宣セーショナル

宣承をひらく

最終週のダブルヘッダー

2013-02-28 06:27:00 | 日記
 2月はダブルヘッダー講演が4回と多かった月。

 今日は午前中は花巻の妙円寺さまの婦人会総会で『幸せのものさし』と題してお話させていただき、午後からは、東北大学大学院医学部主催の研修会で『どのように生き、どのように最期を迎えたいか』と題してお話させていただきます。

 最近は住職が随分と年をとったなぁって感じることと、自分自身も珍しく風邪で調子が悪くて、こういう活動がいつまで続けられるのか分かりませんが、やれるだけ、身の丈でやって参りたいと存じます。

 明日は、全く違う明日になってしまうのかも知れないけれど、まずは目の前の一歩、今日はとにかく、行ってきまぁす♪

避難所となったお寺②

2013-02-27 05:45:19 | 日記
 震災直後からお寺を避難所として開放。切り盛りをした千葉坊守さまが、裏の話をしてくださった。

 
 【千葉坊守様のお話】
 私たちも、避難されてきた皆さんと一緒に避難生活をしていました。
 水は湧き水、暖は反射ストーブ、トイレも電気いらずのトイレがあり、ガスもプロパンガスがあったので何とか過ごせていました。
 電気が復旧したのが遅くて5月中旬でした。
 その時、子どもたちから〝母屋に帰ろうよ〟って言われたのですが、断りました。親戚からもそのような話をされたのですが、私はすべて断りました。

 『お寺の役目は、最後の一人がお帰りになるまで避難所としてやることだ。』

 そう考えていましたから、子どもたちにも体で感じて欲しくって、一緒に避難生活を続けて欲しかったんです。
 避難している方と同じ暮らしをしてこそ見えてくるものがあると思いましたから。

 
 現在、同じ被災者間にも気持ちのズレが大きく出てしまっています。
 自宅が全壊してしまった人同士でも、完全に泥をかぶり取り壊さなければならない人は、それでも使えるものなんかは洗って使おうとしていて。
 逆に、家が完全に津波で持っていかれた人にとってみれば、思い出の欠片もなくなってしまったわけで。
 家が完全に無くなってしまった人からすれば、その泥をかぶってでも思い出が一つでも残っている人をねたむわけですよ。

 『思い出の物が残っただけマシでしょ。』

 みたいなことになってくるんですよね。同じ全壊なんです。物は残ってもその家は取り壊さなければならないんです。
 被災地の中でも、共有できない辛さがあるから、この気持ちのズレというか、苦悩を明かす場所が必要なんですね。
 その意味で今年、親鸞教室をさせていただいているんですね。


 私たちがお寺を開放し続けられた最大のわけは、私たちの家族が誰一人犠牲にならず生きていられたからできたことなんだと思っています。



 謙虚さとは、こういう辛い時にこそ真価が問われるものなのだと改めて感じさせられていた。

避難所となったお寺①

2013-02-26 09:28:58 | 日記
 数日経ってしまいましたが、再び陸前高田のお寺さんのお話。

 今日ご紹介するのは、震災直後からお寺を避難所として開放した千葉さまの体験談。


 【千葉ご住職】
 3月11日直後、150名の人がお寺にいました。どうやって人数を確認したかと言うと、おにぎりを渡した数と戻ってきた数で計算して把握したんです。
 中国人とか言葉の通じない人もいました。それでも、みんなお互いに気遣いながら、7月末の最後のお一人が帰るまでお寺を開放しておりました。
 現在、他の地域に移り住んでいた人たちが高田に戻ってきています。
 『この気持ちを分かってもらえない。』
 ということが多いようです。どこに被災した人が暮していたとしても、どこかで受け止めてさしあげないと。

 寄り添う=ある意味その人の人生を背負うこと

 最近、避難所となったこのお寺を掃除する会として当時いらした方々が集まっていらっしゃるんです。うちの門徒さん以外の人もです。
 『懐かしい。元気だった!?』
 って言いながらお寺もキレイにしてくださるんです。
 何も、寺の私たちだけでもお掃除はできるのですが、皆さんにとって、気持ちが安らぐ時間になるのなら、この会のためにも開放するのも大切だなぁと思って、今は開放しているんですね。
 ありがたいことですよね。


 今日はここまで。明日は千葉坊守さまのお話です。

親バカ日誌

2013-02-24 06:32:13 | 日記
 西和賀町の太田地区観測点、先日266cmの過去最高値を記録したのだそうですが、わが家を観測点にすればおそらく3mは越すのでしょう。。。どうぞ見学にいらしてくださいまし。。。(涙)


 そんな雪が上からは勿論、横から下から吹き荒れる中、昨日は沢内クロカンというノルディックスキー大会が開催されました。

 視界ゼロみたいな瞬間が何度もある中へ、小学生たちは飛び込んでいくわけで、係員の皆様にも大変ご苦労お掛けしながら、何とか参加全選手が完走できたのでした。ありがとうございました。

