ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

“書いてある”(追記あり)

2010-08-28 22:52:14 | 信仰
先日、診察待ちが長くて耐えられず、
頭が痛いくせに手持ちの新約聖書を読んで
思い浮かんだ事を書こうとしたが
今月発売の月刊モーニング・ツー『聖☆おにいさん』を読むうちに
忘れてしまってがっかりしていた。
しかし、唐突に思い出したので書く。


(マタイ4;1~11)


荒野で40日断食して空腹のイエスに悪魔が誘惑の囁きをする。


ψ(`∀´)ψ「腹へってんだろ。
       お前が神の子なら石をパンに変えてみな。」


┐( - 。-)r=3 「パンに変えたからって石なんか食ってどーする。
       人間、パンだけじゃ世の中生きていけねーんだよ。」


ψ(`∀´)ψ「お前が神の子ならここから飛び降りてみな。
       神が天使達に命令して助けるって書いてあるから、
       飛び降りても死なないんじゃね?」


o( -"-)o-3 「ちゃんと読まんかいアホ。
       書いてあるからって飛び降りてどうする。
       飛び降りるちゅー事は神を試すっちゅーこっちゃ。
       ええ度胸や、よっしゃお前が飛び降りろ。」


ψ(`∀´)ψ「土下座してわしを拝みな。
       そしたら金も地位も権力もやるよ。」


ε-o( Д) ゜ ゜ 「いらんわ!
        お前に土下座してどーする。」



という会話だ。


第一の誘惑は、
「空腹なら、石をパンに変えてみろ。」
悪魔は生理的欲求によって神に向かう心を挫こうとする。
イエスは人間を生かしているのは食い物ではない事を指摘する。


第三の誘惑は、
「権力と富の総てをやるから私を拝め。」
悪魔は支配欲と所有欲によって神に向かう心を脱線させようとする。
イエスは神以外の何者にもひれ伏さないと宣言し、突っぱねる。




私は第二の誘惑に注目する。
三つの誘惑の中で、第二の誘惑は信仰者にとって罠だ。
巧妙な罠。


「飛び降りても天使が助けると聖書に書いてあるから
 ここから飛び降りてみろ」


実際に高い場所から飛び降りれば
当然人間は地面に叩きつけられて木っ端微塵、
砕けたスイカ同然になる事はわかりきっている。
信仰の無い人にとってこんな馬鹿げた誘惑は誘惑にならない。
しかし信仰者にとってはそうではない。


“聖書に・・・・・・と書いてある”という罠。


信仰者にとって、この第二の誘惑は、
「聖書の一字一句を字義通り鵜呑みにする」
という悪魔の巧妙な罠だ。
高慢と盲信の二重構造の罠で、
表向きは敬虔な模範的信仰者の仮面が被せてある。


「聖書に・・・と書いてある」という言葉を
信者同士で意見が対立し議論になった時に聞く事がある。
「俺の方がお前よりも聖書わかってんだぞ」と相手を見下す、
恥ずかしい知識自慢の意味を含んでいたり、
議論の席の自己防衛の盾として、或いは相手を言い負かす武器として
聖書の文言を自分に都合良く切り貼りして持ち出し利用する、
自称知識人の歪んだ自尊心を悪魔は巧妙にくすぐる。
読んで優等生か何かのように得意げになるなら
聖書など読まない方がましだ。


しかし、
「聖書に・・・と書いてある」という言葉を
幼稚な知識自慢ではなくもっと盲目的に、
鵜呑みとしか言いようの無い自己完結の仕方で
“書いてある”“書いてある”と連発する類の人達もいたりする。
熱心に聖書を読む真面目な信者なのに
感想を話し合い分かち合う事が全く出来ない。
共感するものが何も無い。
何故なら彼らは
どの人も共通して聖書に書かれた事に疑問を持たない。
聖書の文言に疑問を持つ事自体を罪深い事、禁忌として避けたがるので
お互いに同じ聖書を読んでいるのに対話が成立しない。
自分の行動や意見の根拠に聖句を引用して理由付けする。
何か言ったり何かする度にいちいち聖句を引用するので
日常会話がどえらく長い話になる。


「私は・・・を・・・・します。
 聖書の***の**章**節に・・・・と書いてあります。」


「聖書は考えたりしないで、幼子のようにただ素直に読むべきです。
 天国は幼子のような者達のものであると書いてあります。」


「聖書を自分で読んで解釈したりすると
 学者のように高慢になるから、難しい事は考えずに信じます。」


確かに、神学は人を救わない、人を救うのは神だけだ。
しかし、本当に一つも何も疑問を持たずに聖書を読めるものだろうか?
聖書に書かれた教えと現実の日常生活の出来事との間で生じる矛盾に
葛藤や苦痛を感じて神に向き合おうと祈ったり、意味を考えたり、
本当にしないのか?


