曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

3月19日~3月25日

2012-03-26 | インポート
3月25日(日)
「神大スタイルとフライデー@研究室の卒業式」
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大学の卒業式。毎年、後輩が先輩に手作りプレゼントを用意するんだけれど、今年のM1からM2へのプレゼントは雑誌。神大の機関誌STYLEとFRIDAYをぱくった、研究室の思い出記事満載雑誌。よくできている(内部資料なので著作権は大目に・・・)。B3からB4へは似顔絵カレンダー。これもいいでき。
卒業式と平行して行われていた赤煉瓦の卒制展で、楠本さんが最優秀賞を受賞したらしい。めでたい。大学院では東京コレクションで山中君がグランプリだったし、今年の学生たちはなんだか調子がいい。


「夜景@海(横浜)」
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一次会の会場(新山下)から二次会の会場(野毛)へは舟経由。ビューの良いところを選んで回ってくれる。寒いけど、海からみる横浜は格別。また、いろいろと思いついた。そういえば、今朝の新聞で、みなとみらいの海辺の結婚式場が、景観審議会で決裂したって出てた。決裂してもそのまま出来るっていう仕組みが、そもそもおかしいし時代遅れ。横浜がもっと田舎だったら、こんなふうな価値の無駄遣いはしなかっただろうに。


3月24日(土)
「カメラ@自宅」
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ハノイでLX-3が壊れた(ズームの機構の調子が悪くなって、スイッチが入ったり入らなかったり)ので、買い換え。寿命だと思う。ZX-1とかJ1とか悩んで、結局LX-5。かたちはほぼ一緒なんだけれど、バッテリーが新規格だったり、レンズの径(先端のキャップ部)が変わっていたり、以外とLX-3を引き継ぎにくい。まあ、いろいろ使いやすくなったからいいか。


3月23日(金)
「2012年度初回ゼミ@研究室」
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例によって、卒業式の前に初回ゼミ。プロジェクトの分担を決める。今年のM1は多彩で展開が楽しみ。
一通りの打ち合わせがおわったところで、簡単な懇親会。ドミノピザではスターウォーズスペシャルセット。ライトセーバー付き。


3月22日(木)
「ピナとP@自宅」
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いくつかの打ち合わせのスキマを縫って、ヴェンダースのピナを桜木町で観る。このタイミングで観ないと、完全に見損ねるところだった。3Dの技術は発展途上だと思うけれど、その実験が嫌みに思えないほど、見るものを引きつけ続けるコンテンツだった(とはいえ、3Dではない記録映像の時は、眼鏡を上にずらしてたけど)
ピナのカタログの上にあるのは、ハノイの反戦プロパガンダグッズショップ「P」で買った、張り子の熊。


3月21日(水)
「酢屋橋@高瀬裏川(玉名)」
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12時間動かずに寝てた。おかゆとか食べて、アートポリスの打ち合わせ(今年は国際建築展で25周年記念)をして、高瀬裏川視察を案内していただいて、空港へ。そのまま、八潮(埼玉)へ直行して、某住宅の打ち合わせ。で、終了後、久しぶりに家に帰る。その頃には、体調はもとに戻る。
写真は、高瀬裏川の酢屋橋。酢の樽を天秤にかけて渡るとき足を踏ん張りやすくするため、橋の中央を凹ましているらしい。


3月20日(火)
「旧境家住宅@肥後民家村(和水・熊本)」
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和水町の学校コンペの審査。昼から体調を崩し、なんだか精神力勝負な審査会。どうやら、ハノイの最後の食事がよくなかったらしい。なんとかこなし、みんなが温泉入ったり、食事したり、歌ったりしているのをパスして、布団を被ってひたすら寝る。
写真は、午前中に案内してもらった肥後民家村にあった移築された住宅。窓が小さいのも、壁が軸組よりも外に出ているのも、室内に軒が落ちているのもみんな、節税対策だとか。そういえば、アルベロベッロも節税のための石積みだったような記憶が。


