曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2016年11月21日〜27日

2016-11-30 | 日記
11月27日(日)
「ひまわりの種@自宅建物下」

朝から入試。家には、ネズミ駆除の業者の方が再訪。建物内の餌はそのままだったけれど、外部にセットしていた餌に食べた跡が。建物内には入ってきていないみたいだけれど、どこで暖をとっているのか。。。


11月26日(土)
「スカイツリーの風景@東天紅(湯島)」

数年前に竣工した綾瀬駅前の建物の施主にお招き頂き、関係したメンバーが再開して会食。スカイツリーのみえる部屋で、楽しい時間。いろいろとうれしいことも重なった。


11月25日(金)
「広瀬通のイチョウ@仙台」

午後から仙台。広瀬通のイチョウが紅葉している。中央分離帯(写真左手)の列は、道路拡幅のために来月からは伐採がはじまるらしい。。。


11月24日(木)
「雪@自宅」

明るくなるにつれて、雨が雪に。この季節に雪が降るとは。しかも、結構な降り方。大学ではブルースタジオの大島さんにレクチャーをしてもらう。社会への向き合い方がつくり出す建築家像が浮き彫りになる、大変興味深い時間だった。


11月23日(水)
「某プロジェクトモックアップ(部分)@研究室横のテラス(神奈川大学)」

休日だけれど大学。とあるプロジェクトの追い込み。まさにつくりながら考える


11月22日(火)
「工事用仮設@神奈川県立歴史博物館(馬車道)」

長期改修工事期間に入った歴史博物館。外周まわりに二重にベースが置かれている。どうなるんだろう。


11月21日(月)
「テンセグリティー@研究室(神奈川大学)」

成り行きで、テンセグリティをつくってみる。マスキングテープで留めただけ。数分で崩壊。





イタリア中南部地区別メモ

2016-11-27 | 日記
イタリアから戻って、そろそろ一ヶ月。次々とやってくる雑務でイタリアでの情報をアップできていなかった。。。
今後の資料(検索の見出し)として、日程と関係無く、都市ごとのメモのみをアップ。


イタリア中部地震エリア/南から
ラクイラ

2009年4月のラクイラ地震(M6.3)後の復興まっただ中。アッシジの聖堂は3年で復旧したらしいが、ここではようやく修復工事用に足場がかかったところ(写真左手)。保存活用向けのパーツの修復スペースなどが公開されていたり、仮囲いに復旧作業手順が描かれていたりする。街の中心の東西300m×南北600mくらいのエリアでは、至るところで工事が進められている。



その範囲をちょっと外れると、外周を金属や木枠で補強しただけで、手が入る気配のない建物も多い。何時になるかは判らないけれど、倒壊はしないようにしておこう、ということか。この地震は、本震前に、群発地震があったのに対して「大きな地震に繋がる可能性は低い」と発表した大学の専門家たちが、有罪判決(6年の実刑と公職追放)になったことでも知られる。


アマトリーチェ

マトリチャーナの起源でもある食の街。8月24日の地震で甚大な被害を受けた。アマトリーチェ周辺の小都市を含め、被災したエリアが点在していて、多くの集落では街の入口を軍が管理していて近づくことができない。一方、建物の瓦礫が埋められていない限り、道路そのものが被災して車が走れなくなっているところは、ほとんど無い。



アマトリーチェでは、入れるのは学校や商店などが建つ大通り沿いまでで、その奥は立ち入り禁止になっている。北西に位置する市街エリアには入れない。小さな建物が並ぶ集落の内部は、壊滅的な被災をしているようだ。石積みの古い建物で残っているものもあれば、LGS下地のみえる比較的新しそうな建物で倒壊しているものもある。


ノルチァ

震源には近かったにもかかわらず今年8月24日の地震(M6.2)での被害が小さかったことで、耐震補強対策の有効性が話題となった街。しかしながら、アマトリーチェなどの被災状況を見たあとに見てみると、いくら耐震補強対策をしていたとはいえ、同じ揺れが襲ったとは思えない。



実際、10月30日の地震(M6.5)では複数の建物が倒壊したようだ。直径400mくらいの旧市街は東側の半分が城壁で囲われている。黒トリュフで有名らしいが体験せず。写真は、いずれも8月末の被災後に応急処置をしたと思われる建物。


