宣セーショナル

宣承をひらく

光寿苑苑内研究発表会

2013-01-31 07:39:43 | 日記
 昨日は、光寿苑苑内研究発表会が行われた。

 テーマは『排泄』。
 3ヵ月間、それぞれのフロアがチームで研究を重ねて行った。

 あすなろフロアは、『陰部洗浄はただれ解消に有効か』と題して、洗浄液をお茶に変更しての取組みを発表した。

 ひだまりフロアは、『便秘と不穏行動の関連性について』と題して、便秘解消と不穏解消の関連性を数値化した発表となった。


 採点は、課長など5名。

 採点の基準は6項目として、

 『テーマポイント』…課題が良かったか
 『プロセスポイント』…取り組んできた中身・過程が良かったか
 『シェアポイント』…個人ではなくチームとして共有・協働で取り組めたか
 『サクセスポイント』…取り組んでみて、効果・成果はあったか
 『フューチャーポイント』…発表で終わらず、今後も活かせる内容なのか
 『プレゼンポイント』…わかりやすい発表だったか

 これらを活用して採点。
 採点中は、あの『男組』の研究発表をKEN&NAOからゲスト的に披露してもらった。
 
 さて、採点では、どの項目も接戦だったが、唯一、『フューチャーポイント』で差が開いた。
 結果、最優秀発表となったフロアの講評はと言えば、

 『失敗した、効果がでなかった内容もつつみ隠さず発表した点』
 『今後も継続して、誰にでも取り組める内容と感じられる点』
 『若い職員が中心に取り組めている点』

 など、こういった点が結果につながった。

 この『排泄』一つとっても、本当の意味での『個別ケア』への意識がひしひしと感じられ、主体性をもってレベルアップしているムードに、涙が出そうになっていた私。
 すると、一緒に発表会に参加していた認知症と普段つきあっているおばあちゃんが、


 『私のためにありがたいね。』


 と言って泣いた。みんな、その姿をみて、また感動させていただいて。

 発表会…多くの相乗効果を生み出して閉幕となった。
 おかげさま。。。

長いけど…等身大の表現を

2013-01-30 07:05:17 | 日記
 多くの人が自由に表現するblog。

 それをとやかく批評する人がいる。

 時には、チェックしてはいじめの対象として周囲に吹聴したり…。

 時には、〝文章力がどうの…〟と評論家みたいに語ってみたり…。


 それってナンセンス。


 自由に、自分の表現をする場所。
 あまりにひどい誹謗中傷的なものは別として、読み手がさも評論家みたく、あるいは人間スピーカーみたいに振りまく行為はお門違い。

 ちなみに勘違いされないように押さえておきますが、私が現在そうされているということではありません。


 話を戻して、
 
 blogの中身がたとえ薄っぺらくうつったっていい。
 言語力や表現力がちょっと足りなくてもいい。
 コピペしたっていい。

 大事な事は、表現して思いを誰かに伝えるということ。
 その誰かは、自分自身だったりする。

 読み手のどなたかにコメントしていただいて、中身が充実していくこともよくあること。

 それでいい。

 中身や表現が足りなくたって、どなたかのコメントで充実し豊かになっていくのであれば、そんなすばらしいことはない。

 それは人づくりやまちづくりと同じ。

 足りない部分があるから補い合う。
 助け合う。
 頼り頼られる関係ができる。

 
 足りない自分を表現することを恐れないこと。
 非の打ち所の無い表現ができることを待っていたら、機を逃すかもしれない。
 仮に非の打ち所のない表現をしたとしたら、誰が好んで読んでくださることか。

 等身大、ありのまま表現する生き方、みんなができる社会を創っていけたらなぁと思う今日のスタート♪

すっきりとした桑田節

2013-01-29 05:58:14 | 日記
 元プロ野球選手の桑田さんが、東大野球部で楽しそうに指導をしているシーンがテレビでやっていた。

 桑田さんは言った。


 『野球の上達のためには、野球に染まり過ぎないこと。
 野球以外の生活のすべてのことが野球に活きてくる。』

  
 誰もが、一つの分野を極めようとしたり、磨こうとすると、その分野のことだけ特化して取り組もうとする。
 そういう人は多いだろう。

 でもそれは、自分をその分野の中で小さくまとまってしまうのではないか。

 広い視野で、自分の分野のことと付き合っていく。
 自分というものと付き合っていく。

 すっきりとした桑田節。

 どの世界にも通じる哲学がここにある。

赤石公民館まつり

2013-01-28 05:53:54 | 日記
 昨日は、紫波町の赤石公民館まつり記念講演でお話しさせて頂いた。

 実は、一昨年前に一度ここに呼んで頂き、アンコール講演ということでお招きいただいたわけである。
 熱心に拝聴してくださる方々を前に、2時間という時間を無事に過ごさせて頂いた。

