ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

この現実

2007-01-31 00:25:08 | 日常
昨夜(1/29)買い物中に
講習の時の友達とばったり出会った。
何とA産科が病棟閉めて外来だけになる。
R総合病院の産科と小児科が3月一杯で閉鎖。
S総合病院の小児科も医師不足で
小児科存続出来ないみたいだし、
どうなるのかねー。
産科も小児科もあと1ヶ所しか残らないよ。
どーすんの。
子供産んだ友達もいるけど、
これから出産する人もいるよ。
母親達は自分の子供を連れて行ける病院がなくなって
途方に暮れてる。
釧路はもうアカン。
4月からは一気に医師が減る。
子供も大人も、
具合が悪くなっても
診てくれる医者がいなくなるよ。

(追記)
本日(1/30)、
私が日勤の引継ぎをした今夜の夜勤入りの先輩が
先ほど夜勤業務に入った途端、
お子ちゃま(2、3歳)が高熱+嘔吐+下痢で
具合が悪いと保育園から連絡が来た。
子供が熱出したからと言って
夜勤を放り出して帰ると思う?
子供は夫を電話で拝み倒して
S総合病院の夜間診療に受診させて、
自分は予定通り夜勤してるよ。
今この時刻も。
子供は受診から戻ったら再び保育所。
S総合病院の小児科が4月から
こういう夜間の小児の受け入れをしなくなったら
臨床で働ける看護師はおそらく激減する。

まずい。
本当にまずい。

あーあ。

2007-01-28 12:04:46 | 日常
「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言(朝日新聞) - goo ニュース


日本ももうおしまいだな。
こんなのが厚生労働大臣では
もうお先真っ暗。
♀が出産する機械なら、
♂は種付け機か種馬かい。
♀が子を産まないのは
残す価値のある遺伝子を持った♂がいないから。
そして産んで育てる環境が劣悪だから。
そんな事もわからんのか大臣のくせして。

珍しくない話

2007-01-23 14:57:56 | 日常
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2007012203930.html?fr=rk


看護学生だった時に
精神科の講義に来ていた講師の
精神科医と
その病院の看護師長は
2人共目がぎらぎらしてましたよ。


講義の内容もイッちゃってました。
こんなの。
内観療法だって。


ある時は、
「教室の明かりを消して下さい。
 はい。
 今日はあなた方の肺胞について、
 この一週間にして貰った事、
 してあげた事、
 迷惑かけた事を今から10分間、
 思い出して下さい。
 ・・・10分間・・・
 はい。
 それではこの暗闇の中で。
 肺胞さん、ありがとうと念じながら
 深呼吸を繰返して下さい。」


ある時は、
「今日は無心に踊りましょう。
 何も考えずに
 空っぽになるまで踊って下さい。
 はい。
 誰ですか!あんたちょっと!
 (踊ってない学生を問い詰める)
 やる気ないんですか!」


ある時は、
「今日はあなた方の目玉について、
 この一週間にして貰った事、
 してあげた事、
 迷惑かけた事を今から10分間、
 思い出して下さい。
 ・・・10分間・・・
 はい。そこのあなた。
 発表して下さい。」
(ぎょえーっっっ同僚が当てられた!)
同僚は仕方なく答えてたね。
「えっとぉー、
 私はこの一週間んー、
 目玉さんが疲れてるのにぃー、
 ゲームとかーぁ、
 テレビ見たりとかぁー、
 夜更かしして迷惑かけたのでぇー、
 ごめんなさいと思いましたぁー。
 それで夜は寝てあげましたぁー。」
これ冗談ではないですよ。
本当の話です。


で、その精神科講義、
前期100人、後期100人が受講してたんですけど、
前期の期末試験、
中退と病欠以外の全受講者98人が期末試験受けて
94人が落ちました。
クリアした4人も何で自分が合格だったのか不明。


その試験問題とは、
ピカソの女の顔らしき絵を
丸ごとべたーっと1枚コピー。
問題はこの1問だけ。


「問.ピカソはこの絵で何を言いたかったでしょうか。
   述べなさい。」


94人が再試、再々試で何とか及第した。
しかもその後その精神科医、
最前列の学生2人の顔付きと態度が気に入らないから
ボクはもうこの授業やりたくないとゴネてた。
アナーキーというかクレイジーというか。
どう見てもご病気でしたね。
珍しくないと思います。
ご病気の精神科医。