 私の娘二人もがんばりましたが、特に二番目の空は、普段から小さい体ながら全力で何事にも打ち込む性格。
 昨日はゴールした瞬間、誰もが、『寒い~っ』って震えながら帰ってきていたのです。空もガッタガタ震えておりました。
 ところが、記録自体は、いつも負けている選手に勝っている。聞いてみたところ、空はこう言いました。


 『寒過ぎるから、早く帰りたかったんだもん!』


 猛吹雪と寒さに記録が伸びない子が多い中、表彰台に乗るようなレベルではないけれど、よう頑張ったと、そのメンタルを表彰してあげました♪

鍋コンパ

2013-02-24 06:32:13 | 日記
 金曜日の話になりますが、光寿苑で鍋コンパが開催されまして。
 首謀者はお馴染みのケアマネのKくん。

 発端は、あのホストクラブ企画の主犯格である『オラ、男ど呑みでぇ♪』のKばっちゃん。

 ホストクラブ『不夜城』以来、Kばっちゃん、


 『今日、やってらべが!?(不夜城が開店してるのか?)』


 と、職員がいくら〝今日は開いてねぇなぁ。〟とお伝えしても、自分の目で確認するまでは納得いかないKばっちゃんは車いすを自ら操作して不夜城会場が本当に休みかどうか確認にいらっしゃっていたくらいだったのだ。

 呼びかけを全体にしてみたものの、女性職員には恵まれず、お年寄り男女八名と男性職員八名での鍋コンとなったわけである。
 ご希望のきりたんぽ鍋を囲み、Kばっちゃん自家製の『はしらたもづき』という幻の甘酒をいただきながら、いつものまったり加減で夜はふけてゆく。

 皆さん、いい顔なさっていたなぁ。

 今回は、看取りケアに入っていらっしゃるKじっちゃんもベッド毎会場入りされ、日本酒を楽しまれている。その穏和な表情が本当にうれしくて、


 『今日はいい日っすね。来てくださって、ありがとうございます♪』


 とカンパイさせてもらってね。

 女性職員はいなかったけれど、熟女中の熟女であられるばっちゃんたちに癒されながら、ステキな時間を本当におかげさまでした。

 やっぱ、鍋はいいやねぇ♪

講演からのぉ…コンパ♪

2013-02-23 09:19:46 | 日記
 昨日の午前中、水沢学苑看護専門学校卒業記念講演にて2時間弱の講演をさせていただいた。

 看護師になる人たちは、最近は男性も多いんだなぁと、聴講くださる皆様を前に思いながらの2時間となった。
 聞く姿勢がすばらしい皆様だったので、とってもリラックスしてお話しさせていただけた。

 講演終了後、先生方に、


『学生たちも、死について、あるいは心に寄り添うことの具体的なイメージを掴めたんじゃないかなぁって感じました。いい日になりました。』


 と言っていただき、ホッと一安心。そんなお話しを頂戴している最中、数名の3年生の学生様たちが控え室を訪れ、ご挨拶くださった。

 彼女たちは、1年半ほど前、大槌町吉里吉里で劇団四季さまの講演裏方をお手伝いした際に、ご一緒させていただいた子たちだった。笹原さんを慕って動いていらした学生さんたちもいよいよ卒業。何だか、ご縁のありがたさに胸が高鳴っていた。

 そして、どの先生にお会いできたことも嬉しかったけれど、菊池先生に再会できたことは何よりだった。
 実直に生きる精神性でありながら、相当な心の苦労をされていらしたであろう菊池先生。それでいてその苦労を表には出さず、しゃべるととっても晴れやかでおもしろくてね。

 このご縁もおかげさまです。。。


 さて、その夜は、光寿苑内でお年寄りたちと鍋コンパがあったのだが、長くなってしまったので、また明日改めて。。。

宗教家としてではなく一人の人間として

2013-02-22 06:40:26 | 日記
 快晴の中、駐在さんたちのご一行と一緒にまずは大槌町へ。大槌の被害状況を目の当たりにされたご一行はつばを飲み込んでいらした。

 昼食は大船渡の屋台村へ。私はここは初めてだったけれど、中々活気を感じる雰囲気が良かった。おいしかったなぁ。

 午後からは、陸前高田の同宗派・正徳寺さんでの研修会へ向った。
 途中、高田の風景を眺めながら走ったが、雰囲気が変わったというか、工事が進んでいる印象を受けていた。

 お参りを終え、正徳寺千葉ご住職と坊守さま、そして、本稱寺佐々木ご住職のお話しを伺った。

 まずは、今日は佐々木ご住職の話から。


 『私自身も津波にのまれました。
 水の中で、昔から聞かされてきた津波で亡くなっていった方々の話を思い出して、〝あぁ、こうやって津波で亡くなっていくんだなぁ。〟って、不思議と冷静に考えていました。
 ところがその時、ふっと上のほうに光りが見えたんですね。〝生きたい、生きなきゃ〟と思って、必死に泳いで上りました。
 たまたま上った先に畳があってそれに乗っかって。さらに、他の瓦礫にはさまれて、畳が海のほうに流されることは無かったんです。
 疲れきって横たわっている私を見つけてくれたのは、高田高校野球部の子たちでした。私がずぶぬれなのをみて、その子たちは自分たちの服を持ってきてくれました。あれがあって、私は寒い夜を生き残れたんだと思います。』