3月19日(月)
「クマモン@下通商店街(熊本)」
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早朝成田に着き、羽田で打ち合わせをしたり、たまったメールを何とかして(一部)、そのまま熊本へ。
県庁のNさんの家の打ち合わせ。なんだけれど、夜からは同世代の県の職員の方々が集まり、ミーティングっていうか、飲む(歌う)。





3月12日~3月18日

2012-03-21 | インポート
3月18日(日)
「ロンビエンの市場@ロンビエン橋の脇(ハノイ)」
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民族博物館で移築されたいろいろな小屋などを堪能。その後、陶器の街などを経て、初日に様子を窺ったスラム的ゾーンへ。ここから川側へ進むと、そのゾーンだったんだけれど、その道は若干不安があって広い道を進むと、古い町の風情が残ってはいるものの、割と落ち着いた雰囲気。


「水上生活@ロンビエン橋の脇の奥(ハノイ)」
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橋から見たときに水上の小屋も見えていた。で、そちらに向かってみる。アクリルタワシをつくる活動(水を汚さず洗える技術を広め、かつ、新しい仕事の創出が狙いらしい)で有名な漁師村だろうと思うんだけれど、それこそアプローチが不明。かなり突き進んで、レンガ倉庫みたいなのを抜け、ゴミの斜面地を下ると一軒だけ接岸しているところに。
その後、シーフードの店で食べて(これが問題だった)、空港へ。23:55発。割と混んでる。


3月17日(土)
「棚@ハノイの電柱」
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ホアロー収容所、軍事博物館、タンロン遺跡などを通して、ハノイの社会背景を追うような一日。戦争に関連したものへの向き合い方がかなり独特。
電柱がコンクリートのフィーレンデール式なのは初日から気になっていたんだけれど、そういったものが割と堂々と歩道に立っていることもあって、棚として有効活用されているところがたくさんある。


「歩道@ハノイの街並み」
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歩道が生活空間なのはいいけど、歩道はもはや歩けないことが多い。客が増えるとどんどん広がる。車道の歩道近くが、適宜歩道空間として判断される。その場その場でなにかしらの見立てがある。
夜、羊鍋の店へ。まずは焼いたのから。ビール以外のお酒はないか、って言って出てきたものの名前を書いてもらって、宿で調べたら山羊の睾丸酒って書いてあった。


3月16日(金)
「ロンビエン橋脇の居住エリア(ハノイ)」
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朝からハノイのまちを歩き続ける。はじめは、ほとんど信号が無くて、大量のバイクと車が走り続ける道を、どうやって渡るのかが課題だったけど、だんだん溢れ出る生活空間のタイプが面白くなってきた。
写真は事前に調べて少しだけ知っていた、ロンビエン橋のたもとのスラム(?)。今回は現地案内者無しなので、まずは遠目から。


「バイク@ハノイの道」
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バイクが多いのは知っていたけれど、夕方のラッシュ時になったら、ほぼ道の横断は不能で、店空間の拡張エリアだった歩道は、バイクの交通空間の拡張エリアとなった。でも、だんだん、運転が激しいんじゃなくて、回りの様子に気を配り続けることで成り立つ、高度にコミュニケイティブなように思えてきた。実際、事故もないし、車は凹んだりしていない。


3月15日(木)
「撮影@大学」
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朝、研究室では、気仙沼大島に模型を持って行くのをNHKが取材。ぼくは関係ない、じゃなくて、学生たちが主役なので、横で別件の打ち合わせ。午後、RAKU(神大デザインコースの年鑑)で山口文象氏が手がけた建築の特集をしようということで、伊達美徳氏や高木名誉教授を交えてミーティング。かなり興味深い情報が次々と。今年も面白いものになりそうな予感。
打ち合わせを途中退席して成田へ。


3月14日(水)
「研究室@大学」
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急遽決めた、十日町での打ち合わせのために、早朝大学へ。シーズンオフの早朝でも活動中。(最上階の右手)
十日町の工務店と長岡の茅葺き会社と打ち合わせをして、なんとか夕方には横浜に戻れた。


3月13日(火)
「キッチン合格@二俣川」
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今年も国際免許を取りに。駅から試験場への途中にある「合格」は、今年も健在だった。


