マルコの福音書 5章35−43節
お借りしている教会のホールにあるオルガン。鍵盤が1段の小さなものなのですが、オルガニストの方が弾くと美しい曲を奏でます。小さい割には、しっかりと音を出せるオルガンとのことでした。見直しました。
イエスとともに家に急ぐ会堂司ヤイロのもとに、絶望的な知らせが届けられました。娘が亡くなったのです。それならば、イエスに来ていただかなくてもよいという家からの使いのことばのとおりです。
この時のヤイロの気持ちについて、聖書は何も書いていません。ただ、私もここを読むたびにもう少し早かったならば…と思ったのではないかと想像します。もしかしたら、長血で苦しんでいた女性とのやりとりさえも、ヤイロの悲しみを大きくしたのかもしれません。
ところがイエスは、ヤイロに言うのです。「恐れないで、ただ信じていなさい。」
家からの使いだけでなく、周囲にいた人々だれもが、望みは消えたと思ったことでしょう。けれどもイエスは、その知らせには構わず、ヤイロにことばをかけられました。気休めでしょうか。そうではありません。
何事かが起こった時、私たちは解決のために知恵を尽くします。力も用います。そのようにすることで恐れが紛れるということもあるかもしれません。そのような時に、静かに神に信頼などできるだろうかと考えます。まだできることがあるのではないかと動き続けます。しかし、死はそのような努力が空しいという事実を突きつけます。
「ただ信じていなさい」とのことばは、私の心に響きます。じたばたするな…と。