アッシジ

1997年9月のウンブリア・マルケ地震(M6.4)でサンフランチェスコ聖堂のドーム(写真の塔の奥側)が崩落したらしいが、街の様子からは被災の過去は感じにくい。ロッドの補強が随所に見られる。夕食中のレストランでも揺れた(10月26日。M5.9)けれど、店の人もなれた様子。



翌朝、石墨がそのまま内装に現れる素朴な印象のサンピエトロ教会に行ってみると、神父さんが床を掃除している。みると、細かな石粒が落ちている。前の晩の地震のせいか。


ローマ近郊の山岳都市/北から
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ

死にゆく町と呼ばれている小さな町。東西に長いバーニョレージョ市街エリアの東側に、谷を隔てて橋で繋がれる。紀元前から中世くらいまでは栄えていたらしいけれど、14世紀以降の度重なる地震、地滑り、地盤沈下で、地面ごと失った建物もあり、ついには町を繋ぐ道まで崩落して衰退の一途を辿っていた。20世紀前半にはレンガのアーチ橋もあったみたい。東西に200m、南北は100mもない。



1965年に歩行者専用の橋が繋がって、観光化に成功(日本のガイドブックではあまり見ないけれど、たくさんの中国人観光客が集まっていた)。住民は少なそうだけれど、レストランとかは割とある。宿泊も可能みたい。テレビのピノキオの舞台っていう看板があった。ホタルノヒカリでも登場するとか。


カルカータ

絶壁の岩盤でできた丘のトップを集落が覆う。その町にアプローチする直前で町を俯瞰できる視点場があるので、いやがうえにも気持ちは盛り上がる。旧市街には関係者以外の車は入ってはいけないみたいだけれど、中のレストランの前の駐車スペースには止められる。地盤に不安があって90年代までの50年間以上、住んではいけない地域として指定されていたらしい。それが解禁されて、ヒッピーやアーティストが住み始めて地域として再生したとか(年代などが今ひとつハッキリと判らない。。。)



アーティストの工房や雑貨を売っている店などもある。外階段では、元ヒッピー?らしきオジサンが新聞を読んでいたり。絶壁の岩のくぼみに小さなテーブルセットがおいてあるレストランも。あらゆる地形が使い倒されている。直径100mよりも一回り小さい。新市街は少し離れた東側。


アンティーコリ・コッラード

バーニョレージョとカルカータはローマから北。ここは東に50kmくらい行ったところ。岩山の山頂にある山岳都市としては大きめ。19世紀に画家たちのモデルとなった住民たちが住んでいて、この地域自体の風景にも惹かれてアーティストが集まったことを起源に、美術の街としても知られている。カルカータの美術との関係とは少々異なる。



ヴィッレ広場。この広場の北西側が旧市街で、南東側に新市街が接続。旧市街は南北200m東西100m弱。宿があるのは旧市街の北の外れ。広場に面してバーと食堂とスーパーなどが各1つずつ。バーの前では、暗くなるころまではおじさんたちが、暗くなってからは若者たちがトランプ。ホテルの女性が「みんな貧乏」って言っていたけれど、物価も安い。


南イタリア山岳都市/西から
オストゥーニ

有史以前からの記録が残る歴史ある街。直径250mくらいの丘全体が旧市街。北側の2/3程度が城壁で囲われる。ライムストーンでつくられた建物は、15世紀のペスト流行への対応で衛生感を生むために塗られた漆喰で、全体に白い。蹴込も含めて几帳面に塗り込められている。まさに白い街。



海を臨む丘がまるごと旧市街。道幅もさまざまだし全体に傾斜しているので一見複雑そうだけれど、螺旋状に円環を描くような道と、それらをところどころ繋ぐ路地の組み合わせ。上部の路地からは、向こうにオリーブ畑やアドリア海が見えるところも。路盤には大判の石。さまざまな文化が積層している。


チステルニーノ

200m角程度の相当閉じ気味な印象の旧市街エリア内を、細街路網が広がる。多くの道は相当狭く、車は中に入れない。外からエリア内に入る入口は3ヶ所(ってことになっているけれど、もう少しあるような。。。)で、その内の一つは階段。細街路に面して、屋外階段がたくさん張り付いているのも、ここの特徴かも。



