みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

わたしがゆずり

2017年11月10日 | エゼキエル書

エゼキエル書 44章15−31節

 あるお家での聖書を読む会に向かう途上、煮込んでいたシチューのスイッチを切ったかどうかで、「僕は切らない…」「私も切ったおぼえがないけど…」となって家に逆戻り。スイッチは切られていました。夕食のシチューはよく煮込まれていてとろとろの美味しさ! ごちそうさまでした。

 44章後半には、祭司についてのいろいろな規定が記されています。エゼキエルが見た神殿でも、ツァドクの子孫のレビ人の祭司たちが、主に仕えること。祭司としての務めの際の、さまざまな取り決め。これは、聖い神に仕える祭司もまた、聖くなければならないということを示しているのです。そして、祭司の生活は主が支えると約束されています。

 19節に、祭司が神殿の外庭に出るときには務めの式服を脱がなければならないという規定が示されています。その理由は「その服によって民を聖なるものとすることのないため」です。ここを新共同訳聖書は「彼らがその衣服で民に神聖さを移すことがないためである」と訳します。

 28節の「わたしが彼らのゆずりである」(新改訳2017)ということばを、きょうのタイトルとしました。ここを新改訳聖書は「わたしが彼らの相続地である」と、新共同訳聖書は「わたしが彼らの嗣業である」と訳します。地上に相続するものを持たない祭司の財産(所有)が主であるとは、よく考えると驚くようなことです。

 ここを読み、「神は彼らのために都を用意された」とのヘブル人への手紙11章16節のことばが浮かびました。


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