曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2019年3月25日~3月31日

2019-03-30 | 日記
3月31日(日)
「さくら@菊名池(妙蓮寺・横浜)」

書類とかをまとめていて、気分転換で近所のさくらチェック。菊名池公園ではいつもの買い物ついでの人たちに加えて、宴会しているグループと、水彩画に取り組んでいる小学生グループと、大きなカメラをもったおじさんたちグループが混在。さくらが引き寄せるダイバーシティ。


3月30日(土)
「乾燥用ハーブ@自宅」

自宅の冬の間ほったらかしにしていたハーブエリアは、伸び放題の蔓と落ち葉がぐちゃぐちゃになっていた。一旦全部抜いて、余計なところをリストラして、新しい土を加えて植え直し。リストラした葉の一部を洗って乾燥。


3月29日(金)
「青野文昭の作品@森美術館(六本木)」

作家名/作品名:青野文昭《なおす・代用・合体・侵入・連置》
この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。

朝、恵比寿の伊東塾で打ち合わせ。伊東塾に行くのは久しぶり。予想よりも早く済んだので、時間調整をかねて森美術館へ。クロッシング展をみるのも久しぶり。


3月28日(木)
「復興記念館@都立横綱町公園(両国)」

近くに来たので、横綱町公園へ。内田研究室の姜さんの博士論文で気になっていたのと、某パワポ準備をかねて。相当久しぶり。震災後と戦災後の復興に向けた都市計画の展示など、以前見たときとは意識が変わっている。


3月27日(水)
「学生たち@神奈川大学(横浜)」

この時期にたくさんの学生。何かの配布日らしい。休み期間は大学メンテ期間でもあるので、業者の人たちの車が停まっている。車と学生たちが一緒なのは普段見慣れない風景。


3月26日(火)
「多肉ボール@研究室(神奈川大学)」

4月からは神奈川大学13年目で、ついに学科主任を担当しなくてはならなくなった。。。初回の主任会議。
研究室には卒業式でプレゼントしたさざなみ園の多肉ボールが。大学院進学など、大学に残っている学生たちは研究室で育てることにしたらしい。


3月25日(月)
「外観があらわれた@本八幡(千葉)」

月末には検査機関の検査が予定されている現場。仮囲いがなくなり、外観が見えてきた。来月はテナント工事にはいって、ゴールデンウィークにオープンの予定。

2019年3月18日~3月24日

2019-03-25 | 日記
3月24日(日)
昆虫自販機@熊本市内(熊本)」

ふたたび県庁の方々と阿蘇へ。具体的な内容はまだ触れられないけれど。。。
朝、集合の移動途中で前日に話題となっていた自販機を見に。目撃情報によると、相当なスピードで売れているらしい。


3月23日(土)
高森駅前グランドデザインの模型@高森町観光交流センター(高森町・熊本)」

ヌーブ(太田浩史さん)が進めてきた高森駅前グランドデザインの方針がまとまって、その報告会イベント。駅を巡るシンポジウムでは、昨年リマでみた、今も時々汽車が来るもともと駅だった図書館を紹介。ヌーブが用意していた模型には、動きがプログラムされているNゲージのトロッコ列車が。うまく動かない場面もあったけれど。。。


「にわか@高森駅(熊本)」

イベントの第二部はトロッコ列車に乗って、移動する車中で沿線のようすの解説を聞いたり、各駅のカフェ店長さんらの話を伺ったり。長陽駅(無人駅。震災後、いまは鉄道不通区間)の久永屋店長のウクレレ演奏付き。
発車前には、国選択無形民俗文化財にすべきと答申されたばかりの高森にわかの実演。文化財といっても、ネタは極めて今日的。


「トロッコ列車と中松駅@南阿蘇村(熊本)」

その後、南三陸鉄道社長(=高森町町長)のかけ声で発車。沿線の駅は、CMの舞台だったり、人生の楽園で紹介されたり、最近話題の場所も多い。現在は、西半分(立野〜中松)は運休中なので、高森と中松間の往復。折り返しとなる中松駅は桂英明さんの設計。トロッコ列車は3両あって、古い2両には腰壁が倒せるようになったいた頃のディテールが残っている。屋根など上部は客車に変えるときにつけられたもの。新しい車両は10年ちょっと前に導入されたらしい。
まちに戻って、田楽の晩餐で関係者みんなの交流会。


