スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ソニンク&汎神論の意味

2017-10-28 19:31:31 | 血統
 15日に秋華賞を勝ったディアドラは祖母が1996年にイギリスで産まれたソニンクという馬です。ファミリーナンバーB3。Soninkeはガーナに起源を有し,現在はソマリアとマリの内陸部に住む民族名。
                                     
 繁殖生活は日本でのみ送りました。かなり優秀で2番仔は2歳時に重賞2着で古馬になってから準オープンを勝利。
 3番仔も準オープンを勝利。繁殖入りして昨年のデイリー杯2歳ステークスと今年の函館スプリントステークスを勝っている現役のジューヌエコールの母となっています。
 5番仔は皐月賞トライアルのオープンを勝ち,重賞でも2着1回,3着1回。
 6番仔に2011年にエルムステークス,2012年にダイオライト記念,2013年に浦和記念,2014年に佐賀記念を勝ったランフォルセ
 8番仔に2011年にアーリントンカップ,2013年にカペラステークス,2014年に東京スプリントさきたま杯東京盃,2015年にさきたま杯を勝ったノーザンリバー
 1番仔は競走生活は送れなかったのですが,2009年のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出されたロジユニヴァースの母になりました。
 7番仔は4戦未勝利。この馬がディアドラの母です。
 日本で最初の産駒が産まれたのは2001年。この馬は競馬には未出走ですから産駒が最初にレースに走ったのが2004年。それ以来だと13年でこれだけの成績を残したことになります。牝馬の割合も多いので,まだまだ繁栄し続けていく一族となるでしょう。

 スピノザの哲学は内在論なので,それが汎神論といわれる場合にも,内在論的な観点からいわれるのでなければスピノザの哲学に対する正しい評価であるとはいえません。そしてこの場合に,スピノザの汎神論への批判は,無神論への批判へ通じる道になります。すなわち内在論とは神Deusを自然と同一視する思想であり,神が内在的原因causa immanensであって超越的原因ではないということは,神のうちに生じるすべての出来事が自然法則によって説明されるのだから,それは実質的には無神論であるとみなすことができるからです。とりわけ第一部定理三二系一から明らかなように,スピノザは神に自由な意志voluntasを認めません。しかし超越論的な神はおそらく意志の自由によって行動するagereのであり,たとえば意志の自由によって奇蹟miraculumを起こすのです。つまり意志の自由という観点からも,スピノザの汎神論は無神論という意味に直結するのです。
 しかし,神を超越的存在と解した場合に,汎神論的な視点が消え去ってしまうのかといえば,必ずしもそうとはいいきれません。第一部定理一六に示されている事柄の一部は神学的観点からも是認されなければならないからです。仮に神が意志の自由によってすべての事柄を創造しまた創造しないとしても,すべてが神の意志のうちにあるという意味ではそれは汎神論といえなくもないからです。実際には汎神論という語は無神論を意味し,したがって否定的な意味合いを有しているのですが,これを考慮の外においてフラットな意味で解せば,汎神論が必ずしも否定的な意味を有さなければならない理由はないと解することも可能だと思います。
 このように汎神論という語の意味について考えるのは,大槻が『若きウェルテルの悩み』の一節にスピノザ的汎神論の影響があるというとき,果たしてその意味が確かにスピノザの哲学において真の意味である汎神論であると前提していいのかどうかが僕には不明であるからです。もし大槻がそれを正しく解しているなら,その一節が汎神論の影響下にあるということを僕は否定します。しかしそうでなく,何らかの別の意味でそれを解しているのなら,大槻がいっていることが絶対的に誤っているとは僕はいいません。

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