「・・・『神があなたのために天使たちに命じると、
 あなたの足が石に打ち当たることのないように、
 天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」(マタイ4;6)


聖書にそう書いてあるから考えずに信じる、信じて飛び降りるのか?
書いてあるからって、いいのか飛び降りても?


悪魔の第二の誘惑はこういう罠ではないかと思う。
聖書を読んで自分の心の奥底に起こる思いを正視せず、
聖句の意味を吟味せずただ鵜呑みにする事は
生きた生身の人間の信仰だろうか。


聖書を読んで生まれた疑問は大切にするべきだ。
封じるべきではないと思う。
その疑問から祈りが生まれる。
神に祈る事、神と向き合って神に聞く、
祈りは疑問から始まるものではないのだろうか。
到底信じられない事柄も、納得いかない事も、
どうしてそうなるのか神に聞いて答えが示されるのを日常で待つ。
私の場合、祈りはいつもそうやって生まれる。
心の奥底の疑問を認めないで聖書を読んでも
それは死んだもの同然、
呼吸をせずに飯を食おうとするようなものではないか。


よく気をつけないと、
真面目に熱心に聖書を読めば読むほど第二の罠に引っ掛かる。


聖書に書かれた事柄を字義通りに丸呑みする読み方は
真面目で熱心なようでいて実は怠惰な読み方ではないか。


字面だけを追って、
前後の文脈を把握して適切に理解する努力をしない。
書かれてある事柄を自分自身に置き換えたり
教えと現実との落差に気付いて苦悩する事を回避する。
書かれた事柄を通して神から自分に与えられた課題に向き合わず
無い物として目を逸らす。


自分の頭と心を惜しんで感性の鈍磨した、
疑問を認めず神に「何でですか」と問う事もせず、
自分自身で咀嚼する事すら放棄した、
ただ丸呑みし嚥下するだけの、死人のような怠惰な読み方。


怠惰だから聖書に疑問を持たない。
怠惰だから信者同士でしか通用しないクリスチャン用語を
会話の中で連発する。
怠惰だから、
人間を二分化して理解しようとする。
救われた自分達と救われていない未信者との二分化。


「私達は救われたクリスチャン、
 クリスチャンは救われて天国に行くと聖書に書いてあります。
 クリスチャン以外は救われていないノンクリ。
 ノンクリの人達のために祈ります。
 早く私達と同じように救われて天国に行けますように。」


この怠惰で短絡的な思考回路こそが悪魔の第二の誘惑。


ああ。
やはり悪魔はあくまで悪魔だな。
書いていて吐きそうになってきた。
アレルギーだ。
この辺でやめとこ。

スズメの警告音が

2010-08-28 18:08:14 | 日常
至近距離にいるスズメから
厳しい警告が。
ギチギチギチと威嚇を受けて、ビビっている。


無理もない。
私の部屋のベランダは
十年来スズメの縄張りである。
しかもスズメの皆さん子育て真っ只中か
或いは巣立ちしたばかりのお子さん達の特訓中で
皆様甚だ神経質である。
ハシボソガラスのご夫婦もいるよ。
狙われるぞ。

福音書読んだけど

2010-08-24 22:01:29 | 信仰
今日、脳外科の待ち時間があまりにも長くて
頭が痛いくせに退屈に耐えられず、
普段持ち歩いている新約聖書を
マタイ1章から読み始めて
診察に呼ばれるまでに「種蒔く人のたとえ」まで
読み進んでしまった。
どれだけ待たせるんじゃ。怒)
福音書には新たな発見がまた幾つかあった。
帰宅して少し睡眠を取ってから
信仰ネタのブログに書こうと思った。


しかし
診察終わって病院を出たら近くに本屋が。


昨日内科で新しく処方された薬を調べるための
薬理の本を買うついでに
月刊モーニング・ツーも買った。


『聖☆おにいさん』の
海開きネタと鳩の父さんがツボにはまって
せっかく待ち時間にマタイで発見したブログネタが
何処かに消し飛んでしまった。泣)

昼間、酔っ払った。

2010-08-23 22:59:00 | 日常
酔っ払ったと言っても、酒ではないよ。
減量中だから燃焼したいのに、酒なんて燃料飲んでどうする。


通院先のクリニックが今日あまり混んでいたので
採血だけして一度自宅に戻り、夕方になってから
再度クリニックに行って診察を受けた。


帰宅してPCいじくって時間潰し、
放置状態だった黙想ブログに
これまた放置していた写真を付けて編集し、整理した。
12もあるブログの中で
唯一トラックバックもコメント欄も無い、
完全引き籠り独白呟きブログである。
要するにただのノート。
この黙想ブログ、アップした記事と対になる写真があって、
それらの写真の大半はまだアップしないまま、
ずっと編集が中断していた。