3月22日(金)
「クリエイティブインクルージョン助成報告会@マスマス関内(馬車道・横浜)」

諸々の打ち合わせの後、夕方からはクリエイティブインクルージョン助成報告会。多くの活動はとても濃密な成果を生んでいて、不思議な安心感を得た。来年度の募集もはじまっている。これまでの活動内容を鑑みて、要項に調整も。


3月21日(木)
「南フロリダ大学と神奈川大学の学生@みかんぐみ(馬車道・横浜)」

スタン・ラッセル先生が南フロリダ大学の学生たちと横浜に。神奈川大学の学生有志と一緒に三渓園などを回る。といっても、回るのは学生たちだけに任せて、スタンと散歩&食事。最近竣工したというクラシックカーディーラーのショップ(すごく高級)の説明をしてもらったり。


「横浜正金銀行のイルカと新市庁舎@神奈川県立博物館(馬車道・横浜)」

昼食後、馬車道駅に向かう途中、県立博物館前で客寄せ(?)。入場無料の日で、しかも屋上に上れるというので行ってみる。小さな扉から、ドームの中にも入れる。ドームは、震災で消失した後、1967年の博物館にする際の改修で再現されたものなのでそれほど古くはない。元々鉄骨造だったらしい。H形鋼の8角形フレームの外側にリブプレートを介して木製の間柱が取り付けられている。


3月20日(水)
「片付け@神奈川大学(横浜)」

年度末、残り10日なんだけれど、大学で会議。。。


3月19日(火)
「東大柏の葉キャンパス@柏(千葉)」

朝一で、久しぶりの柏の葉キャンパス。記憶に残る風景とは全く別の場所になっている。柏の葉キャンパス駅の乗降客数も多いし、駅前の密度も高い。みかんぐみが関わった建物も、竣工後20年近くになろうとしている。


「CASACO@野毛山(横浜)」

横浜駅からタクシーで卒業式の会場であるパシフィコ横浜へ。パシフィコでの学科の懇親会のあと、研究室での会へ移動。会場は、元長屋を改修したCASACO。知らなかったのだけれど、改修そのものも活動内容もとても興味深い。卒業生には、さざなみ園で作ってもらった、それぞれの学生に合わせてつくられた多肉植物のボールをプレゼント。もらったのは、大量多種の香辛料セット。活用方法を考えなくては。
それにしても、研究室の活動内容と会場選びが連動するようで、内田研究室は赤レンガ倉庫らしい。


3月18日(月)
「アネモネ@自宅」

卒業式前に大学でもろもろ。一気に春になってきた。秋に植えた球根が花を咲かせはじめている。

2019年3月11日~3月17日

2019-03-18 | 日記
3月17日(日)
「パーティーバイク@伊勢佐木町(横浜)」

報告書と推薦文に追われる一週間(合計何本書いたんだろう。。。)。なんとなく目処がついたような気がするので(終わってないけれど)、気になっていたパーティーバイクの実験を体験しに行ってみる。2015年にLIXILギャラリーでの伊東さんの展覧会で見て以来気になっていた。その後海外で見かけたものよりも小型で、座席数は運転席を除くとペダル付きが6席と、最後部に2,3人が座れるベンチ。管轄する警察によって指導方針が結構違うようで、ここで飲めるのはお茶だけ。伊勢佐木モールの3丁目と6丁目の間を往復する。平地を進むのはとてもスムーズで、6人中1人が漕いでいれば例え小学生でも進むが、僅かでも傾斜になると途端に負担が増す。


3月16日(土)
「BankART SILK入口@シルクセンター(日本大通り・横浜)」

夕方からは戦後建築の活用をテーマにしたシンポジウム。直前になって司会ということになり、他の登壇者への接続を意識しながら準備。建築文化1994年9月号の戦後建築特集でとりあげられた5つの建築の内の一つ、神奈川県立音楽堂図書館の執筆を担当したことを思い出し、大学で雑誌の探索。当然、現横浜市庁舎に話題は向かうわけだけれど、現在の根岸線+首都高が派大岡川だった頃に建っていて、ストックホルム市庁舎を強く意識した配置であることが確認されたり。当時の庁舎建築のエントランスまわりを丹下健三の拡散的なピロティ型と対比してみると、村野藤吾のものはヨーロッパの庁舎建築を範にする求心的なホール型で、横浜市庁舎は村野の中でも、その先駆けとなるという笠原さんの指摘はとても興味深いものだった。つまり、庁舎棟、市民広場(エントランス)、市会棟がセットで残らなければ、意義が半減するというわけだ。それにしてもsli.doへの注目にはじまり、おわる一週間だったか。。。

