ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

明日。

2007-01-08 23:31:30 | 信仰
兼ねてからの
じじの受洗に向けた学びの事で
明日の午後、
牧師先生が
わざわざじじ宅まで来て下さる。
私は仕事。
じじは教会が大好きなのだ。


教会が楽しくて好きだというだけでは
受洗の動機にはならない。


自分の誕生日を教会の牧師先生が祝福してくれる、
それがじじにとって
そんなに重大な意味を持っていたとは知らなかった。


何故なら、
父の生まれた家の親族も
私達家族も、
時期的なしきたりみたいな贈答の習慣はあっても
じじ個人の生まれた事を喜んで祝福する事は
誰一人した事がなかったから。


社交辞令や単なる慣習を含まない、
無条件の祝福を頂く事は
じじにとって初めて存在を喜ばれ、
祝福を受けた体験だったんだな。
今まで気づかなかったよ。
それがいかに重要かという事も。


これから
受洗が実現するまで
気を緩めることは出来ない。
誤解や躓きの元となるものを
全て片付け取り除かなければならない。
これからは
自分の父親ではなく一人の求道者として
関わっていかなければならない。


主なる神様のなさる事は不思議。
父という高齢者が
聖書や教義を何処まで理解できているかという次元を
はるかに超えた御手の業を感じる。


受洗の日が
来月の父の喜寿の誕生日になるか、
復活の日になるか、
或いは聖書の話や信仰の話にドン引きして
頓挫してしまうのか
どうなるのか見当もつかない。

じじには
聖書に親しんで欲しいと思うよ。


じじには
私でも牧師でも教会員達でもなく
イエス・キリストを見て欲しい。


これから先は
私には手出し口出し出来ない。
牧師先生にお任せしようと思う。


これを読んで下さるキリスト者の皆様、
明日からの
牧師と父との面談と学びが
御心にかなうものとなって
無事に受洗の日を迎えられるように
お祈りをお願いします。