 この公民館まつり…赤石地区の方々の文化祭的な要素が盛り込まれており、2日間に渡って展示品から舞台部門、料理の出品等々、わいわいと活気溢れている活動である。

 地域コミュニティが薄くなってきた現代の中で、公民館単位で積極的に仕掛けていく動きは、私自身学ぶものが多かった。
 2年前ご縁いただいた時は震災前…震災後の今回は、感じるところが余計にある。


 手作り感満載のステキな人たちの場所にご縁いただき感謝である。

 自分の地域にどう活かせるか…考えている。

 おかげさまです。。。

関西の井上先生からのお言葉

2013-01-27 07:22:57 | 日記
 毎月送ってくださる、特別養護老人ホーム光寿苑の通信「まんさく」164号の「おわりに」のところで太田宣承さんが次のような文章を書いておられました。


 光寿苑のケアのあり方も、集団均等の発想を止め、目の前のお1人の人生と共に生きるイメージで、微力ながらもお力になれたら。来年はないかも知れないからこそ、今に生きていきたい、一緒に。


 これを読んだとき「今に生きていきたい」という言葉がとても心地よく響きました。もしこれが、「今を生きていきたい、一緒に」と結ばれていたら、特に気に留めることもなかったと思います。
 こうやって書いてみると「を」と「に」の違いでしかないのですが、「今に」というところに、宣承さんらしさがあふれているような気がしてなりませんでした。この心地よさの意味を知りたくて、格助詞について調べてみました。すると、「を」というのは、動作・作用の目標・対象を表し、「に」というのは、動作・作用の行われる時・場所を表すということがわかりました。
 おそらく「今に生きる」という響きの心地よさは、「に」の働きによるものでしょう。「に」という格助詞によって、「今」というものが過去から未来へとつながったものであり、様々な関係が織りなされる場として広がりをもって感じられるからだと思います。
 加えて、「今を生きる」と言うと、生きる私が自分ひとりの力で生きているような気がします。一方、「今に生きる」と言うと、生きる私は、さまざまなつながりの中で生かされて生きる私であるように感じられます。「今を生きる」と「今に生きる」の違いは世界観の違いであったといえるのでしょう。(I)


子ども文化総合研究所ブログ
http://blog.goo.ne.jp/inouesantosasakurasan

不携帯電話

2013-01-26 08:56:36 | 日記
 昨晩、何人かの職員と飲み会。

 あまりに楽しくって、がんがんと。。。

 実は、昨日はお葬式が北上であり、その際、いつものように心込めてお参りさせていただいたのだが、喪主様が最後に、


 『おかげで体が楽になりました。
 今日の雪も、何だか親父が、景色の演出をしてくれたような気がして…。ありがたくて。。。生きていけます。ありがとうございました。』


 そう言っていただいて。ステキな感性に触れられて嬉しくてがんがんと呑んでしまったわけである。

 機嫌よく夜遅くに自宅に戻ったのだが、鍵穴が凍って鍵が開かない。酔っ払ってるのも手伝って全く開けられず、得意の車中泊しようにも車もロック中。

 仕方なく電話を掛けようとしたら…〝あっ、電話がない!〟

 ワッキの紛失事件のときの気持ちを体感しつつ、結局、何とか鍵を開け自宅へ侵入(笑)…居間で沈睡し朝を迎えたわけでありやんす。

 今朝、タクシーから携帯さんが見つかったと電話。つくづく、田舎で良かったと思う朝。


 さてさて、本日もお参り群に行って参りやんす。。。

問われる姿勢

2013-01-25 06:27:35 | 日記
 事故が起った後で、


 ①未然に防げる可能性が多く見受けられるもの

 ②想像を働かせても今後も打開策が中々見つからないもの


 大きくこの二つに分かれたとして、①の状況にあった時ほど、自分が情けなくショックも大きいもの。
 元々、事故防止のための策が想像できていたものを、人の横着な気持ちが事故を引き出してしまったときの残念な気持ちといったら言いようが無い。憤りすら感じてしまう。
 
 そのショックの大きさが、憤りの強さが、より検証を綿密にさせる。


 そんな思いも内側におさめながら、責任追及はそこそこに、皆の問題として原因追究をし、損害を与えてしまった方への謝罪の気持ちをしっかり表しながら、きちっとした対応を一歩一歩やるだけである。


