マタイの福音書 22章23−33節
昨日は、遠路おいでくださった方と近郊の小さな街を訪ねました。木組みの家並が残る旧市街地は、迷い歩きを楽しめる場所。小さな路地を抜けると、さっき通った路に出ます。アイスクリームで暑さをしばし忘れてから、空港までお送りしました。
街歩きで道に迷うのはむしろ楽しみの一つかもしれませんが、人生ではそうはいきません。ここでイエスに問答を仕掛けているのはサドカイ人たちです。彼らは復活はないと言っていました。そんな彼らは、「復活の際には…」と尋ねるのですから、不誠実な質問だと言えます。
それはまた、彼らがこの地上の繁栄や栄達のみに生きがいを見いだしていることも明らかにしています。復活などあるはずがなくこの世がすべてなのです。しかし、イエスの答えは彼らのそのような身勝手な妄想を打ち砕きます。「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」ということばがそれです。
神のこのことばは、アブラハムもイサクもヤコブもいなくなったのではないことを明らかにしています。これこそ、サドカイ人たちの考えを砕くものです。
イエスは「思い違い」「聖書も神の力も知らない」と彼らに言われました。人の勝手な思い違いを正すのは神のことばなのだと思わされます。永遠とは比べものにならない地上の人生に未練を残すならば、生きるか死ぬかという大切な真理を曇らせ見えなくしてしまうのです。