中庭的な広場は15m×30mくらい。路地を跨ぐように建物同士が繋がれているところもあって、大きな中庭をもつ一つの建物のようにも思えるくらいの密度感。高低差はあまりないし観光地的な印象もあるけれど、密度感や迷路的移動の体験がもたらす旧市街的な趣が強い。陣内秀信さんが惚れ込んだというのも頷ける。


ロコロトンド

どこの山岳都市も丸い印象だけれど、ここではそれが地名になっている(ロコ=場所+ロトンド=丸)。直径200mくらい。オストゥーニ(海を臨む立地)やチステルニーノ(迷路的空間感)のような、これといった独自な印象は弱いかもしれないけれど、植物の様子や路地の広さの変化などが豊かで、居心地は良い。まわりを見下ろすと、トゥルッリをもつ農家が点在している。



周辺エリアには旧市街の建物をリスペクトしたような建物もあるが、イミテーションではないのが印象的。素材としては同じ石を用いるけれどディテールはシンプルに整理され、全体のプロポーションも配慮をしたようではあるものの全体の佇まいはモダン。旧市街の改修のなかには、木目がプリントされたアルミドアなどもあったので、全てにおいて深い配慮がある、っていうわけではなさそうだけれど。


マルティーナ・フランカ

今回まわった南イタリア山岳都市では(というか、この地方の中では)一番大きな町。旧市街エリアだけでも500m×300mくらいある。路地の幅はところどころ相当狭くなるけれど、車も走る。敷石が白いところと黒いところがあるのが不思議。黒い敷石自体が珍しいか。



地面に、観光案内のインデックスとなる記号が埋め込んであるけれど、朝訪れたからか、ショップやレストランの様子など、観光地的な印象はあまりない。ネットで検索をすると、中世のフランカ(=免)マルティーナ(=税)政策で人口を増やしたらしいが、本当だろうか。。。


アルベロベッロ

この地域をまわっていると、トゥルッリと呼ばれる石積み屋根をもつ円錐型の建物が点在している。アルベロベッロにしかないものだと思っていたので、はじめは少々驚いた。アルベロベッロに着くと、予想を遙かに超える観光地的状況となっていることに、さらに驚く。



旧市街的にまとまったエリアがあるのではなくて、比較的トゥルッリが多くあるエリアが点在しているみたい。租税対策でバラせる組積造とか、二重壁で雨水を貯水とか、屋根に描かれた呪術的記号とか、全部が観光ネタ。観光化しすぎて少々しらける、っていうのの典型的なまちか。


モンテ・サンタンジェロ

大天使ミカエルの聖地で、巡礼型観光地。歴史的にも安定的に巡礼の旅人を引き寄せていたようで、繁栄と衰退の波は感じられない。洞窟の地形を生かした教会や要塞での、自然の地形と人工的架構のハイブリッド感が興味深い。観光だけでは食べていけないくらいの人数規模の集合住宅があるけれど、産業はどうなっているんだろう。



マテーラ

サッシと呼ばれる岩場の洞窟住居群が南北600m東西400mくらいのエリアに広がる。古くから続く集落だけれど、年を重ねるごとに居住環境が劣悪化して、戦後すぐの頃には居住禁止エリアに指定されて廃墟に。その後、地域再生が進んで、サッシはホテルやレストランとして活用。世界遺産に登録されて、一大観光地へ、っていう流れ。



宿泊室も奥は岩場の洞窟のまま、手前側に石積みの架構で拡張されている。当然、建具などは石積み側に取り合うので合理的。エアコンやミニ冷蔵庫がピッタリ納まる岩場の凹みがあるけれど、あわせて加工をしているということか。


その他
サン・ジミニャーノ

繁栄した中世に、権力を競いあうために貴族たちが塔を建設→ペスト流行や交通網の変化で衰退→そのままの姿で放置、っていう流れで今日の観光地化につながる。普通に歩いていると気がつきにくいけれど、四角いシンプルな塔がたくさん立ち上がる風景が特徴的。その昔は、この5倍の数建っていたとか。



南北に600m程度。東西側にはそれほど広がっていない。エリアの中央にあるチステルナ広場に面したホテルだったんだけれど、吉岡さんと長谷川さんの部屋からは、南東に広がる農地を臨む。バルコニーを介して隣接していて、二つのバルコニーにまたがって食前酒。


