老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

マルタ旅行記①  ~マルタ共和国の概要~

2024年04月13日 19時36分04秒 | 旅行/色々な風景

(旅行から帰国後3週間が経過。その間丁度サクラや春の花の時期とも重なったこともあり、旅行記の書き込みが出来ていませんでしたが、何とか写真整理の目途も付きましたので今日からボツボツとアップを始めます。少し長くなりそうなので小休止入るかも知れませんがお付き合いください)

 前に書き込んだように、私はギリシャ/フェニキア/ローマ/キリスト教/イスラム教が入り組んだ歴史と、融合した文化を持つ地中海地方に大変興味を持っていて、今回はその内のマルタ共和国へのツアーに参加しました。

 小さな国で、わずか5泊なので、旅行記も直ぐに出来るだろうと思っていたのですが、大きな誤算でした。余りにも見所多く、歴史遺産も数多く、野生の花の見ごろとあって、写真の整理にも手間取りましたが、結構長いものになりそうです


 マルタは日本人には余り馴染みがなく、名前は知っていても地中海にあるイタリアの一部と思われている人が多い様ですが、イタリアのシチリア島から約100㎞南にあり、日本で言えば長崎県の福江島とほぼ同じ面積(淡路島の約半分強)で、人口も50万人を少し超えた程度の非常に小さな島国ですが、ちゃんとした共和制の独立国でEUのメンバーでもあります。

 従って、いつもの海外旅行と違って、現地での移動日はなく首都のヴァレッタのホテルに連泊して、徒歩やバスを利用してあちこちを回るという内容でした。

 そんな狭い国に5泊もして飽きないのかと思われる方が多いかと思いますが、この国は歴史遺跡や自然景観に恵まれていて、5泊では足りない位でした。

 いつもの旅行記とは違い、同じような古代の遺跡を数回に分けて観たり、マルタ騎士団に関係する教会などの史跡を多数訪問したりしましたので、ある程度項目ごとに絞って纏めてみることにします。


 時期的に野草が咲き乱れる荒れ地と、飴色の石灰岩の石垣で作られた頑丈な城壁に囲まれた都市部という全く対照的な景観ですが、これは石灰岩で余り肥沃でないマルタの歴史そのものなのです。

 先ずはマルタ共和国観光局の資料を参考に、少し長くなりますがマルタを理解する大きな鍵となるマルタの歴史を纏めてみます。

<巨石文明・紀元前>
紀元前5200年頃:石器時代後期、シチリア島から渡来した人類が洞窟に住み始める。
紀元前3500年頃:(エジプト・ギザのピラミッドより約1000年前)石器神殿が建造される。
紀元前800年頃:フェニキア人が地中海貿易の拠点として定住。マルタ語の基盤となる言語が持ち込まれる。
紀元前480年頃:カルタゴの支配下に。
紀元前218年頃:カルタゴが共和政ローマとのポエニ戦争で滅亡。その後、ローマ帝国の支配下に。灌漑などの技術が導入されて生産性が向上する。

<キリスト教伝来から>
60年:聖パウロがマルタ島に漂着し、キリスト教を伝える。
392年:ローマ帝国、キリスト教を国教化。
395年:ローマ帝国から分離した西ローマ帝国の滅亡後、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)が支配。
870年:イスラムが支配。キリスト教徒は税制上冷遇される。
1090年:北欧バイキングを起源とするノルマン人のルッジェーロ伯爵がアラブ勢力からマルタを開放、キリスト教を公認。現在のマルタ国旗の原型を作る。
1127年~:息子ルツジェーロ2世のノルマン王朝シチリア王国、ドイツ、フランス、スペインの貴族から交代で支配される。

<マルタ騎士団>
1530:聖ヨハネ騎士団がマルタを拠点とする。
1565年:オスマン帝国が4万の大軍を派兵。マルタ側はわずか8千程の兵力で4ヶ月間抵抗。やがてカトリック教国側の援軍が到着、補給の遅れや病人の増加でオスマン軍は撤退する。カトリック教世界を救った重大事として、大包囲戦(グレート・シージ)と呼ばれる。
1566年~:新たな要塞都市の建設に着手。当時のマルタ騎士団長ラ・ヴァレットの名前からヴァレッタと名付けられる。
1578年:ヴァレッタに聖ヨハネ大聖堂が完成。騎士団員であったイタリアの巨匠カラヴァッジオの傑作「聖ヨハネの斬首」が展示されている。

<ナポレオン、イギリス、独立>
1798年:エジプト遠征の中継地として、ナポレオン軍が占拠、マルタ騎士団は退去。
その後、ネルソン率いるイギリス艦隊が包囲し、フランスは退去。
1814年:パリ条約により、イギリス領に。貿易、軍事上の重要拠点になる。
1914~1918年:第一次世界大戦で連合国に港を提供。負傷した将兵を受入れ、’地中海の看護婦’と呼ばれる。
1942年:第2次世界大戦でイタリア、ドイツから空爆に耐え抜いたマルタの人々の勇敢さを称え、イギリス国王ジョージ6世から名誉あるジョージクロスを与えられる。現国旗の左上角に配置されている。
1964年:英連邦にてイギリスから独立。
1974年:共和制導入。マルタ共和国となる。
2004年:EU(欧州連合)加盟。
2008年:通貨にユーロ導入。


 因みにマルタ共和国は、日本と同様に資源の少ない小さな島国ですが、地中海気候の真ん中にあり降水量は少なく、更に高い山もないので水資源に乏しくようですし、耕作可能面積も少ないようなので、水やエネルギー需給率と共に、農産物の需給率も気になっていました。

 水に関しては、海水を淡水化させて飲料水にしているマルタでは、水道水は一応飲める水準にあるようだが、ほのかに海水の塩味が残っているため味がとても悪く、飲料水はミネラルウォーターを買って飲むことが人々の間でも主流になっているとのことですし、食料自給率も20%にすぎないとも聞きましたが、電力についても発電不足分はイタリア(シチリア)より購入しているとのことでしたが需給率などに関する細かいことは不明でした。

 また、マルタは地中海には珍しく英連邦の国で公用語は英語とマルタ語(アラビア語由来のようです)で、語学留学受け入れが大きな産業にもなっているようです。

 車も日本と同じく左側通行で日本の中古車が多い様です。


 更に、「マルタの」という形容詞は「Maltese」で、小型犬のマルチーズの名はマルタに由来するようです。(まさ)

マルタの国旗(左上には、第二次世界大戦中のマルタ国民の勇敢な行動に対してイギリスより贈られたジョージ・クロスが取り入れられている)