老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

春の京都へ (その2)  ~南禅寺方丈庭園・旅館「八千代」~

2017年03月27日 22時11分43秒 | 旅行/色々な風景
 南禅寺の塔頭の一つである帰雲院での納骨後、昼食までに少し時間があったので、帰雲院の隣にある南禅寺方丈(国宝)を拝観しました。南禅寺には何回も来ているのに、いつも足早に通りぬけるだけで、じっくりと方丈の内部や庭を拝観するのはこれが初めてでした。

 方丈庭園(名勝指定庭園)は、禅宗独特の大きな石や苔などが配置された枯山水の借景式庭園で、落ち着いた品格ある庭でした。

 その後、食事は南禅寺境内にある日本式旅館(兼料亭)の「八千代」で頂きました。ここは50年以上も前になるでしょうが、商社に入社直後にイギリスの有力取引先の人をこの旅館に案内し、非常に喜んでいただいた記憶がある思い出のある所ですが、私自身ここで食事するなどは初めてでした。

 今回は、綺麗な和室が眺められる2階の和室での食事でしたが、窓の直ぐ外にはシダレ桜の蕾がすっかり膨らんでおり、1週間後には素晴らしい眺めになるだろう風景を楽しみながらの、楽しくて美味しい料理でした。(まさ)


南禅寺方丈の庭園

同上

庭園と、こけら葺の大方丈の屋根

巨石と苔の庭

ふすま絵(これは、内緒の撮影です)

スギゴケのアップ写真。本当にキレイな苔です。

境内にある旅館菊水の竹垣、ここは歴史的風土特別保存地区です。

和式の落ち着いた旅館八千代の玄関

同上、2階からみた庭園

同上

窓の近くのシダレ桜。蕾がすっかり膨らんでいます。

今日のお料理。土鍋の中は私の大好物の湯豆腐がタップリでした。
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春の京都へ (その1)  ~南禅寺・帰雲院~

2017年03月26日 21時38分09秒 | 旅行/色々な風景
 昨日は、昨年末に亡くなった私の叔父の奥さんの納骨で久しぶりに京都へ出かけました。

 納骨場所は南禅寺の塔頭寺院(12もあるそうです)の一つである「帰雲院」という寺院で、今日は大阪からJRで山科駅まで行き、そこから地下鉄で「蹴上」までというコースで行きました。

 少し早目に着いたので、南禅寺境内をゆっくりと散策しながら帰雲院に向かいましたが、昨日までの寒さも少し和らいだ好天気で、丁度春休みという事もあり、桜にはまだほんの少し早い時期というのに、京都は早朝から沢山の観光客で賑わっていました。

 帰雲院はそんなに大きくはないのですが、非常に落ち着いた庭があり、墓苑は疎水を超えた裏側にあるのですが、敷地が狭いためにビル式の近代的な納骨場所になっていました。
やはり京都は大阪と比べると少し寒い様で、庭では丁度フキノトウが出始めたり、ウメやシデコブシが開花を初めていました。

 その後、食事まで少し時間があったので、初めて南禅寺の方丈を拝見したり、食事後に二条城や六角堂にも足を伸ばしましたが、その様子は別途お知らせします。


地下鉄蹴上駅から近い、疎水下のトンネルをくぐって、南禅寺へのショートカットです

南禅寺境内の静かな佇まい

南禅寺の法堂。何度見ても凄い屋根だと思います。

疎水下のレンガ作りの支柱。この時期は木々の葉が少なく良く見通せます。

帰雲院入口

寺院内の障子の様子。団地住まいの長い私には懐かしいような景色です。

帰雲院庭園。色々な瓦が上手く配置されています

同上。

墓苑


シデコブシ

フキノトウ。今が食べごろという感じです

白梅
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忖度 (ソンタク)?? 

2017年03月25日 20時07分45秒 | 政治・経済関係
 意味も読み方も難しいし、日常ではまず使わない言葉ですが、今回の森友学園を巡る問題では頻繁に使われるようになりました。
辞書で調べてみると、「デジタル大辞泉」では“他人の心をおしはかること。”とあり、また「大辞林(第三版)」でも“他人の気持ちをおしはかること。推察。”とあります。

 更に調べてみると、「忖」は“はかる”という意味の漢字ですし、「度」は“ものさし、はかる、たび、わたる”という意味の漢字です。

 この二つを合わせた「忖度」には辞書的には上記のような意味になるのでしょうが、更に詳しく詰めると、“心をものさしで測る”ようなイメージで、“基準となるもので他人の心をはかる”というような意味になるのではないでしょうか。 
もっと判り易い言い方をすれば、“建前ではそう言うけど、本音はこうだ”というような憶測を意味するのではないでしょうか。

 それでは、今回の森友学園に関する、この忖度を云々される基準となったのは何かと考えると
・安倍総理の夫人である、安倍昭恵氏が森友学園瑞穂の国小学院の名誉校長に就任していた。
・更に同校の寄付金募集の趣意書には「安倍晋三記念小学校」との記載があった。
という事実でしょう。

 これらの指摘に対して、安倍総理は 『二人からの働き掛けは一切なく、法的問題はなく、典型的な印象操作だ』とムキになって答弁されていましたが、果してそれで国民が納得するでしょうか?

