宣セーショナル

宣承をひらく

ギンゲキ部員たちの心の形

2018-01-30 12:44:50 | 日記
先週末の銀河ホールの演劇部、通称『ギンゲキ部』のこけら落とし講演には、とても強いメッセージを感じ、そして、幼い頃から知っている子たちなどの魂のこもった演技にも魅了され、余韻に浸りながら帰ってきた。


色々な課題はきっとあるのだろうけれど、自己表現する場をこの演劇部にこめようと始まったギンゲキ部の初公演がこんなにも早く見られるとは感激だった。
当初、こういった結果としての舞台が最終ゴールでは決してなく、あくまでも自己表現する場所であり、仕掛人のK氏が、


『一般的な市町民劇のかたちを捨てて、「劇場の部活動」として参加者が自分たちのやりたいことを自分たちで考えて実現させるという挑戦的な事業』


と語るように、そのコンセプトは、きちっと若者たちは理解していたと感じたし、これからが最も大事な時間になりつつあることを実感していたのではないか。
彼らの手づくりの息づかいを確かに感じた場所だった。


心の闇と、つながるという事の思考と表現の深さに、自己に向き合うことに妥協しない者たちの感性は、いつの時代も変わってはない、そんな心の叫びを感じずには居られなかった。


まとまりつかない文章を、そのまま表現させてもらった今回の出遇いにおかげさま。。。

ギンゲキ部初公演へどうぞ♪

2018-01-18 22:33:50 | 日記
突然ですが来週1月27日(土)~28日(日)の2日間、銀河ホールにて銀河ホール演劇部、俗称『ギンゲキ部』による旗揚げ公演が開催されます!昨年2017年7月に発足し、その劇団に入った町内の有志のほとんどが10代~20代というのだから驚きでもあり、喜びでもあり……。
まぁ、演劇を語るほどの技術も経験もない私が語ることではないでしょうが、この部を支える実行委員となっている手前、応援しない手はなく…。。。子どもの頃から見てきた子たちがチラホラ居たりと、その子たちが出演するっていうだけで感激でして。。。

また、脚本も現役の地元高校生の手掛けたものであり、また、演出は地域おこし協力隊の一人が、初めて挑戦しているというのですから、こんな初々しくもドキドキする舞台もないのではないでしょうか。

この日は、恒例のビッグイベントである北日本雪合戦大会が町内でも行われるため大変恐縮ですが、ぜひ、時間を見つけてご来場いただきたいと存じます。

詳しくは、以下のとおり。。。


【日 時】
2018年1月27日(土) 16時半開場  17時開演
2018年1月28日(日) 12時半開場  13時開演

【場 所】
西和賀町文化創造館銀河ホール(西和賀町上野々39-195-2)

【内 容】
創作演劇『月面、着陸。』 ≪柳澤あゆみさん作≫
〔どこにでもいる普通の男子高生ゆうまのLINEに突然、「月」と名乗るアカウントから友達追加がくる。その日から、ゆうまの頭の中はすっかり「月」に支配され、やがてゆうまは月面着陸を夢見るようになる。現役中高生が演じる、不思議な青春コメディー!〕

【チケット料金】
大人1000円  中高生300円

【チケット問合せ】
銀河ホール事務局〔0197-82-3240〕





ちなみに、練習風景をご覧いただくことも可能だそうです♪
毎日、銀河ホールにて…18時半~20時半くらいまで

あの日から23年の日が教えてくれること

2018-01-17 23:44:24 | 日記
今日は阪神淡路大震災から23年。。。

あの日、僕は京都で一人暮らしだった。

初めての大きな揺れ…でも無事だった。

テレビがついたとき、とんでもない光景に言葉を失った。

なのに、その後、被災地に出向くことなく、『自分のことで精いっぱい』と言い訳を自分にして過ぎていった恥ずかしい時間。

それがあって、後の自分に繋がってきたものがある。

けれど、ふと気づくと、あたり前の日常の中で、そんなこと繰り返してはいないだろうか?

繰り返している自分が存在している。

言い訳して、通り過ぎようとしていた自分。

もう一度、考えさせられた23年目。

目の前のことから、一歩ずつ……

聞いた話…それって色ついてない!?

