宣セーショナル

宣承をひらく

少数意見のありがたさ

2012-04-30 05:35:55 | 日記
 昨日は、4回目の親鸞教室だった。

 高田で飲み過ぎた私の頭はボーっとしていたが、結果、無事に一所懸命やり終えることができた。

 実は、blogを休んでいた前回3回目、一つの山を迎えていた。

 今回の親鸞教室のコンセプトは、『仏教用語アレルギーの方が多いので、仏教用語をできるだけ使わないで仏教の教えを学べる会』として依頼を受けていた。
 それを受けての3回を過ごした後、参加者の方が事務局の方に、


 『仏教のことが聞きたいのに、仏教のことが出てこないから、次回から来ないかも…。』


 それをお聴きして、やっぱりショックだった私。

 ところが、大多数の方の表情や、好評の言葉をいただいていただけに、この正反対の少数派のご意見をどう捉え対応できるかがずっと私の課題となっていた。

 コンセプトとは違う少数派意見だったとしても、貴重なご意見だから。。。言って下さるなんてありがたいことだ。


 今回、そのおっしゃったお兄さんの姿があった。

 その方の充実した時間を願い意識しながらも、コンセプトを護ることも心掛けた時間。

 そのお兄さんも、いいお顔をされていた。他の皆さまも、やさしい表情をされていた。
 無事、終えられた。


 おかげさまでした。。。

縦糸と横糸

2012-04-29 19:42:06 | 日記
 昨晩は、チームにしわが9名で、陸前高田に行って来た。

 というのも、cb1965さんからのお声掛けで、あの高田の伝統行事『けんか七夕』をお手伝いするというビッグイベントの初回の話し合いに向かったのだった。

 現在、被災地支援は、横糸の支援の見直しが必要となっている。
 つまり、今まさに、縦糸の再興が急務になってきているのだ。

 縦糸は、先人たちがその土地で護りつないでくださってきた『祭り・信念・哲学』等々であり、その部分の再興は、被災地の町づくり・地域づくりそのものである。

 今回、お声掛けくださったcb1965さんは、去年一年、西和賀の人々、殊に私たちの動きや考え方をよく観察なさっていた。
 西和賀に生きる私たちが、この土地で生きていくことを強く望んでいて、経済的に豊かとか、便利で快適とかよりも、力を寄せ合って共に生き残っていこうとする気骨であることを感じ取っていただいたことにより、互いの地域づくりという縦糸が、横糸でつながって相乗効果がうまれてくるとにらんでのことだった。

 この感覚と考え方を、私たちも強く感じとれた。

 そういう意味で、昨晩は、本当につながりが深まった気持ちで過ごさせて頂いた。
 詳しくは、cb1965さんからのメールなどご紹介させていただきながら、今後、発信して参りたい。


 一晩が明け、チームにしわがのメンバーで、多くの犠牲者を出してしまった高田の指定避難所を訪れお参りした。みんなで、今回のけんか七夕復活の根源にふれかみ締めた時間だった。


 喪失から生まれたこの縦糸と横糸が紡がれる新たな歴史を大切にしたいと静かにかみしめている。

言語聴覚士の皆様

2012-04-28 16:53:45 | 日記
 今日は、岩手県言語聴覚士研修会にお招きいただいてお話しさせていただいた。

 普段、スペシャリスト性を強く求められる方々にとって、〝障がい〟や〝治す〟ことばかりに目が行きがちになっているという課題を受けて、この度、お声掛けいただいたのだった。

 要するに、〝その人全体〟を観る、〝治療後にどう過ごされるか〟を観る大切さを伝えて欲しいという依頼だった。

 ただ、会場に入ってすぐ分かった。

 そのようなことは、すでに分かる力をお持ちの皆様であることを。その皆様から出ている空気感は、とってもやさしきものだった。

 ただ、毎日に没頭していると誰しも忘れてしまうものだから。

 思い出す機会、それが今日だったのだろうと。

 ありがたいご縁。おかげさま。。。


 さて、今夜は、陸前高田に向かいます♪

袴田俊英さん

2012-04-27 18:00:17 | 日記
 昨晩は、以前からご案内している記録映画『希望のシグナル』の主役とも言える袴田俊英さんが北上にいらっしゃりお話を伺う機会に恵まれた。

 盛り沢山の話題であるため、今後、何回かに分けてご紹介したいと思う。
 今日は、全体の骨格をご紹介して、ぜひ、皆様に5月12日の上映会には足を運んでいただきたいと願っております。


 『自殺予防とは、地域づくりを通して命と向き合うことです。』


 こうおっしゃった。


 『1993年から今の活動をしているのですが、当時の捉え方としては、〝自殺の原因をつきとめて対症療法で治せる〟と思っていた時代でした。西洋のゴーマニズム主義と言ったらいいでしょうか。
 しかし、原因は一つではないから、多くの色んなことが絡んで自殺という結果につながることがだんだんと分かってきました。
 その一つ一つの問題に関わってみると、人が生きていれば、それらすべては必ず誰しも直面する問題だったんです。
 昔は相談する、助言してくれる人がいるなど関係性の中で生きて来れた。周りも助ける術を知っていたのですが、個人主義・経済主義に転換していった結果、助け合う関係性も失ってしまったんですね。
 孤立を生み出す社会を選んでしまいました。
 地域の多くの人が関わって助け合って支えていければ、自殺は予防できるんですけどね。』


