詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ウディ・アレン監督・脚本「それでも恋するバルセロナ」(★★★★)

2009-06-30 00:31:46 | 映画

監督 ウディ・アレン 出演 スカーレット・ヨハンソン、ペネロペ・クルス、ハビエル・バルデム、パトリシア・クラークソン、レベッカ・ホール

 ウディ・アレンは女優のあつかいがとてもうまい。ウディ・アレンの映画に出演し、アカデミー賞主演・助演女優賞をとった女優は何人目だろうか。ダイアン・キートンが「アニー・ホール」で主演女優賞をとったのを筆頭に数人はいるのではないだろうか。ペネロペ・クルスは、この映画で助演女優賞を獲得している。

 映画はペネロペ・クルスが登場してからが、俄然輝きだす。
 特におもしろいのが、ハビエル・バルデムとの喧嘩。スペイン語でまくしたてる。そのたびに男は「英語で話せ。スカーレット・ヨハンソンに失礼じゃないか」という。男の方は適当にスペイン語で話している癖にである。ハビエル・バルデムは、簡単にいうと、その場しのぎで適当にことばを発している。自分の都合だけで、女と向き合っている。
 ペネロペ・クルスが登場するまで、2 人の女をその場その場で適当に口説いているだけ、というのが、この瞬間露骨に分かる。根っからのプレイボーイであることがわかる。
 これに対して女の方は3 人とも真剣なんですねえ。まともに男と向き合う。
 特に、ペネロペ・クルスが真剣。「英語で」と言われたら、スペイン語を英語に変える。だいたいスペイン語になってしまうのは、感情が高ぶって、思わず本心が出るとき。そうなるたびに、そのことばの暴走を抑えようとして、ハビエル・バルデムは「英語で」という。頭がいいというか、ずるいというか、ちょっと真似したい技術です。
 これは、ハビエル・バルデムがスペイン語でまくしたてるとき(スカーレット・ヨハンソンに聞かれたくないことをいうとき)、それに対してペネロペ・クルスが「英語で」と注意しないのと対照的。ぺネロぺがそう言わないのは、ハビエルがスペイン語を口にするとき、ぺネロぺにだけ向き合っていることがわかるからなんですねえ。自分に真剣に向き合って男が語りかけてくるから、そのことばが怒りや嘘であっても、女は正直に反応してしまう。
 このあたりの女心の的確なつかみ方、うまいですね。
 そして、ペネロペ・クルスがそれにこたえる真摯な演技。かわいいですね。怒りの表情のなかに、怒りを超えて愛情があふれる。こんなに好きなのに、という純粋さがあふれる。もともとペネロペ・クルスは美人だけれど、その美人さに純粋さが加わり、きらきら輝く。もしかしたら、ほんとうにやきもち、怒り? まあ、それもあるのかも。ペネロペ・クルスとハビエル・バルデムは恋仲らしので。――そういうことも含めて、ウディ・アレンは、役者に演技をさせるというより、役者にあわせて「役」を作っていくのかもしれない。
 ある意味では、これは「アニー・ホール」からつづくウディ・アレンのプライベートフィルムなのだ。ウディ・アレンは出演しないが、役者は「地」で出演する。もちろん、全員が「地」で出ることは難しい。そして「主役」が「地」の場合は、ストーリーそのものが「地」になる(「アニー・ホール」ですね)ので、ストーリーが限定されてしまう。脇役(助演)に「地」をからませると、ストーリーが脇からしっかり支えられ、映像に豊かさが加わる。映画作りそのものが、ウディ・アレンはとてもうまいのだと思う。

 バルセロナの街のとらえ方もとても美しい。バルセロナは一部の旧市街をのぞけば、マドリードと違ったとても人工的な街だ。アメリカでいえばニューヨーク。道路は整然と碁盤の目のようになっていて道に迷うようなことはない。そういう機械的な街で、そこから逸脱するように存在するガウディの建築物――その、いのちのほとばしりゆえの「ゆがみ・ねじくれ」の曲線と、恋愛4 角関係(?)をからませる。1 対1 の恋愛から逸脱してゆく感情と、ガウディの建物・公園がとても似合う。
 機械的なものから逸脱する力、それが美しい。恋も、逸脱するから輝く。

 もっとも、この映画で描かれる恋は完結しない。未完成。ちょうどガウディのサグラダファミリアのように。この終わり方も、いかにも「プライベートフィルム」的でいいな。完結すると、ストーリーになってしまうからね。
 ウディ・アレンは、この映画ではストーリーを描こうとしていない。スペイン、バルセロナをフィルムに定着させたかったのだろう。
 そして、それは成功していると思う。スペイン人気質の描き方が実に楽しい。真夜中まで開いているレストラン、さらに真夜中なのにバルセロナからオビエド(地中海側から北の大西洋に面した街)まで行ってしまうところなど、ひたすら逸脱する。スペイン人ならではの行動だろうと思う。スペイン人には時間も距離も関係ない。大切なのは「親密感」。人と人とが親密なら、それが複雑な関係でも関係ない。親密になれるなら何でもする。スカーレット・ヨハンセン、ペネロペ・クルス、ハビエル・バルデムの関係は、いわゆる三角関係だけれど、3 人の「親密感」があふれているから、それは三角関係にはならない。「理想」の関係になる。「親密感」が最高なら、それでいいじゃないか。きっと、そうなんだろうな。
 スペインはいいな。行きたいなあ。出会った人と親密になり、街をぶらぶらしたい。夜遅くまでワインを飲んで話し続けたい。そんな気持ちにさせられる。映画のストーリーはこの段階で関係なくなる。とはいいながら、きっとスペインには、ペネロペ・クルスみたいな美人がいる、そして親密な関係になれる、なんて勝手に夢見るのだけれど。

 音楽も、気楽で、とてもよかった。





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