 『数日後、坊守(母)と妹、そして妻の遺体と対面しました。しばらくして、住職(父)の遺体が見つかりました。
 そんな中で、震災から1ヵ月してからでしょうか、ご門徒さまにたまたま会いました。すると、

〝あんただけでも助かって良かった。〟〝お寺、無くならないよねぇ?〟

 心配そうに聞かれたその時、私は、

 〝お寺は無くしません。〟

 と即答したのです。私もなぜ即答できたか分かりませんでしたが、私がたまたま助かったのは、〝お寺をあなたが護りなさい〟という願いだったのではないかと思うようになりました。生き残ったのは、そういう意味がある。』


 『今、お参りで集まる場所が、仮設の本堂ですけどできたことは良かった。でも、本当に本堂再建を目指したいと思っています。』


 『どうか、皆さん。被災地の今は、仮設の皆さんさびしい思いをされています。誰かに、心の奥に仕舞い込んでいる心の叫びを受け止めて欲しいのです。
 それも、友人や近所の人にはどうしても話せない、話すと噂にされるかも知れないって思うから、身近な人には話せないものなんですね。
 遠方からいらした親身に聞いてくださる方に、話をしたいと思っていらっしゃいます。ただ、〝うんうん〟って頷いてくださるだけでいいんです。話をしっかり聞いてくださる方なら誰でも大丈夫です。
 
 宗教者としてではなく、一人の人間として傾聴にきていただきたいのです。』

個人と組織

2013-02-21 07:08:02 | 日記
 昨日の夕方から、全国教区駐在教導研修会(真宗大谷派の若手役員さんたちと言ったらいいでしょうか)に参加させていただいている。

 今回は二泊三日、被災地支援を報告したり現地視察したりの濃厚なスケジュールである。

 急ではあったが、東北を代表して、これまでの自身の体験と出逢いを20分間報告させていただいた。

 お寺さんたちとは言え、日々探求されている現場主義の人たち。すぐに思いは感じ取ってくださって、とっても話しやすかった。
 大学同回生の無量ちゃんや後輩の永井くん、わっしぃにも再会できて、うれしいひと時となった。

 お酒をいただきながら、また深い議論。


 得意のメモをとらず覚えていないのが残念で仕方ないのだが、断片的記憶をたどると…。


 『組織が固まってから動くんじゃなく、個人がまずは動く。そして、組織をうまく使えばいい。組織も、動ける個人に使われればいい。』


 組織幹部の真澄さんの言葉が心地良く響き渡った。

 
 組織に属さなくとも、ベクトルが合った者同士が互いにフリーな状態で活かしあえること。
 
 共に生きる力強さを胸に、今日は沿岸に皆様と行って参ります。

雪国教育

2013-02-20 06:47:29 | 日記
 昨日は、小学校校内クロスカントリースキー記録会があった。

 自分の子どもたちの必死な姿に感動しつつも、西和賀らしい猛吹雪。。。応援も厳しい状況下ではあったものの、子どもたちが遭難するのでは…などと声もあがる中での記録会となった。

 結果から言えば、無事、全校生徒全員が完走できた。

 あるお母さんが、猛吹雪の最中、おっしゃった。


 『こんな天気だったら、街中なら、
 〝何でこんな時にやらせるんですか〟〝何考えてるんですか、学校は?〟
 って苦情に間違いなくなるべなぁ。西和賀だからあたり前にやっている子どもたちがすごいわ。』


 すると、他の親御さんたちも口々に…。


 『西和賀の子たちは、たくましいよ。』


 やれリスクマネジメントだなんやかんやと大変な時代の中で、整い過ぎない教育環境がいかに人を強く育てるものか。

 改めて、雪国に生きられるすばらしさを、今回も一つ発見させて頂いた。

 おかげさま。。。

〝今に生きる〟

2013-02-19 07:22:28 | 日記
 昨日は『まんさく166号』をギリギリ入稿。寝不足だったけれど、そのまま経営コンサルタントの方と会議。

 毎回、彼の助言を頂きながら、光寿会らしい経営や人間育成を自主的に考え議論させていただく場である。

 世の中、『10年先を見据えて』とか、『20年後どうなっているか考える』などが経営論の主流であるが、長年つきあってきたコンサルタントK氏はおっしゃった。


 『本当は、もう誰にも先々のことは分からなくなってしまっている気がするんです。どう変化してしまうか本当に読めなくなった時代ですもんねぇ。
 この間のグループホームの火事一つで、また一挙にとりまく環境や制度は変わってくる。
 今は、目の前のやれることをどう判断するか。やりたいかやりたくないか。どうあるべきか。そこから先に繋げていくことが大事だと感じているんですよ。』


 何十年先のビジョンから今を考えるよりも、その都度、めまぐるしい変化の中でタイムリーに判断しながら今を生きる。
 その今を着実につなげていきながら将来を見据えていく。


 私にできること。〝今に生きる〟