曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2019年2月18日~2月24日

2019-02-25 | 日記
2月24日(日)
「ホリデーイン@スナイパーストリート(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」

朝、トラムで西の方向へ。チケットを車内で刻印しておかないと罰金らしい。体格のいい検査官(?)が、時々確認に乗ってくる。
街の外れで降りて東に向かって歩く。ホリデーインはサラエボ包囲時の報道の拠点。空港までのタクシー運転手によると、スナイパーストリートの南側似建つ建物の屋上から向かいの建物群に向けて銃撃したらしい。街の95%が破壊されて旧市街の古そうな街並みも多くが再建だとか。


「ガラス手すりに残る銃弾の痕@ミリャツカ川沿い(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」

旧市街の内側には紛争時の痕跡があまりないけれど、周辺には四半世紀近く経った今でも沢山残っている。外壁に銃弾痕が残る建物だけでなく、ガラス手すりに痕が残るものも。北側斜面地に広がる住宅エリアに入ってみると、そちらも同様。
サラエボトンネル博物館経由で、大変コンパクトなサラエボ国際空港へ。


「屋根架構@プレチェニク・ハウス(リュブリャナ・スロベニア)」

リュブリャナ空港からタクシーでプレチェニク・ハウスへ直行して、最後の見学ツアーに参加(翌日は休館日)。相当ストイックな人だったらしい。一方で、ショップで購入したリュブリャナのプレチェニク建築ガイドを見ていると、作品の数も多いしレンジも広い。リュブリャナに戻ったのが我々くらいの年齢なのを考えると、信じがたいレベル。
夜はいかにも観光地対応のレストランしか開いていなくて、コストパフォーマンスが。。。


2月23日(土)
「バシュチャルシアの街並み@旧市街(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」

朝の2時前に羽田を発つ便。バルカン半島では宗教的な混交の状況を確認したいところだけれど、諸状況から視察期を間短縮。まずはボスニア・ヘルツェゴビナ&クロアチアのサラエボへ。街中には大小のモスクが点在していて、同じくらいの密度でドネルケバブの店もある。


「みせづくり的な納まり@旧市街の店舗群(サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ)」

旧市街はコンパクトでとても観光化されている。オフシーズンなのだけれど沢山の観光客が行き交う。新旧の店舗が並んでいるけれど、共通しているのが折りたたみ式のベンチ。折りたたみ式のひさしがセットになっている場合も多い。両方を閉じるとガラス面の雨戸に。中にはベンチの上にショーケースが設えられて固定化しているものも。


「銃弾の痕@古民家(ラテン橋の南側の住宅地・サラエボ)」

旧市街の内側には紛争時の痕跡があまりないけれど、周辺には四半世紀近く経った今でも外壁の銃弾の痕がそのままになっている建物などが沢山残っている。
ホテルの向かいにある人気店舗っぽい店で食べたチェヴァプチチが絶品だった。ビールがないのが玉にきず。。。


2月22日(金)
「卒業設計作品の展示@馬車道駅コンコース(馬車道・横浜)」

Eチケットとかの印刷が結構大変。。。馬車道に行ってみると、みかんぐみに向かっていく階段の前が神奈川大学の作品が並ぶゾーン。学生はいなかったけれど。
一旦、家に帰って準備を整え、夕食後、羽田空港へ。


2月21日(木)
「窓の掃除@神奈川大学(横浜)」

大学で書類のとりまとめとかいろいろ。大学はメンテナンスモードのようで窓掃除とかが進む。みんな赤いので制服があるのかと思ってよくみると、赤いパーツがそれぞれ違っている。
出張向けに資料のスキャンなども。


2月20日(水)
「東側妻面@谷屋(美波町・徳島)」

桜屋現場→谷屋現場→役場と、前回と同じ流れでまわる。違うのは昼ご飯が藍庵のラーメンじゃなくてまめぼんのパスタなところ。その日のうちに日和佐を出るところまで一緒。羽田に戻り、夕食がまだだったとおもって京急鶴見駅近くでちょっとだけ飲んだら、終バスを逃す。何をやっているんだか。。。