3月15日(金)
「菅木志雄の作品@横浜美術館前(みなとみらい・横浜)」

移動の途中でイサムノグチ+長谷川三郎の展覧会へ。解説文にも出てくる「桂」がないなあと思ったら、2月の入れ替えでなくなっていたらしい。。。こちらも相当な作品数だけれど、コレクション展の方は圧倒的な物量。それにしても、良いものをたくさん持っているのに驚く。入口の両サイドにある菅木志雄の作品は、今回ではなくて、4月からの次回展にむけたものだった(今回のコレクション展にも管作品は複数展示されている)。


3月14日(木)
「あたらしいアスファルト@16号館と18号館の間(神奈川大学)」

大学周辺では工事の関係か年度末かわからないけれど、道路の舗装が新しくなっている(地震に強い水道管/ガス管に交換、ってやつかな)。大学施設に挟まれたこのあたりは、アスファルトじゃなくてもっと歩行者向けなものになっていればいいのに。。。


3月13日(水)
「商品が載り始めた什器@来島海峡サービスエリア(今治)」

早朝の新幹線で新神戸から福山に向かい、レンタカーで今治方面へ。来島海峡サービスエリアでは、週末のオープンに向けて商品の陳列もスタート。家具も全体にキレイに制作されていて、これからがたのしみ。それにしても、学生たちがたくさんいてびっくり。


西条栄光教会@西条(愛媛)」

間の時間で西条まで往復。西条には浦辺鎮太郎の最初期の建物がいくつかある。この教会は、クラレ西条工場ではたらくキリスト教の人たちがつくったもの。浦辺がクラレに所属していた頃で、信者の人たちが大原社長に援助の相談をしたところ、設計が浦辺鎮太郎で幼稚園併設ならいいだろう、ということになったとか。牧師館もあって、どれもキリッとした木造モダニズム建築。私の父の家(両親)はもともと西条だったらしいけれど、ルーツをたどるのはまた今度。


3月12日(火)
「sli.do@KIITO(神戸)」

KIITOでの講演会のため神戸へ。東海道新幹線の英語のアナウンスが、録音ではなくて車掌の肉声になっていた。去年の12月かららしい。
講演会では、お題を前提に考えていたら、多くのページが新たなものに。。準備には手間はかかったが新たなキーワードによる話の構造が得られたし、良いきっかけとなった。講演会では会場からの質問をスマホで集めるという方法。sli.doというアプリを使っているらしい。初体験。とてもよさそう。キーワード毎に分類できるようになっているともっと良いのに。


3月11日(月)
「グリーン券料金表@列車内(市川→横浜)」

都内や千葉などで打ち合わせ。先週、風邪で手をつけられなかったいろいろな作業のため、またもやグリーン車。昼と週末は座れるけれど、平日の朝はこの料金でもほぼ満席。

2019年3月4日〜3月10日

2019-03-11 | 日記
なんだかこんなこと「著作権法改正に伴う「ダウンロード違法化の対象範囲の見直し」についての緊急会長声明 」になっているらしい。
関わった法律関係の方から教えてもらったのだけれど、いくらなんでも。。。


3月10日(日)
「ニブロールの映像作品@BankART STATION(新高島・横浜)」

神奈川大学での教育活動に関連しているメンバーで高島周辺のリサーチに回る。まずはBankART STATION。オープンはじめの展覧会。作品群がつくる体験の密度は流石。久しぶりのBankART節に触れた感じ。BankART STATIONの本体部分は鉄道会社の管理エリアなのだけれど、写真のこの部分は横浜市道路局が管理する道路部分らしい。美術のある暮らしの発信基地が駅にあるなんて、どれだけ贅沢なことだろう。