3月12日(月)
「新潟の民芸など@自宅」
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大学とかでばたばたしていて、写真撮るようなきっかけがなかったみたい。
この間、新潟のセレクトショップで入手したもろもろ。農家の人が農閑期につくる和紙でできた鳥など。







3月5日~3月11日

2012-03-11 | インポート
3月11日(日)
「鉄塔写真@八條公民館大ホール(八潮)」
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八潮で、今年度のまちづくり100年運動の締めのイベント。我々5大学連携に加え、筑波大の渡先生のプログラムと、東京農大の荒井先生のプログラムも合わせて発表。大震災の時間には、みんなで黙祷。
筑波大主催の鉄塔写真コンテストが、応募作品数が伸び悩んだとはいえ、それなりな成果が出ていて面白かった。ダジャレは意見が分かれるところか。鉄塔鉄美はよかったけど。


3月10日(土)
「福島加津也さんの展覧会@radlab(京都)」
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京都府建築士会の講演会で京都。会場は北大路にあるホール。ホスピタリティ溢れる対応に恐縮しながら、無事終了。夕方に終わって、懇親会までの間に福島さんの展覧会へ。自分の関心事を美しい展示の形式に翻訳していて気持ちのいい展覧会だった。日常的なもののみで構成されていることや、展示スペースの雰囲気も、互いに関連し合っているように思った。


「犯罪被害者支援センターの募金自販機@御池通り(京都)」
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移動中眼にした自販機。在原業平の家があったところに、業平の句「梅の花香をのみ 袖にとどめ置きて わが思ふ人は 音づれもせぬ」を掲げた自販機。そこに「ひとりで悩まないで・・・」のメッセージ。誰向け?歴史横断?


3月9日(金)
「減築@そば屋のビル(馬車道)」
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馬車道のそば屋が工事中なのは知っていたけれど、実は建物の減築が目的だったみたい。道理で、内装は元とほとんど一緒なわけだ。ストリートビューで確認したら元は4階建て。50%減築。東日本大震災でこれも被災していたってことか。


3月8日(木)
「スニーカーの映像@黄金町エリアマネージメントセンター事務所裏(黄金町)」
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大学院入試などの後、国際交流基金のプログラムで来日リサーチしている海外の若いキュレーターたちと、BankARTと黄金町と寿町へ。それぞれ、代表の方が説明をしてくれた。感謝。黄金町では志村信裕さんの映像が路地に。寿町ではドヤの一室を視察。遅い時間になっちゃって、海外の人たちには迷惑だったかなあとも思ったけれど、暗いからこそ出来る体験でもあったか。


3月7日(水)
「WiCANの座談会@北仲スクール(馬車道)」
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大学と馬車道との間を、やたらと往復する一日。夕方には北仲スクールで、少し前に、千葉市美でシンポジウムをやったメンバーでの、続きの座談会。北仲スクールはすっきりと片付いて、こういうことをやる場所としては、なかなかよかった。


3月6日(火)
「3号館解体現場@神奈川大学(六角橋)」
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神奈川大学旧3号館はRIAの設計。阪神の震災を受けて耐震補強をした際に、75%(!)減築し鉄骨での補強を入れていた。新棟建設のために残りの25%も解体されることになって、ただ壊すんじゃなくて、補強が効いているかの実物大実験をした。その、現地説明見学会。事務所で打ち合わせしていて、見学し損ねた。


3月5日(月)
「開いたシャッター@万代島の水産会館(新潟)」
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伊丹から朝一の飛行機で新潟。水と土の芸術祭の打ち合わせ。メインエントランスとなるシャッターを開けてみる。やっぱり、水産会館の向こうに見える海には漁船を浮かべたい。
屋上に上がるルートで悩む。無理かなあ・・・。



2月27日~3月4日

2012-03-05 | インポート
3月4日(日)
「みかん@大三島BSの土産物屋(今治)」
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伊東建築塾のプログラムで、地域の小学生を相手に窓を開けるというワークショップ。すごく寒い中、子供達はとても熱心。将来建築家になりたい、っていう子供が何人かいた。丹下健三由来の地・今治、期待したい。
大三島の土産物屋には、柑橘がたくさん。知らない名前のもある。福山で太田浩史さんと寸暇を惜しんで飲み、新幹線で伊丹へ。


