みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

母のように、父のように

2021年01月30日 | テサロニケ第一

テサロニケ人への手紙第一 2章1−12節

 午後に外に出かけましたが、帰ろうとしたら雨。雨宿りしようかとも思いましたが、出発。結構雨に打たれた後、西の空には青空が…。15分ぐらい待っていれば雨に打たれることもなかったのにと反省しました。でも、負け惜しみではありませんが、フードもかぶり雨の中を歩くのもいいものですね。一日のうちにくるくると天候が変わります。

 テサロニケの教会はパウロの2度目の伝道旅行の中で、彼の働きによって誕生しました。このことについては、使徒の働き17章1−10節に書かれています。パウロがこの町に滞在したのはそれほど長くではありません。17章5節に「パウロは、…3回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った」とあります。その間に福音を信じた人々がテサロニケ教会の初めとなったのです。

 パウロたちが長い間テサロニケに滞在できなかったのは、ユダヤ人による迫害です。1テサロニケ2章2節でパウロは、テサロニケの前に訪ねたピリピでも激しい迫害に遭ったことを書いています。テサロニケに来た時の様子を「激しい苦闘」ということばで表しています。彼は、だからといって口を閉ざしはしません。その中で神の福音を伝え、その結果イエスを主と信じる教会が誕生したのです。

 迫害があるからといって口を閉ざしたり語るべきことばに混ぜ物をすることなく神の福音を語る、使徒としての権威を振りかざさずに母親のように人々をいとおしく思うパウロ。一方で彼は、自分がまさに経験している迫害の中にあってもしっかりと福音を信じるように、父親のように厳かに語ったと語ります。

 福音をゆだねられた者のあるべき姿をここに見ます。


神のことばが響き渡る

2021年01月29日 | テサロニケ第一

テサロニケ人への手紙第一 1章

 集うことが難しい中(今は訪問は一人だけという制限下にあります)で、昨日はいっしょに礼拝をしている方と久しぶりに電話で話をしました。お二方ともお元気そうで何よりでした。「ちょっとお茶でも…」ということもできないので、これは大事な時ですね。今はネット環境がある場所なら、世界中どこへでもビデオ通話ができるのですが、顔を見ないで話すとかえって相手の方のことをいろいろと想像できて、良いのかもしれません。

 今は用件があったら、電話、いや、SNSで即座に…という時代ですので、何かの用事があって郵便物が届くというのは請求書か役所からの手紙、ダイレクトメールがほとんどかもしれません。しかし少し前までは互いの消息の確認を手紙や葉書でしていました。新約聖書が描く時代の通信手段といえば手紙でしょうか。しかも、手紙は親しい人などによって運ばれ手渡しされていました。手紙を書き、それが届き、そして返事が返って来るまで、いったいどれくらいの時間がかかったのだろうかと想像してしまいます。

 テサロニケ人への手紙は、書き出しにあるように使徒パウロが今のギリシアにあるテサロニケの教会に送った手紙です。この地に教会ができたのは、パウロたちによるいわゆる第二次伝道旅行によってです。これについては「みことばの光」1月号の「テサロニケ人への手紙第一を読む前に」に詳述されていますので、お読みください。

 生まれたばかりのテサロニケ教会のことが心に掛かっていたパウロは手紙を送ります。その初めの章でパウロは、この教会の素晴らしい信仰を喜び神に感謝しています。その中に、「主のことばがあなたがたのところから出て、…響き渡った、…あなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっている」とのパウロのことばがあります。パウロは何も言う必要はないとまでいうのです。それは、大声で神のことばを伝えたということによるのでなく、彼らの生き方、歩みがそうさせたのではないかと、考えます。


それは成功しない

2021年01月28日 | 民数記

民数記 14章26−45節

 12月初めに痛めた左肩の診察で、ようやく専門医を受診できました。改めてレントゲンを撮り、それをもとに医師が症状について、そして今後の方向をいくつか示してくれました。理学療法と肩の筋肉を付けるための体操、当座の痛みを和らげるための注射、さらに手術…。選ぶのは私なのだと、今さらながら思ったことです。しかし、これまで不安が時々心をよぎっていましたが、受診することによって心が定まりました。

