今週末、「
芸術不動産って何?」っていうシンポジウム+ツアーをやります。遊休不動産化していた防火帯建築の上層階を新しいかたちで活用推進していますが、その実際の様子を見学して生の声を元に議論しようというものです。関心ある方は是非お申し込み下さい。
3月3日(日)
「朝食セット@ザグレブ空港(クロアチア)」
ホテルを4時に出ると言ったら、朝食セットを用意してくれた。オレンジジュースやヨーグルトなどは手荷物検査を通過できそうにないので、チェックインカウンター近くのベンチで。
飛行機は順調で、フランクフルト経由で羽田へ。
3月2日(土)
「ドブロブニク旧市街の地勢@ロヴィリエナッツ砦から臨む(ドブロブニク・クロアチア)」
ドブロブニクは山(北)に向かって傾斜をしているだけではなくて、海側(南)の城壁に向かっても上がっていくハーフパイプ型の地勢。海側は岩礁を手がかりに城壁化したようで、東西に開かれている。西が陸路での、東が海路でのメインゲートとなっている。
全員が集合したばかりなんだけれど、帰路につくためひとり飛行機でザグレブへ。
「最短ケーブルカー@ザグレブ(クロアチア)」
ザグレブの旧市街をざっと回る。旧市街にはレベル差がある。中央のイェラチッチ広場は低い側で、直ぐ北側に大きなレベル差がある。広場の少し西では、そのレベル差を世界一短いケーブルカーが繋いでいる。登って直ぐのところに、行った人たちに評判の
ナイーブアートミュージアムがある。農民たちが趣味で描いていたもので、ガラスの裏からペイントしたものなどがよく取り上げられているようだけれど、シンプルなペン画や彫刻作品もいい。
「地下の店舗@
ボーンスタイン(ザグレブ)」
ここも、どういうわけか行った人たちに評判だったところ。街の中心から少し北に外れたところにある。「食事前ならチーズなどをあわせないセットが良い」という助言に従って、ワイン3種飲み比べセットのザグレブを含むCroatian Uplandsエリアバージョン。少し早めに
夕食にしてバルカン半島視察終了。あっという間だった。。。
3月1日(金)
「北に上る階段@ドブロブニク(クロアチア)」
昼を少し過ぎたくらいの時間に、階段の路地に光が差し込む。殆ど日が差し込まないくらい建て込んでいるけれど、植物も少なくない。
「外壁からの出っ張り@ドブロブニク(クロアチア)」
外壁には小さな出っ張りがたくさんある。他の街でも、窓の両サイドに丸穴のある石が出ている例はあったけれど、ここまでたくさん出っ張りがあるのはちょっと特別。窓台になりそうなものなどもある。メンテ用の足場受けじゃないかという意見も。。。
昼食時に佐藤澄子さんたちが到着してフルメンバーが揃う。
「ブジャ門@ドブロブニク(クロアチア)」
この地域はクロアチアとしての独立を目指したことで、1991〜92にかけてユーゴスラビア軍、セルビア、モンテネグロの軍隊から
攻撃を受けている。その
被災マップがエリアマップとあわせて数カ所で掲示されている。マップで示された舗装を見ると、確かに新しいもののようにも思える。
2月28日(木)
「ボスニア・ヘルツェゴビナの海@ネウム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)」
朝のスプリトの様子を回った後、再び南下。ドブロブニクは飛び地になっていて、間にボスニア・ヘルツェゴビナが挟まり海に面する。二度の通関はスムーズ。クロアチアからの出国とクロアチアへの再入国のスタンプは省略されるらしい。ボスニア・ヘルツェゴビナの街・ネウムで
昼食。
「ドブロブニク旧市街@スルジ山(ドブロブニク・クロアチア)」
ドブロブニクに入る前にスルジ山に登って全体を見下ろす。東西に伸びるプラツァ通りの様子など、街の構成がよくわかる。
旧市街内の宿にたどり着いたものの、オーナーさんが来るまで中に入れない。その間にレンタカーを返しにいく。H社はオフィスが見つけにくい上に駐車スペースも無く、ようやくたどり着くとスタッフは不在。。電話も出ない。しばらくしてようやく来たけれど、その後の対応もこれまで経験したことがないくらいいい加減。有名なところが安心かと思ったんだけれど。。。
「路地がゴールのサッカー@プラツァ通り(ドブロブニク・クロアチア)」
夕方には北仲の
前田篤伸さんとも無事合流して、夕方の旧市街を歩く。これまでの諸都市よりも物価が高いけれど、レストランが見つからなくて困るということはない。
日が落ちて観光客が少なくなったプラツァ通りでは、通りをフィールドに対面する路地の入口をゴールにして、子供たちが本気のサッカー。
2月27日(水)
「朝焼けのダルマチア諸島@機上(プーラ→ザダル)」
