治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

はちきん 花風社高知初上陸のご報告 その1

2021-08-09 09:07:57 | 日記
高知講演の構想が持ち上がったのは、去年の高松講演のあとです。
以前からの読者であった高知の「からだこころ研究会」の方が高松講演に来てくださって、どこでも治そうの制度を利用して高知にも栗本さんと浅見さんを呼べないか、と声をかけていただいたわけです。
ここで改めて、「どこでも治そう発達障害」の成り立ちについて書いておきましょう。もはやご存じのない方も多いと思うので。

コロナ禍など夢にも起きると思っていなかった時期、花風社クラスタは精力的に全国に出かけていました。

かつて発達障害バブルの時代は啓発等の講座がたくさん公費で行われ、それにうちの著者や私などは呼ばれていました。会場は公的な箱、講師に関する費用は公費から、そして参加費は無料でいやいや動員されてくる人も多い、みたいな講演会です。
ニキさんなどは秋の講演シーズンは毎週どこかに行っていました。
けれども啓発の時代が終わるとそういう講座は減りました。

それは花風社には痛くもかゆくもありませんでした。
その頃花風社はギョーカイと袂を分かち、独自の治そう路線に入っていったから。
公費のサポートはないので全額を市場原理で賄います。
利益を出さなければ講演会自体が続かないけれども、どこも自分でお金を払って聴きに来てくださる方で満員御礼でした。

けれどももっと細かい会も必要だ。
そういうことで「どこでも治そう発達障害」を任意団体として設立し、純粋に寄付金のみで運営することにしました。
最初に私たちが資金を出し、読者の方々も寄付をくださいました。
ちょうどお勉強期に入っていたみるさんから「こねこプロジェクト」の残りも寄せられ、数十万規模の預金が集まることになりました。
そして私たちは創立記念講座を去年の三月福岡で開くことに。

そこに全国の一斉休校です。
まだ未知のウイルスに人々がおびえていた時代。私たちは急遽zoomを取り入れ、現地に来る方の人数を減らし、成功裏に終わらせることができました。

それからコロナ禍に入り、どこでも治そうの講座はzoomもしくは現地とオンラインのハイブリッドで開かれることに。
災い転じてこれは、普段講演会にアクセスしにくい地域の方々、子育て中の方々に学びの機会を広げることになり、「治そう」が加速しました。
どこも黒字です。
というわけで数十万円のお金は眠ったままでした。

今度の高知の講座が企画されたとき、当日をどのような状況で迎えるかはわかりませんでしたが
実際には感染者(実態は陽性者数)が最多を更新し続け
GoToは見る影もなく
会場からはSDをお願いされ人数も絞らざるを得ず
そして知事会からの県境跨ぐな発言で出席をキャンセルする人もいる、という状況の中で開かれることになりました。
収益的にはきつい。
でもこういうときのための「どこでも治そう」でしょう。

そして台風が三つ。
なんとか行けるようだし、当日は免れそうだけど、帰れるのか? という状況の中、それでも当日になると、これは良い旅になりそうだとすとんと落ちてきました。
そもそもこの状況で会場に来てくださる方々がすごいです。
そしてその通りだったのでした。

高知龍馬空港に着くと、南国の湿った空気が。嫌いな空気ではありません。
東日本の出身だけど、どっかで南国を拾ってきているのだと思いますが、私は南国の湿気が大好きです。

主催者さんにお迎えいただき、同じ便に乗っていた栗本ご夫妻とも出会えました。
奥様になる方がどなたか教えてもらったとき、すぐにお祝いのメールをしましたし、神奈川にいらしたときには歓迎のメールをしました。
それから小田原あたりでささやかにお祝いをしようと思っていたのですが、マンボウとか。
ですからご夫妻を二人そろって会ったのは実はこれが初めてです。
本当にこの二人が一緒になったんだなあ、と具体的に確かめられてうれしかったです。

自然が見たい、ということで、まず桂浜に連れて行っていただきました。
栗本さんも私も、太平洋は地元とつながっている、という意識がありました。
でも桂浜を見て、びっくりしてしまいました。
いつも私たちの前にある海は、太平洋っていうより東京湾だったり相模湾だったりするのですね。
神奈川県は海に面している、というよりそのほとんどが湾に面しているのです。
だからこそどこが開いたどこが閉鎖したと話題になるくらい、海水浴場がいっぱいあるのです。
勇壮な外海を見ると、それがよくわかりました。

「遊泳禁止」とか書いてありますが、命が惜しければ、この海で泳ぐ気になる人はいないはずです。
潮のしぶきがあがり、松が生えています。
清涼な空間でした。
私たちはそこをぞろぞろと散策しました。



それから川の方も行き、アイスクリームを食べ、子どもの夏休みのような半日を過ごし、まず栗本ご夫妻をホテルへ。
二人で高知の夜を楽しむでしょう。栗本さんにもこういう日が来てよかったなと思いました。
私のホテルへは主催者さんが送ってくださいます。
主催者さんはもともと生きづらさを抱え、身体も虚弱だったそうです。
でも花風社アプローチで週五日働けるようになり、安定した職場で生活の糧をえて、以前なら体力的にも考えられなかった北海道や沖縄への旅行にも出かけたそうです。
だからこそ花風社にすごく感謝してくださって、今日ここに呼んでくださったのです。
そしてきかれました。「浅見さんは信念を貫く間にくじけたことはなかったのですか?」と。

思いもかけない質問でした。
「信念を貫く」という意識より、とにかく自分が正しいと思ったことをやり続けてきた感じです。がーがー文句言ってきた人はたくさんいますが。
もちろんその方もネット上の妨害行為とかもご存じなのですが、そういう妨害の数々にくじけなかったのはなぜかということなんだと思います。

私にとってみたら、意外な質問なので(なぜならいつも私は自然体で対応してきただけだから)とっさにこたえられなかったのですが、
一つは、黄色本『自閉っ子の心身をラクにしよう!』の最後に出てくるとおり、「丈夫な身体」だったからだと思います。丈夫な身体とは疲れない身体ではなく、疲れても寝るとそれがとれる身体。私の心身はどんなにひどいことがあっても眠れるようにできていて、そこでいったんリセットできます。
もう一つは、なんだかいつも出会いに恵まれたこと。栗本さんとの出会いもそうですが、やはり今ここにあるのは裁判でギョーカイに愛想をつかしこの世界を去ろうとしていたときに神田橋先生と出会ってしまったことでしょう。
そしてそれで言えばコロナ禍でさえ、今後も仕事を続けていくきっかけになったかもしれません。
「治るって正しいことだ」とより確信させてくれたのがコロナ禍でしたから。

いつでも出会いに恵まれる。
これが身体アプローチの成果だと私は思っていますし、これだけの出会いに恵まれているということは、自分の仕事は自分のものだけじゃないんだと思っています。何か仕事をしなければいけないからこそ、天はどんどん出会いを連れてきてくれる。そしてその天に感謝するためにも、やはり治そう路線を歩まなければいけないわけです。



ホテルで少し落ち着いて、私は街に出ました。
日本中どこにでもあるシャッター商店街がそこにありました。
やっている店の中で一人で入れそうなところに入ります。
お店の人がマスクではなくマウスシールド。こういう店はゆるくていいですね。
カツオの藁焼き定食とビール。
帰りにコンビニでビールを買って、オリンピックを見ながらまったりと高知初の夜を過ごしました。

続く

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