「鉄道湧水?@紅葉坂の手前(桜木町・横浜)」

その後、R16、2代目横浜駅基礎遺構、文身歴史資料館、掃部山公園(掃部って読めない漢字だと思っていたら、井伊直弼の名目名だったらしい。いままで知らなかった)、鉄道湧水、野毛立ち飲み、吉田町クラフトビール立ち飲み、住吉町新井ビル設計室でワインとはしご。歩きながらGoogleマップ上で見つけた「鉄道湧水」。ブラタモリで紹介された場所らしいが、民地内らしくて湧水はみえない。。。文身歴史資料館はじめ、まだまだディープサイトがたくさんある。


3月9日(土)
芸術不動産セミナー@リスト(関内)」

今年度は一回だけのセミナー。ここ最近の関内外での芸術不動産活用の動きを紹介した上で、その実践例を回るツアーを経て、関係のある人たちでのディスカッション。濃密な時間。それぞれちょっとずつ時間切れ感があったけれど、そのくらいじゃないと満足につながらない印象もあるし。。。とはいえ、まだまだ気がついていないこともたくさんあった。レンジの広い試みの受け皿となっている状況が本当に素晴らしいと思う。ゲストの登壇者をはじめ、時間を作ってくれた人たちに感謝。


3月8日(金)
「クロアチアのコイン@自宅」

この日も大学の会議日。もう3月なんだけれど。。。体調的には、ようやく出張の片付けをしようかという気持ちに。ボスニア・ヘルツェゴビナの通貨はあとからいく人たちとユーロに交換してもらって、クロアチアの通貨は概ね使い切った。どちらも次にいくときにはユーロとかになっていそうだし。なので、手元に残っている新たに手にした通貨はクーナ硬貨のみ(スロベニアは既にユーロ)。よく見ると動植物柄。使っているときには気がつかなかった。かわいい。


3月7日(木)
「仮囲いがなくなったキング@日本大通り(横浜)」

何とか風邪の症状も落ち着いてきたので、大学内外での打ち合わせなど。それにしても天気の悪い日が続く。
関内の歴史建築物補修モードも段々とおさまりつつあるか。


「神奈川大学の同窓会館@神奈川大学(六角橋・横浜)」

大学での会議と大学院入試。
気持ちを維持できている内に事務作業を終わらせる。日が落ちてから大学をでると、ミタリ設計の同窓会館も姿をあらわしていた。


3月6日(水)
「喉がターゲットのルル群@自宅」

風邪が最悪な状態へ。。。大学やみかんぐみなどで予定していた打ち合わせなどは全てキャンセルして休む。
家には、子どもが務める会社の関係で第一三共の薬が常備されていて、今回の症状にぴったりなセットで対処。


3月5日(火)
ゲルカン&マルクのスタジアムとフランクフルトの街並み@機上(ザグレブ→フランクフルト)」

だんだん調子が悪くなる。予定されていた打ち合わせがたまたまキャンセルになったこともあり、他も調整してお休み。
熱はそれほど高くないので佐藤さんが訳した本でも、と思ったのだけれど、内容が冒頭から重く、体調が戻ってから読み始めることに。写真は撮らなかったので、帰国直前の写真でも。


3月4日(月)
「今回購入した本@研究室(神奈川大学)」

定刻通りに羽田に着き、家によって荷物を下ろして大学へ。認定教授会にも間に合い、風邪を引いてしまったらしい体調以外はたいへんスムーズ。

2019年2月25日~3月3日

2019-03-04 | 日記
今週末、「芸術不動産って何?」っていうシンポジウム+ツアーをやります。遊休不動産化していた防火帯建築の上層階を新しいかたちで活用推進していますが、その実際の様子を見学して生の声を元に議論しようというものです。関心ある方は是非お申し込み下さい。


3月3日(日)
「朝食セット@ザグレブ空港(クロアチア)」

ホテルを4時に出ると言ったら、朝食セットを用意してくれた。オレンジジュースやヨーグルトなどは手荷物検査を通過できそうにないので、チェックインカウンター近くのベンチで。
飛行機は順調で、フランクフルト経由で羽田へ。


3月2日(土)
「ドブロブニク旧市街の地勢@ロヴィリエナッツ砦から臨む(ドブロブニク・クロアチア)」

ドブロブニクは山(北)に向かって傾斜をしているだけではなくて、海側(南)の城壁に向かっても上がっていくハーフパイプ型の地勢。海側は岩礁を手がかりに城壁化したようで、東西に開かれている。西が陸路での、東が海路でのメインゲートとなっている。
全員が集合したばかりなんだけれど、帰路につくためひとり飛行機でザグレブへ。