 起ってしまったことはどうしようもない。
 だからこそ、謝るだけではなく、きちんと向き合うことには時間を掛けながら。

伝説の男

2013-01-24 06:55:38 | 日記
 伊永さんは、本当に西和賀を気に入ってくださったと仲間から話を聞き、最後までご接待できなかった身としては、逆に嬉しく、心強い仲間を改めて思わされていました。

 実は、私はと言えば、子どもの風邪・祖父の激腰痛・それに伴う急なご法事代行・亡くなられた門徒様への対応が一挙に重なり、あまり焦らないほうだとは思うのですが、一瞬パニックになってしまいした。

 まぁ、一つひとつ対処…しかないわけで、ただし時間の制約がある中、急ぎながら向き合っていきました。
 
 殊に祖父・祖電さん。
 腰痛が悪化し、もう起き上がれないくらいになっていたため、主治医に相談。結果、大きな病院に精密検査のため参りまして。。。

 すると、病院に車いすで入った瞬間、シャキッとした顔を浮かべ、足を組んでいる祖電さん。

 『んんんんん!?』

 あれだけ繰苦しんで動けなかった人が何故?…謎に思いながら診察室へ入ると、あたり前に起立して、ドクターの指示通り足踏みまでして……。
 認知症があっても、認定調査員がくるとシャキッとするお年寄りがいらっしゃいますが、あんな効果なのでしょうか?


 『スッカリ調子いいなぁ。』


 などと、驚きの発言…う~む、さすが。。。『伝説の男』またもかと思いました。


 結果は、『腰椎圧迫骨折』という、高齢者がちょっとしたことで成りやすい診断でしたので、本当に激痛はあったのでしょうけれど、少し安静にすれば治るものなので、皆様、お騒がせ致しました。まずは、ホッとしております。

 さてさて、気を取り直しまして、お葬式を勤めさせていただきます。

介護まめ家の伊永節②

2013-01-23 05:47:00 | 日記
 二日目も朝湯治をし、日中は介護事業所などで過ごされた伊永さん。

 夜もまた、チームにしわがの仲間を紹介しながら飲み会となりました。
(すんません、人見知りされるということで、声掛けは最小限に留めましたこと、お許しくださいませ。)

 僕は諸事情で飲まずにすぐ帰らなければなりませんでしたが、風の噂によると、二次会も夜更けまで行かれたご様子です(笑)。

 さてさて、伊永節第二弾。


 『楽しいデイサービスって平気で紹介している事業所があるけど、あり得ないよね。そうやって騙して連れて来て、不本意なことさせてたりする。僕らにできることは、頑なに拒否されるおじいさんと仲良くしようよっていう関係性を作っていくこと。困ったとき、必ず力になっからさぁっていうチームになること、おじいさんとね。』

 『たとえば、一人しかデイの時間配置できない日だってある。めちゃくちゃパタパタしてしまう。
 でも、それでいいんじゃないかって。他の日は、ゆったりした場を作るから、今日くらいパタパタしているの許してよ、って感じでお年寄りたちとシェアしていくことでいいんじゃないかな。』

 『どうしても受け入れが難しいお年寄りっているでしょ。それは断るしかないことで。自分とこでは無理ですって断っていいと思うんですよ。
 断ることが悪いんじゃなくて、その後、どうしたか!?どう相談して判断したか?そして、他の入れる場所まで見届けるってこと。それが関わった以上するべき態度かな。』


 伊永さんの話を聴いていると、気持ち楽に明日からもがんばれるのです。
 おかげさまです。。。

介護まめ家の伊永節①

2013-01-22 06:57:38 | 日記
 岐阜県にある介護まめ家の伊永さんが湯治という目的で西和賀町を訪れている。

 伊永節のおもしろいことおもしろいこと。。。

 数日掛けてご紹介したいくらい、おもしろい言葉があふれてきた。


 『あの人の行動は過剰だって言う人は、過剰だ過剰だって騒いでいる、アンタが過剰でしょ!?』

 『送迎でね、10分遅れて苦情をもらったから対応を気をつけるんじゃなくて、10分遅れたとしてもしゃ~ねぇなぁってオッケーもらえる関係性を築いておくことだよね。』

 『介護なんて意に添わないことだらけ。。。要は、意に添わないことをどんだけ許していけるかでしょ。』


 どこまでも介護や福祉の世界を特別に語らない、等身大の日常で語る伊永節は、おもろいね♪