シエナ

シエナのカンポ広場はジッテが紹介する著作ですり込まれていた(同世代の建築関係者はみんなそうだろう)。イメージしていたよりも、広さも広いし傾斜も大きい。勾配の一番下がったところに市庁舎で、市庁舎の向こう側では更に地面が下がっているのも予想外の地勢だった。

2016年11月14日〜20日

2016-11-22 | 日記
11月20日(日)
「ネズミ駆除用の餌@自宅」

ネズミはプロに駆除してもらうことに。寒くなり始めるこの時期、家に入ってくる例が激増するらしい。目の前に広がる自然の生態系をみるとやむを得ないとか。。。クマネズミは相当頭も良いらしい。。。いつまでかかるんだろう。。。


11月19日(土)
「鎌倉温泉@蔵王(宮城)」

布袋農園の近くということで選んだ/お奨めしてもらった宿。ひっそりとした立地で、大正の頃に建てられた宿泊棟(左手)もシンプルな気持ちの良いつくり。リーズナブルだし。ネットにあった宿の案内図を見ないで、GoogleMapに従ったため、とんでもない山道を走ることに。。。
その後、改修から半年たった布袋農園を久しぶりに訪ねる。半年とは思えないスピーディーな商品展開。


11月18日(金)
「旧済生館本館@山形」

授業などを終えて慌ただしく北へ。少し時間があったので旧済生館を訪ねてみる。明治11年にできた木造4階建て。7ヶ月で竣工したというのが信じられない。塔部分へのアクセスは複雑だし、階段の彫刻は手が込んでいる。展示の中には山形駅周辺の洋館建築群も紹介されている。洋館がたくさん残されている街っていう認識は持っていなかった。。。


11月17日(木)
「学生たちへの解説@BUKATSUDO(みなとみらい)」

横浜関内関外エリアを理解する一日。午後はBUKATSUDOのあるみなとみらいから元町までを横断。夜、久しぶりに車橋もつ肉店まで言ってみると、以前に大きく輪をかけて入店のハードルがあがっている。照明も薄暗く、4人以上はうるさくするからNGだとか。あきらめてタクシーに分乗して野毛へ。いつの間にか新しい店が増えていて、下町文化とカフェ文化のハイブリッド感がさらに増強。


11月16日(水)
「ミニコンテナ@横浜市民病院近く」

午前中、母につきあって病院へ。ずっと前に学生が卒製提出間際の入院していて訪ねたことがあるのを思い出す。帰り道にふとみると、貸しコンテナの端にミニサイズ。こんなのあるんだ。


11月15日(火)
うみそら@大三島(今治)」

午前中はさざなみ園にて打ち合わせ。だいたいの方針がみえてきた。
今回宿泊したのは、みかん農家の林さんがはじめた宿泊施設。みかん農園越しに瀬戸内海を臨む、オープンなつくり。設計は、伊東建築塾の活動にも関わるMARU architecture。


11月14日(月)
「電車型自販機@京急横浜駅(横浜)」

朝一で大三島へ。財布を忘れるという大失態。この失敗ははじめてかなあ。。。学生のみなさんの協力もあり、なんとか予定通りのスケジュールをこなせたか。打ち合わせ後、スーパーでの買いだし&みんなで自炊。スピリタスでつくったレモンチェッロを堪能(しすぎる)。


