みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

あらゆるときに

2023年12月30日 | 詩篇

詩篇 34篇

 クリスマス礼拝後、子どもたちが朗読劇をしてくださいましたが、そのビデオがほぼ完成しました。毎日映像制作をしているわけではないので、忘れてしまったこともたくさんありましたが、徐々にコツをつかむようになりました。毎日映像を配信している人たちの大変さをほんの少しだけ味わいました。

 34篇のはじめには、追い詰められたダビデが頭がおかしくなったかのように振る舞った時という背景が明らかにされています。サムエル記第一21章10−15節に記されています。サウルにいのちを狙われていたダビデは、自国にいたのでは危ないとして、敵であったガテの王のもとに身を寄せます。それは、いのちを永らえるための恥も外聞もない行動でした。

 そのような事情を踏まえて本篇を読み進め、8節のことばに目が留まりました。「味わい 見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを」とあります。ダビデがイスラエルの勇士としてのプライドを脇に置いて、ぶざまにも敵地に逃れるという経験を通して、彼は主がいつくしみ深い方であることを知ったのです。

 私たちは、自分のかたちのようなものが崩れないようにと注意しながら生活しています。そこにも主の恵みは確かにあります。しかし、自分で自分が保つことができずに、あってはならないようなところに追いやられたり自分で追いやったりすることによってしか、味わうことのできない主のいつくしみがあります。

 そのようなことを考えますと、1節の「私はあらゆるときに 主をほめたたえる」という最初の賛美の中にある、「あらゆるときに」ということばの意味がより深まるのではないでしょうか。


目を注ぐ

2023年12月29日 | 詩篇

詩篇 33篇

 「みことばの光」に原稿を執筆してくださった師が召天されたとの知らせが届きました。数年前に詩篇全篇を一冊にするために執筆をお願いした時、「私にはもう時が残されていないから」とまとめて原稿をお送りいただいたことを、思い出しています。

 「主を喜び歌え」との呼びかけで始まる本篇。最初の段落には、主のことばがまっすぐであること、主のことばによって天と地が造られたことが歌われています。さらに9節には、「主が仰せられると そのようになり 主が命じられると それは立つ」とあります。これを書く少し前に、クリスマスに上演された子どもたちによる朗読劇をビデオに仕上げました。創世記1−3章をテーマにした作品です。何度も映像を見ているうちに、天地を創造された神のことばの力、真実を子どもたちの朗読を通して覚える時となりました。

 13節と18節に、「主の目が注がれる」ということばが繰り返されます。13節ではすべての者に主は目を注がれるとあり、18節では主を恐れる者に注がれるとあります。ことばによってすべてのものを、すべての人を造られた神は、造られた者たちの主だということが、13−15節から伝わります。15節の「主は 一人ひとりの心を形作り」ということばに目が留まります。人は自分の力で感じ、考え、何かを行う者だと錯覚しているのですが、そうではありません。

 18節からは、ご自分の民に目を注ぎ、顧み、助けを与えられる主の恵みが伝わってきます。信仰者であっても時に、誰も自分を顧みることはないと、孤独にさいなまされる時があります。しかしそんな時こそ、注がれる主の目を信じて歩みたいものです。


喜びが湧くところ

2023年12月28日 | 詩篇

詩篇 32篇

 配送の不在通知を見落としていたために、ずっと配達所に置いてもらったままになっていた贈り物を無事に受け取りました。行方不明にならずにすみました。ありがとうございました!

