スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&理性と狂気

2024-03-16 19:07:09 | 地方競馬
 昨日の第35期女流王位戦挑戦者決定戦。対戦成績は伊藤沙恵女流四段が8勝,加藤桃子女流四段が16勝。持将棋が1局。これはNHK杯の女流予選が公式戦であった当時の記録を含みます。
 振駒で加藤女流四段の先手。伊藤女流四段の雁木模様に先手は急戦を仕掛け,後手も反発していきました。途中で千日手模様となりましたが後手から打開しましたので,後手は模様がよいと思っていたのでしょう。
                                      
 この局面は☖6五桂から攻めていくのも有力そうですが,居玉を解消して☖4二王と上がりました。先手の☗3四歩に対して☖2四歩と銀を受けたのですが,たぶんこの手が問題だったのだと思います。
 先手は☗3三歩成☖同王と引っ張り出して☗2五飛を決行。☖同歩☗1五角☖4四王に☗3七角と成銀を取り,はっきり有利になりました。
                                      
 この手順に進むなら☖2四歩ははっきりと損。☖2四歩の局面では☖3四同金と取るほかなかったのではないでしょうか。
 加藤女流四段が挑戦者に。女流王位戦五番勝負には第31期以来の出場。第一局は来月24日に指される予定です。

 デカルトRené Descartesの哲学では,理性ratioによって欲望cupiditasを統御することが求められています。求められるということは,当然ながらそうしたことが現実的に存在する人間に可能であるということです。欲望と狂気を等置することは危険かもしれませんが,フーコーMichel Foucaultがいう狂気を理性によって統御することをデカルトが求めているということは疑い得ないのであって,その点ではデカルトの哲学では理性の地位が相対的に上昇し,それに伴って狂気の地位が相対的に降下しています。というより,デカルトは理性を全面的に肯定し,狂気については全面的に否定しているといってもいいでしょう。
 『はじめてのスピノザ』で示されているように,デカルト以降の近代,これは僕たちが現に生きている現代も含みますが,そこではこのデカルトの思想がオペレーションシステムとなって,社会societasが回っているのです。ですから現代社会においては,理性が全面的に肯定され,狂気は全面的に否定されるようになっています。だからデカルトが理性および狂気について近代あるいは現代に与えた影響というのは,きわめて大きなものであったということができると僕は考えるのです。
 スピノザの哲学でも,理性はそれ自体でみるなら全面的に肯定されているといっていいでしょう。しかし,理性によって狂気を統御することをスピノザは求めません。スピノザは狂気を理性によって統御することは,現実的に存在する人間にとって不可能なことだと考えているからです。たとえば第四部定理一がいっていることは,ここでの文脈に照合させれば,現にある狂気は理性によって除去することはできないし,理性は狂気が発生することを妨げることはできないというように解せるでしょう。また,第四部定理七でいわれていることをここでの文脈に合わせれば,現にある狂気を抑制したり除去したりするのは,その狂気とは別の狂気であるというように解することができるでしょう。ですから,理性を肯定し狂気を否定する点ではスピノザもデカルトと同じであるといえるのですが,スピノザの場合は理性は狂気に対しては直接的には無効であるとしていて,狂気の居場所が理性と共に確保はされているのです。
 

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