で努力を積み重ね
中学の間にテストの点数が倍になったそうです。
「どかん」ですね。
そして今はフルタイムで働く大人です。
母子共に。

よくここにコメントくださるいぬこさんもそうですが
「治した母」はバリキャリに復帰したりしています。
治るとそれが可能なんです。
そしてそのときにそれだけの市場競争力が母にあったから治ったとも言えるし、治して市場競争力を上げたかもしれない。

要するにね
治るのは正義なんです。
花風社の新サイトではその前提で始まります。
治るのは正義。
それが大前提の場になります。

『自閉っ子と未来への希望』には、私がなぜギョーカイと袂を分かったのか、書いてあります。
よかったら読んでみてくださいね。


保険会社と服薬

2019-05-27 06:00:00 | 日記
先日早めに家に帰って十五枚のしめ鯖を受け取らないといけなくて(ふるさと納税)ワークアウトから早く帰ってきて自分の夕飯はなんだか残り物で済んでしまいました。そしてうつらうつらしていたら夫が帰宅したので慌てて飛び起きご飯を作ったらなんだか寝るタイミングを失ってしまい午前一時頃仕事していました。それで二時頃寝ました。

真夜中に藤家さんの『断薬の決意』のゲラを読んだせいでしょうか。色々昼間は思い出さないこと思い出しましたよ。まず20代の頃の藤家さんのあの圧倒的な体調の悪さ。なんでだろう、と思っていたけど今思うと薬も相当関係していたんだろうな、とか。それから彼女は基本朗らかな子だったからなんで「抗うつ剤」なるものが必要なのかわからなかったけど時々すごい崩れたからああ、やはり薬をのんでいるのはこのせいかな、とか当時納得していたこと。
あと服薬と保険のこと。

これは最近読者同士のお話を見ていて知ったことなんだけど、障害のある子で手帳出たりすると保険に入りにくい。だから赤ちゃんのときに入った保険がとても貴重らしいんだけどそれがじょじょに変わってきて入れる道が開けていて成人の人、知的障害のあるとされている人も自分で入れるようになったこと。でもそこには二つ条件があって

・服薬していない
・安定した就労(官公庁の障害者枠など)

が保険会社を説得するのにいい材料だということ。

これはね~アンチの顔色伺ってたら言えないことだけど(で、私はもとから顔色伺っていない上にアンチと唯一の接点であるツイッターは鍵かけたからもう言いたいこと言うけど)

OO群とそうじゃない群の扱いが社会は違う

っていういい例だと思います。

でも断薬って根性いる。
本当に藤家さんくらい根性あるからできるし、その藤家さんですらこれだけ大変だった。
神経伝達物質がもう「薬ありき」の状態になってしまうから断薬はこれだけ大変。
そういう仕組みを知りました。

薬を始めるときは緊急事態でよく考えずに始める人が多いと思う。
でも抜くのはこんなに大変。
そして薬を抜くには神経伝達物質を健康に変えなきゃいけなくてそのために必要なのは頭蓋骨の外への働きかけ。

なんですよ。