在日コリアン作家・金達寿の生誕100年を記念した展覧会に足を運んだ(神奈川近代文学館)。
かれは日韓併合下の朝鮮に生まれ、戦中戦後、日本語で作品を書き続けた。金石範、李恢成、金時鐘らと同様に、「占領者のことばを使って表現する」という、自身のアイデンティティを揺さぶられる事態を文学に昇華していった人だと言うことができる。
会場には、『玄界灘』『朴達の裁判』の原稿や、パイオニアの金史良(朝鮮戦争に身を投じて消える)からの手紙なんかが展示され、また金芝河を支援するスピーチのテープを聴けたりもして、とても面白かった。小松川事件の李珍宇(大島渚が『絞死刑』で描いた)や金嬉老への支援をしていたということは意識しておらず発見。
僕の『玄界灘』には署名が入っていて、「寿」の字が可愛いなと思っていたのだけど、原稿を見ると、「あ」や「み」の丸いところが同じ感じ(当たり前だ)。そして右肩上がり。こういう展示は作家に親しみがわいてきて楽しい。