「最短ケーブルカー@ザグレブ(クロアチア)」

ザグレブの旧市街をざっと回る。旧市街にはレベル差がある。中央のイェラチッチ広場は低い側で、直ぐ北側に大きなレベル差がある。広場の少し西では、そのレベル差を世界一短いケーブルカーが繋いでいる。登って直ぐのところに、行った人たちに評判のナイーブアートミュージアムがある。農民たちが趣味で描いていたもので、ガラスの裏からペイントしたものなどがよく取り上げられているようだけれど、シンプルなペン画や彫刻作品もいい。


「地下の店舗@ボーンスタイン(ザグレブ)」

ここも、どういうわけか行った人たちに評判だったところ。街の中心から少し北に外れたところにある。「食事前ならチーズなどをあわせないセットが良い」という助言に従って、ワイン3種飲み比べセットのザグレブを含むCroatian Uplandsエリアバージョン。少し早めに夕食にしてバルカン半島視察終了。あっという間だった。。。


3月1日(金)
「北に上る階段@ドブロブニク(クロアチア)」

昼を少し過ぎたくらいの時間に、階段の路地に光が差し込む。殆ど日が差し込まないくらい建て込んでいるけれど、植物も少なくない。


「外壁からの出っ張り@ドブロブニク(クロアチア)」

外壁には小さな出っ張りがたくさんある。他の街でも、窓の両サイドに丸穴のある石が出ている例はあったけれど、ここまでたくさん出っ張りがあるのはちょっと特別。窓台になりそうなものなどもある。メンテ用の足場受けじゃないかという意見も。。。
昼食時に佐藤澄子さんたちが到着してフルメンバーが揃う。


「ブジャ門@ドブロブニク(クロアチア)」

この地域はクロアチアとしての独立を目指したことで、1991〜92にかけてユーゴスラビア軍、セルビア、モンテネグロの軍隊から攻撃を受けている。その被災マップがエリアマップとあわせて数カ所で掲示されている。マップで示された舗装を見ると、確かに新しいもののようにも思える。


2月28日(木)
「ボスニア・ヘルツェゴビナの海@ネウム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)」

朝のスプリトの様子を回った後、再び南下。ドブロブニクは飛び地になっていて、間にボスニア・ヘルツェゴビナが挟まり海に面する。二度の通関はスムーズ。クロアチアからの出国とクロアチアへの再入国のスタンプは省略されるらしい。ボスニア・ヘルツェゴビナの街・ネウムで昼食


「ドブロブニク旧市街@スルジ山(ドブロブニク・クロアチア)」

ドブロブニクに入る前にスルジ山に登って全体を見下ろす。東西に伸びるプラツァ通りの様子など、街の構成がよくわかる。
旧市街内の宿にたどり着いたものの、オーナーさんが来るまで中に入れない。その間にレンタカーを返しにいく。H社はオフィスが見つけにくい上に駐車スペースも無く、ようやくたどり着くとスタッフは不在。。電話も出ない。しばらくしてようやく来たけれど、その後の対応もこれまで経験したことがないくらいいい加減。有名なところが安心かと思ったんだけれど。。。


「路地がゴールのサッカー@プラツァ通り(ドブロブニク・クロアチア)」

夕方には北仲の前田篤伸さんとも無事合流して、夕方の旧市街を歩く。これまでの諸都市よりも物価が高いけれど、レストランが見つからなくて困るということはない。
日が落ちて観光客が少なくなったプラツァ通りでは、通りをフィールドに対面する路地の入口をゴールにして、子供たちが本気のサッカー。


2月27日(水)
「朝焼けのダルマチア諸島@機上(プーラ→ザダル)」

早朝、プロペラ機でザダルへ。この日、プーラ空港はこの一便のみ。上野さんによると、離陸直前にターミナルビル全体が消灯したとか。早朝のみのコンパクトな労働時間。ザダル空港に着くとレンタカーカウンタは外。寒い上に窓が閉まっている。電話をするとしばらくしてかけ直してきた。中にいたらしい。。。8時前には、トロギールへ向かって出発。


