宣セーショナル

宣承をひらく

何となく思う人育て観

2017-12-14 12:57:15 | 日記
ふと講演中、いつも通りに自分の言葉で発した内容を、振り返る気持ちにさせられた。
そのいつも通りの言葉の一端をあげると、


『家族を愛する気持ちもほどほどにしないと、依存し過ぎると自分の子すら見えなくなってしまう。逆に、放置し過ぎるのもこれも問題。ほどよい距離で家族をみて関わることで、その自分自身がどんな感覚で居たかも見えてくるのではないか。自分を客観的に捉えられることが大切ではないか』


と、こんな感じである。
その時、ふと思った。


『家の子に限って…と、良い子だと思い込んでいる点』
『教師に学校で家の子が叱られた。…これを学校側の問題とする点』


その人の近くに居て、一面だけて観過ぎると、その人のことを大切と思えば、いい所しか見えなくなる。
逆に大キライだったら、一挙手一投足に腹が立つことにもなるだろう。

いずれにしても観えているものは、もしかしたら、一面だけでしかないかも知れない。しかも、私の都合に合わせた色メガネという偏見によって相手を決めつけている自分の実相は見えているだろうか。

それでも、『家の子に限って…』と一面しか見えていない自分だったかなと気づけたとしたら、もう大丈夫。
人は思い込みを持ってしまう生き物だからこそ、それを認知して、良し悪し決めつけず、多くの方から見えているその子の多面的な人柄を教えてもらえばいいと私は思う。要は、昭和の時代によく耳にした、
『学校でコイツが悪いことしたら、先生、遠慮なく叱ってやってください!』
という言葉に代表するような大らかな子育て観・人育て観である。


色んな人に叱られて褒められて、人は成長する。
時に叱られて悔しい思い、相手を悪く思う心も起こるかもしれない。
それでも、叱られてきたことも褒められてきたことも、振り返ってみれば自分の人生の糧になることだったと言えたら、もう無駄なことはなくなる。

世間が狭くなり、人間関係が個室化してきた時代だからこそ、私には観えていない、他人様だからこそ持てる観点に教わりながら、みんなが一緒に成長していければいいなぁと思うところである。


【追記】
などと勝手ながら申し上げた当ブログの内容も、こんな考え方もあるんだ…程度に観て欲しいところである。
感じたものが、なぜそう感じたか?読んでくださった方自身の感覚を客観視していただけたら…そんなメッセージでもあることをご理解くださりませ~

小さい私の愚痴

2017-12-07 12:40:42 | 日記
ある方が主催する、とある分野の重要な会議。私もその会に籍を置いているため基本出席しなければならないのだが、あいにく、何ヶ月も前からご依頼のあった講演会が同時刻にあり、やむなく欠席だったのだが…。

そのある方が、何ともまぁまどろっこしい言い方を電話でしてきた。


『あのぉ、私の地区回覧板がきてね、宣承さんの講演会のお知らせがありましたよ。がんばっていますね。
ただね、その日のその時刻、例の会議だってことは分かっていますよね?周りからね、〝今後の方向性が決まっていく大事な会議なのに欠席で、こんな他の分野での講演するなんておかしいんじゃないか?〟言われたもんだからね。○○○(お便りの名前)にしっかり目を通されてないんじゃないか?って周りから疑問の声があがったのでね、申しました、フフッ。』


いやいやいやいや、あまりの違和感に、さすがに申し上げた。


『あのですね、専門職の常識は世間の非常識だと私は思うんですが。
その講演会も、主催されている皆さまが苦労して企画されて、段取りしてここまで持ってきたわけですよ。もう何ヶ月も前からご相談があって、そうして苦労されてここまできた会です。回覧板自体は最近回ったもだと思いますが、その重要会議よりもっと前から日時が決まっていたものです。
私たちの分野からの視点ばかり優先して考えるより、世間の状況から考えることも必要じゃないでしょうかと、その方にお伝えください。』


と、申し上げながら、〝周りが言っていることを代弁した〟というていで話しているけれど、貴方が思っていることなんじゃないっすか?回りくどく言うのは止めて欲しいなぁ、真正面から伝えればいい事なんじゃないでしょうかと思う今日この頃。

愚痴を言いたかった小さい私の話。ただそれだけの本日のブログ……すみませんしょ~!!!

