詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(85)

2024-03-14 23:41:54 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「夏の身体」。

不死の一瞬を再発見する。

 「不死」は「いのち」。生きているということ。しかし、この行が「生を再発見する」、あるいは「いのちを再発見する」だとしたら、たぶん、印象は弱くなる。
 「不死」は単純な「いのち/生」を意味しない。「不死」のなかにある「死」ということばが否定されることで、その奥から「いのち/生」が新しくよみがえってくる。「死」を越えて、よみがえってくる。この超越の運動が、詩の、ことばのいのちである。
 この詩には「比喩」がたくさんある。「ヴィーナスの丘」とは「恥丘」のことだが、こういう「比喩」は何かをあらわすのではなく、何かを隠すことによって、逆に隠されたものを思い出させるという働きをしている。「恥丘」(このことばは、もはや死語かもしれない)を「ヴィーナスの丘」ということばで隠す。すると、人間というのはスケベなものだから、その隠されたものを「見たい」と思い、探す。そして「恥丘」を見つけ出し、にたりと笑う。この「探し出す」という行為をあおるのが「比喩」なのである。つまり、「比喩」とは、挑発なのである。
 そう考えると、「不死の一瞬を再発見する。」の「一瞬」も、とてもおもしろい。挑発は、いつでも「一瞬」である。気づかないひとは、気づかない。「比喩」に感動するひとは多いが、「比喩による挑発」は「一瞬」のことである。感動しているひとは、「一瞬の挑発」を見逃している。詩人は「不死を再発見」したのではなく、不死の「一瞬」を再発見したのである。「不死」ということばの、そのことばのなかにある「衝突」を。

 

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Estoy Loco por España(番外篇437)Obra, Sergio Estevez

2024-03-14 22:48:54 | estoy loco por espana

Obra, Sergio Estevez
la serie "Amores internos"

 Esta obra de Sergio también tiene una “sensación de cantidad” de vida. Todavía no ha decidido qué forma tomará este trabajo. Sin embargo, hay "señales". Está acostada boca abajo, con la espalda arqueada. Su cabeza y sus pies están en el aire. Tiene la cabeza torcida y el rostro vuelto hacia un lado, mirando a un hombre.
Quizás este "inacabado" no sea el punto de partida, sino el final. Terminó aquí sin poder formarse del todo. En otras palabras, puede ser un "fracaso".
 Sin embargo, una "obra fallida inacabada" tiene algo más fuerte que una "obra inacabada" que todavía está en producción. Fue rechazado y descartado como un fracaso, pero sigue ahí. Incluso si alguien le niega, aún puede seguir viviendo. Esta mujer fue abandonada por un hombre. Pero vivo. Queda un poder en el cuerpo de la mujer que nadie más puede negar. Es un poder que sólo se hace visible cuando se niega.
 Ehombre (escultor, Sergio) quedó tan sorprendido por esta repentina fuerza de vida que no sabía cómo mover las manos. Ese tipo de "inacabado" momentánea está aquí.

 このSergioの作品にも未完成のいのちの「量感」がある。どんな形になるのか、まだ、この作品は決めていない。ただ、「予兆」がある。腹を下にして、背中そらしている。頭と、足を宙に浮かせている。首をねじって、顔は横を向いている。男を見ている。
 もしかすると、この「未完成」は出発点ではなく、終わりなのかもしれない。完全な形になることができずに、ここで終わってしまった。つまり、「失敗作」なのかもしれない。
 しかし、それが「未完成の失敗作」である方が、制作中の「未完成」よりも、何か強いものを持っている。失敗作として、否定され、捨てられたのに、まだそこに存在している。だれかに否定されても、いのちは生きていくことができる。この女は、男に捨てられた。しかし、生きている。その他者には絶対に否定できない力が、女の肉体には残っている。それは否定されることによって初めて見えてくる力である。
 この突然のいのちの力に、彫刻家(男)は驚いて、手をどう動かしていいかわからなくなった。そういう瞬間的な「未完成」がここにある。

コメント (1)
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