「カメルレンゴの砦@トロギール(クロアチア)」

トロギールの市場でパンを買って立ち食い朝食。層ごとに様式の異なる鐘楼などが特徴の聖ロヴロ大聖堂などが有名な、古い歴史をもつ島。島と言っても、短い橋を渡るだけなので、島に来たという印象はない。砦は15世紀に塔から砦にリノベーションされたものらしい。一番海に近い部分が塔だったのか。。リノベ感はない。


「ディオクレティアヌス宮殿の地下@スプリト(クロアチア)」

スプリトまでは直ぐに到着。海に面して宮殿の遺構がある。もともとグランドレベルに合ったものの上に、同じ平面構成で建物が並んでいた。元々の部分が地中都市のような扱い。そうなった理由はいろいろあるみたい。落ち着いて調べなくては。廃墟化していたのを長い時間をかけて戻しつつある。ようやく見つけた本屋で薄いパンフレット的な本を見つけることが出来たけれど、わからないことが多い。
たまたま見つけた昼食(たぶんここ)も、昼食のレストランで教えてもらった地元レストランの夕食も相当良かった。


2月26日(火)
「石畳の街並み@グロズニャン(イストラ半島・クロアチア)」

クロアチアではとても道路の整備状況がよくて、想定よりもずっとスムーズに移動ができる。朝から、フム(世界最小の村)、モトブン(パラディオ設計の教会がある古都)、グロズニャン(アーティスト村)と、ローマ近くの山岳都市のような村を回る。オフシーズンとはいえ、殆ど人の気配がない。


「撮影ポイント@ロヴィニの港(イストラ半島・クロアチア)」

イストラ半島では西側の海沿いに大きな街が並ぶ。ベネチア共和国だった時代の名残も多い。
撮影おすすめポイントの標識には、写真家の名前とその作品が一緒に紹介されている。山頂の教会の塔はベネチアのサンマルコが元になっているらしい。バロック様式のファサード(写真の反対側)が凜々しい。


「コロッセオの夜景@プーラ(イストラ半島・クロアチア)」

プーラまで移動して車を返す。クロアチアでは民泊Sobeが広く普及していて、Booking.comなどでも紹介される殆どの宿が民泊。プーラの宿はお嬢さんが日本に嫁いだという老夫婦の家で、コロッセオの直ぐ隣にある。おそらく美大でお嬢さんが手がけたと思われるものを中心に多くの壁面が絵で埋め尽くされている。
夕食がとれるレストランがなかなか見つからない。たくさんの人があふれるレストランのようにみえるところも、飲み物のみ。クロアチアの人たちは夕食をどうしているんだろうかと疑問に。


2月25日(月)
「城に向かう道@リュブリャナ城の南(リュブリャナ・スロベニア)」

前日に入手したプレチェニク建築ガイドを手に、朝からまわる。情報が整っているので、半ば、スタンプラリーのような。。。よく話題となるのは図書館や橋などだけれど、外構デザインも興味深い。舗装材を低廉な素材にすることでモニュメント設置費用を捻出してみたり、山頂の城までのややこしいルートをわかりやすくするためのデザインだったり。


「ひもで繋がれた人たち@駅近くの保険会社のビル(リュブリャナ・スロベニア)」

保険会社のビルの柱頭には人が立っていて、お互いに繋がれている。さらにその上には子ども(?)が立っていてお互いに繋がれている。相互保険という会社名から来ているものらしいけれど、もはや人柱にしかみえない。。。それにしても、何かしらのアイデアが背景にあるというのは共通しているけれど、作風のレンジが広い。


「グラフィティの列車@リュブリャナ駅(スロベニア)」

リュブリャナ駅から鉄道でザグレブへ。ローカル鉄道の列車は全部グラフィティ仕様。車体番号など必用な部分だけ塗装が削り取られている。
ザグレブ駅で大学の上野正也さんと合流してザグレブ空港へ。空港で宇徳ビルヨンカイの櫻井さんたちとも合流して、夜の高速をレンタカーで一路リエカへ。


「ホテルの夜景@リエカの港(リエカ・クロアチア)」

なんとか10時前にリエカに到着。Googleマップが駐車場に入るルートを指示するの疑ってぐるぐると回っていたら、それが正しい行き方で、海沿いの駐車場の脇に停泊しているように固定された船がホテルだった。コスパと立地で選んだホテルなんだけれど。。。
危うく夕食難民になりそうだったけれど魚介類グリルにありつけ、無事の合流を祝う。