写真の大半は空と雲の写真で、
文の殆どが信仰絡みの考察で、
編集の作業中は音楽を聴いていたが、
演奏はヴァルヒャ、曲はBWV552/2を延々繰り返し、
雲の色と形とオルガンの音で
視覚と聴覚と両方をやられてしばし酔っ払った。


酒だと相当な量を飲まないと酔わないんだけどね。
目と耳は簡単に酔っ払うんだな何故だか。

混んでるわ。

2010-08-23 11:21:06 | 日常
定期の受診日。
外来、やたら混んで
ロビーまで患者が溢れている。
老人大勢。
元気よく談笑してる。


待ち時間かなり長いので
採血して一度帰宅する。
街をぶらぶらしてもシャッター街ばかりだし。
減量のため外食は自粛してるし、
帰って昼飯食うわ。


採血結果は午後から聞きに行こ。

今日も朝カレー

2010-08-22 09:49:22 | 
具は昨日の夏野菜カレーの取り置き。


カシミールのカレーソースは完食したので
普通のインドカレーのルーで食べようとしたら、
ルーの買い置きが無かった。


レトルトの「100年前のカレー」があったので
それにレトルトの野菜カレーを混ぜて
ココイチの飛び辛スパイス大匙4杯と
手持ちの香辛料、赤ワインを合わせた。


「100年前のカレー」は、
先日薬屋で景品代わりに貰ったものだ。
残念ながら牛カレーだったので、
とてもレトルトのまま単独で食べる気にならず
放置していたのをレトルトの「野菜カレー」と
レトルト同士でブレンドし、
赤ワインと大量の香辛料を追加して
何とか食える味にした。
「100年前の牛カレー」、原型留めず。
どんな味だったのか結局わからない。

講演会

2010-08-22 00:37:00 | 日常
市内の病院を会場にして
"糖尿病患者の食事指導のあり方"みたいな講演があって
出席してみたら、ただ黙って座って聴いてるだけの講演会ではなかった。


糖尿病性腎症に有効な薬剤の紹介の後、
栄養指導の事例紹介から質疑応答と問題点の抽出をし、
さらに出席者はグループ別に分かれ、
紹介事例の患者と栄養士との行き詰った会話を検討して問題提起し、
そこから
叩き台になった会話を元に事例を発展させて自分達で台本を作り、
聴衆の前に出てロールプレイをする、
というグループワークだった。


自分も含め参加者は皆、
保健師、看護師、栄養士、理学療法士、薬剤師など
各部門の医療従事者である。


グループで話し合って台本を作り、
配役を決め、演じ、解説をつけ、聴衆の質疑応答を受ける。
いきなり言われて制限時間50分。


皆で患者と栄養士それぞれの台詞を考え、
言葉の基である動機、疾患に対する理解度や危機感の度合い、
栄養士のアプローチの仕方、会話の方向性から
今後の糖尿病治療の継続と現状に対する打開策と課題を導き出す。


やっきりこいたわ。
難しくて。


初対面でありながら意見交換して役割分担を決め、
制限時間を意識しながらロールプレイの台本を作り、
実演し、質疑応答を受けるに、
皆てきぱきと各自の役割を合理的に遂行してんのね。
何時何処で参加しても医療従事者の集団というのはこうであるよ。
とにかく整然としてんの。


で、私は栄養指導を受ける患者役を演じた。
インシュリンを自己注射しながら家事をする、
病識の無い、糖尿病による合併症に対する危機感の薄い主婦の役。


育ち盛りの子供の味覚に食生活の照準を合わせて
子供と一緒になって焼肉やトンカツや鶏の唐揚げを連日食い続け、
HbA1cが9.0まで上がってしまい、
糖尿病性神経障害で足がもつれて転んだりしている。
最初の食事指導で「肉よりも魚」と栄養士に言われ煮魚を作ったが
子供が「魚キライ」と言って食べずに残したので
結局煮魚を全部自分で食ってしまって
日常で同じ事を何度も繰り返すうちに病状が悪化したという設定。


何だかね、
私が台詞言う度に聴衆がやたら笑ってんの。
腹抱えて。
終わった後、
何処かの病院の医療従事者から声をかけられた。


「お疲れ様でした。
 いやぁ面白かった。
 とてもよかったです。
 役者を目指しておられるのですか?」




・・・・・・・・・・( -"-)r=3



目指してどーするよ。(けっ)