3月3日(土)
「今治信用金庫@今治(愛媛)」
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伊東建築塾による高松&今治・丹下健三(など)ツアーと、今治でのトークセッションに参加するため、朝の飛行機で高松へ。香川県庁舎ではディテールなどでの新たな発見があり、坂出人工土地では今なお深まる街並みに心打たれ、今治信用金庫では屋上に広がる外部サロンのような不思議な場所に驚く。こういった時代の建物たちが、みんなきちんと残されていることがすばらしい。
トークセッションの後、大三島に移って宿泊、っていうよりも飲む。


3月2日(金)
「大藪さん@JAL機内誌」
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認定教授会をはじめ学内外の打ち合わせ。出張のしわ寄せ解消日。写真は一枚も撮ってなかった。この日の出来事と関係ないんだけれど、JAL機内誌にデビューした寿町のギター弾き大藪さんの勇姿。


3月1日(木)
「ベンチ@グランモール公園(みなとみらい)」
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羽田に朝7時前に到着。9時から事務所で打ち合わせなんだけれど、ラッシュ時間なので、各駅の京急で横浜へ。なんだか雪が残っている。
昼食のついで、グランモール公園につくったベンチを見に。温度によって透明度の変わる塗装が覆っているので、下に引いてある高橋信雅さんの絵柄が見え隠れするはず。日が出てないと判りにくいかなあ。背後にある仮囲いは、加藤朋子さんによるグラフィック。世間は狭い。


2月29日(水)
「ビルバオ空港@ビルバオ」
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早朝の飛行機でビルバオからシャルルドゴールへ。カルトラバの空間は夜景が絵になる。飛行機は小さいエンブラエル。到着したシャルルドゴールの2Gのターミナルはすっごく外れにある。倉庫みたいな建物なんだけど、待合室がピンクやブルーの色ガラス。すぐに2Eに移動。で、羽田便へ。


2月28日(火)
「ズビズリ橋@ビルバオ」
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空港に近い、ということで選んだホテルだったんだけれど、部屋の窓から右を見るとグッゲンハイム、左を見るとカルトラバの橋。いずれも緑色。このホテル、部屋毎にちがう色の色ガラスの大開口部になっていて、部屋の中にいると、その色に支配される。居心地悪いので、とっとと外出。


「ビスカヤ橋@イバイサバル川河口(ビルバオ)」
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まずはフォスターの地下鉄の駅を、って思ったら、大半の地下鉄駅がフォスターによるもの。どこから乗っても同じ。地下鉄で西に向かい、世界遺産のビスカヤ橋へ。歩行者用にしてはものすごく高い橋で(でも、歩いて渡れる)、地面レベルに空中船のようなものが吊られていて、人や車はこの空中船で移動。反対側の陸地にある別路線の地下鉄で戻る。


「洗濯物の傘@旧市街(ビルバオ)」
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グッゲンハイム美術館をゆっくりまわり、今の市街を歩いたりしてから、東側にある旧市街へ。木製や金属製のバルコニーが出ていて、そこの緑化が盛ん。ちょっと奥に入ると下町的な風情。写真は洗濯物干し場。傘になるようになっている。干せる量が少なそうだけれど。


2月27日(月)
「かも@エストレラ庭園(リスボン)」
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Pauloさん、Isabelaさんの案内でスラム視察。待ち合わせがエストレラ庭園。少し早く着いて散策していたら、体格の良い鴨たちに遭遇。植え込みのそばでうずくまる姿は食べ過ぎの猫みたいだけど、これでも鴨。


「スラム1@Santa Filomena(ダマイアの外れ・リスボン郊外)」
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ここにはIsabelaさんが長年関わっているようで、現地の人たちがみんな知り合いみたい(人口は公称3600人)。アーティスト・イン・レジデンスのようなこともやっているらしい。多くはカーポベルデからの移民。上部に建物が被る、暗く迷路のような路地が続く。路地には水(排水?)が流れ、壁面を落書きやグラフィティが覆う。写真は禁止。唯一撮影が許されたのは、建物の屋上から。こことかで、少し様子がわかる。