2月19日(火)
「野老さんのパターンが広がる床@ブリーゼタワー地下(ハービスの隣・大阪)」

浦辺展打ち合わせのために大阪へ。少し前まで横浜で一緒だった重村先生も。会議後、翌日に備えて、ハービス大阪から出る夜のバスで徳島へ。バスの時間まで10分ちょっとあったので、隣のビルの地下で買い出し。


2月18日(月)
「印税18円@自宅」

会議などを経て学科懇談会。これで今年度の山場を概ね過ぎたことになる。研究室のプロジェクトの多くは、年度末に向けてこれからが佳境ではあるが。

2019年2月11日~2月17日

2019-02-18 | 日記
2月17日(日)
「現場屋上からの風景@本八幡(千葉)」

論文発表会シーズンは自由に動ける時間が限られる。朝早く本八幡の現場へ。外壁や屋根など、最外周の仕上げ材料が準備されている。
どうにも体調が本調子にならないので往復の総武線はグリーン車。週末はちょっと安い。移動中はついついメール。いつもならついついビールなんだけれど。。。


2月16日(土)
「姿をあらわした同窓会館@神奈川大学(横浜)」

発表会が一通り済んで、デザインコース内での会議まで。それにしても、いろいろなことが起きるものだ。。。
ミタリ設計による同窓会館の仮囲いがなくなり、姿をあらわしていた。隠し事一切無し、っていうかんじの開放感?。


2月15日(金)
「校舎夜景@神奈川大学(横浜)」

卒業設計優秀作品講評会。無事に終わってゲスト審査員の萩原剛さん宮崎晃吉さんも一緒に福臨門で打ち上げ。何日かぶりにアルコールを摂取。飲むと不調が解消していくような。。。あぶさん化?。


2月14日(木)
「コンセントの裏側@自宅」

学部の論文発表会。その後、学部&修士の発表練習など。
夜、来島海峡サービスエリアの現場に張り付いている学生からの質問に回答すべく、コンセント部材を探す(画像検索の写真をドラッグアンドドロップできなくなっているので)。どういうわけか、探すと家の中にある。。。


2月13日(水)
「機械化された申請書@運転免許センター(二俣川・横浜)」

沢山の会議が始まる前に、運転免許センターへ。申請用紙の記入が自動化されていて、写真も用意しておいたので(前日に学生に撮ってもらったものをプリントしただけだけれど)手続きはあっという間。受付で「クロアチアはジュネーブ条約加盟国ではありませんが、このまま手続きを進めても良いですか?」と聞かれて焦る。調べると、加盟はしていないけれど、国際免許があれば運転をして良いことにしているみたい。それにしてもこの建物、もうちょっと吸音したほうが機能的によいような。。。


2月12日(火)
「勝烈庵のお弁当@研究室(神奈川大学)」

卒業設計本審査(全員対象のポスターセッション)の間に挟まれて、姜さんの博士論文公聴会。体調は最悪なので、気持ちが遠のかないように朝から普段よりきちっとした服装で臨む。。。審査期間中のお弁当はそれなりに楽しみなものなのだけれど、絶不調の日にかぎって。。。


「震災記念堂の設計変更を求める建議書@姜さんの博士論文公聴会(神奈川大学)」

姜さんの論文は、横綱町公園に建つ震災記念堂の意匠の変遷を中心としたもの。コンペで選ばれた案を元にまとめられたデザインが、仏教連合会や区民からの意向を受けて設計者が変わり(審査員の一人であった伊東忠太が担当)全く異なるものに変貌していく。ザハのスタジアム問題などにもシンクロする興味深いはなし。のんきに興味深いとか言っている場合ではないが。ノンフィクション小説でも売れそう。


2月11日(月)
「ポカリスエット@自宅」

前日夜から続く原因不明の食中毒で、ベッドとトイレを行ったり来たりする一日。インドでお腹を壊して以来、海外出張グッズの1つとして粉末のポカリスエットを用意してある。それで水分補給のみ。午前中に上がってきた熱も,夜には落ち着きはじめるが。。。