空腹だ。

2007-01-22 19:03:33 | 日常
飢え乾いて聖書を貪るとか
腹減ったから聖書読むとか書いてたら
ほんとに空腹だと気づいた。
膵臓くん、お疲れ様。
今日もインシュリンを出してくれて
ありがとう。
腹減ったし、
やっぱり3ヶ月前の温たま、食おうかな。

聖書を読む事の意味

2007-01-22 18:28:34 | 信仰
聖書を読むのは楽しい。
面白いから。


聖書を読んで感じた事を分かち合うのは
とことん聖書にはまってる人とするのが楽しい。
イエス・キリストが大好きで
登場人物の誰彼に共感して
笑ったり怒ったり涙する事の出来る人。
聖書を読む事を楽しんで
神に感謝している人。


聖書を読んだ感想は
人のいる場所であまり口に出すべきではない。
何かの場でうっかり口に出すと
「いいお話でした。」とか
「勉強になりました。」とか
「熱心に聖書を学んでますね、
 私のような者はとてもとても・・・」とか
分かち合いにならない。
聞き流しながらもがっかりする。
喋んなきゃ良かったと思うし。


聖書を好きで読んで楽しんで、
別に褒められる類のものではないし
聖書を読む行為が
信仰の態度の良し悪しの評価になる訳でもない。
にも関わらず、
聖書を読むと時々変な事を言われたりする。
「熱心ですね」とか
「そんなに勉強しなくても」とか。
受洗して2、3年の頃は特に
母教会以外の人々からよく言われた。


(母教会の牧師先生や年配の教会員からは
 受洗したばかりの井上が
 『聖書読みの聖書知らず』にならないか
 受洗直後の一時は
 危機感をもって見られていたらしい。
 そのための警告も頂いた。
 ありがたい事だ。
 でもやがて
 私がただの幼稚な聖書おたくで
 楽しんでいる事に気づいてくれた。)


聖書を読む事が
成績の良い生徒が勉強熱心な姿勢を
学校の先生から褒められるような
そんな次元の評価をされるべきではないと
私は思う。
誰かに褒められたくて聖書を開くなどは論外。
それなら読まない方がいい。
読む事が虚栄心をくすぐる為だったり
苦行の手段ならば
別の方法で目的を達成出来る。
聖書を道具にしなくてもいいはずだ。


だから
聖書を読む自分も
週刊モーニングを読む自分も同じ。
読みたいから読む。
それ以上でもそれ以下でもない。


受洗からしばらくの間、
聖書にのめり込んで読んだのは
魂が長年の飢え乾きに耐えかねて
目の前に食える物を置かれ、
食べるための機能を与えられて、
ただガツガツと貪ってたのだ。
(腹へってたんだよね。)


ある日、
ゲストとして教会に来ていた80代の女性から
言われた。


  「聖書には
   貪るなと書いてあります。
   たとえ聖書であろうと
   貪ってはいけません。
   私はもっと読みたい時でも
   一日1章で我慢します。」


言いたい事は理解できる。
しかし
それこそパリサイ的発想。
聖書を一日1章しか読んではならないという戒律は
いつ誰が作ったのか。


読みたいから読む。
読みたいから読みたい所まで読み進んで何が悪い。
飢えてるから食って何が悪い。
するなと言われるとしたくなるものだ。
それで
私は聖書を裂いて持ち歩く事にした。


裂いて分冊した聖書を
通勤やバス地下鉄の待ち時間や
通院の待ち時間に常に持ち歩いた。
聖書という、
お弁当と言うかおやつと言うか
飢えを満たすための福音を
そうやって貪って、
受洗から2、3年の間は
年間4、5回くらい通読してた。
小学生がマンガを読み耽るように。


そうやって
いろんな事を感じながら聖書を読み続けた体験が
自分を取り巻く現実を見る時の見方に
自然と角度を変えて影響するようになって来た。


聖書を読む事は勉強ではない。
試験前夜みたいに四六時中聖句を暗誦したり
日常会話の中でいちいち聖書の引用をする必要もない。
息苦しくなったら祈る。
飢えたら聖書読む。
呼吸と食事は生きる事の基本だと教わってきた。
祈りは呼吸、
聖書を読む事は食事。


「聖書を貪るな」と
私を諭した80代の女性は
聖書に書かれている一字一句を
丁寧に味わい、
深く考えて
祈りながら感謝して頂く事の出来る70年間の
信仰生活を生きていた。
その女性が読む一日1章は
受洗2、3年で
聖書の味を知ったばかりだった私の一日1章とは
読む事の意味がまるで違う。


その人が聖書を読むのは
与えられた事を感謝し、
硬く乾いたパンを割って
音と感触を楽しみ、
薫りを喜び、
一口ずつ噛み締めて味わい、
養って下さる御方に心から感謝して
祈りを捧げるのと同じ。


一方、
私が聖書を読むのは
生まれて間もない乳児が
腹を空かせて泣き喚き、
理性も分別もなくガツガツと
味もわからず乳を飲むのと同じだった。


「聖書を貪るな」と
その人から言われた時、
私は思った。


  いつかあなたのようになりたい。

じじ、聖書面白いか?

