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親鸞鑚仰会の皆さまとの2日間

2015-06-10 06:53:07 | 日記
今週月曜日からの2日間は、真宗大谷派名古屋教区の親鸞鑚仰会8名の皆さまとご一緒させていただいた。

初日は、遠野市の道の駅で合流した後、沿岸部を訪問。

最初は山田町の松江寺さんへ。
住職が長く代務者となっているため、今回はご門徒の佐藤さんからお話しをうかがった。当時、自宅に近い水門の辺りにいらしたという佐藤さん。必死でどう逃げたか分からないというくらいだったのだと。佐藤さんの住むエリアには、19mの津波が観測されるほどの大津波がきたという。
そこの近くには、多くの犠牲者が出た老人保健施設の跡地もあった。

様々な思いを抱きつつ、昼食は仮設店舗の並ぶ中の酣さんで摂らせていただく。お店の方々もいいおっちゃんおばちゃんたちで、気持ちがよかったなぁ。


一行は大槌町へと向かう。

堤乳幼児保育園にて芳賀カンナ園長さんのお話しを伺う。
当時の話の中でも、沢山の物資の仕分けが最も過酷な任務の一つだったと明かしてくださった。だからこそ、物資は「最低限これさえあれば3日間は大丈夫セット」みたいなものを送る側が作って送ることが出来れば、現地での混乱や過酷さは和らぐのだろうということだった。
また、測量や設計などの技術者の方は、家族単位で仮設住宅に移り住んでいらして、数年契約ではあるけれど、お子さんなどもここの保育園に通ってきているという事情もお聞きした。
そして、仮設の中では社交的に話せたとしても本音や事実を話せないでストレスが溜まっている。しがらみのない離れたところから来てくれるお坊さんの力は、とっても重要だと思うとのお話しもいただいたのだった。


続いて向かったのは、お馴染み子ども夢ハウス。
元気な子どもたちが帰ってきていたので、ほとんど吉山くんのお話しが聞けないほどの賑わいぶりだったが、そのような実情に触れられたのは、一行としては寧ろ意義があったのだと思った。
数人の子たちは、数日前訪れたことを覚えてくれていて、すぐに絡んできてくれたが、どうしても滞在時間の関係上、ゆっくりできずにいたのが申し訳なかった。またゆっくり…。
それにしても、かさ上げ対象のために撤去予定になっている「すりきず公園」は、一年は延長して残してもらえるとのことで、子どもたちの遊び場がないこの沿岸部では、ありがたいことだと吉山くん噛みしめるように話してくれた。


夢ハウスを後にして向かったのは、釜石市の宝樹寺さん。ここでの話も衝撃的だった。
こちらの野嶋ご住職は僕と同い年。震災1年前に縁って、はるばる富山県から入寺された人である。彼は言った。

『何のしがらみもなく、門徒さんの顔と名前が一致していない中で、あの震災が起こった。津波以前に御堂がひし形になるように揺れた。もうこの寺はつぶれると思ったけれど残った。門徒さんもどうなっているか分からない。
今、必要なのは少しであってもお金ではないかと考えて、寺で貯金していた500万円を門徒さん68名に配って歩くことに決めた。人づてに顔も分からない門徒さんを探しながら避難所を回って配ったから時間がかかった。前住職からは止められたけれど、
「門徒さんの暮らしもどうなるか分からん時に、寺だけ残っても仕方ないでしょ。」
と言ってやり切った。
何のしがらみもない私は、ここを離れるという選択もあったけれど、やっぱりここで門徒さんたちと、市民の方々と生きていく覚悟を決めてここに今います。』

この話をサラッと微笑みながら語る野嶋さんの度量に、一同、グイッと気持ちを持っていかれていた。

夜も釜石市の美味しい料理に舌鼓にしながらの懇親会に野嶋さんも来ていただいて、夜は簡単にふけていった。


翌日は、一路わが町である西和賀町をご案内。
この中身は語るまでもないので割愛させていただくが、この2日間で、気持ち的にもグッとお近づきになれた鑚仰会の皆さまが、とても好きになった時間だった♪

またいつかお会いする日が楽しみだす♪