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だらだらと18歳の半世紀

2024年03月05日 | 雑記帳
 町広報の出生児欄「お誕生おめでとう」に3月は10人も並んだと、家人が驚くように言う。町内の新生児数は年度で50人前後に落ち込んでいるはずだから、一ヶ月分の届け出としてはかなり多い。率直に嬉しい。隣市ではかつて一町だった矢島が4人、東由利1人(どちらも年度内)と衝撃的なデータが出た


 調べものをしていたら、本町で新生児数が200人をきったのが1992年だった。それから30年以上の時が経ち、少子化打開は待ったなしの声は大きく聞こえる。しかしそれは、ずっと前から繰り返されてきたはずだ。犯人探しは意味を持たないが、中央と地方の格差(隔差)進行経済優先志向は確実に下地にある。


 見事にめでたい誕生日前日の雪模様2023.3.4


 と理由づけし、ではオマエは何を…と自問すれば、そこに加担していないと断言はできない。結局、先に生きてきた者の姿の反映が今を作りだしたはずだから。明るく思えた未来の方へ向かった者は、その光の先に何が待っているのか考えなかった。いや、向かう足取りが浮かれていた、慎重でなかったと言うべきか。


 実際「明るい未来」なんてものは、いつの時代も誰一人保障することができなかったはずだ。そこには煽った者がいてそれに多く従って…。今、天災やウィルス感染は予断を許さないし、近隣諸国への侵攻さえ現実味を帯び、不透明さだけが募る。株価の上昇もどちらに振れる予兆なのか、見えてこないのは私だけか。


 何だか訳も分からず駄弁を書き連ねた。さて、かつて教頭として務めた隣市の学校で給食を一緒に食べる2年生と会話を楽しむのが常だった。その時「18歳です」と生物学的年齢を30歳も偽ってお相手したのだが、あれからさらに20年が経とうとしている。それにしても全然進歩しない「18歳」だと苦笑している。


 半世紀前、進学で実家を離れるひと月前ほど、いったい自分は何を思っていたか朧げだ。希望も不安もあったろう。その意味では今も同様。手にした天童荒太の新書にこんな一節がある。「人生は長いのではなく、長くするもの」…もはや十分に長いか。いやもっと長くすればきっといいことがある、と信じたい誕生日。


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