「スラム2@Cova da Moura(リスボン郊外)」
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ダマイア駅の反対(南)側にあるこの地域が、ペドロ・コスタの映画の舞台となったところらしい。補助も厚く、関わっている活動団体も多い。さっきの場所とは印象が異なる。地域の活動団体の方に先導してもらって全体を回る。道の幅が広く、中には、道ばたで炭火焼き料理をつくっている人も。
夕方、リスボン空港に向かい、夜中にビルバオに着く。










2月20日~2月26日

2012-03-01 | インポート
2月26日(日)
「壁の草@バイロ・アルト(リスボン)」
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朝は、一人でシアードなどを探索。結果として、多様な乗り物三昧。大抵は建物内にあるエレベータも、多くは山頂への足となるケーブルカーも有料のれっきとした公共交通で、一日乗車券で乗る。乗り物好きには街自体がテーマパーク。
建物の壁からタイルや漆喰がはがれると、そこから植物が育つ。地面は全面的に石で路地には街路樹もないので、植物は垂直面に展開。


「埠頭のカフェ@アルマダ」
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フェリー乗り場に集合して、対岸の町アルマダへ。自動車ゼロ活動をしているということで、昨年の「Tokyo2050」のリサーチで参考にしたところの一つ。現地の話では、秋に1~2日だけの自動車ゼロ運動となっているとか。なあんだ。まあ、それでも大変なことか。
で、このエリア、旧市街地の街並み、たくさんの海の幸レストラン、海辺のカフェなど、かなり魅力ある観光拠点に思えるが、地球の歩き方とかには情報なし。


「カルトラバの駅@(リスボン)」
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夕方、万博関連エリアに行って、カルトラバの駅とかシザの広場(?)とかを見る。向かう途中の、バスの車窓の風景に、高層のソーシャルハウジングがあったり、小さなスクウォッターエリアがあったり、意図せず移動しながら視察。
カルトラバの空間をはじめて体験。想像以上の存在感。
夜、大榎さんルートでのスラムツアーが何とかなりそうな連絡があって一安心。


2月25日(土)
「発掘現場の展示@サン・ジョルジェ城(リスボン)」
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アルファマの外れにある泥棒市を覗いて、アルファマの街並みをうろうろしながらサン・ジョルジェ城へ。重要な史跡なわけだけれど、一部改修してレストランになっていたり、発掘現場を屋外ギャラリー化していたり、使い倒してるのが楽しい。


「アルファマの街並み@アルファマ(リスボン)」
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アルファマは、言わば元祖リスボンのスラム。イスラム時代の住宅地が、震災の被害を受けなかったために再建対象エリアから外れたため市街化から外れてスラム化し、それが今では、古い街並みが残る観光名所に。
バスで、世界遺産でもあるジェロニモス修道院へ。濃い表層の操作とスケールや陰影が相まって、迫力ある空間体験。集大成と言われるだけのことはある。


「踊場で食事@バイロ・アルト(リスボン)」
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夕方、大榎さんも合流して、電気マニアな若手のライブへ。フェンダーのミニアンプの露出させた基盤を指で触って出たノイズを、エフェクターで加工(しているように見えた)。その後みんなで食事するのに歩いていたら、道にはみ出しているっていうよりも、踊場が店に。


2月24日(金)
「修道院@エヴォラ」
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どうやら情報が古いらしいカーナビに惑わされつつ高速にたどり着き、なんとかエヴォラへ。ポルトガルの高速は北の方が新しいみたいで、この辺はあまりスピードを出せない。
有名な人骨堂(写真は自粛)では、実物に接すれば厳かな気持ちになると信じていたんだけれど、感覚的にはキワモノ感から抜け出せなかった。写真の修道院では、貧困やアルコール依存対策とかの活動をしているらしい。


「集合住宅@キンタ・ダ・マラゲイラ(エヴォラ郊外)」
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シザによる大規模なソーシャルハウジングへ。階段も建具も外装も楽しくカスタマイズされまくっているけど、シザの建築としての存在感は失われていない。個人的にはこの方が良い。写真には写ってないけど、インフラが巨大化した電柱というか水道橋というか、ともかく上部に持ち上げられているのも印象的。


