詩篇 141篇
本篇は140篇といっしょに味わうとよいとの文章を目にしたことがあります。
ダビデには敵がいました。140篇は外敵から守ってくださるようにとの祈りだといえます。しかし、本篇ではダビデが自分の弱さ、もろさを自覚して主に祈っているのです。
外敵が自分を攻撃してくるということに際しても、急を要する祈りですが、ダビデが自分の内側(内面)への誘惑、攻撃を受けているのは、一層事態が逼迫していると言えます。なぜなら、このような攻撃によって、人はあっという間にひっくり返されてしまうからなのです。
ダビデは、ことばについての誘惑から守ってくださるように祈っています。人を貶(おとし)めることば、高ぶりのことば、… 私たちは常にことばによって結局は自分を追い込んでしまうような失敗をしてしまうのではないでしょうか。
⇒「舌を制することのできる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちています」とはイエスの弟であり、のちに教会の指導者の一人となったヤコブのことばです(ヤコブの手紙3章8節)。
またダビデは、私の心を守ってくださるようにと祈ります。この時彼は、不法を行う者とともに歩むという誘惑にさらされていました。おそらくこれは、彼が不法を行う者のやり方に倣(なら)うということを言っていたのかもしれません。「悪に対して悪を報いる」というのは、本能としては自然なことのように思えます。けれどもダビデはここで、それが自分への大きな誘惑「ごちそう」なのだ、その誘惑から守ってくださるようにと祈るのです。
さらに彼は、愛をもって自分を戒める人の助言に耳を傾けるようにと祈ります。偉くなり、権威を預かる者は、人の助言に耳を貸すことがむずかしくなります。これもまた、大きな誘惑です。直言されるとムッとしてしまうという体験をするたびに、自分の心の狭さやもろさを思います。