詩篇 136篇
束の間の一時帰国を終え、このブログをお読みの頃は帰路にあります。この間、いろいろな方とお目にかかれて感謝でした。
詩篇135篇と136篇は、主を賛美せよとの勧めと主に感謝せよとの勧めとがそれぞれの主題になっているので、兄弟のような関係にあると、きょうの「みことばの光」に書いてあります。まるで「合いの手」のように入る「その恵みはとこしえまで」ということばとともに、この詩篇の作者は神に感謝するようにと呼びかけています。
人は誰に、何を感謝するのだろうかということを、この詩篇は私たちに問いかけているように思います。感謝は、「ありがとう」というように言い換えても大きく意味を違えるということはないでしょう。
神が私たちが生きるための環境を整えてくださっていることに、歴史の中で自分たちを守り導いてくださっていることに、のけ者にされ孤独の中に投げ込まれた者をみこころに留めていてくださることに、日ごとの糧を与えてくださることに、……ここにあるのは、数え切れないほどの神への感謝のほんの一握りなのかもしれないと思わされます。
人間同士は「ありがとう」「感謝!」ということばを交わしていながら、私たちの存在のかなめであられるお方には、「感謝」しないということが何と多いことでしょう。それとともに、神への感謝をする者が人への感謝を忘れてはならないということについても、考える機会となりました。