意味も読み方も難しいし、日常ではまず使わない言葉ですが、今回の森友学園を巡る問題では頻繁に使われるようになりました。
辞書で調べてみると、「デジタル大辞泉」では“他人の心をおしはかること。”とあり、また「大辞林(第三版)」でも“他人の気持ちをおしはかること。推察。”とあります。
更に調べてみると、「忖」は“はかる”という意味の漢字ですし、「度」は“ものさし、はかる、たび、わたる”という意味の漢字です。
この二つを合わせた「忖度」には辞書的には上記のような意味になるのでしょうが、更に詳しく詰めると、“心をものさしで測る”ようなイメージで、“基準となるもので他人の心をはかる”というような意味になるのではないでしょうか。
もっと判り易い言い方をすれば、“建前ではそう言うけど、本音はこうだ”というような憶測を意味するのではないでしょうか。
それでは、今回の森友学園に関する、この忖度を云々される基準となったのは何かと考えると
・安倍総理の夫人である、安倍昭恵氏が森友学園瑞穂の国小学院の名誉校長に就任していた。
・更に同校の寄付金募集の趣意書には「安倍晋三記念小学校」との記載があった。
という事実でしょう。
これらの指摘に対して、安倍総理は 『二人からの働き掛けは一切なく、法的問題はなく、典型的な印象操作だ』とムキになって答弁されていましたが、果してそれで国民が納得するでしょうか?
土地払い下げや学校認可に際して、この実務を担当した人にとっては、前述の事実を前にしては、例え直接的な要請がなくても、“土地の払い下げや、学校の認可先送りで、この学校の設立を不認可或いは遅延させれば、総理夫人引いては総理に恥をかかせることになる”と考えたとしても不思議ではないでしょう。
更に、官僚には当然出世したいという人が数多くおり、そのような事から政治家や上司に褒められたいという気持ちが働いたことも歪めないでしょう。
あの怪しげな右翼丸出しの、籠池夫婦の発言を信じているわけではありませんが、今までの安倍総理の言動と籠池夫妻の教育方針にはどこか通じるところがあり、少なくとも今まで何らかの接触(言葉が悪ければ“同じ目標に向っての暗黙の同意”)があったと推測されるだけに、このような忖度が感じられるような状況を作ってしまった安倍総理夫妻事自体に問題があるのではないでしょうか。
これに関して思い出すのは、学生時代に習った中国の有名な故事『瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず』です。
これは、“瓜(ウリ)の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。また、李(スモモ)の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われる”という戒めで、誤解を招くような行動はすべきではないという意味です。
この言葉は、古楽府「君子行」という君子としての心構えを説いた書物の中にあるのですが、実は全文は「君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。」で、この有名な言葉の前には、“君子たるもの、少しでも嫌疑を招くような事は未然に防ぐべき”という言葉があるのです。
“美しい国”を目指し、現在我が国の最大権力を持ち、国民を代表する(即ちかっての君子の代表と同じ立場にあるべき)安倍総理のことですから、このような事は当然ご存知でしょう。
そうだとすれば、例え法的に問題のある直接的な言動までしていないとしても、“印象操作だ!”と嘆くような事態を招かないように、日頃の言動をもっと君子らしく律するように心がけるべきではないでしょうか。(まさ)
辞書で調べてみると、「デジタル大辞泉」では“他人の心をおしはかること。”とあり、また「大辞林(第三版)」でも“他人の気持ちをおしはかること。推察。”とあります。
更に調べてみると、「忖」は“はかる”という意味の漢字ですし、「度」は“ものさし、はかる、たび、わたる”という意味の漢字です。
この二つを合わせた「忖度」には辞書的には上記のような意味になるのでしょうが、更に詳しく詰めると、“心をものさしで測る”ようなイメージで、“基準となるもので他人の心をはかる”というような意味になるのではないでしょうか。
もっと判り易い言い方をすれば、“建前ではそう言うけど、本音はこうだ”というような憶測を意味するのではないでしょうか。
それでは、今回の森友学園に関する、この忖度を云々される基準となったのは何かと考えると
・安倍総理の夫人である、安倍昭恵氏が森友学園瑞穂の国小学院の名誉校長に就任していた。
・更に同校の寄付金募集の趣意書には「安倍晋三記念小学校」との記載があった。
という事実でしょう。
これらの指摘に対して、安倍総理は 『二人からの働き掛けは一切なく、法的問題はなく、典型的な印象操作だ』とムキになって答弁されていましたが、果してそれで国民が納得するでしょうか?
土地払い下げや学校認可に際して、この実務を担当した人にとっては、前述の事実を前にしては、例え直接的な要請がなくても、“土地の払い下げや、学校の認可先送りで、この学校の設立を不認可或いは遅延させれば、総理夫人引いては総理に恥をかかせることになる”と考えたとしても不思議ではないでしょう。
更に、官僚には当然出世したいという人が数多くおり、そのような事から政治家や上司に褒められたいという気持ちが働いたことも歪めないでしょう。
あの怪しげな右翼丸出しの、籠池夫婦の発言を信じているわけではありませんが、今までの安倍総理の言動と籠池夫妻の教育方針にはどこか通じるところがあり、少なくとも今まで何らかの接触(言葉が悪ければ“同じ目標に向っての暗黙の同意”)があったと推測されるだけに、このような忖度が感じられるような状況を作ってしまった安倍総理夫妻事自体に問題があるのではないでしょうか。
これに関して思い出すのは、学生時代に習った中国の有名な故事『瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず』です。
これは、“瓜(ウリ)の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。また、李(スモモ)の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われる”という戒めで、誤解を招くような行動はすべきではないという意味です。
この言葉は、古楽府「君子行」という君子としての心構えを説いた書物の中にあるのですが、実は全文は「君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。」で、この有名な言葉の前には、“君子たるもの、少しでも嫌疑を招くような事は未然に防ぐべき”という言葉があるのです。
“美しい国”を目指し、現在我が国の最大権力を持ち、国民を代表する(即ちかっての君子の代表と同じ立場にあるべき)安倍総理のことですから、このような事は当然ご存知でしょう。
そうだとすれば、例え法的に問題のある直接的な言動までしていないとしても、“印象操作だ!”と嘆くような事態を招かないように、日頃の言動をもっと君子らしく律するように心がけるべきではないでしょうか。(まさ)