2019年2月4日~2月10日

2019-02-10 | 日記
2月10日(日)
「ユキヤナギ@自宅」

夜、原因不明の食中毒症状。ノロのような症状だけれど、思い当たることが無い。。。


2月9日(土)
「IKOI FARM@伊豆高原」

棺に花を入れたり火葬が終わるまで待っていたり、葬儀の全体に参列するのははじめて。別れが悲しいものであることには変わりは無いけれど、弔辞を伺っていると、その人生がとても充実したものであったことが浮かび上がる。


「雪景色@妙蓮寺(横浜)」

自宅近くに預けていった我が家の犬も結構な年齢でもあるので、この日の内に受け取れるようにと帰路に。夜、妙蓮寺に着いてみると霧のような雪。愛犬にはマフラーをぐるぐる巻きにして家まで。


2月8日(金)
「利島を臨む@エクシブ伊豆(伊豆高原)」

葬儀のために伊豆高原へ。義父は自らの老後の暮らしをとてもよくデザインしていて、死に際しても10年位前につくられた(おそらく80を迎えて用意したもの)要望書があって、ある種の合理性に基づく美学が全うされるようになっていた。お通夜も親族と近くの方々と自宅でおこなう家族葬。といっても、リタイヤした近所の方々と農作業をしていたりしたので(その世界では割と有名だったみたい)大きな家に一杯の人たちが集まった。


2月7日(木)
「横浜開港記念館@日本大通り(横浜)」

朝、市役所で打ち合わせ。その後、書類や手続きの締め切りに追われつつ、どれも順調にギリギリクリア。翌日からの葬儀への準備など。
開港記念会館も足場で包まれていた。建物調査のためらしい。


2月6日(水)
「夜明け前の新神戸@クラウンプラザホテル(新神戸・兵庫)」

始発の新幹線で横浜へ。少し余裕をもって大学について、入試監督の一日。
早朝、新神戸駅についたところで義父の訃報を受ける。昨年11月の手術後は難手術にもかかわらず元気に復帰して安心していたんだけれど。。。とはいえ、数えで90の大往生。


2月5日(火)
「天井解体@桜屋(美波・徳島)」

朝一で桜町通りの古民家・桜屋の現場へ。着工したばかりだけれど、年度内竣工。屋根面の補強のために天井を撤去してある。垂れ壁は天井裏にも半分くらい広がっていた。
役場で来年度に向けた打ち合わせをしてから、藍庵でつけ麺。


「床上げ@谷屋(美波・徳島)」

谷屋では曳家工事を曳家岡本が担当することに決まり、段取りのための打ち合わせ。最初だけ顔をだして、空き家対策協議会に出席するため役場へ。
夜は、翌日に備えて汽車とバスを乗り継いで新神戸まで。詳細な検討の結果選んだ方針。ギリギリだと、日和佐を終電で出ても間に合うルートもあったんだけれど。


2月4日(月)
「内装工事佳境@来島海峡サービスエリア(今治・愛媛)」

朝、松山空港経由で来島海峡サービスエリアへ。建築は概ね完成しつつあって、研究室が手がけるショップ関連の内装工事が始まりつつある。中央に配する橋形什器は大きなものなので主脚部は建築にあわせて設置済み。
翌日に備えて夕方今治を出て日和佐へ。

2019年1月28日~2月3日

2019-02-04 | 日記
2月3日(日)
「梅の開花@神奈川大学(横浜)」

大学でやり損ねていたことがあるのに気づき、日曜の大学へ。翌日から入試ということもあるのか、キャンパス内はいつもの平日のような雰囲気。


2月2日(土)
「次止まりますの表示@臨港バス(鶴見〜港北小学校前間・横浜)」

午後、鶴見に用事があって、大学近くのバス停から鶴見まで。バークでの昼食は、並んでいたので断念。
帰りのバスでふとみると停留所の案内。英語表記でnext stopとあるのでバス停名称が続くかなと思っていたけれど表示されない。誰かが降車ボタンを押したら表示されるもののようなのだが。。。