2018-01-16 22:19:48 | 日記
聞いた話だけを鵜呑みにして、むしろ色をつけて元々の色合いが見えにくくしてしまうことが世の中には存在する。それどころか、着色し過ぎたものを周囲にばら撒いてしまう良くない癖を持つ人もいるものだからこれがまた難解となっていく。


聞いた話…
その話した人の都合や解釈で事実がすでに着色され歪んでいることだってある。それが、信頼している間柄での情報のやりとりとなると、その話を真に受けて、しかもその聞き手の勝手な解釈でさらに色付けして厄介なものにまでしてしまうことは、経験則としてもお分かりなる方も多いことだろう。

簡単に言えば、対象の相手の人を良く言えば良い印象になるだろうし、悪く言えば怒りの対象にもなり得るだろう。


でも、話を聞いた人は、本来、関係ない部外者である。
それは、もめている両者の間の問題でもあるからだ。


要は、話をどれだけ聞いたとしても、本当に公平に観ることは難しいもので、例えばその対象となる両者のやり取りのいきさつや関係性、話の流れがどんなものであったかまで図る必要があるからであり、しかしながらそれはかなり困難なことであり、そこを丸く修めようとするなんてなってしまえば、かなり難解であったりもするのだ。


もし、仲立役をするのであれば、両者と同席して言い分を聴き、その上で、過去のやり取りのどっちのどこが悪いって言うことをあれこれ取り合うよりも大事なのは、未来に向かって個々がどうなりたいのか?を語り合うことだという軸を欠かしてはならなという点である。

今、この時間、相手にこうして欲しいあぁして欲しい、例えば謝って欲しい等々あるにしても、それを相手に求め、強いている我が心にも、もめ事の要因があることを見渡す必要がどうしたってあるということ。

仲立役の立場になったとしたら、自分自身が全体像を見渡せる広い心で聴ける状態をつくること。
その上で、その両者にも、自分自身の心も含めた全体像を見渡せる目を渡してさしあげる努力が肝心であると思う。


それを実践するのは中々難しいから、あえて『努力』としておきたい。
けれど、一度関わったとしたら、その真摯な態度で努力することを忘れないことは、問題解決の結果よりももしかしたら大切なことなのかも知れない。

専門職側からみるよりも大事な、世間の感覚側から考察する看取りを

2018-01-12 12:42:32 | 日記
昨日の夜、西和賀町の介護と看護の合同看取りについての研修会が開催された。

ここでは、光寿苑の歴史の中で、看取りケアとは到底呼べないが、『看取る』という範ちゅうでは考えられる事例かなと捉えてきたふたつの事例をお話しさせていただき、それを受けてのグループワークをしていただいた。

全体的に言えば、一堂に会して違う職種や違う職場の人たちが同じテーマで語り合うということは、とても有意義で大事な機会を持てたはずである。
もし、今回、そのように有意義さを感じなかった人がいるとすれば、次の機会にそう感じられるようにご自身の感性や想像力を深めて臨んでいただければいいんだと感じたくらい、いい雰囲気に思えた。
ご準備くださったスタッフの皆さま、おかげさまでした。

まぁ、今回紹介させていただいた事例はあくまでも看取りケアとは呼べない事例であり、リスクも高かったり、足りないこともあったり、でもその中でやれたこともあったという話であり、何もすごい事をやりました!とか、正しい看取りです!という話では全くない。
実際起こった事例をもとにいかに考察し、自分たちの範ちゅうでできていることは何か?あるいはもっとできることは何かを語り合えたらいい訳で…。

私の父みたいに、看取りなんてものとは程遠く終わってしまう命もある。

そこからいくと、関わる人がいるとか、一緒に悩み考えてくれた人がいるとかが貴重なことであり、最後がどうだったか、良かったかって思えるのはそのプロセスにある。それが看取るということになっていくのだ。
要は、仮に結果が乏しかったとしても、その後のグリーフケアに代表されるようなご遺族との精神的な関りいかんによっては、大きく感じ方も変わってくるのである。

また、やたら「ご本人がどうだったか?」と、専門職自らの観点に固執してご家族の気持ちや選択をにぶらせるケースもしばしば聴く。専門職の経験則を否定しているのではなく、固執してそれを押し付けていないか?というのが焦点である。