2007-01-16 23:36:02 | 信仰
一昨日から
聖書を開いていたじじ。


イザヤ書のページを開いたままになっていたので
そんな難しい預言書から読んでるのかと思ったら
違った。
じじ本人に聞いてみた。


面白いか?


「いや、
 今探しているのだ。
 昔オレが仕事の事で人とやり合った時に
 古い酒は古い皮袋、
 新しい酒は新しい皮袋にと言って相手を説得した。
 その話を牧師先生が来た時に話したら
 牧師先生が
 それは聖書に載っていると言って開いてくれた。
 しかし一度聖書を閉じたらどこだかわからなくなった。」


あー
そうだったのか。
それなら
じじ、
イザヤ書を一頁ずつ虫眼鏡で読んでも
その譬話は出て来ないよ。
その譬はイエス・キリストが話した言葉だから
新約聖書だ。
3つの共観福音書それぞれに出てるよ。
ほれ。


「おおー
 これだこれだ。
 オレはな、
 昔、・・・
 (じじ、過去の仕事自慢を語る。
  以下、エンドレス)
 ・・・の時にこの話をしてやったのだ。」


とんでもない知ったか野郎だったんだね。
どこからそんな話を聞いたの。


「それが何処で誰に聞いたんだったかなぁ・・・。
 忘れたなぁ・・・。
 職場の先輩にキリスト教の人がいて、
 近所のバプテスト教会の人だった。
 その人から聞いたかも知れん。」


あー
私が小学生の時に英語教室に通ってた
あの教会だ。
そこの教会員の人が職場にいたんだ。
へぇ。
せっかく開いたんだから
読むなら新約の福音書から読みなよ。
こないだ映画見たから
ある程度読んでわかると思う。
わかんない事は牧師先生に聞きなね。
最初の、
キリストの系図のところは
今は訳わかんないと思うから
無理しないで飛ばして2章から読むといいよ。
こないだ見た映画『奇跡の丘』は
これを映画化したんだ。


「うむ。
 そうか。」


こうして
じじはマタイの出だしを開いて読み始めた。
マタイを読むじじを後に、
私は昨夜帰宅した。
ここまでは昨日の話。


で、
今日仕事終わってじじ宅に行ってみたら
また聖書が食卓の上に開いたまま放置されている。
虫眼鏡の乗った所までは読んだと言う。


・・・(゜_゜;)・・・


虫眼鏡、
マタイの最後のページに乗っかっている。
マタイを昨夜と今日の1日で
全部読んだのか?
じじ。
キリストが十字架にかけられたところも
読んだのか?


「読んだ。
 明日はその次からだ。」


じじ。
早過ぎる。
明日はマルコから読むのか?


「知らんけど
 その次からだ。」


じじ、
聖書読んで面白いか?


「面白い。
 牧師先生も面白いって言ってたぞ。」


それはそうだけどさ。
ま、
いいか。
気の済むまで読みなよ。
読んで
いろんな事を牧師先生と話して
イエス・キリストと友達になって貰いなよ。


主イエス・キリスト
よろしくお願いします。

納豆が品切れって本当???

2007-01-14 21:12:57 | 日常
じじん家の近くの
スーパーに今立ち寄って来たら
おかめ納豆がこんなに。
それも
このメーカーのしかない。
いつもはもっと
いろんなメーカーのがあるんだけどね。
何か、売れ残ってる感じだけど
その割りには1パック118円もする。
いつもは78円程度。
ブームだからって値段吊り上げたら
皆買わなかったって事かな。
1個買って来たけど、
多分、イースター頃には食べると思う。

津波警報だって。

2007-01-13 16:16:48 | 日常
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=143706&media_id=2


