老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「林住期」或いは「四住期」に思う

2016年11月28日 23時34分59秒 | 高齢化社会での生活・終括・社会保障など
 9月13日付けのこのブログで作家五木寛之氏の林住期に関する説を紹介させていただきました。
人生を4つの時期に分けて、その中で「林住期」に大きな役割を持たせることは、多くの人の理想として共感を得られるものと思います。

 しかし、私自身の個人的レベルではしっくりしない所が多く、その後色々と悩んでいましたが、凡人の代表だと自負している私なりの四住期ならぬ三住期を考えて見ました。

(1)学生期
・“一生これ学び”です。
確かに身に付けた知識や人生観は、その後の人生で役立つでしょうが、これだけ技術革新や通信手段などがめまぐるしく進歩する社会では、絶えず新しい知識や技術を吸収して行くことに追われています。
・何も最先端の機器を使いこなす必要はないでしょうが、家庭においても、仕事やボランティア活動などの家庭外においても、人と接する以上はある程度の学びの姿勢は絶対に必要です。特に高齢になってからは・・・。

(2)家住期
・先日のこのブログでも触れたように、将来の年金や社会保障への不安が濃くなっている社会では、殆どの人が高齢になっても経済的に安心などできないでしょう。
・まして、若い世代で非正規雇用の比率が大きくなっている状況もあり、“社会が良い方向に向かっていて、将来は安心”と確信が持てない状況ではこの傾向は改善されないでしょう。

(3)林住期
高齢になり仕事から解放され、ボランティア活動を含む社会的な活動を心がけるとしても、“隠棲して修行する”というような精神主義的な生活はとてもできず、上で見たように、絶えざる知識吸収と生活のやりくりからは逃れえそうもありません。

(4)遊行期
“一定の住所をもたず乞食遊行する時期”ということですが、本当に憧れます。 
充分な資産があり、周りの人には一切の迷惑を掛けないで済む環境の人なら可能でしょうが、世のシガラミに絡み取られている凡人には、とても無理でしょう。


 ということで、私の場合は先ず遊行期は諦めて、一生学生期・家住期が混在した中で過ごし、その合間に少しでも林住期の気分でも味わえたらという所でしょうか。

 別の言い方をすれば、“勉強(あるいは知識吸収)と家庭に関わることは一生涯ついて回り、その間で可能な限りで仕事とは離れて社会に貢献出来ることを心がける”ということになるのでしょうか。
現実から抜け出せず、余りにもありふれた世俗的な生活で申し訳ありません。(まさ)

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