2016年11月7日〜13日

2016-11-18 | 日記
11月13日(日)
「久しぶりに学生たちと@自宅」

朝から家のアプローチの枕木配置の変更などを手伝ってもらい、午後は久しぶりに研究室の学生達と家で飲む。


11月12日(土)
「リアルサイズシンキングコンペ最終回の最終審査@本町シティガーデン1Fホール(大阪)」

リアルサイズシンキングコンペは10年目にして最終回。その最終審査は、初の東西合体。学生の気質の違いも感じられる。


11月11日(金)
「一口牛タンと萩の鶴@新幹線(仙台→東京)」

大学での委員会後、仙台へ。打ち合わせも佳境。帰り道で食べた一口牛タンは、ほぼ麦ご飯だった。。。


11月10日(木)
「細街路@栗田谷(横浜)」

第1課題講評会。発表をする上位の学生たちの作品は、多様で興味深い。一方で、課題のテーマが正確に把握されていないものも少なくないのが、気がかりな今年の傾向か。


11月9日(水)
「カレンダー@自宅」

朝と夜に住宅の設計打ち合わせで、その間はずっと大学で会議。JALのカレンダーが届く。今年も、もうそういう時期か。。。


11月8日(火)
「ジャケ買いのさんまの缶詰@自宅」

事務作業の後、夜は研究室のプロジェクトで学生も交えて金箱事務所。その後、例によって、近くの居酒屋。


11月7日(月)
「図書スペース@国際交流基金(四谷)」

都内などでの打ち合わせ。最後はCCA北九州の関係で国際交流基金。大阪市大の宮本さんと新企画の構想がスタートか。


2016年10月31日〜11月6日

2016-11-10 | 日記
10月26日〜30日はイタリアだったんだけれど、いろいろあって情報の整理が追いつかない。。。記録としてはアップしておきたいので後日。ということで一週間飛ばし。


11月6日(日)
「関内外オープン8でのスリッパ卓球@関内(横浜)」

朝から防火帯建築関連シンポで司会。遊休不動産を活用したホテルを、高円寺で実践したBnAと金沢で実践したHATCHiの関係の方々を招いて。前者はアートを、後者はシャアスペースを通して地域コミュニティとの接続をはかり、そのことがヴァリューアップの一環になっているのが共通。その後は、防火帯建築活用実践例を軽くまわるツアー。今年度の関内外オープン8では通りをジャック。定期的にやれるといい。


11月5日(土)
「オリックスのカーシェアも進出。1台分だけ@妙蓮寺(横浜)」

大学院中間発表会。今日的な社会の課題に目を向けて新たな提案を試みようという傾向が全体に共通。さらには、そっちに目を取られすぎて具体的な建築に迫っていかない感じが心配なのも共通。新しい暮らしのスタイルは、建築に関連して頭で考えるとみんなコンサバになるから、対応も難しいか。カーシェアとかも、当初は否定的な考えの人も多かったような気がするけど、実践が目に見えるかたちで先を行く。


11月4日(金)
「オープンハウス・シンポジウム@YCC(馬車道)」

ヴィクトリア・ソーントンさんを招いて行われたシンポジウム。積極的に知見の共有を目指すことをしないと、本当の意味での民主主義にはなりえないっていう考えから、いろいろと気付かされる。あくまでもボランティアとしての組織運営が大事というのはわかるが、横浜でその仕組みをどう定着させるかが課題?。ソーントンさんご夫妻はとてもフレンドリーで、聞くと、ヘーベルハウスを日本に導入したときの調整役だったとか。


11月3日(木)
「美波町赤松川流域の石@研究室(神奈川大学)」

研究室ではいろいろなことが並行して進んでいる。建設が進む赤松防災拠点の床には、紆余曲折の検討の末、赤松川流域の石を埋め込むことになって、学生たちが集めてきたサンプルが集落毎に並ぶ。短い流域なので集落毎の違いなんてそれほど無いと予想していたけれど、案外あるかも。川のかたちで堆積の仕方も違うか。


11月2日(水)
「北仲ブリック@馬車道(横浜)」

大学でコース会議など。馬車道ではブリックの手前に仮設事務所。はじめ、ブリックが闇に隠れていて取り壊されたかと思った。


11月1日(火)
「ラーメン屋@六角橋(横浜)」

六角橋周辺の店舗は入れ替わりが割りと激しく、かつラーメン激戦区が交差点近接地から段々面的に広がっている。小料理屋だった建物の外装に手を入れているからリニューアルかと思ったら、ラーメン屋に。。。


10月31日(月)
「バッグ@成田空港」

午前中に成田着。ローマでは、お土産に液体物(ワイン、グラッパ、オイル、酢など)を買いたくなり、バックパックに詰め込んで預けた。ぐるぐる巻のまま通関して見たけれど特におとがめ無し。そのまま大学に向かうと、昼過ぎには到着。10日分の累積赤字を少しでも解消すべく頑張るが。。。夕方からは馬車道で打ち合わせ。帰国日の余韻は無いまま普段の暮らしへ。