ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

「規定ですから」

2013-05-30 23:47:46 | Weblog
午前勤務の後、MSWと面談して
全く現時点ではめどの立っていないじじの退院後の行き先について相談し、
自宅に戻って来たら入り口で管理人の方と行き合った。


私の父親が入退院を繰り返している事を知っていて声をかけてくれた。
うちのじじは一度退院したが老健で誤嚥して呼吸不全を起こし今また入院中だと
簡単に説明し、今さっき今後の退院先をどうするか相談してきたところだと言うと、
管理人さんは私に「ひどい世の中になったものだ」と言った。


「ひどい世の中になったものだ。
 俺の母親が先日転んで手を折って近所の総合病院に入院したら偶然癌が見つかった。
 一応治療するにはしたがもう90歳過ぎてるし治らない、退院してくれとと言われた。
 退院してくれと言われても手は折れてるし病状はどんどん悪くなっていて
 いつどうなるかも分からない状態だった。
 それでも規則だから退院しろと病院側が言ってきたので俺は頭にきて抗議した。
 今これから間もなく癌で死にそうな母親をさ、自宅に連れて帰ってどうするんだ、
 こんな状態で家でどうしろって言うんだ、頼むから置いてくれって。
 しかし“規定ですから”の一点張りでとにかく退院しろで押し通された。
 結局うちのおふくろは退院するも何も、それから数日で死んだ。
 さっさと死ねと言われたようなものだ。
 そりゃおふくろはもう90年も生きてて後は死ぬだけの年寄りだったけどさ、
 長居しないで済んだ、早く死んでよかったとでも言うのかと、
 あのでかい総合病院に俺は本当に腹が立った。
 規定だか何だか知らないが、病院てあんなものなのか?」


ひどい話だと思う。
しかし病院と言うものはそういうものになったんですとしか言いようがない。
現にうちのじじが昨年11月に別の総合病院に搬送され入院した時にも
私も同じ事を言われた。
「明日には退院して下さい。認知症の年寄りに長居されると困るんですよね」
と病棟師長は言った。
この地元に来る医者が居なくなった、これまで居た医者達が大都市の病院に転任して
どんどん出て行って居なくなった。
高齢の患者は決して減らないがみてくれる医師も看護師も足りない。
高齢者だけではない、若くても何でも早期退院の見通しの立たない長患いの患者、
長期入院になる可能性の高い患者は「規定のため」問答無用で出される。


私がこれまで在宅でじじを介護して来られたのはケアマネやヘルパー達の協力と
在宅でじじが病状悪化しても「万一の時はこうする」というノウハウを私が持っており
余り動揺せずに対処出来たからであるが、心身共にきつかった。
(それでもうちのじじの場合はごく稀な恵まれたケースであると言える。
 キーパーソンに職業経験があり、協力的なケアマネやヘルパー達に恵まれた。)


まして医療や介護の仕事でない一般の人々に、終末期の病状にある高齢者を
「規定だから」家に連れて帰れと言っても途方に暮れるのは仕方ない事だ。
「連れて帰れ」というからには家族が在宅で心細くならないだけのバックアップが
必要であり、それ無しに「規定だから」退院しろと言うのは
家族にとって患者諸共ただ路上に放り出されるも同然の気持ちがする。
人によっては仕事や病気や諸々の事情があって家で看取りたくても出来ない人も多い。
その場合も時間を設けてせめて病棟からMSWにつないで相談させ、
選択肢として他にも可能性ある事を提示し、自宅退院した後でもパニックに陥らないよう
「不安や分からない事は相談して」「万一こんな時はこうして」と
ノウハウがある事を知らせるとか、万一の時の相談を受け入れる体勢につないでおくとか
必要な援助をした上で自宅退院を促すならまだしも、何のバックアップも無く
ただ「規定だから退院して下さい」では家族にとってまさに丸投げである。


雨が降っていた。
管理人さんは私に漏らした。
「長い間一生懸命働いてきて最期がこんな終わり方、ひど過ぎる。」
在宅で家族が看取る方法が無い訳ではなかった、
心配や不安をその都度相談し解決しながら看取る方法が全く無い訳ではなかった、
と言ったとしてもこんな終わり方で親の最期を味わってしまった人に、
今更何になるだろう。


「あなたも大変だと思いますが頑張って下さい、親御さんお大事に。」
管理人さんはそう言って雨の中を駐車場に向かって歩いて行った。


そうなのだ。
明日は我が身。
医療からも介護からも「規定だから帰って下さい」「満床だから受け入れ出来ません」と
年寄も病人も弾かれる、今の時代。
先に死んだ者の方が幸せなこの国、今の時代。