 約束の地を目の前にして、神への信仰を投げ捨てて恐れ、パニックに陥ったイスラエルの人々への神のさばきが宣言されました。それは厳しさとあわれみとに満ちたものです。この時ここにいた大勢のイスラエルの民のうち、約束の地に入ることができるのはカレブとヨシュアだけ。モーセもアロンもはいることはできません。このことばをモーセはどのような思いで聞いたのでしょうか。

 しかし、子どもたちは約束の地に入ることができるのです。ただし、この時の世代が荒野で屍をさらし終えるまでに40年を経なければなりません。34節の「咎を負わなければならない」というのは重いことばです。そして、12人の偵察隊のうち不信仰の種を蒔き散らすような行動をした10人は疫病で死にます。

 さばきの宣告を聞いた後の民は、嘆き悲しみます。罪を嘆き悲しむのはあるべき姿ですが、彼らの嘆き悲しみは神の前でのものではなくて、自分たちの夢が崩れてしまったことゆえのものだったようです。神に立ち返る機会が目の前に与えられたのに、彼らはここでも信仰によらない行動に走ります。

 モーセの「それは成功しない」とのことばが目に留まります。神の民が信仰によらずに動き出したことは成功しないのです。


神のことばを盾に祈る

2021年01月27日 | 民数記

民数記 14章1−25節

 感染症の脅威ゆえに、私たちの生活は大きな変化を強いられました。何度も書いたことですが、当地でマスク着用の人を日常の光景として見るなどということは想像もしませんでした。見えないウィルスが気づかないうちに人から人へと感染して行く力と、それを食い止めようとする力との戦いが繰り広げられているのです。

 神が選び、約束の地を与え、その地に向かって奴隷の家エジプトを出たイスラエルの人々。荒野の旅が無事に目的の地までたどり着くために求められていたのは、彼らの知恵でも力でも富でもありませんでした。神の約束を信じて従う信仰でした。

 しかしここで彼らは、その肝心要(かんじんかなめ)なものを手放してしまうのです。それにしても、1節の「全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした」とは想像もできないほどの描写です。不信仰はたちまちのうちにイスラエルの全会衆へと広がって行った様子がここに描かれています。

 そのような中、神への信仰にとどまるようにと懸命に話すヨシュアとカレブの姿は際立ちます。だが民は信仰に立つ者たちのいのちを奪おうとします。その時主の栄光が現れたとあります。この箇所で心に留まるのは、民のためのモーセによるとりなしです。17節で彼は「あなたが語られたように、…あなたは言われました」と言い、二度目にシナイの山の上で十戒の石の板を主がお授けになったときに語られたことばをもって、この不信の民を何とか赦してほしいと願うのです。神のことばを盾にして、考えられないようなことを神に祈りました。

 このように祈るモーセの姿のずっと先に、ゴルゴタの十字架の上で「主よ、彼らの罪を赦してください」と祈るお方が見えています。

*写真:2020年1月 日本で


同じものを見ても

2021年01月26日 | 民数記

民数記 13章25−33節

 いつものスーパーで、いつものハムを買い求めると、薄く切ってくれたお店の人が「端をおまけしておくから…」と言って包んでくださいました。帰宅して包みを開くとびっくり! 大きな端っこです。おまけが何かではなくて、くださった方の心がとても嬉しかったです。

 四十日の偵察旅行を終えて戻って来た偵察隊は、モーセとアロン、それに全会衆に偵察報告をしました。神が約束したとおりに乳と蜜の流れる素晴らしい地であるということと、そこに住むのが強く大きな人々だったというのが報告の内容でした。28節の「力が強く」、「町々は…非常に大きく」などということばは、彼らの恐れを伝えています。

 定住し、城壁を巡らして町に住む人々の姿は、荒野の旅を続けているイスラエルの人々の目にはうらやましく、より強く映ったのでしょう。カレブが「民を静めて言った」ということばから、報告を聞いた人々が動揺していたことが分かります。

 カレブも、そしてヨシュアも偵察隊員として同じものを見たのですが、上って行き勝利しようと言います。二人が特別に強かったのでしょうか。いいえ、彼らは主が自分たちの民にこの地を与えると約束しておられたことを信じていたのです。

 目で見える大きな困難を前にして、神への約束を信じることができなくなってしまうと、たちまち恐れ不安に支配されるという自分の姿をここから見ます。


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