 今日はここまで。。。

 自殺……変に特化するようなものではなく、自分自身が生きていれば誰にも可能性のあるあたり前の問題としてあるのだということを再認識させられた。


 柔らかい、同じ目線のお坊さんに久しぶりにお会いできたことに感謝です。。。おかげさまです。。。

わかくさ女性学級さま

2012-04-26 12:08:19 | 日記
 昨日、花巻のわかくさ学級という女性学級でお話しさせていただいた。

 熟女の方々は、皆様ご存知の通り、とっても聞き上手なので最ものりながらしゃべれるし楽である。

 始まりの挨拶がてら、


 『えぇ、私、沢山場数を頂いておりまして、大分緊張せずにお話しできるようになったんですが、まだですねぇ、若い女性の前だと緊張してしまうんですよねぇ。格好つけたがっているんだと思うんですが、今日なんかは超リラックスして講演できるのでねぇ、良かったですよ、ありがとうございます。』


 って言ったら、大爆笑してくださって。その後の90分は、本当に気持ちの良い時間を過ごさせていただきました♪


 「好きな人、嫌いな人はどんなタイプの人?」の問いかけコーナーでは、とっても興味深い回答をなさった最高齢のお母様。


【好きな人】私に持っていないものを持っている人
【嫌いな人】私自身…目立ちたがり屋でおしゃべりで


 大抵、自分の都合に合わせるように他人に向けた好き嫌いが言われる中で、このように、自己を見つめながら好き嫌いをお答えなるところに、奥の深さを感じさせられたところだった。


 おかげさまです。。。

自分の言葉で

2012-04-25 16:10:52 | 日記
 言葉を相手に伝えようとするとき、〝伝えたい〟という気持ちを込めて表現すると、言葉として足りなかったり少し間違っていたとしても大丈夫なもので、相手にはすでに汲み取っていただけることが多い。

 気持ちを込めた表現力は、相手も理解しようとして耳を傾けてくださるからなのか、ある意味、深い理解にもつながることがある。

 けれども、自分の生半可な知識を、ある程度のテクニックでもって話した中身というものは、相手にとっては差ほど伝わっていないこともある。
 見方を変えて、そういった話に興味持った方から質問されたりすれば、それに生半可な言葉でもって答えようとするため、観点にズレが生じていくことになるだろう。

 要するに、〝自分のものになっていない言葉〟のメッセージ力は、弱いものと言わざるを得ない。


 本当に自分のものになっていない言葉は、背伸びしてまで語らないほうがいいなぁ。

 語りたいのなら、しっかり自分のものにしてからにしよう。。。それまでは、じっくり教えていただくよう、拝聴させていただこう。

 そんなふうに自分の表現を振り返って思った今日この頃。。。とってもいい天気だ。。。


 おかげさまです。

体の中からの応援団

2012-04-24 07:30:57 | 日記
 自分の身にふりかかることのすべてと世界に起こっているすべてのことは、どれも欠かすことなく、自分の今に何かしらの影響を与えている。

 どれか一つ欠けていれば、今の自分はいなかったことだろう。

 いいことも悪いことも、いい自分とか悪い自分とか思い込んでいた自分も、どの自分も今の自分につながっている。

 むしろ、悲しくつらい、逃げ出したい自分に出遇うことがなければ、自身の感受性も哲学も間の取り方も命に対する思いも信じる心も、育つことはなかったから。。。

 その逆に、人間の細胞は、ある期間を経てすべて生まれ変わる入れ替わるという話を島田先生にお聴きしたことを思い出す。細胞レベルで言えば、過去の自分とは全く違う自分になっているのだということだった。

 だとすれば、過去現在未来をつなげているのは〝記憶〟ということになるだろうか。


 そこでもう少し考えてみた。


 どれ一つ欠かせなかった身の上の体験があるとして、過去の辛い体験すらも私の一部として受け容れられるようになれるのは、ただ考えが深まったということだけではなく、細胞もリフレッシュしながら、ある意味、受け容れられる細胞になっていっているのだろうか。

 それは、たとえば、切り傷を負ったとしても、人の体は自分の意識を超えて、治ろうとする。〝生きよう生きよう〟とする方向で体は治っていく。

 心や記憶を治すことは容易なことではないが、間違いなく体はそして細胞は、全入れ替えを繰り返しながら、心や記憶が癒えるときを待っていてくれているように感じた。
 細胞全体が私に、〝生きてくれ〟と応援してくれているかのように。。。

