老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

コリアタウン近くの疎開道路など

2020年12月20日 19時24分20秒 | 旅行/色々な風景

 昨日のコリアタウン行きで思い出したのが、コリアタウンの入り口(御幸森天神宮側)に面した、道路が「疎開道路」と呼ばれているらしいことでした。

 数年前にこの近くに住む知人からこの「ソカイ道路」という名を聞いた時には、「ソカイ」がかっての戦争時の「疎開」と同じとは思えず、その知人も詳しい由来は知らないらしく“戦争の空襲時に、人が逃げるのに使った道?”ということだったのですが、昨日急にこの言葉を思い出して調べてみました。

 確かに、「疎開道路」という呼称はありました。
WIKIPEDIAなどで調べてみると、“大阪市道の上新庄生野線の内、東成区中道(森ノ宮公団住宅前交差点)から生野区林寺2丁目交差点までのことを指す”とありました。 

 この区間は当初、大阪市の第三次都市計画事業街路中道桑津線(幅員11m)として、昭和12年3月に認可を受けて計画されたものの、既に住宅密集地となっており用地買収には難渋が予想され、手付かずであった。 

 しかし、第二次世界大戦中の1944年2月末より、この計画をそのまま転用して防火空地帯として建物が強制的に疎開され、道路として供用されることになった。 その工事は、戦時中ということもありかなり急速に進展したようで、1944年3月末に開始した撤去工事が5月10日には完成したようです。

 確かに「ソカイ」は「疎開」でしたが、この疎開はこの言葉で思い浮かべる”住民の疎開”ではなくて、ここにあった建築物が強制的に疎開されたという事のようです。


 また御幸通商店街西側の、この疎開道路を超えた突き当りに弥栄神社という神社がありますが、この周辺には戦火を免れた旧家が沢山残っています。

 知人から、“ここは天王寺に近いが、兎我野地区には外国人が多かったので、空襲対象から外されたらしい”と聞いた記憶があります。
もっともらしい話ですが真偽のほどは不明です。

 何れにせよ、先日紹介した中崎町界隈と言い、大阪の中心部に近い所でも戦災を免れた場所が残っています。(まさ)


通称「疎開道路」

弥栄神社

周辺にある古い民家の蔵


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