この程、『磐南文化』43号が発行された。私は「見付宿丹後屋忠七の維新後」
を書いた。これは同誌41号で書いた「東海道見付宿と相撲」の続編で、忠七の
明治になってからの動静である。丹後屋は見付宿の旅籠屋の主人で、横綱雲竜
など多数の相撲関係者と交わり、相撲興行の世話もした。娘が当地に嫁がせた
時に持たせた多数の相撲関係の書状や、山本琹谷画の関取道中図は私の所蔵と
なっている。その丹後屋の明治になってからの動静が判明したので、続編を書
いた。(写真は43号の表紙と、下は42号の表紙で、当地の山分熊右衛門を私が
書いたものである。)
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