 土地払い下げや学校認可に際して、この実務を担当した人にとっては、前述の事実を前にしては、例え直接的な要請がなくても、“土地の払い下げや、学校の認可先送りで、この学校の設立を不認可或いは遅延させれば、総理夫人引いては総理に恥をかかせることになる”と考えたとしても不思議ではないでしょう。

 更に、官僚には当然出世したいという人が数多くおり、そのような事から政治家や上司に褒められたいという気持ちが働いたことも歪めないでしょう。

 あの怪しげな右翼丸出しの、籠池夫婦の発言を信じているわけではありませんが、今までの安倍総理の言動と籠池夫妻の教育方針にはどこか通じるところがあり、少なくとも今まで何らかの接触(言葉が悪ければ“同じ目標に向っての暗黙の同意”)があったと推測されるだけに、このような忖度が感じられるような状況を作ってしまった安倍総理夫妻事自体に問題があるのではないでしょうか


 これに関して思い出すのは、学生時代に習った中国の有名な故事『瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず』です。
これは、“瓜(ウリ)の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。また、李(スモモ)の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われる”という戒めで、誤解を招くような行動はすべきではないという意味です。
 
 この言葉は、古楽府「君子行」という君子としての心構えを説いた書物の中にあるのですが、実は全文は「君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。」で、この有名な言葉の前には、“君子たるもの、少しでも嫌疑を招くような事は未然に防ぐべき”という言葉があるのです。

 “美しい国”を目指し、現在我が国の最大権力を持ち、国民を代表する(即ちかっての君子の代表と同じ立場にあるべき)安倍総理のことですから、このような事は当然ご存知でしょう。
そうだとすれば、例え法的に問題のある直接的な言動までしていないとしても、“印象操作だ!”と嘆くような事態を招かないように、日頃の言動をもっと君子らしく律するように心がけるべきではないでしょうか。(まさ)
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団地内の春を求めて

2017年03月24日 20時42分57秒 | 運動/散歩など
 ここ数日、肌寒い日が続いています。今日は午後から好天気になったので、カメラを手にして団地内をぶらり歩き…

  まだ冷たい風の中でも、良く見ると色々な花が開花していて、植物たちは本格的な春が間近なことを感じているのでしょう。

 このブログを始めてから、今までは余り気を付けて見ていなかった団地の花にも細かい目が届くようになり、植物の微妙な変化を感じたり、新しい発見があります。(まさ)


ジンチョウゲ(沈丁花)も満開で香りも一杯です。

同上アップ

アセビ(馬酔木)

同上アップ

黄色のミニスイセン

同上アップ

ニワウメ

同上アップ

コブシ

アカバナマンサク

同上アップ

ヒガンザクラ

同上アップ
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神子畑選鉱場跡(朝来市)

2017年03月23日 19時33分01秒 | 旅行/色々な風景
 R429の笠杉トンネルを超えて、朝来市への途中に、神子畑(ミコハタ)選鉱場跡という巨大な遺跡があります。WIKIPEDIAなどで調べると、この選鉱場の歴史は次のようです。

◆この地は神子畑鉱山として戦国時代より栄えていたが、直ぐ近くの生野鉱山の繁栄でその地位を奪われる格好で休山。その約300年後の1878年(明治11年)に明治政府が銀鉱脈を発見、翌1879年から採鉱を本格化するが、その後次第に衰退して三菱へ払い下げられるも、一度は閉山となる。

◆北西約6キロに位置する養父市の明延鉱山は戦国時代頃より採掘が始められた金属鉱山で、金・銀・銅・鉛・錫などを産出してきたが、1909年に明延鉱山で優良な錫鉱脈が発見され、採掘鉱量の増加により従来の選鉱施設では手狭になってきていた。
そこで明延では採鉱後の一次破砕までを行い、神子畑に選鉱機能を移設する計画が持ち上がり、、1919年に神子畑は明延鉱山から運び込まれた鉱石を選鉱する大規模な「機械選鉱場」として生まれ変わることとなった。

◆神子畑選鉱場では、山の斜面を利用した巨大な機械選鉱場はその規模・産出量ともに「東洋一」と謳われ、特に「比重選鉱技術」は国際的にも高い評価があったようです。
最盛期には約3000人が従事し、24時間稼働していたようで、夜になると光に浮かぶ選鉱場が不夜城のようだったといわれています。

◆しかし、その後円高の急激な進行で競争力を失った明延鉱山が1987年に閉山されることになり、その後は長らくこの選鉱場の建物が残存していたが、2004年に撤去・解体され、現在はひな壇状に22段構成となっていた鉄筋コンクリートの基礎構造物と、選鉱所の上下を結んでいたインクラインの跡が残るだけとなっている

◆かっては、明延鉱山から本選鉱場までは明神電車で鉱石が搬送されていたが、これには従業員の家族などが便乗できる客車も連結されていて便宜を図っていたようです。この料金が1円だったことから、一円電車とも呼ばれていたようで、現在国道に隣接している史跡公園「鉱石の道 神子畑ステイション」の一角に展示されています。

 このように、かっての日本の工業を支えた非常に巨大な鉱山遺跡ですが、明延鉱山の他にもこのすぐ南には日本初の官営鉱山となった生野鉱山もあり、これらの3つの鉱山のエリアは平成16年に「鉱石の道」と命名され、平成19年には経済産業省の近代化産業遺産群に認定されています。(まさ)


神子畑選鉱場跡。高さは75mもあるようです。左側にはインクラインが見えます

かっては、このように全体が屋根で覆われていたようです。(案内板の写真から)

選鉱所の上下を結んでいたインクライン跡。ケーブルカーのように真中で交差します

シックナーと呼ばれる巨大な施設。(円錐形になっており、巨大な脱水機のようです)

2基あります

「鉱石の道 神子畑ステイション」に展示されている明神電車(通称、一円電車)

神子畑選鉱場と明延鉱山の位置図。一円電車は6.1kmを運行していました

直ぐ近くにある、巨大なサルスベリの木

敷地内にはかっての社名「明延鉱業」が大きく残っています。

播但自動車の朝来IC近くにある羽渕鋳鉄橋。現在でもJR播但線が利用しています。
何とも存在感のある鉄橋です。
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