さっき
震度4の地震があったんだって。
全然気づかなかったなー
津波が来るらしいよ。
津波警報が出てる。


私はの~んびり散歩してて
しかもちょっと半融けの
滑る道を歩いて来たけど
ふらともしなかったよ。


舗道では
鳩がべったり座り込んで日向ぼっこしてるし。
いいお天気で
危機感全くなかった。


震度4くらいの地震は慣れっこになってるから
あんまり気にならない。


でも津波はまずい。
海岸に住んでる友達に
今、連絡取ってるところ。


やっぱりねぇ。
来るかもと思ってたわ。
だって年末に
知床で大量の魚が
岸壁に打ち上げられてたじゃない?
どう見ても津波の前兆だったよね、あれは。

おかげさまで

2007-01-13 16:13:29 | 信仰
お祈りして下さった皆様、
おかげさまで無事に
朝祷会の奉仕を終えました。
心から
ありがとうございます。


今朝は
目が覚めると
頭髪が写真のような状態になっていて
なかなか直らず
いっそシャンプーしてしまおうかとも
思いましたが
外の空気が凍りついているので
ちょっとドライヤー使った程度では
バリバリのハリネズミ状態になるし
そんな事のために
遅刻しちゃったらえらいこっちゃだし
結局ずーーーーーーっと使ってなかった
古いスタイリングフォームで
無理矢理固めて
教会に行きますた。


よかった
古いスタイリングフォームが
まだ残っていて。


いくら
見た目が重要じゃないと言っても
怒髪天を衝くみたいな頭では
聞く側にとって
福音も何もあったもんじゃないでしょ。


はー
やれやれ。
よかった無事終わって。
感謝します。


写真.今朝起きたら
   髪がこんな状態になってた。

残業代ゼロ制だとぉぉぉっ?

2007-01-10 22:54:37 | 日常
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2007011303240.html

私らも
ホワイトカラーと言えば
ホワイトカラーだけど。
何せ仕事中は白衣着てるし。


この残業ゼロとか
残業代ゼロとか言う言葉に
アレルギーがある。


今の職場に転職する前は
残業代はゼロで、
サービス残業は毎日3~4時間が普通で、
急変や急患入院があって
5時間6時間残って仕事してて
残業の申請をした者は
申請用紙を看護部長に突っ返された。
新人だろうがベテランだろうがお構いなし。


看護部長は言ったね。


「残業しないで帰ればいいのよ。
 残って仕事しなきゃならないのは
 仕事の仕方が効率悪いのよ。
 自分の能力を考えて残業の申請をしなさいよ。」


急変した患者を放り出して
勤務時間終わったからと帰れるか?
救急車が立て続けに入って
これから緊急検査や処置に入る患者を放置して
残業代出ないからと帰れるか?
帰る事が出来ない現実を知ってて
看護部長はこんな言葉を吐いていた。


そうやって
毎日毎日、何時間もサービス残業し続けて
気がつくと7年間も働いてた。
そんな自分は愚かで無駄な事をしたけど
それでも
無職よりはいいと思ってた。
雇用する側は
最低限度の頭数で最大限使いたい訳だから
当然といえば当然。


http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=142198&media_id=2


私らも
ホワイトカラーと言えば
ホワイトカラーだけど。
何せ仕事中は白衣着てるし。


この残業ゼロとか
残業代ゼロとか言う言葉に
私はアレルギーがある。


今の職場に転職する前は
残業代はゼロで、
サービス残業は毎日3~4時間が普通で、
急変や急患入院があって
5時間6時間残って仕事してて
残業の申請をした者は
申請用紙を看護部長に突っ返された。
新人だろうがベテランだろうがお構いなし。


看護部長は言ったね。


「残業しないで帰ればいいのよ。
 残って仕事しなきゃならないのは
 仕事の仕方が効率悪いのよ。
 自分の能力を考えて残業の申請をしなさいよ。」


そうやって
毎日毎日、何時間もサービス残業し続けて
気がつくと7年間も働いてた。
そんな自分は愚かで無駄な事をしたけど
それでも
無職よりはいいと思ってた。
雇用する側は
最低限度の頭数で最大限使いたい訳だから
当然といえば当然。


言葉では何とでも言える。
しかし、
要するにただ働きしろって事なんだよ。

朝祷会のメッセージ奉仕

2007-01-10 22:07:59 | 信仰
今日は日勤の後、
教会の聖書研究会に久しぶりに出た。


年末は仕事が荒れて欠席続き、
年明けは先週ばばを連れて寄席、
それで
本日やっと夜の集会に出られた。


一日の労働を終えて、
教会で聖書を読んで学んで、
牧師先生夫妻や教会の仲間に祈って頂いて
それで
また明日から頑張って働こう、
という気持ちが湧く。
ありがたい事だ。
仕事の後だから疲労もピークになっている。
しかし眠いと思った事はない。
身体的な疲労よりも
霊的な飢えに対する危機感が
私の場合大きいからだ。