 32篇は1篇の出だしのように始まります。「幸いなことよ」と訳される語は、旧約聖書では31回用いられているのですが、そのうち21回は詩篇です。

 ここでは、背きを赦され罪を覆われた人の幸いを歌います。ここで自分を調べ、赦すのは主です。はじまりの部分を繰り返し読むうちに、これは大変なことだと思うようになりました。正しく聖い神が自分の咎を認めないというのはありえないからです。努力や才能によってではなくて、自分の罪を神の前で言い表わすことだけがそのためのたった一つの道。

 4節に目が留まります。「昼も夜も 御手が私のうえに重くのしかかり」ということばです。それはダビデが、神とのつながりを何よりも大切にしていたから、神との正しい、あるべき関係でありたいと願っていたからではないでしょうか。神がどなたなのかを知る者が覚える重さだと思うのです。

 自分の身を守るため、弱さを見せないために、誰かを攻撃して自分がどれだけ正しいか、相手がどれだけ愚かで問題に満ちているのかを暴こうとすることがあります。しかし、神の前に自らの罪を、そして醜さや弱さをさらけ出せるのは、じつは幸いなのだと、本篇を読んで考えました。

 5節にも目が留まります。背きを主に告白するなら、主は…赦してくださったと言います。ここを、十字架にかかられた御子イエスのお姿を見るようにして読みました。ここから喜び、楽しみが湧いてきます。


いつくしみは大きい

2023年12月27日 | 詩篇

詩篇 31篇

 クリスマス祝日の二日目、周囲は静かですが久しぶりに公園を歩くと、たくさんの人が歩いていました。このところずっと暖かな日々が続いています。久しぶりの美しい夕景でした。

 詩篇31篇でのダビデの主への訴えは次のようです。「決して恥を見ないようにしてください」「助け出してください」「救い出してください」「救ってください」「導き 伴ってください」「あわれんでください」「救い出してください」「御顔を…照り輝かせてください」「お救いください」「恥を見ないようにしてください」「悪しき者どもを辱めてください」「偽りの唇を封じてください」。

 彼には彼を唇で陥れようとする悪しき者が迫っています。救いは急を要します。しかし、ダビデは主の前に全き者として歩いていたのではありません。「あわれんでください」という願いがそのことを明らかにしています。10節には彼自身の咎が、力を弱めてしまっていると告白しています。

 さらに11節では、敵にそしられ、隣人には恐れられ、人々からは避けられると言っています。12節には、自分が死人のように「人の心から忘れられ」ているとまで告白しています。八方塞がり、孤独の中に投げ込まれていたのです。しかしそれでも、ダビデは主に祈ります。望みが天にあることを確信するゆえです。

 15節の「私の時は御手の中にあります」ということばに目が留まります。どのような時にも自分が主の御手の中にいるという事実が、彼を祈りに向かわせます。

 主のいつくしみは大きいのです。


恩寵ゆえに立つ

2023年12月26日 | 詩篇

詩篇 30篇

 クリスマスの月曜日、私たちは近くの川沿いを歩きました。水量が増えていて、この州に増水の注意報が出ているのがなるほどと思いました。長い間工事をしていた橋も完成し、初めて渡りました。もう自動車が通っても揺れることはありません。

 年末は詩篇を味わいます。本日は30篇。

 「主よ 私はあなたをあがめます」から本篇は始まります。そのわけは、敵が喜ばないように主が彼を引き上げてくださったからだと、ダビデは続けます。ダビデには敵がいました。敵は時に剣を手に迫ってきます。しかしある時には、神との関係にきしみのようなものをもたらすダビデを責めるという方法をとります。

 ですから、ダビデにとって何よりも大切なのは敵をどのように攻略するかということではありません。神との結びつきをあるべきものにすることです。5節の「御怒りは束の間、いのちは恩寵のうちにある」とは、彼が神の御怒りを受けるような状態だったのかもしれないと想像させます。7節に「あなたが御顔を隠されると 私はおじ惑いました」とあるのです。

 しかし、神の怒りや懲らしめはご自分の民が再び立ち上がるための愛に基づくもの。彼は自分の罪を告白し、神のご恩寵ゆえに、あわれみゆえに立ち上がることができました。

 教会の会報に掲載された一人の方の文章を読み、編集させていただきながら、あわれみ豊かな神をあがめました。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki