宣セーショナル

宣承をひらく

地元だがらぁ~(笑)

2015-06-26 12:52:01 | 日記
ディープな面談やディスクワークを続けていると、中々、例の頭痛がとれない。
う~む、いいコンディションって、本当にありがたいことだ。

そんな中、おととい水曜日は、講演のダブルヘッダーだった。

午後から盛岡市の特養・なのりの杜&なのりの里さんの職員研修。
夜は、地元の西和賀町PTA連合会教育懇談会での講演。

まず、一発目のなのりグループさんでの講演前には、施設の脇に立てられた屋外炊事場的なところで食事をご馳走になる。
この日、職員さんたちがそれぞれアイデアを出しメニューを決め、自ら腕を振るうという懇親をコンセプトとしたものだった。
ピザ窯で焼かれたピッツァから、煮込みや焼き肉等々、かなりのレパートリーたち。大抵は自分で食べたいものを選んで食べるものだが、講師ということもあり、ほぼすべてのメニューを上げ膳でいただくビップ待遇!おかげさまで、腹パンパンで講演を迎えることとなった(笑)。
講演は、『看取りから学ぶ人生丸ごとケア』。
3度目のなのりさんでの講演だったけれど、新人さんも含めて、皆さん真剣に泣いて笑ってご拝聴くださって、ありがたかった♪


ひと息ついたら、一路、地元西和賀町へ戻る。

地元PTA…。
人様の前でお話しさせていただく時、最も話しにくい3拍子が整い過ぎている。
『地元』『同世代』そして、PTAというある意味固い場という3拍子。いつもお世話になっている先生方もズラリ!!!
お話ししたことはなくても、私のことを知っている方々が圧倒的に多いわけで、とてつもない異様な空気感の中、講演は始まった。
こんなに緊張感が持続する雰囲気は、そうそうない。

地元だがらぁ~(笑)

言葉が溢れ出てこない中、不安になれば表情のいい方に目を移しながら、何とか過ごした時間だった。
感想がどうだったか今一つ分からなかったが、会長さんの言葉や数名の先生からのお手紙で、まずは悪くはなかったのだろうと振り返った。
特にも、最期の謝辞が、幼い頃から親友・のり(PTA副会長)だったこと、そして、彼の言葉の優しさと柔らかさに、場内の空気が和らいでいた。彼が最後の言葉で、私が救われた♪

なにはともあれ、この頭痛、良化してくれぇ~っ(笑)

頭に注射発射っ!

2015-06-24 06:47:37 | 日記
週末から続く後頭部の痛み…。徹夜であるとかお酒であるとか心身の疲れもたまっていてのことだろうが、コンディションは冴えない。

そんな中、土曜日には、岩手県介護支援専門員の皆さまの総会があり、看取りについて講演させていただく。
後頭部の痛みがピークを迎えてしまう。
痛点をさすりながらも、言葉が出てこない時間帯が前半戦の山場だった。
皆さまの聞いて下さる雰囲気のおかげで、次第に痛みはとれていったが、帰りの道中はかなりきつかった。

翌、日曜日は、朝のご法事に始まり、その後すぐに碧祥寺本堂での講演へと進む。
花巻市の円徳寺婦人会の皆さまが、ゆうこう副住職の先導でお見えになった。
こちらもまた、何の心配もいらない聞き上手の皆さまであったし、3年前の親鸞教室で顔見知りとなった方々も多くいらしたので、大変話しやすい環境にしていただいた感覚だった。

頭痛はあるものの、少し控えめな感じ。

そのまま午後は、奥州市のJAえさし女性部の皆さまの前での講演を迎える。
こちらにご縁をもたらせてくださったのは、震災時に笹原さんのつくってくださったつながりつながる委員会でお世話になった広野さん。変わらぬ静かでやさしい雰囲気に癒される。
初受講という方が100%に近かったのだが、こちらも何といっても天下の女性部!聞き上手の達人揃いを前にして、結果を語るまでもなかった。

ただ、やっぱりどこかボーっとした脳の働きでは、ペース配分や間の取り方などは微妙にくるっている。

数名の職員のすすめで、昨日ようやく、某医院に通院すると、なんと、『頭蓋表筋の筋膜症』とのこと。
要するに、頭の筋肉痛なのだという。
びっくりすると同時に、なんかホッとしてしまった。。。ブロック注射を後頭部や首筋など数か所にブスブスッといかれた後、ストレッチをご教授いただく、斬新な受診だった。

受診後に、日中の北上市でのご法事を勤め、夕方からは、突然2日前に入った密葬を本堂で勤めた。東京在住のその方々、お墓がお寺裏の墓地にあるため、どうしても様々な状況から、密葬後、すぐ納骨したいというご依頼だった。
そちらも、滞りなく無事終えられた。
頭は多少痛かったものの、声は普段通り出ていたので安心したところだった。


今日もまだ、調子はいいとは言えない状態は続くけれど、こうやって付き合っていくしかないのでしょうね(笑)。


ということで、コメントいただいている皆さま、お返しできていないこと、ご容赦ください。ゆっくりお返事させてください。。。

言葉を超えたいから詩を書く人

2015-06-19 17:17:49 | 日記
今日、テレビに詩人の谷川俊太郎さんが出ていた。

俊太郎さん、情に薄い人らしく、常に距離を置いて観る習慣があり、奥さんからもその辺をやぁやぁ言われているとのことだった。

司会者が質問した。


「情を入れて詩って書くもんじゃないんですか?感じないと書けないのでは?」


といった質問に対して、俊太郎さんは言った。


『情を入れて書く人もいるでしょうけど、私は引いて観ないと、離れた所から客観的じゃにいと書けないタイプですから。』


おもしろいことおっしゃる。
俊太郎さん、続けてこう言った。


『私、言葉や詩って嫌いなんですよ。できるだけ言葉なんて使わない方がいいと思ってますもん。言葉っていい加減じゃないですか。信用ならない!

信用していないからこそ、〝言葉を超えたいと思って詩を書いてる〟んです。

一番いいのは、言葉のない状況ですけどね。』


含蓄ある言葉たち(笑)。

私も信用ならない言葉を自分の中から、こうやって繰り出しては、自分の中の虚偽性に向き合っていない日常を振り返る。

私も、言葉を超えてみたい…。。。本物に触れるとはそういうところにありますね♪

義母さまの名言

2015-06-17 12:42:48 | 日記
来週で納骨を迎えるあるご家族の話。

枕勤めという最初のお参りで出向いた日、90代でお亡くなりになられたおばあちゃんの儀式準備の中、とても穏やかに笑いながら過ごしていたご家族だったが、60代の嫁さんだけが淡々と無表情でいらしたことが気にかかっていた私。
7年という長い間、寝たきり度が高くなり、在宅介護に従事されていたとお聞きしていただけに、介護疲れとか嫁姑の様々なできごととか、そういった色んな思いがあってのことだろうと、勝手ながら想像していた。

数日後、葬儀が終わり、御斎(おとき…食事)の席で、その嫁さんがご挨拶がてら飲み物を注ぎながら、初めて微笑まれた。しかも、泣きながら……。

嫁さん曰く、同居した頃から、本当に色んなことを教えてくれたやさしい人だったのだと。そんな人が亡くなってしまって、本当に寂しい…という胸の内を語ってくださったのだった。
そして、こんな話をしてくださった。


『私は以前まで看護師をしていて、職場での色んな人から言われたことに愚痴を言っていたら、母さんはそんな私に、よく、
〝他人から言われたことを悪く捉えるもんじゃないよ。悪く思ってしまえば、その人のことを悪くみてしまうから。〟
って言われたもんでした。そういう母さんの考え方に、私は何回も救われて過ごしてこれたんです。だから、寝たきりで何にも話ができなくなってはいたけれど、別れてしまうと、本当に悲しいんですよね。』


何て深いお話だったことだろう。

大抵の問題解決の糸口は、相手や周囲環境ではなく、自分の中にあるということを改めて教えてくださったお話である。


今回もまた、私の勝手な想像は外れていたが、でも、生きる意味がいっぱい詰まったこのエピソードをお聞きできたこと、このお参りを勤めさせていただけたご縁は、本当にありがたい恵まれていることです♪

嗄れ気味の声の原因たち

2015-06-15 20:54:16 | 日記
ゾウさん伝説…からの、ちょっとバタバタ気味だった先週末を振り返る。

金曜日の午前中、北上市での出棺~火葬と、仏事の応対から始まる。

午後一番、黒沢尻西地区交流センター女性学級さま開校式にて、講師を務めさせていただく。
実は、震災の前の年まで、この女性学級には4年間もお声掛けいただき出向いていただけに、5年ぶりに帰ってきた!みたいな感じだった。
何せ4年連続呼んでいただいただけに、話のネタも何もすべて使い果たしたようなつもりでいたが、あれから5年…随分と別の話題もできていたけれど、きっと以前の話題も忘れてくださっているだろうと振ってみたら、皆さま大笑い!
やっぱり話しやすい、この女性学級の皆さま♪
感謝申し上げつつ、本当は、夕方に控えていた葬儀のこともあり、喉がつぶれないように声は極力張り上げず臨むつもりだった私。
しかし、聞き上手の達人たちが揃っているこの場所で、そんな控えめで終われるはずもない。
結果、90分、エンジン全開の私の声は、随分と嗄れ気味となってしまっていた(笑)。

それはそれとして、時間の迫っていた葬儀の執り行われる葬儀店さんに戻り着替える。
話し声は嗄れ気味でも、お参りの声はまたちょっと違う発声の仕方であるため、そちらの声の出所を一所懸命ケアしつつ、発声練習に努めることとなる。お経の発声練習を重ねていくと、徐々にではあるが発声の音が修復されていくのだ。
何とか、形になるくらいまで間に合い、ひと安心。
気持ちを集中させて、ご葬儀と繰上げ法要を無事勤めさせていただいた。

金曜日は、かくして夜を迎えた。


さて、土日は中学校総合体育大会&ご法事等のお参りが数件入っていた。
年間スケジュールの中で、この日程は前々から分かっていたため、何とかかんとか周囲のご協力を得ながら空けさせていただいてきた2日間。
何事もなく、無事、観戦の時間を与えていただけたことは、本当にありがたかった♪

結果だけ申し上げると、我が長女の所属しているソフトボール部は、予選リーグから決勝戦までの4試合をすべて4回コールドゲーム。しかも、対戦相手をすべて0点に抑えての圧勝で幕を閉じた。
ただ、コーチいわく、こんな試合では県では頂点に立てないんだと、優勝しても尚、激を飛ばしていた(汗)(笑)

ここでもまた、抑えることのできなかった応援……。おかげで、その後のご法事数件は、かなり発声に苦労させられた(汗)。

応援の代償は、それだけで済まない。日焼け対策を何らすることなく臨んだ私は、かなり人に会うのが恥ずかしい感じの焦げ具合となっている(笑)。

ゾウさんからのメッセージ…!?

2015-06-12 08:53:51 | 日記
先日、五女の音々と長男の惠承を寝かせつけていた日のこと。

夜中、うなされて足をバタバタとしている音々を寝かしつけるのに一苦労の状況だった。
やっとの思いで寝かしつけた私は、フーッとため息をついた。

そして、ようやく寝れるなぁ…そう思った私は、気も緩んだ状況で、屁をこいた。。。


「ぶおぉぉぉぉ~っ」


結構な重低音が静けさの中に響き渡った。

…と、次の瞬間!眠ったはずのうつ伏せ状態だった音々が、ガバッと上半身だけ起き上がり、目を開けて言い放ったのだ!!!


『ぞぉ~さん♪』


そう言い放つと、すぐさまバタッと元のうつ伏せ状態に戻り、再び眠ったのだった。
その間、ほんの2~3秒くらいの間だっただろうか。長く感じた私。

そんなにゾウの鳴き声に類似していたのだろうかと、振り返り笑いつつ、音の検証と研究に余念のない日々である(笑)。


さぁ、いろいろあっても、どのように捉えて歩けるかっすね♪一歩を大事にいこっ!

『線香あげだいなぁ…』

2015-06-11 12:55:34 | 日記
光寿苑を留守にしている間、とてもありがたい出来事があった。

5月の末、末期の胃がんのため、看取りの面談をしていたYばっちゃん。
少し食べても嘔吐してしまう日々の中、Yばっちゃんの望みをあれこれ考えていた私たち。


『家で線香あげだいなぁ…』


光寿苑に来てから、実に丸12年が過ぎていたYばっちゃんは、先に亡くなられた旦那様や、去年、若くして往ってしまわれた息子様への強い思いを聞かされていた私たち。

きっとYばっちゃんは行きたいのではないか…。今だからこそ…。

そう考え、Yばっちゃんに尋ねた。


『行ってみでぇなぁ。でも、こんな体だがら、迷惑かけるべなぁ…。』


遠慮がちだったけれど、ご自宅への変わらぬ思いをヒシヒシと感じた。
ご家族にも相談し、Yばっちゃんの誕生日『6月8日』に行くことになった。


嘔吐する日々は続きつつも、無事に8日当日を迎えた。

【ここからは、担当さんの記事を参照に…】

「天気も良いしていいな」


と笑顔で元気に出発。車中、


「おらが掘った穴さ狸が落ちたものだ…」


等々昔話をして和やかムード。
自宅へ着くとお嫁さんが出迎えて下さり、車いすのまま仏壇の前まで行き、手を合わせる。お嫁さんが旦那さんと息子さんの写真を手渡すと、涙を見せるYばっちゃん。お嫁さん、


「父さんの写真見えますか?」


と聞くと、本人、


「ここが肩で…♪」


と話し始める。しばらく仏間で過ごされた後ケーキとお茶を準備してくださりチョコケーキ少し食べお茶がおいしいと飲んでいる。
お嫁さんから爪切りをしていただいている。昔話に花を咲かせた後、仏間に行き鐘を叩く。その表情はとても柔和で、穏やかだった。

車に乗るとき、お嫁さんより、


「母さんまた来てよいつでも玄関を開けて待っているから」


と声をかけて下さる。Yばっちゃん、安心した面持ちで帰路につく。

いつもは嘔吐で苦しい思いをされているのに、外出中は嘔吐もなく元気にお話をして過ごされていた。

【以 上】


思いの力、家の力、ご家族の力…とてもありがたい時間を私たち職員は賜り、また一歩、成長させていただいているのだ。

おかげさまです♪

親鸞鑚仰会の皆さまとの2日間

2015-06-10 06:53:07 | 日記
今週月曜日からの2日間は、真宗大谷派名古屋教区の親鸞鑚仰会8名の皆さまとご一緒させていただいた。

初日は、遠野市の道の駅で合流した後、沿岸部を訪問。

最初は山田町の松江寺さんへ。
住職が長く代務者となっているため、今回はご門徒の佐藤さんからお話しをうかがった。当時、自宅に近い水門の辺りにいらしたという佐藤さん。必死でどう逃げたか分からないというくらいだったのだと。佐藤さんの住むエリアには、19mの津波が観測されるほどの大津波がきたという。
そこの近くには、多くの犠牲者が出た老人保健施設の跡地もあった。

様々な思いを抱きつつ、昼食は仮設店舗の並ぶ中の酣さんで摂らせていただく。お店の方々もいいおっちゃんおばちゃんたちで、気持ちがよかったなぁ。


一行は大槌町へと向かう。

堤乳幼児保育園にて芳賀カンナ園長さんのお話しを伺う。
当時の話の中でも、沢山の物資の仕分けが最も過酷な任務の一つだったと明かしてくださった。だからこそ、物資は「最低限これさえあれば3日間は大丈夫セット」みたいなものを送る側が作って送ることが出来れば、現地での混乱や過酷さは和らぐのだろうということだった。
また、測量や設計などの技術者の方は、家族単位で仮設住宅に移り住んでいらして、数年契約ではあるけれど、お子さんなどもここの保育園に通ってきているという事情もお聞きした。
そして、仮設の中では社交的に話せたとしても本音や事実を話せないでストレスが溜まっている。しがらみのない離れたところから来てくれるお坊さんの力は、とっても重要だと思うとのお話しもいただいたのだった。


続いて向かったのは、お馴染み子ども夢ハウス。
元気な子どもたちが帰ってきていたので、ほとんど吉山くんのお話しが聞けないほどの賑わいぶりだったが、そのような実情に触れられたのは、一行としては寧ろ意義があったのだと思った。
数人の子たちは、数日前訪れたことを覚えてくれていて、すぐに絡んできてくれたが、どうしても滞在時間の関係上、ゆっくりできずにいたのが申し訳なかった。またゆっくり…。
それにしても、かさ上げ対象のために撤去予定になっている「すりきず公園」は、一年は延長して残してもらえるとのことで、子どもたちの遊び場がないこの沿岸部では、ありがたいことだと吉山くん噛みしめるように話してくれた。


夢ハウスを後にして向かったのは、釜石市の宝樹寺さん。ここでの話も衝撃的だった。
こちらの野嶋ご住職は僕と同い年。震災1年前に縁って、はるばる富山県から入寺された人である。彼は言った。

『何のしがらみもなく、門徒さんの顔と名前が一致していない中で、あの震災が起こった。津波以前に御堂がひし形になるように揺れた。もうこの寺はつぶれると思ったけれど残った。門徒さんもどうなっているか分からない。
今、必要なのは少しであってもお金ではないかと考えて、寺で貯金していた500万円を門徒さん68名に配って歩くことに決めた。人づてに顔も分からない門徒さんを探しながら避難所を回って配ったから時間がかかった。前住職からは止められたけれど、
「門徒さんの暮らしもどうなるか分からん時に、寺だけ残っても仕方ないでしょ。」
と言ってやり切った。
何のしがらみもない私は、ここを離れるという選択もあったけれど、やっぱりここで門徒さんたちと、市民の方々と生きていく覚悟を決めてここに今います。』

この話をサラッと微笑みながら語る野嶋さんの度量に、一同、グイッと気持ちを持っていかれていた。

夜も釜石市の美味しい料理に舌鼓にしながらの懇親会に野嶋さんも来ていただいて、夜は簡単にふけていった。


翌日は、一路わが町である西和賀町をご案内。
この中身は語るまでもないので割愛させていただくが、この2日間で、気持ち的にもグッとお近づきになれた鑚仰会の皆さまが、とても好きになった時間だった♪

またいつかお会いする日が楽しみだす♪

送迎係だの講演だの…の2日間!

2015-06-08 07:14:25 | 日記
ちょっと座る時間がない感じだったので、この週末のことを記録しておこう。

6日の土曜日は、何と朝7時からの90分講演から始まる!
盛岡クラブさんの毎月開催されている例会の372回目の演者としてお招きいただいた。

早朝から、人の話を聞くというのは大変だと思うが、もっと大変なのは、そのテンションの低い方々の前で話す人の方が大変なんですからね…というつかみから入った。
随分とおしながきメニューは食べ残したものの、フルに話し切って、その後、多くの方が名刺交換にいらっしゃった。その会話の中で、皆さまがとても満足してくださったことを感じた。
講演後は、皆さまと朝食をいただくという盛岡クラブさんのお約束。一緒においしい食事をいただくも、午前中のご法事へと向かうため、15分ほどで食事を済ませてお別れとなった。


おじいさまの3回忌。ちっさいひ孫さんたちに、やんややんや話し掛けられながら穏やかなご法事が勤まる。
尊敬されていたおじいさまの雰囲気が表れていて、そこでお参りさせていただけることがとても嬉しかった。


ご法事の御斎もそこそこに、続いて午後1時からの第5回碧祥寺親鸞教室を迎える。
今回も切れ味鋭い今井先生の毒舌に、受講者の皆さんも、勿論私も大喜びだった♪
中身に関しては、また後日に…。

すっかり疲れていたのだろう。
ビールと焼酎を飲んだら、もうバタンキュー。。。9時半には眠ってしまっていた。


翌朝7日、中学ソフトボール部の送迎係が太田家にあたっており、サエも小学校や保育所行事対応があったため、朝6時中学校出発で奥州市前沢区へと車を走らせる。
8時近くには、子どもたちを会場に置いて、すぐさまこの日の講演会場へ。


朝10時、自治労連東北大会(東北6県&新潟県)の最終講演にてお話しさせていただく。
2日間に渡る研修会。前夜にきっと飲み明かしたであろう参加者の方々の眠そうな空気が漂う中でのスタート!
保育士さん、高齢者福祉の介護士さん、障害者福祉の相談員さんなどが集ったこの大会は、毎年7県が持ち回りで主催するというものだ。

半分寝むそうな皆さまでありながら、普段から聞く技術の長けた方々の集いでもある。とってもいい雰囲気で90分拝聴下さったおかげで、私自身も食べ残しながらも完全燃焼できた感触だった。


それらの任務を終えて、夕方の最後の送迎へと向かう。

家に着いて18時半過ぎ…。

またもや少量のアルコール飲料で効き目バツグンだった昨夜。


今日は、真宗大谷派名古屋教区の皆さまとともに、沿岸に向かって行ってきまっす!

主がお帰りの日

2015-06-05 19:41:27 | 日記
看取り期とされている98歳のTじっちゃん。

今日、隣町のご自宅へ外出してくることができた。


『米を食いたい。』
『家さ帰りたい。』


その言葉を繰り返していらしたTじっちゃん。飲み込みも少々不安がありつつも、お粥なら…と提供し、その他にも喉越しの良い物を食べてもらおうとやってきた数日間。
ご家族も、苺のムースが好物だったからと作ってお持ち下さったり…。

続くは、やはりご自宅で少しでも過ごすこと。

ただ、大農家を経営し、販売までやっていらっしゃる息子さんご夫婦にしてみれば、長い時間の滞在は中々難しいわけで、短時間でも住み慣れたご自宅の居間で過ごせないものか、そして、長年大事にされてきた田畑をお見せできないかとご家族に相談したのが、今週初めだった。

一度目は、遠距離移動のことや、自宅に帰れば米が食べられると思っているのではないか等々の理由もあり、断られてしまう。

しかし、Tじっちゃんの家に対する思いからすれば、引き下がれない私たち。
増してや、今、意識がはっきりしているチャンスは、看取り期の今だからこそ、今しかないのだ。また折をみて…というような時間の保証もないわけで…。

もう一度、難色を示されていたご家族にお願いをする。


『私たちがついていますから…。今だからこそ、Tさんの大事にしていらした場所に行って、少しでも喜びになればと思うのです。』


ご家族は、オッケーしてくださった。

しかも、実現した今日、Tじっちゃんが働いてきた田畑のすぐ淵まで案内してくださったり、家に入ると、Tじっちんが「いつもゴロ寝してた場所」にリクライニング型車いすではありながら、その定位置で過ごさせてくださる配慮。

Tじっちゃん、徐々に長いドライブの疲れもとれたような和らいだ表情へと変わっていく。

じっちゃんのために、息子様の奥様が美味しいお粥を炊いてくださる。
さらには、私たちの分まで昼食を用意くださって。
息子さんがおっしゃった。


『じいさんも、我が家の居間で、みんなで食事すれば嬉しいだろうと思ってさ♪』


話が持ち上がったときは難色を示されていた息子さんの、この粋なはからいと父親を大事にしている深い思いがそこに存在していた。
娘さん夫婦や、甥さん(90歳)も駆けつけてくださって、昔話、思い出話に花が咲く。

話が盛り上がる中で、Tじっちゃんは、息子さんの奥様手作りである大好物の苺のババロアを頬張っている。

何というやさしき時間。

移動時間2時間で滞在時間も2時間という、短いひと時ではあった。
…が、そこには、愛や思いがいっぱい溢れていた。

帰りの車中、疲れなのか安堵感なのか、ぐっすりと爆睡するTじっちゃんの安らかな寝顔に、私たちもとっても心地好い時間をいただけたのだった。


さて、またやれることを少しでも…。