未来の礎

2017-12-05 06:17:20 | 日記
今年は中高生の前でお話しすることが多かった年。遠くは長野県や京都府まで行ってお話をさせて頂いた。

そんな中、ある学校の生徒さんの親御さんから講演後に声を掛けられた。その日は、親子合同の講演会だったのだが…。


『今日の先生のお話しをお聞きして、娘がとても感動してまして。介護の仕事を元々目指していたのですが、最近は諦めかけていたんです。けど、今日のお話しを聞いた娘がさっき、〝やっぱり介護の仕事やってみたい〟って言ってくれたんです。ありがとうございます。』


講演することで空しくなることが多い私。これでいいのか?本当に自分はできているのか?という問答の日々。

けれど、未来の礎のようになれるのなら、ありがたい。


その子、うちに就職してくれないかなぁ…♪

15年

2017-12-03 08:08:11 | 日記
つい先日、光寿苑で15年暮らして下さったAおばあちゃんがご逝去された。
Aさんは東京の人。たまたま、Aさんの娘様のご主人がこちらと親せき縁者という関係もあり、東京〇〇区では500人待ち…という状況から、すがる思いで光寿苑にお申し込みになったのだった。

来たあたりのAさんは、認知症で感情のコントロールが効かない中、色々ご指摘は田舎のジジババには中々見られないようなするどいものがあった。

『こんな味じゃ、食べられないわ!』
『あなたの所の職員教育はどうなってるの!』
『ここのやり方じゃだめね!』

その内容別に、ある時は介護、ある時は看護、ある時は栄養士、ある時は相談員、そして勿論ある時は私も何度も呼び出されたりしたものだった。その都度、真摯に拝聴し対応すると、最後はきまって、

『まぁ、いいわょ。』

と微笑むAさんの心の奥に忍ばせている優しさを感じたものだった。

3度ほど、『東京に帰るわ!』と本当に帰った時があった。一人娘のご家族のもとへお帰りになるのだけれど、数日すると、

『あんたたち(ご家族の事)、使いもんにならないわ!苑に帰るわ!』

と、光寿苑に戻ったものでしたと娘さん。

『よっぽど居心地が良かったのね、結局は、自分の家になってたんだと思います。』

と振り返っていらした。

色んなところに旅行もいったな。一緒にお酒も飲んだな。一緒に笑ったり泣いたりした15年。

いよいよ看取り期となった今年は、娘様たちは5度も西和賀に来てくださった。
最後が近づいた11月半ばは、西和賀でもめったにあり得ない初雪でドカ雪、しかもこの時期なので濡れた重い雪という過酷な状況の中でお越しになった。2泊3日付き添われた時間、Aさんの呼吸状態は穏やかになっていた。
娘様の受診のため、東京にお戻りになった2日後、Aさんは静かに息を引き取られた。

ようやくご家族が駆けつけた頃、立派な留袖姿になられた凛とした表情をされていたAさん。光寿苑で出棺まで一緒に過ごしていただき、碧祥寺で家族葬をしてお戻りになられた。

通夜の席と、出棺の朝のご挨拶で、娘様がこうおっしゃった。


『母は、本当自由に自分の思うように暮らしてきた人でしたし、私も1人っ子で、家族ってこんなもんっていうのがあったんですけど、この15年の皆さんの関わりを観てきて、そして、今回看取りでここに泊めさせていただいて、そして今回の出棺までの時間横にいる時間、皆さん、母にホント良く声を掛けに来てくださってね。私、家族って何だろうなぁって考えさせられていたんです。
きっと家族って、皆さんのようなことなんですね。母は光寿苑で、皆さんを家族のように感じられて逝けたんだなぁって思ったんです。母は幸せでした。』


私たちが一つ一つ大切にさせてもらおうと務めてきた時間が、何か包み込んでもらえたような、そんな言葉で、そして、そんなAさんだったのだと手を合わせた。

おかげさまでした。。。