例えば、ご本人が元気な時に言っていたこととご家族の意見が違っていたとする。それでも、意思疎通が困難になったご本人とご家族が長年かけて紡いできた死生観というものがある。その死生観は、時により真逆に変化もする。
「おめぇがそう言うんだったら…」
と、家族の気持ちを優先したいとするのも、これまた人生観であり死生観である。専門職はそういう背景も感じとり関わっていく必要性が高まってきている。

だから、本当に残されるご家族が最終的にどう感じていらしたかが、明日を紡ぐものになっていくことを忘れてはならない。無論、そのご家族の感じ方の良し悪しが、私たち専門職の次なるケアに影響することは言うまでもない。

果たした形や結果をどうこう語るところが焦点になってはならない。

後になって、残された私たちがどう感じているのか?ご家族はどう思っているのか?昨日のグループワークの意見では、
『多職種のこういう研修も良いが、一般の方々はさらに看取りという言葉から離れている。一般の方々も巻き込んで一緒に考えていく看取り研修も必要と思う』
というものがあった。まさにその通りだと思う。

専門職の経験則や論理だけでまとめに入らぬように、常にそんな自分たちを世間の感覚から、ご家族の後の言葉から検証していくことの大切さを改めて思わせていただいた、そんな会となった。


おかげさまでした。

ジッと待つ2018のスタートのとき

2018-01-11 12:38:23 | 日記
今日、新年最初の講演を西和賀町内でさせていただいた。
エンジン全開でしゃべり続けた80分。

研修スタッフの中には、いつもお世話なっている先輩の顔。先輩に会うといつもホッとさせられる私。

『宣ちゃん、元気なの?ブログ観ててもネガティヴな内容が続いでるしさぁ。心配してらったぁ…。』

ありがたいことである。感謝でしかない。

読んで下さる方がいるので、以前はできるだけポジティヴを意識して、いい事もわるい事もポジティヴな見方や表現をしてきた。それは特に無理していたわけではなく…。

でも今は、読み手の方に嫌な気持ちにはなって欲しくないけれど、それでも自然体で表現したい。
元気ない…普段笑顔を浮かべていても、講演でハッスルしても、バスケで暴れていても…

ふと我に返る。

元気が中々でない自分。そのままに表現させてもらえる場所であったらいいのかな。
ネガティヴシンキングな最近だけれど、そのありのまま表現する所から、一つの道が見えてきたら嬉しいから。道が見えないのなら、慌てずジッとしておこうかな。道が見つかったらボチボチ歩いて行こうかな。


世間的なことは慌ただしくこなしつつ、メンタル的にはボチボチと思ってリスタート。

こんな自分からリスタート …… あ、まだ無理な出発はよしておきますかね〔笑〕

聞く私の問題2018

2018-01-04 06:02:45 | 日記
どれだけ言葉に気をつけて話したとしても、どれだけ相手の状況を案じて言葉を選んだとしても、それをどう解釈するか?

解釈する・理解する、〝その人〟に掛かっている。


要は、


話し手次第と言うより


聴き手次第。。。


聴くその人が、いや、聴く私自身がどのように聴くのか?…という問題だと思う。


先入観・偏見・色メガネ・レッテル……


一番難しくしているのは、〝私〟自身の中にある。


私次第で世界は変わる。


私の経験則を超えて…

純粋な心で世界を観ていこう。そんな年の始まりとしよう。

新年あけまして…の笑顔の裏側で

2018-01-03 10:32:20 | 日記
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

新年お決まりのこの言葉も、心から言えない気持ちの人だっている。旧年中にお身内を亡くされた方々にとってみれば、晴々と〝新年おめでとう〟とはやはりなりにくいこともある。

私が笑っている裏側で、泣いている人もいることを忘れてはならない。
その思いも胸に持ちながら、改めて、〝新年おめでとう〟という言葉を噛みしめて言いたいと思い始まった新年。

母の日だって、子どもの日だって、誕生日だって、クリスマスだって、どんな大切な記念日だって、その喜びの裏側で泣いている人がいるんだ…

そんなことを普段から思い出す一年でありたい。


改めまして、今年もよろしくお願いいたします。