 おかげさま。。。

15年の意味

2012-04-23 11:00:51 | 日記
 昨日、光寿苑家族会の総会があった。

 光寿苑の家族会は、利用者家族の52名のみならず、趣旨に賛同して下さっている以前ご利用されていた利用者家族の方も在籍しているため、今日現在で総勢140名の会員で組織されている。

 例えば、施設の行事に積極的に参加協力下さったり、奉仕活動にも駆けつけていただくなど、力強い後援団体である。

 しかしながら、前苑長である太田受宣亡き後、介護保険制度への移行も含め、施設全体の行事というものは縮小し、家族が積極的に関わる機会はめっきり減少した。それでも、他の施設を見渡せば、随分と関わりや絆は強いと思うところであるが、活発だった当時を知る家族会員からすれば〝物足りない〟〝あの頃は楽しかった〟などとお言葉を頂戴することがよくある。

 時代の流れ・利用者の重度化・家族間の関係性も変化している中で、昨日、来てくださっていたご家族は、口を揃えてこう言ってくださった。


 『光寿苑に入れてもらって、おかげで生活できるようになったのだから感謝している。おかげさんなのだから、奉仕したりお返しする気持ちでいつもいるんだよ。』


 何てありがたいお言葉。

 そんな中、家族会の方々が、


 『よし、家族会会長企画でよぉ、○○食事会やるってどうだべ?今の利用者家族にも集まってもらって、良ければ、そごさ職員も呼びでぇなぁ。やってイイべが?』


 受宣苑長時代、活発だった家族会活動。けれども、そのどれもが、光寿苑側から企画し協力いただいてきたものばかりだった。
 今回は、家族会発という、自発的企画なのであり、35年の歴史の中で初めてのことなのだ。

 私の中でつながった。

 受宣さんが創造したかったのは、この家族会の自発的活動だったのではないかと。
 その目標は生きている間には成就しなかったけれど、こうして、受宣さん亡き後15年経った今、芽吹いた。
 ある意味もんもんとした15年があったからこそ、ここに辿り着くことができたのだと感じて嬉しかった。

 ここにもまた、縦糸がひかれていることを思う。

 おかげさま。。。

物々交換のこころ

2012-04-22 11:38:45 | 日記
 親友と語っていた中での話。

 『ボランティアじゃなければ福祉は成り立たない。』

 とおっしゃった方がいた。それも分かる。
 お金が絡んで社会や人間関係のバランスが崩れてきたことは否めない。物々交換の時代から貨幣時代への変革は、様々な縦糸を崩すことになったとも言えるだろう。
 それでも、福祉もお金なくして理想郷だけ語っていては、末続くものではない。貨幣価値も大切にしながら介護も福祉も護ることが大切なのだと思うのだ。

 そんな話をしていたら、親友が言った。


 『物々交換の時代は、お世話なったからお返ししてという関係だったんだもんね。
 要は、関係性にお金をこめるのか、それとも心をこめるのかってことかなぁ。うまく言えないけど…。』


 そうだ。

 お金の価値に心をこめるのだとすれば、たとえば、運転をずっとしてくれた人に対して、〝今日は運転ずっとしてもらってっから、ご飯おごらせてよ〟という場面が分かりやすいだろうか。
 ある意味、物々交換時代の心意気をこのような場面でも生きているのではないかと思う。


 物々交換の大切にしてきたもの。

 その物と物との交換の中に、〝おかげさま〟という気持ちの交換とか、その心を感じとる感受性の交換が存在しているということではないだろうか。


 おかげさま。。。

人が人を安心させる

2012-04-21 10:33:27 | 日記
 先日、ひなたぼっこにいらした方がこうおっしゃった。


 『結局、建物が人を安心させるわけではないんですよね。〝人が人を安心させる〟んですよ。』


 その方は、岐阜県で宅老所を開設しながら、方々から断られ続けたお年寄りを引き受けているKさんという方である。

 ちなみに、当事業所ひなたぼっこは、古民家というか、昔の屋敷を改修している建物であり、その建物の雰囲気がいいと、多方面の方々から評価いただいている自慢の建物である。
 Kさんも、建物はご評価されつつも、それ以上に〝人の力〟に重きを置いてお話しくださったのだ。

 前述のその言葉は、お年寄りの中で、ただただ拝聴しては相槌うって、笑顔で言葉を掛けている20代の男性職員の所作や表情などをよく観た上でおっしゃった話だったのだ。
 その職員は、専門学校も出ていない。2月に入ったばかりの新人だっただけに、嬉しくて仕方のない私だった。

 そのKさん、さらにこうおっしゃった。


 『仕事をしてないでしょ、あの彼(20代の職員)ね。それでいいんだよね。
 仕事(作業)ばかりしようとする職員は結構いるんだけど、仕事なんか後で利用者が居ないところでさり気なく片付ければいいんであってさぁ。
 今、この場面で必要なこと(お年寄りの話を拝聴しながら受けとめていること)を彼はやっているもんね。大事なことが分かっているんだよね。
 すばらしい。』


 ハードよりハート。。。理想論とかそんなんじゃなく、現実論なのです。。。