「奇相@ペーナの宮殿(シントラ)」
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リスボンを通り過ぎてシントラ。ポルトガルの由緒ある町は、どこも坂だらけで、道が狭くて、石畳が滑って、ほんとに何だかもう、なドライブ環境(今日的に整備されたら台無しなわけだけど)。シントラの道も大変だったけれど、なんとか無事にリスボンに到着し、レンタカーを返却。夜、先にリスボン入りしていた大榎さん、遅い便で到着して駆けつけた山本さんと合流して、全メンバーが揃う。


2月23日(木)
「シザの教会@マルコ・デ・カナヴェゼス」
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宿で見学の予約をしてもらってから、シザの教会へ向かう。自然の中にポツンとあるのかと思ったら、案外、普通の郊外の町に建っている。中は撮影禁止。予約してなかったら見せてもらえなさそうなムードだった。芳名帳の隣のページに、有名建築家(大御所?)のT氏の名前が。


「バターリャ修道院@バターリャ」
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昼食の時間をはしょって走り続け、バターリャの修道院へ。ここの聖堂は未完。これでもか、っていうくらいのマヌエル様式による装飾。一方、ゴシックの礼拝堂の方はステンドグラスの色のある光りが、大理石に広がっていて綺麗。割と近くにあるアルコバサの修道院を訪れ、オビドスへ向かう。


「ポサーダ@オビドス」
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この日の宿は予約せずにきたんだけれど、前日の体験がよかったので、ポサーダを急遽予約。今度は、もと城。上り坂の石畳に悩まされつつも、みんなに前とか後ろとか横とか見てもらいつつ雁行する城郭の門を抜け、何とか到着。城郭都市そのものを体験することができた。しかも客室はお城の塔。窓は縦長のスリット。全体に、少々わざとらしい内装が気になる。


2月22日(水)
「ソーシャルハウジング@ボウサ(ポルト)」
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レンタカーを借りて視察スタート。予約してたのが無くて、アップグレードした車が無駄に高級で、マニュアルなのにハンドブレーキがスイッチ式。そのため、最終日まで坂道発進に悩まされることに・・・。OMAのカサ・デ・ムジカや(ポルトガル語の案内ツアー)、シザのソーシャルハウジングや、カッコイイ本屋などを見学。


「プール@ポルト郊外」
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ポルト郊外にある、シザの処女作らしいレストランで食事。装飾的なディテールなど、今のシザからは想像しにくいやり過ぎ感がある。とはいえ、人間としての体験を最優先、ってところは通底しているか。北川フラムさんおすすめだった、すぐ近くの海辺のプールへ。岩場の海岸に部分的にコンクリートの塊を配置して、プール化。自然への手の入れ方が独特で面白い。


「ポサーダ@ブラガの北の方」
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ブラガで、ソウト・デ・モウラのスタジアムを遠くから見たりしてから、同じ、ソウト・デ・モウラが改修設計を手がけたポサーダに。元修道院。ステンレスパイプの幅木に代表されるように、細かい金属部材とガラスが、元の建物の空間を邪魔しないようにデザインされている。トイレの男女表示は、師匠であるシザによる男女の鉛筆画。額装されているので、絵が掛かっているようにしかみえない。


2月21日(火)
「アバスク@JALの機内誌」
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ポルトガルへ出発。トランジットのフランクフルトでソーセージをつまみに(どういうわけかおいしくない)飲みながら打ち合わせ。で、ポルトの空港には夜中に到着。
JALの機内誌に知り合い関連が二つ。一つは、寿町のギター弾き大藪さんが写真入りで(こちらは国内線と共通)。もう一つは、佐々木龍郎さんが手がけたバスク料理店(こちらは国際線のみの部分)。


2月20日(月)
「食事会@馬車道」
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新港村の打ち上げで、BankARTの方々と担当したスタッフとで昼食会。1階にある茶碗屋・卯甲の器で食べる。贅沢
。大学に提出する書類とかを渡航前に、ってやってたら、学会の委員会に出損ねる。