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宿題購入の損得勘定

2017年09月05日 | 教育ノート
 「宿題が買えちゃう時代」…それでいったい何が欲しいのだろうと、思いを巡らしてみた。一つには「時間」ということがあろう。つまり、読書感想文とすれば、具体的には、その本を読む時間、そして文章にすることを考える時間ということだ。確かに結構な量の時間で、時給の最低賃金レベルで買えれば安いか。


 実際に「時間」が得なのは子どもということになるが、買い手は親なので、それにつき合う?時間も入ることになるだろう。もう一つ考えられることは「安心」だ。課題を出さないであれこれと連絡や指導をうけたりすることがない、出すことによってクリアして、ストレスなく暮らせるということだ。こちらが主か。



 では逆に「買ったことによって失ったのは?」と問いを立ててみる。それは言うまでもなく「読む」「考える」ことだ。子どもは本との出会いの機会を失った。とはいえ、そもそも「読みたい」という気持ちがないのだから仕方ないではないか、となる。その通り、まずそういう読書意欲を身につけさせることが先決だ。


 その意欲は、どこでどうしたら身につくのか。学校、家庭それぞれで為すべきことは何かを考えさせられる。これは「考える」も同様。もちろん、「自主的・自発的」が望ましいが、意欲は強いられて発露する場合もあるし、そもそも学校という機関が、その強制性に支えられているのも現実だ。失ったものはまだある。


 「読む」「考える」行為の代替による、困難さへの耐性とでも言おうか。逆に「金でなんでも買える」価値観が膨らんだとも言える。お金で「安心」を買うことは悪いことではない。例を出すまでもない。しかし、買おうとした「安心」が限りなく刹那的であることに気づかねばならない。「心の教育」…旧い言葉が浮かぶ。