2月1日(金)
「モックアップ@神奈川大学みなとみらいキャンパスの現場(横浜)」

みなとみらいキャンパスの現場へ。地下はほぼ掘り終わりつつある。現場内も片付いていて、とても几帳面な印象。さすが大手。みかんぐみ事務所までは歩くには少し遠いし、地下鉄使うのもイマイチ。


1月31日(木)
「チーズフォンデュのパック@自宅」

スムーズに帰国したのはいいけれど、朝の通勤時間に帰宅。少し家事を済ませて大学へ。スイスに留学している学生が一時帰国(留学期間は終了なのだけれど、休学して留学期間を延ばすらしい)していて、チーズフォンデュとワインがお土産。重いだろうに。。。チーズフォンデュは電子レンジで簡単に出来るというものらしい。


1月30日(水)
「米などの袋@ドゥアン・プラティープ財団(クロントイ・バンコク)」

午前中はドゥアン・プラティープ財団の活動についてのレクチャーと幼稚園などの視察。午後はクロントイのスラムエリア内の住宅を見せていただく。財団が用意をしてくれていた各住戸へのお礼はお米などの重量系。住戸内の様子は、これまでに体験してきたスラムに比べると清潔で広い。案内をしてもらっているからではあるけれど、危険な雰囲気もあまり感じられない。


「鉄道跡@チュムチョン(クロントイ・バンコク)」

エリアは相当広く、少し前まで貨物列車が走っていた線路のすぐ脇にも住戸が並ぶ。高架の道路やコンテナヤードに面したエリアも。70ライ地区(ライは面積の単位で、エリアの面積が70ライちょっとあるのでそういう名前に)などはスラム特有の有機的な街区構成では無く、グリッド状に建物が並ぶ。


「通訳の方の住まい@チャトチャックの少し南(バンコク)」

クロントイ視察を終え、前日の通訳だった富田さんのご自宅を拝見させていただくことに。(この日の通訳はチェンマイのときにも突き合ってくれていたエースさん。)最近のタワーとは異なり、贅沢な環境。住民はプールまわりでBBQなどをして楽しむのだとか。その後、現在改修工事中の現場も見せてもらって、空港へ。帰国便も夜中に出る便。


1月29日(火)
「椅子が並ぶシンプルなボート@Song川(ドンムアン空港の東・バンコク)」

午前中、CODIで一通りのレクチャーを受け、昼食を挟んで現地視察へ。川沿いの脆弱地区での建て替え事業。川を下りながら沿岸の様子をみる。


「新旧の建物@Song川(ドンムアン空港の東・バンコク)」

エリア全体が強制的に更新されるのでは無くて、CODIのプロジェクトに参加している人たちだけが対象らしい。新旧の建物が混ざる。プランは標準設計化されているようで、敷地の奥行きによっては建物の妻面が川に面する。話を聞いた最初に更新された地区では、話し合いで全ての建物が妻面を向け、各住戸が平等になるようにしたのだとか。


「屋外テラス@Bar Long Table(アソーク・バンコク)」

ホテルに戻ると夜。タイスキを食べてからバーへ。格好いい。若手はその後もう一軒。


1月28日(月)
「ワットポーとチャオプラヤ川の間の街路@Tha Tien(バンコク)」

早朝に空港到着。他の便で来ていた先生方とも無事に合流。ホテルまで移動して、集合時間までアソーク散策。朝食は偶然ながらいつものチキンライス。
キングモンクット工科大の西堀さんコーディネートの視察スタート。まずはジムトンプソンを経て王宮近くの市場周辺へ。このあたりは王室が直接管理をしている不動産なんだとか。


「バケツのガーデニング@Bangkok Yai(バンコク)」

船をチャーターしてくれていて、運河を辿りながら地域の様子をうかがう。途中、芸術家の家・Baan Silapinへ。ロケーションと運営の成立との関係などが気になるところ。


「ディナークルーズ@リバーシティ(バンコク)」

夕方、荏本先生たちのグループとも合流して、ちょっと贅沢な夕食。チャオプラヤ川をはじめは北上して引き返す。それにしても大人数。神奈川大学アジア研究センターからは15人の教員が参加している。
濃密で長い一日が無事終了。ホテルに戻って一部のメンバーで部屋飲み。