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そこに「希望」はありますか

2017年09月27日 | 教育ノート
 「あっ、その言葉」と思った。東京都知事が最近会見などで連発するというアウフヘーベン」。学生時代に活字として見たかもしれないが、研究者でもない限り使わないだろうから、出会ったことのない言葉と言ってもよい。しかし教職に就いて間もない頃、何気なく読んだある文章で輝きを放つように目に留まった。



 それは国語関係の冊子(地域文集のはずと思い書棚を漁ったが見つからなかった)に載った、K先生の文章だった。「アウフヘーベンすべきこととして…」のように書かれていた。こんな言葉遣いをする教師が身近にいるんだという驚きと、その言葉の意味が目指す「志」が響いてくるようで、妙に印象に残っている。


 日本国語大辞典にはこう記してある。「弁証法の基本概念の一つ『否定する』『たしかめる』『保存する』という三つの意味あいを含めて物事についての矛盾や対立をより高次の段階で統一すること」身近な問題として、教育実践と文集づくりに対する疑問が生じた頃だったように思う。擦り合わせのためのヒントを得た。


 その後、アウフヘーベンの意識がずっと続いていたわけではないが、教育の仕事に関して、かなり有効な概念かもしれないと今さらながら感じる。ざっくり言うとここ十数年、学校教育の実状はダブルバインド(二重拘束)の様相を呈している。そこからの完全脱出は極めて困難であり、ベターを探り続けるしかない。


 それはどちらに偏るといった選択ではなく、目の前の子どもの現実と職業人としての矜持、さらに一個の家庭人として事情も含め、考慮されて形を成していく。肝心なことは単なる妥協ではなく「止揚」であるために、問題所在をしっかり把握し、より高次な目で認識することだ。それを忘れては「希望」はなくなる。