スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ダービー&否定の否定

2010-05-30 18:33:53 | 中央競馬
 ここ数年の日本の競馬は牝馬によって牽引されてきました。しかし今年の3歳は牡馬復権の世代になりそうな予感。現時点でのその頂点を決定するのが第77回日本ダービー。ダノンシャンティが骨折のために取り消し,17頭で争われました。
 ペルーサが出遅れ。外からシャインがいきましたが先手を奪ったのはアリゼオ。コスモファントムの3頭で後ろを少し離しました。ヴィクトワールピサは好位の内。ペルーサは後方3番手あたり。最初の1000mは61秒6。スローペースは予想されましたが超スローペースとなったため,折り合いに苦労しているように見受けられた馬も多かったです。
 ペルーサはペースもあって向正面から漸進していき,中団の外で直線に入りましたが伸び脚は見られず。ちょうどペルーサが上がってきたあたりに位置し,最も折り合っているように見えた1頭のローズキングダムが先頭に立つと,ほぼ同じ位置にいたエイシンフラッシュがその1頭内から追撃してきて,これを差し切って優勝。ローズキングダムが2着で,十分には折り合えなかったように見えたヴィクトワールピサが内から2頭目を捌いて3着を確保。
 優勝したエイシンフラッシュは正月の京成杯で重賞を制覇した後,皐月賞まで休養して3着。最もローテーションにゆとりのあった馬で,それが最後の爆発力につながったのかもしれません。今日はほとんど直線だけの競馬というレース形態となり,おそらく総合力より瞬発力を問われるこういう競馬の方が向いているのでしょう。
 騎乗した内田博幸騎手,管理している藤原英昭調教師ともに昨年末の東京大賞典以来の大レース制覇で,ダービーは初優勝となりました。

 ここまでのことから,僕たちが排尿という運動motus自体の観念ideaを精神mensのうちに想起する場合には,これを否定するnegareような意志作用volitioが同時にあることはできないということが経験論から明らかになりました。いい換えれば,僕たちは自分の身体corpusの排尿という運動を精神のうちに想起する場合には,排尿を我慢すること,つまりこれは排尿の否定negatio,厳密にいえば失禁の否定かもしれませんが,失禁も排尿の一種ですから排尿の否定という意味では同様で,それを否定するということになるのです。
 一般論としていうならば,Aの否定の否定ということが,すぐにAの肯定affirmatioとなるとはいえません。僕もそのように考えますし,これについては論拠を提示することはできませんが,おそらくスピノザもそのように考えるconcipereのではないかと思います。したがって,排尿の否定の否定が僕たちの精神のうちにあるということが,排尿の肯定が僕たちの精神のうちにあるということに,ただそれだけで直ちに結び付くとはいえないかもしれません。しかしこの場合は,いささか異なった事情もあるように思えるのです。
 排尿という運動自体は,人間の自己保存の法則に則した運動です。したがって,自分自身の身体の場合でも,あるいはもっと一般的に人間の身体humanum corpusすべての場合でも,それに対して排尿という運動を僕たちは肯定します。すなわち,排尿の否定の否定は直ちに排尿の肯定を意味するものではないかもしれませんが,少なくとも僕たちの精神のうちには,こうした種類の排尿の肯定があるということ自体は疑い得ないのです。
 このような排尿を肯定するaffirmare意志作用が,自分自身の身体であれ人間の身体であれ,そうした観念なしにあることができないのはいうまでもないことであり,とくに説明の必要はないでしょう。しかしもしも僕たちの精神のうちにこうした種類の排尿の観念が存在する場合には,自分の身体に対しであれ人間身体一般に対してであれ,それが自己保存の法則に適合している以上はそれを肯定することなしにあることはやはりできません。しかもこれを否定するような意志作用は,この場合にはあることができないと結論付けられているのです。
 よってこのように考える限り,確かに経験的にも排尿の観念とこれを肯定する意志作用というのは同一のものであるということができるのではないかと思います。
コメント
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