早朝、プロペラ機でザダルへ。この日、プーラ空港はこの一便のみ。上野さんによると、離陸直前にターミナルビル全体が消灯したとか。早朝のみのコンパクトな労働時間。ザダル空港に着くとレンタカーカウンタは外。寒い上に窓が閉まっている。電話をするとしばらくしてかけ直してきた。中にいたらしい。。。8時前には、トロギールへ向かって出発。
「カメルレンゴの砦@トロギール(クロアチア)」
トロギールの市場でパンを買って立ち食い朝食。層ごとに様式の異なる鐘楼などが特徴の聖ロヴロ大聖堂などが有名な、古い歴史をもつ島。島と言っても、短い橋を渡るだけなので、島に来たという印象はない。砦は15世紀に塔から砦にリノベーションされたものらしい。一番海に近い部分が塔だったのか。。リノベ感はない。
「ディオクレティアヌス宮殿の地下@スプリト(クロアチア)」
スプリトまでは直ぐに到着。海に面して宮殿の遺構がある。もともとグランドレベルに合ったものの上に、同じ平面構成で建物が並んでいた。元々の部分が地中都市のような扱い。そうなった理由はいろいろあるみたい。落ち着いて調べなくては。廃墟化していたのを長い時間をかけて戻しつつある。ようやく見つけた本屋で薄いパンフレット的な本を見つけることが出来たけれど、わからないことが多い。
たまたま見つけた昼食(たぶん
ここ)も、昼食のレストランで教えてもらった
地元レストランの夕食も相当良かった。
2月26日(火)
「石畳の街並み@グロズニャン(イストラ半島・クロアチア)」
クロアチアではとても道路の整備状況がよくて、想定よりもずっとスムーズに移動ができる。朝から、フム(世界最小の村)、モトブン(パラディオ設計の教会がある古都)、グロズニャン(アーティスト村)と、ローマ近くの山岳都市のような村を回る。オフシーズンとはいえ、殆ど人の気配がない。
「撮影ポイント@ロヴィニの港(イストラ半島・クロアチア)」
イストラ半島では西側の海沿いに大きな街が並ぶ。ベネチア共和国だった時代の名残も多い。
撮影おすすめポイントの標識には、写真家の名前とその作品が一緒に紹介されている。山頂の教会の塔はベネチアのサンマルコが元になっているらしい。バロック様式のファサード(写真の反対側)が凜々しい。
「コロッセオの夜景@プーラ(イストラ半島・クロアチア)」
プーラまで移動して車を返す。クロアチアでは民泊
Sobeが広く普及していて、Booking.comなどでも紹介される殆どの宿が民泊。プーラの宿はお嬢さんが日本に嫁いだという老夫婦の家で、コロッセオの直ぐ隣にある。おそらく美大でお嬢さんが手がけたと思われるものを中心に多くの壁面が絵で埋め尽くされている。
夕食がとれるレストランがなかなか見つからない。たくさんの人があふれるレストランのようにみえるところも、飲み物のみ。クロアチアの人たちは夕食をどうしているんだろうかと疑問に。
2月25日(月)
「城に向かう道@リュブリャナ城の南(リュブリャナ・スロベニア)」
前日に入手したプレチェニク建築ガイドを手に、朝からまわる。情報が整っているので、半ば、スタンプラリーのような。。。よく話題となるのは図書館や橋などだけれど、外構デザインも興味深い。舗装材を低廉な素材にすることでモニュメント設置費用を捻出してみたり、山頂の城までのややこしいルートをわかりやすくするためのデザインだったり。
「ひもで繋がれた人たち@駅近くの保険会社のビル(リュブリャナ・スロベニア)」
保険会社のビルの柱頭には人が立っていて、お互いに繋がれている。さらにその上には子ども(?)が立っていてお互いに繋がれている。相互保険という会社名から来ているものらしいけれど、もはや人柱にしかみえない。。。それにしても、何かしらのアイデアが背景にあるというのは共通しているけれど、作風のレンジが広い。
「グラフィティの列車@リュブリャナ駅(スロベニア)」
リュブリャナ駅から鉄道でザグレブへ。ローカル鉄道の列車は全部グラフィティ仕様。車体番号など必用な部分だけ塗装が削り取られている。
ザグレブ駅で大学の上野正也さんと合流してザグレブ空港へ。空港で宇徳ビル
ヨンカイの櫻井さんたちとも合流して、夜の高速をレンタカーで一路リエカへ。
「ホテルの夜景@リエカの港(リエカ・クロアチア)」
なんとか10時前にリエカに到着。Googleマップが駐車場に入るルートを指示するの疑ってぐるぐると回っていたら、それが正しい行き方で、海沿いの駐車場の脇に停泊しているように固定された船がホテルだった。コスパと立地で選んだホテルなんだけれど。。。
危うく夕食難民になりそうだったけれど魚介類グリルにありつけ、無事の合流を祝う。