イザヤ書 7章
金曜日は月一度行われる家庭での聖書の会。昨日はルカ14章をいっしょに読みました。さまざまな感想が意見が出て活発な時でした。
ところで、この家庭集会には私たちも含めて電車やバスを用いるのですが、乗るはずの電車もいわゆる「間引かれた」ので、別のルート使いました。乗り換えの電車にちょうどのタイミングで乗ることができたのですが、車内のモニタで確認すると、なんと50分近くも遅れていました。当地の鉄道はどうなっているのだろうかと、またまた思う時でした。
イザヤ書7章は「インマヌエル預言」として知られています。インマヌエルとは「神が私たちとともにおられる」という意味です。そして、このことばは新約聖書マタイの福音書1章23節に、いいなずけの妻マリアの胎に男の子が宿ったのはイザヤ書7章の預言が成就したのだという神の使いのことばにあります。
この預言は、紀元前700年代の後期南王国ユダのアハズ王にイザヤを通して届けられました。この時、アハズは大きな恐れの中にありました。2節に恐れの理由が明らかにされています。「アラムがエフライムと組んだ」との知らせでした。当時の超大国は東方のアッシリア。アッシリアの侵攻に備えて、エフライム(北王国イスラエル)とアラム(シリア)が手を組んだのです。
エフライムはユダにもこの同盟に入るよう圧力をかけたのですが、ユダのアハズ王はアッシリアと組むことで北にある二つの国の圧力をはねのけ、さらにはアッシリアが攻め込んでこないはずと、考えました。
しかし、主はイザヤによって、ユダ王国は北の二つの国から攻め込まれることはないとの約束を届け、しるしを約束し、信じるようにとアハズに迫ったのですが、彼は神に信頼しないであくまでもアッシリアに頼ろうとするのです。
アハズが信じなかった、求めなかったそのしるしが「インマヌエル」なのです。「神がともにおられる」からアッシリアに頼るなとのメッセージを信じることができませんでした。
何事かが自分の身の回りに起こった時、「神が私たちとともにおられる」という確かな約束のうえに立つことができのが真の幸いなのです。