で、
明日は夜勤。
明日(1/11.木)の夕方から
全ての患者さん達が安静に、無事に、
明後日(1/12.金)の朝を迎える事が
出来ますように。


何故なら
土曜日(1/13)には
わが教会で午前10:30から
市内の朝祷会が開かれる。
そう。
今月はメノナイトが会場当番。
司会は
事務局をしているうちの教会員、
メッセージは
この井上なんですごめんなさい。
夜勤明けの翌日休みで
私が久々に参加可能になった。


日本基督教団、聖公会、福音館、ルーテルなど
各教派の牧師先生達や
教会員の皆さんに会えるのも久しぶりだ。
数年前、私が朝祷会の事務局の仕事をした時は
各教派の皆さんに大変お世話になった。
懐かしいな。
楽しかったし。


バプテストやアッセンブリーや
顔馴染みの牧師先生達が
教派内の転勤でこの土地を去られた時は
名残惜しくて寂しかったなあ。
過疎地だけど
どこの教派の教会も皆頑張ってるよ。
私も
毎度毎度土曜日が
完全に仕事で塞がっている訳ではないけど、
仕事が荒れると
特に荒れた夜勤の明けの後は
2、3日足腰が立たない。
抑鬱状態にもなる。
それで朝祷会を逃してきた。
今回は自分の所属教会が会場だもの。
逃したくないさ。
明日の夜勤が
荒れて疲れを引き摺ったりしないように
今から備えよう。


祈って下さい。
井上がちゃんと奉仕できるように。

最後のジャガイモ

2007-01-09 21:36:33 | 日常
毎年年末になると
じじにジャガイモを50kgとか60kgとか、
大量に贈ってくれてた友人が亡くなった。


昨年暮れに
『トヨシロ』と『キタアカリ』を
贈ってくれた時は既に入院していた。
かなり病状が悪いとご家族から聞いていたので
このジャガイモが今年で最後かも、
大事に食べようねと
じじに言って、
いろんな人に食べて頂いた。


今日、
牧師先生が帰られるのと
同じ時に電話が来て、
この正月の3日に亡くなった事を
じじは知らされたらしい。


一見硬くて煮崩れない、
でも
栗っぽい食感で香ばしい、
粉を吹きやすい、
粉吹きいもには最適の
ジャガイモ。
ふかしてじじに食べさせた。


じじ、
友人を偲んでたな。


じじと一緒に働いてた友達が
手塩にかけたジャガイモ『トヨシロ』。
これで最後。
ありがとう。
美味しかった。
ご馳走様でした。


そして
お疲れ様でした。

明日。

2007-01-08 23:31:30 | 信仰
兼ねてからの
じじの受洗に向けた学びの事で
明日の午後、
牧師先生が
わざわざじじ宅まで来て下さる。
私は仕事。
じじは教会が大好きなのだ。


教会が楽しくて好きだというだけでは
受洗の動機にはならない。


自分の誕生日を教会の牧師先生が祝福してくれる、
それがじじにとって
そんなに重大な意味を持っていたとは知らなかった。


何故なら、
父の生まれた家の親族も
私達家族も、
時期的なしきたりみたいな贈答の習慣はあっても
じじ個人の生まれた事を喜んで祝福する事は
誰一人した事がなかったから。


社交辞令や単なる慣習を含まない、
無条件の祝福を頂く事は
じじにとって初めて存在を喜ばれ、
祝福を受けた体験だったんだな。
今まで気づかなかったよ。
それがいかに重要かという事も。


これから
受洗が実現するまで
気を緩めることは出来ない。
誤解や躓きの元となるものを
全て片付け取り除かなければならない。
これからは
自分の父親ではなく一人の求道者として
関わっていかなければならない。


主なる神様のなさる事は不思議。
父という高齢者が
聖書や教義を何処まで理解できているかという次元を
はるかに超えた御手の業を感じる。


受洗の日が
来月の父の喜寿の誕生日になるか、
復活の日になるか、
或いは聖書の話や信仰の話にドン引きして
頓挫してしまうのか
どうなるのか見当もつかない。

じじには
聖書に親しんで欲しいと思うよ。


じじには
私でも牧師でも教会員達でもなく
イエス・キリストを見て欲しい。


これから先は
私には手出し口出し出来ない。
牧師先生にお任せしようと思う。


これを読んで下さるキリスト者の皆様、
明日からの
牧師と父との面談と学びが
御心にかなうものとなって
無事に受洗の日を迎えられるように
お祈りをお願いします。